17、終わりよければ
光を感じた
ぼんやりと視界に映るのは、普段から見慣れた風景とはまた別の風景。ふわりと香る草の匂いにパチパチと目を瞬かせていると、とたとたと何かが近づいてきた。
「あ、起きてる」
目の前に現れた顔に今度こそはっきりと目が覚める。
「・・・りっちゃん?」
名前を呼ばれた
「気分はどう?」
「え・・・あ、うん。頭が少し痛いかも?」
「ちょっと見せて」
起きあがろうとする桃矢を押し戻した璃子が髪を掻き分け、傷がないかを確認する。
「・・・うん、外傷じゃないみたい。痛みが酷いなら痛み止め出せるけど」
「そこまではしなくてもいいかな・・・というか、あの、ここってもしかしてりっちゃんの部屋?」
畳に机と椅子だけの生活感のない部屋をぐるりと見渡す。
「うん、そうだけど?」
「あの、俺なんでここにいるのかな?」
桃矢の記憶では、SNSで話題のコンビニスイーツを買って来いと外に追いやられ、数件回った末にやっと見つけ帰路についたはずなのだが。
「あー・・・それは」
「お前がぶっ倒れとったんだ」
「あ・・・赤城のお爺さん!」
「お爺ちゃん、ここ禁煙」
じろりと璃子が睨め付ける。
「・・・たく、頭の固いやつだな。それよりお前、野良犬に噛まれそうになって、階段から滑り落ちたらしいじゃないか」
「えっ・・・」
「しかし、あの高さから落ちてほぼ無傷ってのはすごい。さすが鍛え方が違うな」
「えっ、あの・・・それでなんで俺はここに?」
「なんでって、それはうちの孫たちが居合わせたからだろ?それも忘れてるのか?」
たしかにそう言れてみれば、璃子や壮馬たちと会話した気がする。
「なに、お前の家にはちゃんと連絡してあるから安心しろ。痛みがあるなら薬はこれを飲みな。飲んだら朝食にするぞ」
「薬と白湯ここに置いておくね」
抱えてきた盆をすぐ側に置く璃子。
「桃矢のタイミングで来てくれればいいよ。じゃあ、あたしは準備に行くから」
「ちょっ、ちょっと待って!」
ぐいっと腕を捕まれ、立ち上がろうとしていた璃子は動きを止める。
「どうかした?」
「あっ・・・ごめん。なんかうまく言えないんだけど、その、何か大事なことを忘れている気がして」
しかしその肝心な大事なことは靄がかかったようにぼんやりとしていて全く思い出せない。
「・・・まあ、思い出せないってことはそんなに重要じゃないんじゃない?それにまた思い出した時に聞くから」
たしかに璃子の言うことも一理ある。だが。
「りっちゃん、何か隠してない?」
璃子の肩が小さく揺れる。
「別に何も隠してないよ」
「えー。その反応、なんか怪しい」
「怪しいって・・・」
璃子の眉がほんの僅かに下がる。そして桃矢はその一瞬を見逃さなかった。
伊達に十年そこそこ見続けているわけではない。
「ねぇ、りっちゃ」
「お前たち、一体いつまで話し込んでるんだ」
茶碗片手に殊光が呆れ顔を覗かせる。
「璃子、飯」
茶碗を押し付けられた璃子は一瞬ムッとした表情をしたものの、すぐに台所へと消えていく。
「おい、桃矢」
名前を呼ばれ顔を向ける。
さっき注意されたにも関わらず煙管をふかす殊光。
細く長く吐く煙は、不思議と嫌な匂いはしない。
「あんまりなんでもかんでも追求する男はモテねぇぞ。特に
にやりと意地悪い笑みを浮かべる。
そんなことを言われてしまえば、それ以上追求することなんてできるわけもない。
桃矢は恥ずかしさを誤魔化すように薬を煽った。
「それじゃ、いってきます」
「お世話になりました」
「おう、気をつけてな」
二人を見送った殊光が戸を閉め、小さくため息をつく。
「さて、それで今回はお前さんの企みか、
「あら、失礼ですね」
棚の影から朝霧がひょっこりと顔を出す。
「わたしは
「ほう・・・それで、今回は何を企んでる」
一瞬きょとんと目を丸くした朝霧だが、すぐににやりと口を歪める。
「やだなぁ、その言い方だとまるでわたしがいつも何かよからぬ事をしているみたいじゃないですか」
「けっ、白々しい・・・なんだ、それじゃあ本当に今回の一件は偶々なのか?」
「だから最初からそう言ってるじゃないですか。ああ、そうそう。今回の依頼料」
二つ折りになった紙を殊光が開く。
「・・・おいおい、なんだこの法外な値段は」
「何言ってんですか。今回の一件、わたしが記憶を見なければ解決できなかったんですよ」
細めた瞳がきらりと鈍く光る。
覚は希少種とはいえ、数はいる。ただ、朝霧はその中でも特異中の特異だ。
「・・・はぁ、ちょっと待ってろ」
奥に引っ込んだ殊光が袋を抱えて出てくる。
それを受け取った朝霧は中を覗き、小首を傾げた。
「・・・なんですか、これ?」
中に入っていたのは手のひらサイズの小さな赤い巾着。
「何って魔除けに決まってるだろ」
「魔除けって・・・わたし、そっち側なんですけど?」
ムッと口を真横に結ぶ朝霧。
「まあそうだが・・・それにはな、
「なっ・・・!」
朝霧の顔色がサッと青くなる。
毛で編んだ人形というのも中々不気味だが、その大本がなによりも恐ろしい。それこそ並の妖ならば脇目も振らずに逃げ出すほどだ。
「・・・こんなもの、どこで手に入れたんですか」
「あ?なに、昔の古い伝手でな。本当は
はっとした朝霧がすぐに悔しそうに唇を噛む。
図星も図星。むしろ今回の金を元手に似たようなものを手に入れようとしていたのだから。
「・・・ふん。今回はこれで許してやりますよ。ただし、次はちゃんと現金でいただきますからね!」
「ははっ、そんな大金うちにはねぇよ。俺が全部使っちまうからな」
「その金遣いの荒さ、そろそろなんとかすればどうです?」
殊光がふん、と鼻を鳴らす。
「正規ルートじゃない分金がかかるんだよ」
「・・・そうですか。それじゃあ、わたしはお暇しますよ」
巾着袋を持つと、トコトコと出入口に向かう。
「あ」
朝霧が何かを思い出したかのようにピタリと足を止め、くるりと振り向く。
「そういえば、璃子さんには全く話してないんですね」
その言葉に今度は殊光が無言のまま渋い顔になる。
「・・・まあ、わたしには関係ないですが、さっさと話しておいた方がいいと思いますよ。人間の寿命ってやつはいつ終わってもおかしくないですからね」
返事をする前に朝霧が姿を消す。
カランコロンと鈴の音が店内に響き渡った。
「・・・そんなことわかってらぁ」
こんな時、あれがそばに居てくれればと思ってしまう。でも、そんなことは叶わない。もしそれが叶っていれば璃子はこの世には存在していないのだから。
視線が棚の上にいく。椅子に乗らないと届かないそこには隠すように伏せた写真立てがある。
「すまねぇな」
主語のない謝罪。
それは誰にも拾われることはなく、ただ薬缶の音に溶けて消えた。
芋か栗か、それともシュークリームか。
難しい顔で冷蔵庫と睨めっこしていた璃子の頭をぱこんと何かが叩いた。
恨めしげに見上げると、そこにはゴキブリ撲滅作戦の際に活躍する丸めた新聞紙をもつ
「ちょっと、痛いんですけど」
文句を言いながらも、ちゃっかり片手に芋をゲットする。扉を閉めようすると手が伸びてきてシュークリームを掻っ攫っていった。
「この間のやつ、何がわかったんだ?」
「うん。一応わかったことは、真実さんの母方が憑き物筋の家系だったことと牧本先生が美優ちゃんと男女の関係を持ったことがあること。でも興味深いのが真実さんが犬神を使役し始めたのはつい最近の話だってこと」
「最近?親戚から聞いたりしてってことか?」
「ううん。それがお客さんから聞いたんだって」
「なんだそれ」
壮馬が怪訝そうに眉を寄せるが、口元にクリームがついているのでむしろ間抜けに見えてしまう。
「お客さんがね、あなた困ってるならば血筋を使えばいいじゃないって言ったんだって。最初言ってる意味がわからなかったけど、調べたら自分が犬神の憑き物筋の家系だってわかってそれからほぼ独学で使役してたらしい」
「独学って・・・そんなの独学でできるもんなのか?」
疑いの目を向ける壮馬。
実際、話を聞いた璃子も紅炎も不思議に思った。それ以上のことを隠している可能性もあったので自白剤を使ってみたり、朝霧に再度依頼して心を読んでもらったりしたが、どんな容姿でどんな話をしたのかなど記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
そう、横溝の時と同じように。
まるですりガラスのようだ、と朝霧は苦々しく溢していた。
「なんにせよそれ以上はわからなかった」
「なんだよ、使えねーな」
「・・・そんな言い方するなら壮ちゃんがやってよ」
璃子はむっと剥れるともう一度冷蔵庫を開ける。
「俺、牛乳」
「自分で入れて」
そう言いつつ、渡されたコップに注いでやる。
「それで、これからどうする?」
「どうする、ねぇ」
あの後、真相を牧本に突きつけた。彼は全てを認め依願退職し、真実さんと一緒に田舎引っ越した。
美優は学校には通っているが、牧本の退職の原因が美優だという噂も広まっていることからサッカー部のマネージャーはしばらく休むらしい。
ついでに言うと、何故美優が璃子を呪おうとしたか。それは単に美優と牧本が連絡し合えないのに、璃子は連絡を取れるからという逆恨みみたいなものだった。
まあ、恋する乙女は時に獣よりも扱いが難しいので今回だけは大目に見らことにした。
あと残る滝岸だが、これが一番不可解なことに失踪した。学内には被害者の会ができていたらしく、訴えられるのを恐れて逃げたのではないかと囁かれているが真相は定かではない。実は璃子も今回一番気になっていたのは滝岸だった。あの璃子にかけた呪い。その正体を直接知りたかったのだが、今となっては難しい。
「まあ、もういいんじゃない。これであんたたちは無事だろうし」
「お前って・・・本当、そういう線引きはっきりしてるよな」
「商売人は引き際が肝心ですからね」
にやりと璃子が笑うとほぼ同時にカランコロンと鈴の音が鳴り響く。時計を見ると、時刻はすでに午前二時を過ぎていた。
「あっ、やば!もうこんな時間!はーい!」
璃子は麦茶を流し込むとそのまま廊下を走って店へと出た。
「いらっしゃいませ。今宵はどんなお薬をお探しですか?」
今宵はどんな薬をお求めですか? うみの水雲 @saku1222
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