ラスト・クリスマス・プレゼント

高村 芳

ラスト・クリスマス・プレゼント


 「イヴの夜は仕事なんだ」


 彼とお付き合いをして初めての冬、そう言われて肩を落としたことを覚えている。マフラーの隙間に吹き込んできているんじゃないかと思うほど、風の強い日だった。クリスマスイヴの夜をともに過ごせると信じて疑わなかった若い頃の私だった。何度も家で練習したシュトーレンのことを言い出せず、「風邪を引かないようにお仕事頑張ってね」と強がるしかできなかった。あの冬からもう十年経つということが信じられないほどに、時は瞬く間に過ぎていった。



 「熱っ」


 大鍋にたっぷりと作ったクリームシチューを掬って味見をしようとしたところ、舌を火傷しそうになって思わず声が出た。ふう、ふうと息を吹きかけた後、ふたたびシチューをすする。生クリームと隠し味のチーズの濃厚なまろやかさが舌の上に広がった。いつもの味に、私は満足して火を止めた。木の滑らかな匙に持ち替え、深皿にたっぷりとシチューを盛ると、あたりが良い香りで満たされた。湯気がくゆり、部屋の中の暖かな空気と調和していく。私はキッチンの窓から外の様子を窺った。

 窓の四隅は白く曇り、窓枠に切り取られた空には濃紺のカーテンが引かれている。雪がちらほらと舞い、夜空という名のカーテンは一瞬として同じ柄にならない。窓辺に歩み寄ると、ガラスの一枚向こうから冷気に抱きしめられるようだ。私はシチューが注がれたふたつの皿を、ダイニングテーブルに並べる。

 ダイニングテーブルには、落ち着いたブラウンのテーブルクロスを敷いてある。いつもは食器棚の奥にしまっているカトラリーセットも、昨日ひとつずつ磨いた。ミートローフにサラダも日中に作っていたので、あとはパンが焼けるのを待つだけだ。彼が帰ってくるまで、やることが無くなってしまった。ソファに腰掛け、読みかけだった本を開いた。


 今日は二十六日、彼の仕事納めの日だ。昼過ぎ、一日遅れのクリスマスディナーの準備をしようと街へ買い物に出ると、昨日まで街を幸せな色で彩っていたイルミネーションが姿を消し、新年を待ちわびている人でごった返していた。私はそそくさと必要なモノだけを買い足し、足早に家に帰る。戻るやいなや、彼の帰りを待ちわびながら、少しずつ夕食の準備を進める。しゅんしゅんと蒸気をふくやかんの音と、私が食材を切る音だけがダイニングに響く。これが毎年の光景だった。


 かち、こち、と、時計が刻む音が気になり、なかなか本を読み進めることができない。約束していた時間はとうに過ぎていた。壁にかけられたクリスマスリースも、心なしか主人の帰りが遅いことを悲しんでいるように見えた。そんなときだった。

 玄関の扉ががちゃがちゃと音を立てた。私は肩にかけていたショールを床に落としながら、急いで玄関に向かう。そこには髪に溶けかけの雪をのせた、彼の姿があった。


「ただいま」


 まいったよ、と眉を寄せながら、彼は濡れた靴を脱いだ。どうやら私の気づかぬうちに外は雪と風が強くなっていたようで、彼の鼻と耳は真っ赤になっていた。私は彼のコートと荷物を受け取り、急いでお風呂に浸かるように勧めた。「シチューの良い香りがしてるのに」、とダイニングに向かおうとする彼を半ばひきずるようにして、お風呂に閉じ込めた。しばらくして、シャワーの流れる音が聞こえてきた。

 彼のコートをタオルで拭い、暖房に近い場所にかけておく。荷物からはヨレた仕事着を取りだし、急いで洗濯機を回す。彼がお風呂に入っている間にシチューとミートローフを温め直して、パンも切り分けなければ。私は腕まくりをし、いそいそと準備にとりかかった。



「おお、美味しそうだ」


 髪を乾かして部屋着に着替えた彼が、ダイニングテーブルにつきながら目を輝かせる。毎年同じメニューなのに、いつも新鮮そうに反応してくれることが、私は嬉しかった。楽しみに買っておいたワインを開け、私もエプロンを外して彼の正面に座る。


「メリークリスマス」

「メリークリスマス」


 かちん、というハンドベルに似た高い音がした。


 それからは、彼と会話を楽しみながら食事に舌鼓を打った。つい昨日まで人々のために世界中の空を駆け回っていた彼は、食卓で見るとただひとりの素敵な男性だった。ワインをたしなみ、ミートローフをほおばり、シチューを平らげる。先ほどまで影を落としているように見えた世界が、明るく色づいたようだった。


「どうだったの? 今年のお仕事は」

「担当地域が増えて大変だったよ。でも、それだけ喜んでくれる人も増えるからね」


 食事を終えた後は、ソファに場所を変えて、ワインにスパイスを入れて温めたグリューワインを二人で飲む。彼が帰ってくるまでは進みが遅かった時計も、瞬く間に時を刻んでいく。


「すっかり遅くなったけど」


 彼は立ち上がり、自室に置いておいた荷物から、ひとつの包み紙を持ってきた。ソファに座り直してから、私に差し出す。

 リボンをほどいて顔を出したのは、羽根のように軽い毛糸で織られた、橙色の膝掛けだった。私は目の前で広げ、さっそく膝にかける。空気を含んだ布は私を温かさで包み、たちまち顔がほころんでいく。


「ありがとう、サンタさん」

「サンタの俺は昨日で終わったよ」

「アメリカまで担当になると、丸一日かけて世界中を駆け回らなくちゃいけないの、大変だね」

「みんなにプレゼントを配り終えたらトナカイの世話をトントゥに任せられるだけ、マシだけどね」


 世界で一番遅く贈られたクリスマスプレゼントにくるまりながら、私は愛しい彼にキスをした。



   了  

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ラスト・クリスマス・プレゼント 高村 芳 @yo4_taka6ra

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