困窮シンデレラと魔法使い

小鳩子鈴

困窮シンデレラと魔法使い

 華やかな舞踏会が王城で開かれている、同じ夜。

 王都の端にある古い屋敷では、短くなった一本のロウソクが寂れたキッチンに灯っていた。


 動く影をたどると、腰をかがめ、広げたかまどの灰に火かき棒で何かを描いている娘が見える。

 その足下に広がるのは、三重になった円環を埋める特殊な古代文字――魔法陣だ。


 粗末なワンピースにエプロン姿の娘はやがて手を止め、身体を起こすと片手に持っていた本をパタリと閉じる。


「できた! よーし、**+*+!」


 繋がれ、と呪文を唱える――が、何も起こらない。


「……なんてね。そんな上手くいくわけがないか……はあぁ」


 項垂れる娘の盛大なため息がキッチンに響いたとき。

 ピシ、と陶器にヒビが入るような音がして、陣の真上に黒点が浮かび上がった。またたくまにその点は大きくなり、渦を巻き始める。


「ふぁっ!?」


 ごうと風が吹き、怪しい光が満ちる。

 次いで、ドサリと質量のあるものが落ちる音がして、盛大に灰煙が立った。


「っ、ゴホッ、ゴホゴホ!! や、やった……ん? あなた、誰?」


 巻き上がった灰にむせながら、娘は顔を覆った両腕をそろりと下ろして唖然とする。

 そのまま、突然現れた古ぼけたローブ姿の老人と、しばし見つめ合ったのだった。





「――じゃあお前さんは、召喚をしたわけではなかったのか」

「私が描いたのは、空間をつなげる陣。ほら見て!」


 強制的に召喚された「自称・魔法使い」の老人の顔に、娘は本をぐりぐりと押しつける。

 魔方陣を描いていたのはこの、シンデレラという娘だ。

 年は十七で、痩せた体に継ぎのある古い服を着ている。先ほど舞い上がった灰で顔も髪もすっかり汚れており、薄暗い明かりの下で分かるのはきらきらした瞳の輝きだけだ。


 物言いや動作がほとんど下町娘のソレなので、ここが某伯爵の屋敷で、娘自身も伯爵令嬢であるとは、紋章付きのペンダントがなければ誰も信じないだろう。

 本を受け取った老魔法使いは、召喚時から手に持っていたスプーンをローブの懐にしまい、細かい文字に目を凝らした。


「儂は夕飯を食べるところだったんじゃがなぁ……ん? こりゃあ、悪魔召喚陣じゃないか」

「ええっ? やだ、お父様ったら、また偽物掴まされたのね!」


 魔法使いの言葉に、シンデレラはガラッと表情を変えた。

 ぷんぷんと怒りだす娘にたじろぎつつも、魔法使いは見解を述べる。


「じ、陣を描き間違って魔法使いわしが召喚されたんだと思うぞ。悪魔が出てこなくてよかったではないか」

「それは、そうだけど」

「悪魔の使役は対価が厄介じゃ。支払った後でつきまとう奴も多いしのう」


 宥められて、娘は肩を落とした。


「……なにかを召喚しようとしたわけじゃないんだもん。お城と繋げたかったのよ」

「ああ、今夜の舞踏会に行きたかったのか」

「え、ぜんぜん! そうじゃなくて、ご馳走をね、ちょこっと分けてもらおうかと」

「ご馳走?」

「うちって見ての通りド貧乏でしょ。魔法電力も止められちゃったし、一昨日から庭のリンゴしか食べてないの」


 明かりがロウソクなのは、そういう事情だったらしい。

 空っぽの野菜カゴを指差してシンデレラが言い切ると同時に、ぐうぅと腹の虫が大きく鳴った。


「あ、あははっ! き、聞こえた……?」

「しっかりと」

「紳士なら、そこは嘘でも聞こえなかったって言って!」

「す、すまん」


 魔法使いが素直に謝ると、娘は毒気を抜かれたようだった。


「はぁ……済んだことをグダグダ言っても仕方ないわね。おじいさん、魔法使いでしょ。せっかくだから願いを叶えてちょうだい?」

「ほ?」

「わざとじゃないけど食事の邪魔してごめんね。叶えたらすぐに戻っていいわ」


 ここと城を繋げてほしい、という願いに、魔法使いは申し訳なさそうに首を振った。


「儂は空間魔法は使えんでなあ」

「えー、そうなの?」


 魔法には種類があって、使い手にも得手不得手がある。

 口を尖らしつつも不満を言わないシンデレラに、魔法使いは皺だらけの指を振る。


「儂が得意なのは『変幻』じゃ。材料があれば、それをご馳走に変えられるが」

「でもリンゴ以外何もないし……来週からの働き口は見つかったから、その後だと少しは手に入れられるけど」


 下町の食堂で給仕の仕事をするのだと、シンデレラはけろりと言う。

 だが、今は粉も砂糖もない。

 見事にすっからかんの台所の棚や食料庫を見せられて、魔法使いは眉を寄せて腕組みをする。


「伯爵令嬢が働くまで追い込まれるとは……そうじゃ。空間を繋がなくても、お前さんを城に行かせることはできるぞ。まあ、対価は貰うが」

「わかった! メイド姿にして送り込んでくれるのね!」

「どうしてそういう発想に……お前さん、本当に伯爵令嬢か?」


 残念そうな目をされて、シンデレラは首を傾げた。


「だって、ドレスも一枚残らず売っちゃったし。あ、それに、ここからお城まで歩いているうちに朝になるけど大丈夫?」

「まあ、儂の魔法を試してみなされ。それを見て、対価を払うに値するか決めれば良い」


 魔法使いが呪文を唱えながらスプーンを取り出してさっと振れば、ぴかぴかりんと光が溢れる。


「え、それ、杖代わりになるんだ……わあ!」


 瞬く間に灰まみれだったキッチンが綺麗になり、ロウソクは魔法のランプに変化した。室内が昼のように明るく照らされ、シンデレラは目を瞬かせる。


「すごい……おじいさん、おっとりして見えて実は偉い魔法使い?」

「いやいや。おや、お前さん。灰が落ちたら、なかなか別嬪だのう」


 煤が魔法で綺麗に拭われたシンデレラは、とても美しい令嬢だった。

 青空色のぱっちりとした瞳、雪のように白い肌、鮮やかに波打つ太陽のごとき金の髪。

 なによりも、その生き生きとした表情が魔法使いの目を引いた。


「あら。うふふ、正直ね!」


 照れ隠しにばちんと肩を張られ、ひょろりと細い老魔法使いはぐらりとよろめく。


「亡くなったお母様は、傾国といわれる美姫だったのよ」

「そ、そうか、母君に似たのじゃな。まあ、こういう魔法でお前さんをちゃんとした令嬢に仕立てて、舞踏会に行くのはどうだ? 対価は三択じゃ」

「いいわ!」


 目を輝かせるシンデレラに、魔法使いは指を三本立てる。


「対価の選択肢その一、髪の毛。その二、七日分の寿命。その三……」


 髪の毛も寿命も差し出すとなると微妙だが、納得できる範囲である。むしろ、金貨とか言われたらお手上げだった。

 二つ目まで言って口ごもる魔法使いに、シンデレラは詰め寄る。


「その三は? 教えてくれないと選べないわ」

「……せ、接吻」

「キス?」

「そ、そそそういう決まりじゃて」


 目深に被ったフードの下で、魔法使いは顔を赤らめて俯く。

 きょとんと目を丸くしたシンデレラは逆に、笑い声を上げた。


「恥ずかしがらないでよ! 決まりなんでしょ?」

「そ、そうじゃが。こんな老いぼれが接吻を強請るのはどうにも」

「選ぶのは今?」

「いや、願いが叶ってからでよい」

「分かった、考えておく。というわけで、このままお願いするわ」

「い、いいのか?」

「ばばんとやっちゃって!」


 急かされて、魔法使いはまたスプーンをくるりと振る。

 ぴかんと光って次に変わったのは、シンデレラ自身だった。


 継ぎの当たったワンピースは豪華な空色のドレスに。

 下ろしていた髪は凝ったまとめ髪に。

 古い布靴は、クリスタルのビジューがついたハイヒールに。


「わあ、なにこれ素敵!」


 そして最後に、玄関前にあった作業用の荷車が、見事な二頭立ての馬車に変わった。


「すごい! こんなに広い馬車なら、たっぷりご馳走を積めるわね!」

「ドレスが台無しのセリフじゃの」


 仕上げのティアラで外見はお姫様のようだが、中身は変わらない。

 残念がる魔法使いをよそに、野菜カゴを掴むとシンデレラは意気揚々と御者台に陣取った。


「さ、行きましょ」

「は? お前さんがそこに座るのか? そして儂も行くのか?」

「私、馬の扱いはちょっと得意なのよね。それに、おじいさんの食事を中断させちゃったでしょ、一緒に行って食べようよ!」

「いや、だが」

「ほら、早く行かないと美味しいものがなくなっちゃう!」


 こうして、ローブ姿の老人も無理矢理乗せて、きらびやかなドレスの令嬢が手綱を握る馬車は出発したのだった。





「ところで、あのボロ屋……いや、家にはお前さん一人なのか?」

「それよ! ねえ、聞いてー」


 その質問に、待ってましたとばかりにシンデレラは食いついた。しばらく話し相手がいなくて、会話に飢えていたという。


 シンデレラの家族は両親と二人の姉。だが、血が繋がっているのは父だけで、母と姉たちは再婚により家族になった間柄だそうだ。

 もしやそれが原因で一人だけ苦労させられているのか、と疑う魔法使いを、シンデレラは笑って否定する。


「心配しないで、仲は良いのよ。貧乏なのはお父様が事業に失敗したから」

「だが、あのだだっ広い屋敷にお前さん一人じゃったろう?」

「理由があるの。まずね、大姉様は債権者のところに借金返済延期の陳情に行ってて」

「のっけからハードじゃな」


 一番上の義姉は賢く美しい、しっかり者だという。


「ベル姉様なら、ミスター・ビーストをうまいこと言いくるめ……こほん。交渉して、訴訟請求を取り下げてもらってくるはずよ。そうすれば、魔法電力の差し止めも解消するの!」

「そ、そうか」

「それでね、小姉様は『お告げが!』って叫んで、一昨日から塔のてっぺんに引きこもっちゃって」

「お告げ? 塔?」

「裏庭の隅にある、古い塔。夢に聖女様が現れて、『禊ぎをして髪を塔の窓から垂らすと、理想の旦那様が現れる』って言われたんだって。なんのおまじないなのかしら」

「面妖な夢じゃの」


 そっち方面に詳しい魔法使いだが、そのようなまじないは聞いたことがなくて首を傾げる。

 どうやら二番目の義姉は、ちょっと不思議ちゃんであるようだ。


「まあ、姉たちについては分かった。それで肝心の両親は?」

「お父様はねえ。金策に行った海辺の町で、子どもにいじめられている亀を助けてたって目撃証言を最後に」

「みなまで言うな。消息不明なのだな」

「あはっ、当たり! お父様って、ほんっとトラブルメーカーなのよね」


 そのうち帰ってくるでしょ、と、あっけらかんとした口調である。父親の出奔(かどうかは不明だが)は、よくあることのようだ。


「で、お義母様は、そんなお父様にいよいよ愛想つかしたの。離婚届を置いて出て行っちゃった」

「なんと、子どもを置いてか」


 魔法使いは目を丸くするが、シンデレラは当然だろうという顔だ。


「私もお義姉様方も、親の再婚についていくような年齢じゃないもん。あの屋敷は古いけれど部屋数はあるし、引っ越しめんどくさいし」

「最後のが本音じゃな」

「うふふふふ? あ、でも、連絡は取り合っているんだ。再婚先の娘さんが好きだっていうから、リンゴを送ったところ」

「さようか」

「お義母さま、下手なのに料理好きだからなー。変にアレンジしないで、リンゴそのまま食べてくれていればいいんだけど」

「……なかなか濃いご家族じゃな」

「えへへ、それほどでもー」

「褒めてはおらんが。だがお前さんは、明るくて前向きな良い子じゃの」

「そ、そう? そういうふうに言われると照れちゃうわね。でも、ありがとう!」


 幼い頃に実母を亡くして以来、シンデレラはこういうふうに誰かに褒められたことがなかった。

 孫を見るように優しく細まった皺だらけの瞳を向けられて、ぽっと暖かい火が胸に灯る気がする。


「……一人で頑張ってきたけど、やっぱり心細かったのかな」

「すまん、耳が遠くて。なんじゃて?」

「な、なんでもない。さあ、飛ばすわよ!」

「ひいぃっ?!」


 照れ隠しに急加速された馬車は、城への道を爆走したのだった。





 二人が城に入って、しばらく。

 先に馬車へと戻った魔法使いは、十二時を告げる鐘の音に顔を上げた。と、大階段を転がるように駆け下りてくるシンデレラの姿が目に入る。


「おお? どうした、そんなに慌てて――って、お前さんっ?! こ、これ、はしたない!」


 ドレスの裾を膝上まで持ち上げて全速力のシンデレラは、そのままの勢いで御者台に飛び乗ってくる。

 バサリと大きくはためいたスカートからは太ももまでバッチリ見えて魔法使いは慌てふためくが、シンデレラはお構いなしに手綱を握る。


「いいから黙って掴まって。帰るわよ! ハイッ!」

「ふひょうぅっ!?」


 パシッと手綱を鳴らすと、馬が勢いよく走り始める。

 飛ばされた伝令により閉められようとする王城の門を寸前ですり抜け、車輪の音も高く馬車はそのまま城下を疾駆した。

 令嬢の華麗なるドライビングテクニックに、魔法使いは青い顔で舌を噛まないようにするのがやっとである。


 ――ようやく速度を緩めたのは、王都の中心もだいぶ過ぎてから。

 追っ手がないのを確認して馬をぽくぽくと歩かせ始めると、シンデレラは風で乱れたまとめ髪を解き、深く息を吐いた。


「あー、もう……!」

「な、何があったんじゃ? それに、目当ての食べ物はどうした?」


 意気揚々と持って行ったバスケットもない。指摘されて、シンデレラは眉を寄せて至極不機嫌な顔をした。


「すっごく美味しそうなローストビーフとかサーロインステーキとか、パイやデザートも山盛りあったのに……馬鹿王子のせいで!」


 広間に入るなり一直線にご馳走が並ぶテーブルに向かったシンデレラだが、王子殿下に目ざとく見つけられ、ちっとも離れられなかったのだという。


「しかも、私が王子に気がある前提で口説いてくるの。なーにが『照れなくていい、君と僕は出会う星巡りなんだ』よ、あの自意識過剰男!」


 実は、今日の舞踏会は王子の婚約者探しの場でもあった。

 会場にいる女性はすべて自分の伴侶候補(本人了承済み)であるという認識の王子には当然の行動であるが、それを知らないシンデレラにとっては権力を笠に口説いてくる勘違い男でしかない。


「しかし、王子と結婚なんて玉の輿じゃろ?」

「え、そういうのはいいです」


 すっとシンデレラは絶対零度の真顔になる。よほど嫌らしい。


「生活には困らなくなるだろうけど、王族なんて大変だし面倒。狙われるし自由はないし、有事の際は責任取らされるし」

「シビアじゃのう」

「それに、一人で食べる豪華で冷めたお料理よりも、お姉様たちといっしょに蒸かしたてのお芋を食べるほうがおいしいに決まってるじゃない」

「なるほどなあ」

「第一、あんな生っ白い王子、ちっっっっとも私の趣味じゃない!」


 憤懣やるかたなしの勢いで叫ぶシンデレラに、とうとう魔法使いは笑いを抑えきれなくなった。


「っはははは! 剛毅な娘っ子じゃ。全王都令嬢の憧れの君である王子が、好みのタイプではないと」

「だって薪割り一つできなさそうなんだもん」

「王子は薪を割らせる側じゃからの」


 ぷんとむくれるシンデレラに、魔法使いは楽しげに笑う。


「あー、おじいさんと話すとほっとする。全然話通じなくて、すっごい疲れた!」

「災難だったのう」

「ご馳走も持ってこられなかったし……あの王子しつこそうだったんだけど、まさか探しには来ないよね?」

「見てみるか?」


 不安げなシンデレラに、魔法使いは懐から取り出したスプーンを振り、目の前に霧を出した。

 その中心が鏡のように変化して、現在の城の様子が映し出される。

 すらっとした長身の美形な青年が、大切そうに持ったハイヒールに熱のこもった眼差しを向けている。


「あれは、お前さんの靴か?」

「あっ、そうだった! 途中で脱げちゃって……って、やだ! なにうっとりした顔して人の靴に頬ずりしてんの! 最低っ!」

「ご、ご愁傷様じゃのう……」


 ドン引き行為に悲鳴を上げるシンデレラに、魔法使いも深く同情した。


「ないわー。ほんっと、ないわー。他に綺麗な子がたくさんいたよ? なんで私?」

「お前さん、とびきり器量良しじゃからのう」

「顔? 顔なの?! 王子の伴侶にはもっとほら、人柄とか教養とか人脈とか家名とか必要なものがあるでしょう!?」

「普通はそのはずじゃが。ああ、後ろにいるのは王宮魔法使いか。あの靴から痕跡を辿ろうとしているようだぞ」

「げっ」


 昨今の王家の婚姻事情に詳しくない二人が頭を合わせても、現在進行形で没落中の貴族令嬢シンデレラと婚姻を結ぶメリットはサッパリ分からない。

 だが、ハイヒール片手にテキパキと指示を飛ばす王子の無駄に有能そうな姿から、すぐに見つかってしまうだろうということは本能で察した。


「ええー、絶対に嫌! アレと結婚するなら、おじいさんの後妻になる!」

「人を勝手にやもめにするな。儂は初婚じゃ」

「えっ、独身! まさかD……こほん、ええと、わあ、さすが、使?」

「なんか失礼な目で見てるなっ?」


 ムッとしつつも、くつくつと笑う魔法使いに、シンデレラは弱った顔を見せた。


「だって本当に勘弁……って、えええー?!」


 行きの半分の時間で屋敷に帰り着いたが、馬車を降りた瞬間、パアッと周囲に光が満ちて王子一行が現れた。


「おお、我が未来の妻、愛しいシンデレラよ!」

「ひぃっ!」


 きらきらしい笑顔で両手を広げる王子から逃げるように距離を取り、シンデレラは魔法使いにしがみつく。


「ああ、そんなに恥ずかしがらないで。ふふ、控えめなところも可愛いらしいね」


 王子の派手なウィンクに、魔法使いまでげっそりである。

 が、そんな二人の表情は目に入らないのか、王子は恭しくハイヒールを捧げ持つ従者と、同行してきた王宮魔法使いを前に呼んだ。


「君と僕の結婚でこの国はますます栄えると、占術で約束されているんだよ。この美しいクリスタルの靴がその証拠だ」

「どういうことじゃ?」

「シンデレラの祖父殿か? よく聞いてくれた!」


 いきさつを話し出した王子によると、王宮魔法使いに秘密裏に占わせたところ『クリスタルの靴が王子と国を幸せに導く』と出たのだという。

 今夜の舞踏会でその条件に合致したのは、シンデレラただ一人。それゆえ彼女が伴侶である、となったらしい。


「そ、そんなの知らない。私は嫌よ!」

「不安なんだね、シンデレラ。大丈夫、すぐに君も僕を愛するようになるから!」


 拒否が全く通じず、うっとりと愛を囁き出す王子に、シンデレラはますます涙目で魔法使いのローブを握りしめる。


「……お前さん、本気で嫌なんじゃな?」

「ぜっっっっっったい、イヤ」

「よし、儂にまかせなさい」


 低音真顔で答えたシンデレラの頭に、ぽんと魔法使いの手が置かれる。

 見上げると、目深にかぶったフードの下で紫の瞳がきらりと夜の闇に光った。


「あーよろしいかな、王子殿下。儂の見立てでは、確かにクリスタルの靴は殿下の幸運の鍵であるが、あくまで導き手だぞ」

「なんと?」

「まことの伴侶を指し示せ――*++*+*+*!」


 くるりん、と振ったスプーンから星の粉のような光があふれ出し、ハイヒールを包む。

 と、その光は帯となって空へと伸びた。


「おおっ」

「あの先にいるのが、殿下の本当のお相手じゃ」

「そ、その光の魔法! 貴殿はもしや、『さすらいの大賢者』殿か!?」

「えっ。なにその恥ずかしい名前」

「ふぐっ、そ、それはいいから、ほれ、急がねば消えるぞ」


 シンデレラの容赦ないツッコミに若干ダメージを負いながら、魔法使いは王子たちに動き始めた光を追うように告げる。

 光の魔法はタイムリミットが短い。それを知っている王宮魔法使いは、憧れの視線をこちらに送りながらも王子を促した。


「殿下、これは千載一遇のチャンスです!」

「そうじゃ、急ぎなされ。まことの相手と思いが通じれば、聖女の祝福の印が現れるはずじゃ」

「そうか、恩に着る! よし、光を辿るのだ! シンデレラ、君の幸せを祈っているよ!」


 そう叫ぶと、王子一行は光を追って走り去って行った。

 後に残ったのは妙な静寂と、馬車を引いた馬が土を掻くのどかな蹄の音だけだ。


「一件落着かのう」

「……私、助かった……?」

「そのようじゃな」

「はああぁぁ……よ、よかったぁ! ありがとう、おじいさん大好き!」

「うぎゅっ!」


 飛び上がって大喜びするシンデレラは、魔法使いの首に両腕を回して抱きついた――だけでなく。


「んむっ?」


 そのまま、彼の皺っぽい唇にキスをする。

 とっさに身を引こうとした魔法使いの両頬をがっしりと押さえ込んで、とにかく唇を密着させて離さない。


「むっ、んんーーーーーっ!」


 目を白黒させた魔法使いがシンデレラの長いキスから解放されたのは、窒息寸前で。


「~~っ、は、はぁ、はぁっ、し、死ぬ……!」

「やだ、鼻で息すればいいでしょ?」

「お、おおおお前さんっ!」

「ね、対価。ちょっとサービスしたけどこれでいい?」


 頬を赤らめたシンデレラが首を傾げるが、対する魔法使いは湯気が出そうなほど赤くなっていて視線が合わない。


「本当にありがとう。この気持ちを伝えるには、髪や寿命より、私のファーストキスが一番いいかな……って、え、え、えええっ?」


 赤くなりすぎてしゅうしゅうと音がしそうだと思っていたが、本当に魔法使いの頭上から湯気が出ている。

 慌てたシンデレラが水桶を探す間もなく、王子が現れたときよりもっと眩しい光が魔法使いを中心にして広がった。


「きゃっ!?」


 カッと光ったその閃光は一瞬で収まり、月明かりだけになった空の下でシンデレラは目を凝らす。


「お、おじいさん、大丈夫? なに今の、雷?」


 まさに雷に打たれたように立ち尽くす魔法使いのローブがパサリと頭から落ちる。


「……シンデレラ」

「は? だ、だれ?」


 そこにいたのは、神秘的な紫の瞳でシンデレラを熱っぽく見つめる若い青年だった。

 その彼は、感極まったように小さく震えながら、彼女に一歩近づく。


「ありがとう。君のおかげで魔女の呪いが解けた……!」

「は、はああ? ひゃ、むぐっ?」


 一気に間合いを詰められて、今度はシンデレラが抱きしめられてキスをされる。


「ん、んぅーーっ! っぷ、はあっ」


 バンバンと胸を叩かれてようやく我に返った青年が語ることには、不運にも魔女の呪いを受けて老人の姿にされてしまっていたのだという。

 長い間諸国を回って少しずつ呪いを解いてきたが、最後の鍵が乙女のキスだったようだ。


「ただの乙女じゃダメなんだ。私が恋した相手と、相手が事情を知らぬまま老人の姿でキスをするという条件付きで」

「へえ、そうなん……こ、こ、恋っ?」

「そうだよ、シンデレラ。君のその明るさと前向きさが眩しくてたまらない。胸がドキドキする、こんな思いは初めてだ」


 これが恋なんだね、と老魔法使いと同じように目を細める。そんな彼は、とても麗しい青年だった。

 艶やかに靡く白銀の髪に囲まれた顔は大変整っており、長身で均整のとれた体つきはあのヨボヨボの老魔法使いはどうしたと訴えたいほど。

 宝石のような紫の瞳で甘く見つめられて、シンデレラはたじたじだ。


「さ、さっきまでここにいた魔法使いのおじいさんはどこ!?」

「私だよ」

「ダメ、おじいさんがいいの! 元に戻って!」


 老魔法使いに感じていた穏やかな親しみとは違い、なにか言われるたびに胸が騒いでしまう。

 こんな気持ちは初めてで、非常に困る。


「老いた姿のほうがいいの?」

「だ、だって!」

「そっかあ、シンデレラはおじいさんの私が好きなんだね。顔じゃないんだ……こんな子はやっぱり初めてだ。ますます好きになるな」


 家事の経験は豊富なシンデレラだが、色恋に関しては赤子も同然。

 ぐいぐいと迫る魔法使いも自分の気持ちもうまく処理できず、かといってしっかり抱き込まれて逃げることも叶わない。


「可愛いなあ」

「な、なっ」

「そうだ、これを見て」


 腰を抱いたまま、魔法使いが馬車の扉を開ける。そこにはぎっしりと、美味しそうな食事と葡萄酒の樽が詰まっていた。


「これ……!」

「お城からもらっておいたんだ。一緒に食べようか」

「食べる!!」


 花より団子のシンデレラに、魔法使いは嬉しそうに頷く。

 すっと魔法で出したグラスに葡萄酒を注ぎ、二人で手に持ったその時。ぱっと屋敷に明かりが灯った。


「あ、魔法電力が……っていうことは、やった! ベル姉様、グッジョブ!」


 ミスター・ビーストと長姉の折衝はうまくいったようだ。

 シンデレラが快哉を叫びグラスを掲げると、今度は裏の塔からパンパンと花火があがり、歓声が聞こえた。


「小姉様の塔?」

「ああ、王子の相手は、君の姉上だったようだね」

「ええっ!」


 理想の旦那様が現れる――姉の見た夢は真実だったのか。

 あの王子が相手で大丈夫だろうかと思うが、聖女が保証しているのだからきっとうまくいくのだろう。


「そっかぁ……ええと、なんていうか……」

「めでたしめでたし、でいいんじゃないかな?」

「いや、私、あなたとは」

「うん。気は長いから大丈夫。いくらでも待つから私を好きになって、シンデレラ」


 薪割りも得意だよと言われ、さらにシンデレラの頬は赤くなる。


「う、うぅ……お、おじいさんになってくれる?」

「もちろん。すぐ会えるよ、五十年後くらいにね」

「本当に気が長い!」


 笑い合った二人は、今度こそグラスを合わせて――「そうして、いつまでも幸せにくらしましたとさ」で、物語は幕を引くのであります。






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