VHSの消える世の中で

七戸寧子 / 栗饅頭

本編

 井の中の蛙 大海を知らず。

 そんな言葉があるが、私はその言葉を考えたやつをぶん殴ってやりたいと思う。井戸に住んでいても、外の情報はそこそこ入ってくる。その上、蛙が井戸を家にしているとしても外出しないわけがない。ソースは私だ。


 自己紹介をしよう。山村と申す。

 呪いのビデオに映る井戸からぬるりと出てくる女が私だ。髪がやたら長くて、顔面がまるまる隠れてるやつ。わかるよね。実は山村って苗字なんだよ。私の名前を知らない者はそうそういないだろう。フルネームで表記してしまうと著作権とか諸々的に危ないものがあるので割愛する。

 ついでに言うと、私にはもうひとつ名前がある。どちらかと言えば、日常ではそっちの名前の方がよく使う。


 No.421。


 これが名前だ。なぜこのようなナンバーが当てられているかというと、世の中には「私」が無数にいるからだ。このVHS、つまりはビデオテープが複製された数だけ。

 世の中には好奇心からこの呪いのビデオを複製するやつが多く、複製品から複製という形でどんどん世の中に出回っていった。そのうちのひとつのビデオテープに住まうオバケが、No.421の山村、つまり私というわけだ。No.001がオリジナルである。


 このナンバーは独自のネットワークで生まれた。どういう訳か知らないが、山村同士で通信して情報交換をするシステムがこのビデオテープには備わっている。俗に言うインターネットと言うやつだ。我々が交流するインターネットは現実のものとは隔離されているようだが、我々から現実のネットを見ることはできる。外の情報はそうして得られる。井の中の蛙も大海を知れるというわけだ。

 ネットには井戸の中に備え付けてあるパソコンでアクセスする。割とスペックが高い。最近の趣味はネットゲームだ。No.893の山村が独学のプログラミングで開発したゲームらしく、ネットでダウンロードできる。我々の世界では貨幣をやり取りする文化がないので、みんなでお礼を言いながらそれで遊んでいる。

 みんな退屈なのだ。井戸の外に出かけても楽しいものがあるわけではないし、他者とコミュニケーションができるのはこのパソコンのみ。パソコンにかじりつく生活を送るのも無理はないだろう。


 ふと思うのだ。


「ああ、あの頃はよかった」


 と。


 オバケだってそうやって昔を懐かしむことはある。むしろ懐かしんでばかりだ。人間に会って、怖がらせて、複製に複製を重ねたが故に効果がほぼ無になった呪いを振りかける。そんなオバケらしい生活に戻りたい。井戸からほとんど出ずにキーボードにパチパチする今の私は、オバケというより無職の引きこもりだ。

 こういってはなんだが、全て世の中が悪い。パソコンを使っておいてなんだが、全てがデジタル化していくこの世の中が悪いのだ。


 ビデオテープだぞビデオテープ。VHS。この文を読んでいる君に問いたいが、最後にビデオテープを再生したのはいつだ。十何年前か。そもそもビデオテープの映像見たことあるか。ほら、もうVHSなんて媒体は古の品物だ。

 今やDVDやBlu-rayですら映像を見るのに主流ではないというのに。時代はストリーミング配信だ。動画サイトや、月額制ドラマ配信サービス。我らがVHSが生き残るスペースなどあるわけがない。

 同然、ビデオデッキなんてものは家庭から姿を消していく。我々のインターネットの投稿には、ビデオデッキと共に中古屋に売り飛ばされたというとある山村の嘆きも少なくない。急に音信不通になった山村は、残念ながらビデオテープ諸共廃棄されてしまったのであろうと考えるのが常識だ。


 要は、もう我々のビデオを再生する人などこの世にはいないのである。時々、再生して貰えた山村の喜びの声がネットの海を突き抜けていくが、それは運のいい山村にのみ訪れる幸せだ。少なくとも、日々をネットゲームに費やす私のような徳のない山村には回ってこない幸運だろう。ビデオテープの中で積める徳などたかが知れているが。


 世間に愚痴を吐きながら、今日もネットゲーム。本当に社会不適合者のネトゲ廃人のような暮らしだが、こうする他にやることもない。いっそ私もこの世界ごと廃棄されてしまいたい。何度もそう思ったし、皆も同じことを思っているかもしれない。我々は首を吊っても死ねないから。


 だけど。


 だけど。


 あと一回でも、人間を驚かすことができたなら。


 幸せで、成仏してしまうだろう。そんな淡い期待を抱きながら、私は今日もゲームに精を出すのだ。



 そんなある日だった。目が疲れてきたのでパソコンを離れ、井戸の桶を行き来させる縄をブランコにして遊んでいた時に突然その時は訪れた。


 世界が揺れている気がする。前にこの感覚を味わったのは、ビデオを再生する為に持ち運ばれている時だ。


 ついに私も廃棄か。はたまた再生されるのか。


 この日常に終止符を打たれようとしているのを感じた。急に怖くなり、ブランコを飛び降りてパソコンに食いつく。情報交換に使われる掲示板に、No.421という固定ハンドルネームを使い文章をぶちまける。


「私の世界が揺れてる。みんななら言ってることわかるよね」


「私もとうとう廃棄か……みんなこれまでありがとう」


「でも私、まだ再生される可能性に賭けるよ」


「もしこれで何も起こらなかったら、『人騒がせだな』って私のことを笑ってね」


「それじゃ」


 それが最後の書き込み。ブラウザの再読み込みマークを押して、他の私が返信してくれるのを見たかったが、それはやめにした。きっと未練が生まれて、成仏できない。


 ああ、これからどうなるのだろう。恐怖心と好奇心入り交じり、長い髪の下で私の口角が上がる。


 ガチン、と聞きなれない音が私の世界に響いた。


 そこで私の意識は途切れた。







 気がついた時には、私は井戸の真ん前に立っていた。再生された記憶はない。とはいえ、廃棄されたという訳でもないらしい。ただ、世界が少し鮮明になった気がした。


 結局、私は人騒がせな山村で終わってしまった。パソコンを通してみんなに謝らなければ。そんなことを考えながらのそのそと井戸に足をかけた時、背後に視線を感じた。長い髪が乱れるのなど気にもせず、後ろを振り向く。


 そして、歓喜する。


 人だ。人が私のことを見ている。私は再生されたんだ。急に振り向いた私に、私のことを見ている男が驚いた顔をしていた。

 ああ、嬉しい。また人間のあの顔が見れるなんて、夢にも思わなかった。今回はたっぷりサービスして怖がらせてやろう。呪いの効力はないが、脅かすくらいはできる。

 どう料理してやろうか……という私のワクワクは一瞬でかき消された。


 今の男の他にも視線を感じる。一つ、二つ、三つ、十、百……?


 男の方を向くと、いつの間にか何百人もの人が私のことを見ていた。いやだ、こんなに一斉に見られると緊張してしまう。一旦井戸の中で体制を立て直そう。そうと決まれば、私は速い。井戸の中に蛙のごとく飛び込んだ。

 一旦パソコンを開く。私の所に大量のメッセージが届いていた。


「廃棄とかなんとかお騒がせしました……」


 大量の返信。

「それどころじゃないよ!!」

「No.421、今、何が起きてるかわかってる?」

「お前ヤベーよ!ネットスターじゃん!」


 みんなは何を言っているんだ。言葉の意味が分からない。どうやら私のことが現実で話題になっているらしい。インターネットで情報を簡単に集めた。

 私は人の手でビデオテープから、現実の方でパソコンに取り込まれたらしい。デジタル化されて保存されたのだ。なるほど今の私はMP4として生きているわけか。あまり実感が湧かない。どうせならMPEG2-TSとかのイカしたやつが良かった。イカしてもいないか。


 で、その私の動画ファイルは。


 動画投稿サイトに投稿されているらしい。赤い四角に白の矢印のサイトにも、テレビ型のキャラクターのサイトにも、中国のビリビリしてそうなサイトにも。つまり、今の私は世界中から見られているということだ。なるほど。


 とりあえず観客を待たせているのも良くないので、雰囲気ありげに井戸からゆっくり這い出す。観客のザワつく声が聞こえた気がした。


 見てろよ世界。


 これが日本の、最高に幸せなオバケだ。

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