旅立

 水坂との戦いから数カ月後、縁は3年生に進級していた。

 気がつけばコートを着ることも無くなり、半袖でも快適に過ごせそうな季節になった頃、縁は冬霞と共に廃屋の地下に三島に呼び出された。

「高木、お前を人間に戻せるようになった」

「え、ホントですか?」

 唐突に三島に告げられた一言に、思わず縁は大声を上げた。

「本当だ。ちなみにこのまま私達の組織の一員に加わる。という選択肢もある」

「いやいや、そんな……あれ?」

 縁は迷いなく『人間に戻る』という選択を取れない自分に気がついた。冬霞達に協力し続けていたのは、人間に戻るためのはずだった。しかし、いつの間にか縁は自分の今の体を自分の体として受け入れてしまっていた。逆に戻るということは、自分の一部を失ってしまうことだと捉えるようになっていた。

「それって、すぐに答えを出さなければいけませんか?」

 とは言ったものの、定期的にメンテを受ける必要があるなど、不便なところもやはりある。全く戻りたくないかというと、そうとは言い切れなかった。

「もちろん、今日すぐに答えを出せとは言わない。ただ、そんなに待てない事情があってな」

「私達、次の町へ行くことになったから」

「……え?」

 縁は一瞬冬霞の言葉を理解することができなかった。なんとなく冬霞とは一緒に卒業して、これからも一緒にいるような気がしていた。だが冷静に考えればそれはありえない話だ。そしてそれはありえないことなのだと、今気づいた。

「そ、そっか……」

 思った以上に縁は内心では動揺していたが、それを悟られないよう笑ってごまかした。

「あ、そういえば三島さん、私次の町でも高校生なんですか?」

「そのつもりだ」

 聞き捨てならない会話が聞こえ、縁は「え、どういうことですかそれ」と2人の会話に割り込んだ。

「あれ、言ってなかったっけ? 私、22歳だから」

「え、ええええええええええええ!!!」

 縁は間抜けな大声を上げると、冬霞の頭から爪先まで見下ろした。確かに、17歳にしては大人びている気がするが、22歳と言われると逆に少し幼い感じがした。

「まあ、私改造されたおかげか体の成長が止まってるから。18歳くらいの頃のままなんじゃないかな」

 冬霞は涼し気な表情を浮かべながら、右手で前髪を払った。

「そ、そう……なんだ」

 過去を振り返ると冬霞は確かに妙に大人びていたり、妙に達観しているところがあった。そう言われると合点が行く。逆に妙に子供っぽいところもあったが。

 それはともかく、今は一旦頭を落ち着けたかった。縁は「ちょっと考えさせてください」と答えると、廃屋地下を後にした。


「暑いな……」

 外に出た縁は、思った以上の暑さに不機嫌そうに呟いた。

 冷たいものが食べたくなった縁は、何度も行くようになったこの町唯一のファミレスに入った。店内はすでに冷房が効いており、涼しかった。

 縁はミニパフェを注文した。普段冬霞が注文しているパフェのミニサイズ版だが、縁にとってはこの量がちょうどよかった。

 冷房の効いた店内で縁がパフェに舌鼓を打っていると、ドレスのような服装の女性が入ってきた。このようなファッションの事を『クラシックロリータ(略称クラロリ)』と呼ぶことを、以前縁はどこかで見聞きしていた。

 縁がこんな田舎で……と思いながらクラロリを着た女性の顔を見た瞬間、縁は手に持っていたスプーンを落とした。クラロリを着た女性は、水坂あすかだった。

「こんにちは、高木くん。向かい座っていい?」

 水坂は縁の返事も待たず、向かいの席に座った。

「いやいや。なんで生きてんの!?」

 縁は思わず大声を出してしまい、周りの客が不審そうに縁に視線を向けた。

 水坂は何かを思い出しているような素振りを見せると、

「うーん、私もよくわかんないんだけど、多分冬霞ちゃん達の組織に回収されて、改造されたんじゃないかな? 高木くんといろいろあったのは覚えてるけど、正直ただ覚えてるだけって感じ。だからもう高木くん達を襲ったりすることはないから安心して。だけど、色々迷惑かけちゃったよね。ごめんなさい」

 縁に向かって頭を下げた。

 確かに、水坂は以前の水坂とは何かが違っていた。見た目や喋り方は全く同じだが、どこか別人のような感じがした。水坂には一度騙されているが、直感的に今言っていることは信じてもいい気がした。

「……信じるよ」

 縁は短く答えると、テーブルの上に置かれた食器入れからスプーンを取り出し、パフェの残りを食べ始めた。明らかに水坂が見つめてきていて、やりにくくて仕方がなかった。

「高木くんさ、何か悩んでるでしょ?」

「な、なんでそう思うんだよ?」

 縁の反応は、誰が見ても「正解」と言っているのが分かるほど分かりやすかった。

「女の勘ってやつかな? まあでも悩んでることって、たいていは自分の中で答えはすでに決まってて、誰かに背中を押してほしいって状態になってることよくあるよね」

 水坂は白い歯を見せて笑った。裏表の無い笑顔だった。

「……」

 縁は視線を落とした。水坂の言うとおりだった。本音を言えば冬霞達についていきたかった。

 両親とはおそらくこれでお別れになってしまうだろう。だがそれ以上にこれからも冬霞と一緒にいたかった。そして彼女の事をもっと知りたかった。ただ今まで色々と世話をしてもらったことで、彼女のことをなんとなく気になってしまってるだけなのかもしれない。それでも、ここで彼女と別れるのは嫌だった。

「まあ、私は高木くんのやりたいようにやればいいと思うよ。冬霞ちゃんを助けるために私の前に現れた時、何も考えてなかったでしょ?」

 水坂は見透かしたような目つきでニヤリと笑った。

「うっ」

 図星だった。あの時の縁は水坂を倒すための作戦もなく、今度こそ殺される可能性も考えずに飛び出していた。結果的にはそれで上手く行ったのだが、そんな状況で水坂に挑んだのだと思うと今でも背筋が寒くなってくる。

「だけど、結果的にそれで上手く行ったじゃない。思い切って飛び込んでみたら? 案外悪くないかもよ?」

 縁はその言葉に強く背中を押された気がした。死闘の末倒した相手にそれを言われるのは少し違うような気がしたが。

「……ありがとう。水坂さんってやっぱりいい人だね」

 縁は手早く残ったパフェを片付けると、伝票を持って立ち上がり、レジに向かった。その足取りに迷いはなかった。


 縁が再び廃屋地下に戻ると、三島は姿を消しており、冬霞だけがいた。

「どうしたの? 忘れ物?」

 手にしていたスマートフォンから顔を上げ、縁を見ながら冬霞が言った。

「俺、冬霞と一緒に行くよ」

 縁のその一言を聞いた瞬間、冬霞は表情を曇らせた。

「……本気で言ってるの?」

「本気だよ」

 縁は即答した。

「もう、元の生活には戻れないかもしれないんだよ?」

 一段と険しい表情で冬霞は縁を見つめた。

「もうすでに元の生活じゃなくなってるよ」

 縁は自虐的な笑みを浮かべた。

 体を改造された時点で縁の日常は一変していた。そして何ヶ月もそんな日常を送っていれば、今度はそれが新たな日常になる。

「今回はなんとか勝てたけど、水坂さんみたいのとまた戦うかもしれないんだよ?」

 折れる気配の無い縁に冬霞は立ち上がり、語気を強めながら言った。

「俺たちいいコンビだって言ったのは冬霞だろ? だから、きっと大丈夫だよ」

 しかし、縁も怯むことなく言い返す。

「いや、あれは、確かにそうは言ったけど……」

 冬霞は困ったような表情を浮かべ、言葉を濁した。

「嘘だったの?」

 もうひと押しだと感じた縁はさらに追い打ちをかけた。

「嘘じゃないけど……」

 冬霞は何か言い返したそうに口を動かしていたが、やがて諦めたようにため息をつくと、

「正式に私達の仲間になるからには、今まで以上に厳しく行くからね?」

 お返しだと言わんばかりに含みのある笑みを浮かべた。

「望むところだよ」

 縁は冬霞に向かって手を差し出した。

 冬霞は小さく微笑み、縁の手を取った。

「これからよろしくね。高木くん……いや、縁」

 冬霞の手は小さく、指の腹で手の表面をなぞりたくほどなめらかで、そして柔らかった。

                                     (終わり)

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怪人19歳 アン・マルベルージュ @an_amavel

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