二度目の救世譚

奥州寛

第1話

――男は自分の事を一振りの剣だと思っていた。


 強者を打ち負かす。そのこと以外には興味がなく、それこそが生を感じられる瞬間だった。


「リオン……君はこの戦いが終わったらどうするんだ?」

「どうもこうもない、私はお前に付いて行く。それこそが強者と戦う近道だ」


 リオンと呼ばれた男の前で、黒髪の男は苦笑する。


 これから人類にとって不倶戴天、強力無比の敵「魔王」と戦うというのに、二人の会話はそれを感じさせない。


「じゃあ強い相手がいなくなったら?」


 リオンは少し考える。確かに戦う相手のいない世界は、彼にとって退屈そのものだった。生きている意味が無いとすら思える。


「その時は……一緒に考えてくれるだろう? 朋友よ」


 自分の中で答えが出なかったので、リオンは男の顔を見て問いかけた。


「ふっ、はははっ」


 黒髪の男はその返答がおかしかったのか噴き出した。

 リオンは憮然としていたが、心の底では彼が今言ったとおりの事をしてくれると信頼していた。


「ああ、そうだな……この腐れ縁はきっと、墓場まで一緒だと思うよ」



――



 その日はとてもいい天気で、何かとてもラッキーな出来事が起きる気がしていた。


 初夏の匂いを鼻先に感じる。この街には滞在して二週間ほどになるが、俺は何か新しい出会いがあるような気がして、わくわくとした期待を胸に抱いていた。


「おう、坊主。やってくれたな」

「え、えーっと……」


 ……で、まさか、こうなるとは思っていなかった。


 目の前にいるのはガタイの良いお兄様方、筋骨隆々でタンクトップだったり、拳に革のバンテージを巻いていたり、それこそ滅茶苦茶痛そうなガントレットを着けていたり……武闘家(セスタス)であることは間違いなさそうだった。


「いや、でも、女の子一人にああいう事は――あ痛ぁ!?」

「じゃあ男同士ならいいってことだよな?」

「いや、いやいやいや! そういう事じゃない! もっと穏便に、穏便にぃ!! ――グホァッ!? あ、ちょ、そ、そこはやばっ――ぎゃああああああ!!!!」


 街に入ったとたん、この怖いお兄様方に絡まれている美少女を見つけた。


 蜂蜜のような長い金髪に、ブルーベリーのような濃い青色をした瞳が目を引く、聖職者(クレリック)系の服装をしていた。一目見れば一発で容姿を覚えそうなくらい綺麗な子だったな。


「よーし、お前、抑えとけ……歯ァ食い縛れよ坊主」

「いやああああ!! 死ぬ! 死んじゃうぅぅううう!!」


 先輩感を出しつつ颯爽と仲裁に入って、隙を見て女の子を逃がしたはいいけども、女の子は俺を一切顧みることはしなかった。チクショウ覚えとけ。おかげで逃げ損ねた。


「あー大丈夫大丈夫、半殺しで勘弁してやる……よっ!」

「いったああああ!!! せ、せめて四分の一殺しに、四分の一で勘弁してぇ!!!」


 凄まじい衝撃と痛みと一緒に、肉が潰れるようなゴリッ、グシャッみたいな音が自分の身体から聞こえてくる。意識が飛びそうというよりも、殴られて意識が飛んで、また殴られて意識が戻ってるみたいな状況だ。


 俺を足腰立たなくなるまでボコボコにして、武闘家のお兄様たちは乱暴に担ぎ上げた。


「ったく、弱いくせに出しゃばってんじゃねーぞ……っと」

「ぎゃっ……! くぅ……っ」


 路地裏の一角に投げ出されて息を吐く。あ、この臭いと身体を適度に包む柔らかさは、ゴミ捨て場の感触……


「あーあ、惜しかったなー、あの子結構かわいかったのに」

「しゃーないっすよぉ、酒場で飲みなおしましょうや」

「しっかし、魔王が倒されたからって、あんな弱っちい奴でも冒険者できるの、正直残酷だよな」


 飛び回るハエの羽音に混じって、遠ざかっていく彼らの声が聞こえる。

 路地裏は昼間でも薄暗く、人影もない、ブンブンとうるさいハエの音に隠れるように。俺は一言呟く。


「人助け、かんりょー……ぅ」


 そして、鼻の曲がりそうな臭いの中、静かに脱力する。ちょっと……五分、いや十分だけ寝かせて……



――



「またかよエリオ、要らないところでリソース食わすんじゃねえって何回言ったらわかるんだ」

「も、申し訳ない……」


 ここは冒険者ギルド。そこで俺はパーティ全員からこっぴどく叱られていた。


 俺は冒険者として頼れる仲間たちと共に、日々魔物の脅威に晒される人々を助けているのだ。


 と言っても、さっきの出来事からわかる通り、俺は滅茶苦茶に弱い。それはもうその辺の小鬼とどっこいどっこいなくらいに弱い。


「いや、確かに役立たずだけども、あの時は身体が勝手に動いた……っていうかその-……」


 なんせ今の称号は初心者(ノービス)で、魔法適正も無い。そして生まれ持っての体格も筋力も無い。こうなると農民(ファーマー)か商人(マーチャント)くらいしか行き先がないだろうに、無理を言って剣士(フェンサー)として実績を積ませてもらっているのだ。


「いい加減捨てちまおうぜ、こいつ」

「まあ待て、誰だって弱い頃はあった。もう少し様子を見ても……」

「その台詞三回目なんですけど?」


 小さくなっている俺の上を、いつものように言葉が行き来する。申し訳ないという気持ちがないわけではないんだけど、こんな時にどうすればいいか分からない。


「あの……」

「あん?」


 うつむいてじっとしていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。この声はさっき聞いたぞ、具体的に言うとボッコボコにされる直前!


「あ……さっきの! ――ぎゃっ!?」


 見覚えのある碧眼を見て、俺は話しかけようと身を起こした。しかし、それと同時に降ってきた仲間の拳骨に、これ以上ないほど綺麗にノックダウンされてしまった。


「あー、こいつは気にしなくていい。なんか用か? 嬢ちゃん」


 頭を擦るとまた新しいたんこぶが出来ていた。恨めしさ半分と好奇心半分で、彼女を見上げると、俺をちらっとだけ見てから話し始めた。


「ええと、近隣の村に小鬼が出没するようになってしまって、猪や鹿と結託して農作物を荒らしているんです。何とかしてあげたいんですが、丁度村に居た冒険者が聖職者の私しかいなくて……」


 小鬼……俺にとっては手頃というかパーティを組んで臨みたい相手だが、それは俺がクッソ弱いからであって、普通の冒険者なら、攻撃手段の乏しい聖職者でもない限り、苦も無く倒せる相手だ。


 だからこそギルドの窓口では適当にあしらわれるし、よしんばクエストボードに載っても、危険度が低く、実績にも金にもならないので、数か月ほっとかれるなんてザラにあった。


「なるほどな、そんで、その村は何を払うんだ?」


 だが、それでは村の生活が成り立たない。そこで出てくるのがギルドを介さない直接交渉だ。


 ギルドを通すと非合法な依頼、報酬は一律で拒否されることになっている。しかし、その分依頼の達成は担保される。


 これを通さないということは、後ろ暗い依頼か、こういう「実績にはならないが早く片付けてほしい依頼」の二つで、両方とも大っぴらに言うことが出来ない報酬が用意されていた。


「……私です」


 とても小さな声だったが、俺はもちろんの事仲間たちもはっきりとそれを聞いていた。案の定、という雰囲気が仲間たちを包み、俺は声を上げる。


「ちょっと待った! なんで一介の冒険者なのにそこまでするんだ? そもそもその報酬ってどういう意味か知ってて……」

「知ってるにきまってんだろうが、それはエリオ、お前が一番よくわかってるんじゃねえのか?」

「っ……!」


 彼女が武闘家のパーティに絡まれていた理由……それを推察すれば自ずと答えは見つかる。彼らは報酬を「前払い」で貰おうとしていたのだ。

 俺とそんなに年も変わらない女の子、しかも村の人間ですらない冒険者に、そんなことを強要する村へ怒りが沸く。


 しかし、そうでもしないと彼らは生きていけない。今は秋の収穫に向けて大事な時期だから、特に切羽詰まっているのだろう。もしこのまま放置すれば、この子一人どころじゃない犠牲が出る。それも理解していた。


「どうする? 俺はやりてえが」

「勿論やるぜ、最近日照ってるしな」

「あーあ、どうせ私が反対しても多数決じゃない」


 俺の意思と意見をよそに、三人は軽い調子で依頼を請け負うことにしていた。



――



 エリオとその仲間たちが依頼を受けるよりも前、依頼者を逃した武闘家の三人組は、薄暗い路地を歩いていた。


「勿体ねえなー」


 人通りはなく、街の活気が嘘のように静まり返っている。針を落としても音が聞こえそうな静寂だった。


「まーだ言ってんの? いい加減諦めなって」

「へへへ、どーせまた似たようなカモ捕まえればいいだけだろ……ん?」


 口々に適当なことを話しながら足を止めると、目の前に小柄な男が立っていた。右手に持っているのは抜身のロングソードだ。


「おいおい兄ちゃん、あぶねえな、街中で武器を抜いてちゃ騒ぎになるぜ」


 武闘家の一人が不用意に近づくと、その巨体が急に支えを無くしたように傾き、地面に倒れこむ。


「ぐっ!? いってぇ……?」

「エリオを殴ったのはお前たちだな?」


 それを意に介さないように、男は剣を払う。すると地面に血飛沫が落ちる。不審に思った他の武闘家たちが、倒れこんだ男を見ると膝から下が綺麗に切断されていた。


「なっ……! てめぇっ!」


 拳を振り上げて、剣を持つ男に殺到する格闘家二人。しかしそれは男に届くよりも前に、彼の持つ剣によって頭頂部から綺麗に両断され、地面に血だまりを作る。


「すぅ……はぁ……」


 辺りに残るむせ返るような血臭を愛おしそうに吸い込み、男は剣を払って踵を返す。


「……お、お前、何なんだ?」


 その場から去ろうとする男に、両足を切断された男は震える声で問いかける。


「私? 私が何者か、か……正直なところ、私自身も分からない」


 意外にも、返答は穏やかな声だった。


「……しかし少なくとも、私は私の事をこう思っている……『一振りの剣』だと」

「――!!!」


 地面を這う格闘家は息を呑み、絶望が心を支配していくのを感じた。


「そんな、あんたは、あんたは封印されたはずじゃ……!?」

「少し違うな、私は――」


 瞬間、地面を這う男は細切れとなり、爆ぜたように血飛沫が舞う。


「健在だよ」


 一瞬遅れて真っ赤な血の雨が降り注ぐ。


 男はそれを浴びないように避け、ロングソードの血糊を払う。



――



 静かに流れる夜風は、涼しい空気を運んでくる。翌朝、村に向かう予定になっていたが、俺は寝つけずに窓から見える人気のない街を眺めていた。


 もう既にみんな寝静まったようで、建物の窓はうつろな輪郭を残しているのみだ。


「……」


 桟に手をついて思い浮かべるのは昼の事。どうしようもないほど残酷なこの仕組みは、魔王が倒される前からずっと続いているらしい。


 魔王が倒されて一五年、人魔の戦争が終結して、魔物は「倒すべき敵」としての性質を急激に失っている。彼らが襲うのは城塞から農村へと変わり、彼らと戦うのは騎士団から冒険者へと変わった。


「はぁ……」


 それでも何も変わっていない。ひときわ強く吹いた風に目を細めて、俺は考える。


 ……この世界は、残酷だ。


「あの……」


 なりたい存在になれない。対価が無ければ助けてもらえない。それを良しとする認識が根付いている。


「えっと、あのー……」


 どうしようもないほど強力なこの仕組みに、俺は竿を刺したい。たとえそれで何も変わらないとしても、手に届く範囲だけでも守れたら、それはとても素敵なことだと思う。


「あのっ!」

「うわあああああああっ!!?」


 耳元で大声を出されて、俺は危うく窓から落ちるところだった。身体に残るぞっとするような浮遊感が、間一髪で命を取り留めた実感として体にのしかかる。


「ご、ごめんなさいエリオさん」

「いや、だ、だだ大丈夫……」


 死ぬかと思った。ちょっと涙で視界が滲む。


「ふぅ、はぁ……どうしたの? リーシア」


 リーシア。それが蜂蜜色の髪を持つ、彼女の名前だった。衛星集落を巡礼しつつ教会を管理する聖職者で……今回の依頼者。


「えっと、お昼のお礼を言っていなかったな、と思いまして」

「別にいいさ、俺だってやりたくてやったことだし、むしろ契約成立しそうなところじゃなくて、よかったよ」


 一人で逃げられたことは少なからずショックだったけど、これくらい女の子の前ではカッコつけてもいいだろう。


「いえ、あの人たち、無理矢理に依頼を受けようとして来て、とてもしつこかったんで」


 俺はそれを聞いてぼんやりとあの武闘家三人を思い出した。


 いつもああいう感じで「闇仕事」をやってるんだろうな、そう思うとボコボコにされつつもリーシアを彼らの魔手から救い出せたのは、よかったのかもしれない。


「よしよし、じゃあ正解だったな……ところで、なんで俺たちに依頼を持ってきたんだ? 昼間の一件から分かる通り、俺は滅茶苦茶弱いぞ、そりゃあ仲間は強いけどさ」

「え、そうなんですか?」


 苦笑いを返されると思っていたが、返ってきたのはきょとんとした困惑の表情だった。


「だって俺、初心者だし、体格も筋力もないし」

「いえ、そんなはずは……実力を隠しているとかですか?」

「隠す実力がないよ……」


 リーシアには悪いが、期待されても困るのでぶっちゃけてしまうことにした。自分が何の能力も無い初心者である事、そして適性がないにもかかわらず剣士として実績を積んでいる事等々……


「でもエリオさんは絶対に強いはずですよ」


 彼女は意外にも強情だった。


「殴られた跡を見る限り急所を的確に外していますし、重心の移動も低く滑らかです。少なくともあの武闘家の人たちや、お仲間さんよりはずっと鍛えられてると思います」

「いや、いやいやいや、褒めても何にも出ないし、第一なんでそんな正確に人の技量を――」

「私、最高位聖職者なので、それくらいは分かります」

「最高位!?」


 称号には武闘家や剣士、農民などの分類があるが、その中でもさらに階級分けがされている。


 一般的な冒険者は単に剣士、魔法使いという称号が与えられるが、その技量や実績に一定以上の評価が得られると高位、最高位と称号が変化する。


「すごい、俺と歳はそんなに離れてないはずなのに……」

「ふふ、そう見えますか」


 なるほど、最高位なら一人でも大抵の魔物なら相手にならないし、一人旅も楽勝だろう。


「あれ、じゃあなんで依頼なんか? 最高位聖職者なら狩魔魔法もかなりの物じゃ……」

「狩魔は習得すると覚えられない回復魔法があるので、あえて取らずにいるんです」


 そうなのか、魔法関連の称号はややこしいからあんまり勉強してないんだよな。しかし、本当にこんな子が最高位……?


 リーシアを改めて見ると、眩しさすら感じる笑顔を返された。うん、これは俺が疑っている事すら想像していない顔だ。


「……分かった。とにかく、明日は頑張るよ」

「はい、お願いしますね」


 その肩書が嘘だろうとなんだろうと、困っている人がいるなら助けなければ、俺はそのために冒険者になったんだ。


「頑張って村を小鬼たちから救って……あ」


 そこまで話して思い当たる。彼女が提示した「報酬」の話。


「……」


 沈黙が訪れる。彼女の顔は真っ赤だ。もちろん俺も顔が火照っている。


「なあ、報酬の話だけど……」

「は、はいっ」

「やっぱり、良くないと思う。俺、仲間に何とか掛け合ってみるよ」


 聖職者は貞操を守る事も実績の内だ。最高位聖職者が衛星集落の為、ましてや小鬼なんかで失っていいモノじゃない。


 そう思って口にした提案だったが、リーシアは首を縦に振らなかった。


「いいえ、約束は守らなければいけません。それに、私一人で村が救われるなら、それはいい事なのではないでしょうか」

「っ……」


 聖職者として、模範的な回答。自らの実績よりも最大多数の幸福につながることをする。それがまた別の実績となり、聖職者としての位を高める。


「でもさ……リーシアはそれでいいのか?」

「はい、覚悟はできています。でも……」


 静かに、自分の運命を受け入れるような声色で彼女は、言葉を紡ぐ。


「エリオさん、報酬を先に貰うつもりはありませんか?」

「っ!!? それって――」


 心臓がどくんと脈打つ。


 リーシアの潤んだ深い青色の瞳が、俺を見つめている。なぜだか分からないが、それからは逃げられないような気がした。


「せめて初めては、貴方のような……」


 瞳がゆっくりと近づき、瞼が閉じられると、彼女の体温を感じ取れるほどに、身体が密着する。


「ちょちょちょ、ちょーっと待った!」


 唇が触れる直前、俺は何とか誘惑を振り切ってリーシアを押しのけた。


「駄目、ダメだって! 自暴自棄になっちゃ! 絶対に俺が何とかするから、もっと自分を大事にしろよ! 滅私奉公するにも程があるだろ!!」


 正直な話、こんなかわいい女の子相手なら、こっちから土下座してでもお願いしたいところだ。

 でも、それはこんな誰かの生活を人質にとってするようなことでも、自棄を起こして破れかぶれですることでもない。もっとこう、愛し合ってするべきだ。


「……あの、エリオさん」

「な、何?」


 頼むからもう一押しは来ないでくれ、あと一歩で俺の理性は限界を越える。


「ありがとうございます」

「へ?」


 しかし、俺の危惧、もしくは期待を裏切って、彼女はそれ以上迫る事は無かった。


 リーシアは身体を離し、軽く衣服を直して一礼する。


「じゃあ、また明日……「何とか」してくださいね」



――



 俺の脳裏によぎったのは、数分後には頭をつぶされ、内臓を食い荒らされて、そこらに転がっている骸骨の仲間入りをする光景だった。


「グルルルル……」


――大鬼。


 そこら辺に居る雑魚の小鬼とは比べ物にならない強さを誇る、巨大な人型の魔物だ。


 小鬼を従えて組織立った略奪を行い、討伐には複数のパーティが編成されることが多い。


 こいつの厄介なところは、その圧倒的な体格と強靭さがありながら、基本的に前線へ出る事はなく、巣である洞窟・廃墟へ侵入者が現れた時のみ戦う、狡猾な性格だ。


「くっ……みんな……」


 仲間は全滅、俺は弱いせいで前線に出ていなかったため、何とか生き残っている。


 大鬼はたいてい、小鬼退治だと油断した一つのパーティが全滅してから、討伐依頼が出される。不幸な「油断したパーティ」が、どうやら俺たちだったらしい。


「エ、エリオさん……」


 同行していたリーシアの気配を背後に感じる。最高位聖職者だからといって、損傷の激しい死体を蘇生させるのは不可能だろう。


 逃げるにも戦うにも、俺は小鬼にすら勝てるか怪しい実力で、リーシアは攻撃手段を持たない。俺たちの生存は絶望的だった。


「オオオオオオオオオオッ!!」


 大鬼が雄叫びを上げると、洞窟全体が揺れるような錯覚に陥る。腐肉と糞尿を混ぜたような臭いが鼻を掠め、俺は顔をしかめる。


 大鬼は戦闘態勢に入り、俺たちを逃がすつもりもないようだ。


 背中を見せたら即死する。そのことを本能的に理解した俺は、腰に差したロングソードを抜き放つ。まだまともに扱えないが、それでも寿命が数秒でも伸びることを期待しての事だった。


「っ……来るな! 俺とリーシアに近づくな!」


 剣先が震えているのが自分でもわかる。我ながら情けない格好だと思う。

 それでも、背後の彼女だけは守らなくては、その気持ちだけで俺は対峙していた。


 大鬼はその口を歪め、にたりと笑う。そして、俺の声を無視しているのか分からないのか、一歩一歩とこちらに近づいてくる。


「く……来るな……」


 むせ返るような悪臭が一段と濃くなり、あまりの強烈さに意識が途切れそうになる。

 そして、大鬼は手に持った棍棒を俺たちに向けて振り上げてきた。


「俺を……『起こすな』ああああっ!!!」


 棍棒が脳天に落ちる直前、俺の意識は真っ黒に塗りつぶされた。



――



 鈍い音を立てて棍棒が地面に落ちる。その光景をリーシアは茫然と見つめていた。


「っ……」


 大鬼の背後に落下したそれには、不格好な腕がしがみついており、切断面は滑らかだ。鋭利な刃物で、かつ使用者がかなりの技量を持っていなければ、このような切断は出来ないだろう。


「!? ガッ、グゥォ……?」


 大鬼は困惑した表情を浮かべる。あまりにも素早く、綺麗に切断された四肢からは痛みの伝播が遅れる。一瞬で消失した自分の前腕がどこに行ったのか、理解できていないようだった。


「グッ……」


 そして次の瞬間、大鬼は乱切りにされたニンジンのようにバラバラと崩れ落ちた。切断面はすべて滑らかで、骨や筋肉をすべて無視したデタラメな切断方法とは対照的だった。


「ギギッ!? ギィッ!!」


 大鬼が肉片に分割され、配下の小鬼たちは逃げ出し始める。


 しかし、それらのすべては大鬼と同じように切断され、周囲に血飛沫と堪えがたい悪臭を振りまいて崩れ落ちた。


「すぅ……はぁ……」


 腐肉と鮮血、そして排泄物の入り混じった不快な悪臭を、リーシアの前に居る男はとても愛おしそうに吸い込み、恋焦がれるような吐息と共に吐き出した。


「『表』に出てみれば、こんな雑魚の処理をさせられるとはな」

「エリオ……さん?」


 リーシアは恐る恐る彼に話しかける。先程までエリオと名乗っていた少年は、柔らかな陽光を思わせる優しい雰囲気から、冷涼とした月光を思わせる冷酷な雰囲気へと変化していた。


「クックッ……エリオ、私がエリオか、それも悪くないが……私は彼じゃない、斬るべき相手を探して彷徨うただの『剣』だよ」


 卵の殻が割れるような、気味の悪い含み笑いをして、エリオだった少年はリーシアへ振り返る。


「では、約束の『報酬』を貰おうか」

「……!!」


 その表情は冷酷、惨忍をそのまま体現したような、ぞっとするほど美しい笑顔が張り付いていた。


 リーシアは背中に悪寒が走り、逃げ出したい気持ちに駆られる。しかし、足が言う事を聞かず、その場でもつれ、倒れてしまった。


「ああ、ずっと聞いていたが、やはりお前はいじらしい」


 エリオの指先がリーシアの頬を撫でる。冷たく、幽霊のような不気味さをもったそれは、彼女自身の意識をも奪うような錯覚を覚えさせた。


「や、やめ……っ」


 覚悟していたはずだった。諦めていたはずだった。それでも諦めるなと言ってくれた。彼が与えてくれた希望が、彼自身の手で奪われようとしている。それが恐怖であり、堪えがたい苦痛だった。


 指で顎を固定され、エリオの柔らかな栗色の瞳が近づいてくる。その奥底に凍てついた心があるのを、リーシアは微かに感じ取った。


「ふっ、安心しろ、あいつが怒るからな……これくらいで勘弁してやろう」


 唇が触れる。


 指先は氷像のように冷たいのに、唇は炎を灯したように熱かった。ゆっくりと唇が離れると、リーシアは自分の魂が涎の糸を引きながら彼へ吸い込まれていくように感じ、胸の奥に熱病に浮かされたような感覚が広がっていく。


 危機の去った安堵、絶対者に対する畏怖、得体のしれないものへの恐怖、その全てが慕情へと反転するには十分すぎる衝撃だった。


「また会わないことを祈っているよ、リーシア」


 その言葉を最後にエリオは目を閉じ、脱力して地面に倒れた。



――



「……何が起きたんだ」


 ここ二、三日はずっと予想外でいろいろなことが起きている。その中でもこれは最大級の奴だろう。


 大鬼に殺される寸前で記憶が飛んで、気が付いたらリーシアが宿で介抱してくれていた。


 どうも全く記憶はないが、俺は大鬼を倒したらしい。


 それは今、ギルドの人から剣士の称号が書かれた会員証を受け取ったことからも、確かではあるんだが……


「俺、そんなことしたかなぁ……」

「エリオさん、よかったですね!」


 あとなんか、妙にリーシアの距離が近いというか、こんなに積極的な子だったっけ?


 前のパーティが全滅したのは確かに覚えてる。彼らの遺体はしっかりと埋葬されたらしく、この後は墓参りに行こうと思っている。あまり仲の良いメンバーではなかったが、それでもお世話になったのは事実だ。


「では、剣士・エリオ、今後の活動ですが、ペア以上のパーティを組んでもらうことになります。初心者から進級したばかりの冒険者は、いろいろと危険ですので」


 ギルドの人から言われて思い出す。そうだ、剣士になっても最初の一〇個の依頼は一人じゃ受けられないんだ。


 どうしようか、そう考えるよりも早く、隣で元気な声が上がった。


「はい! 私が組みます!」

「嘘でしょ!?」


 あまりにも元気よくリーシアが立候補するので、驚いて突っ込みを入れてしまった。


「最高位聖職者・リーシア……ギルドの規定としては問題ありませんが、良いのですか?」

「はい! ……エリオさんが、良ければですけど」


 そう言ってリーシアは俺の方を見る。蜂蜜色の髪と深い碧眼で見つめられると、それはもう答えは一つしかなかった。


「う、うん、俺は、構わ……いや、こちらこそ、お願いします」


 かくして、なんだかよく分からないうちに「大鬼を単独討伐した」という初心者にとっては破格の実績をもって、俺は剣士としての道を歩み始めたのだった。

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二度目の救世譚 奥州寛 @itsuki1003

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