まり子

城間盛平

まり子

男は夜の街を歩いていた。当てはなくただ歩いていた。街はネオンの毒々しい光に溢れ、ゴミ溜めのような道を照らしている。


男は朝に起きて、仕事場の工場に行き、定時になったら帰るを繰り返していた。判で押したような毎日、まるでロボットのようだ。もはや自分が人間なのか機械なのか自分でも判断がつかなかった。朝は栄養補助チューブを口に流し込み、昼も栄養補助チューブを口に流し込み、夜も栄養補助チューブを口に流し込む。栄養補助チューブは栄養価は高いが、味は何ともぼやけた味だ。ある日男の顔がポロリと取れ、中には機械が詰まっていたとしても不思議には思わなかっただろう。


「おにいさん、おにいさん。ご入用ありませんか?」


男に声をかける人物がいた、ポン引きだ。大柄な男で、夜中にも関わらずサングラスをしている。大方セクサロイドの類いだろう。男はハエを追い払うように手を振って、ポン引きを追い払おうとした。しかしポン引きはなおも男に追いすがった。


「おにいさん、クローン人間いらない?」


クローン人間の単語に、男はピクリと身体を震わせた。セクサロイドなら飽きたら売る事ができるが、クローン人間はそうはいかない。何故なら生きているからだ。2×××年、人類はクローン人間を誕生させた。しかし、神をも恐れぬ所業に反対する意見が大半を占め、クローン人間を作る事は世界的に禁止された。だかこれは建前で、クローン人間は秘密裏に日夜誕生していた。男はポン引きを振り切って去ろうとしたが、はたと足を止めた。


「なぁ、寺尾まりいる?」


寺尾まりとは、ひと昔前に人気をはくした女優である。少し垂れ目の大きな瞳、つんと上を向いた生意気そうな鼻、ぽってりと厚ぼったい唇。顔立は幼さを残すが、身体はグラマラスだった。男は無味乾燥な暮らしの中で、唯一寺尾まりをテレビで見ている時が胸踊る時間だった。


「ええ、ええ、いますよ。アタシもファンです、いい女ですよね」


ポン引きはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら言う。秘密裏に造られているクローン人間の中で特に人気なのが女優や俳優のクローンだ。落ち目になった有名人は自身の遺伝子を金に変えるのだ。男は携帯端末を使い、ポン引きの言う口座に金を振り込んだ。


数日経ったある日、男のアパートに大きな荷物が届いた。開けてみると、大きな円柱形のガラスの水槽と、ポリタンク、クーラーボックスと小さなダンボールだった。クーラーボックスの中には大量のドライアイスと、密閉された試験管が六本と、折りたたまれた紙が入っていた。紙を開くとクローン人間の造り方の説明書だった。読んでみると、試験管は密閉してある蓋が色分けされていて、黄色い蓋の三本の試験管の中には受精前の核を取り除いた卵子が入っていて、緑色の蓋の三本の試験管には体細胞の核が入っているというのだ。つまりこの体細胞が寺尾まりのものなのだ。クローンを造るのは飽くまでも男なのだ。従って、万一クローン製造が明るみに出れば、男は国が定めた処罰を受けなければいけない。ダンボールの中には卵子の中に体細胞を入れる為の医療器具と顕微鏡が入っていた。男は慣れない手つきで作業をする、チャンスは三回しか無い。男は苦労の末、三回目で成功させた。ポリタンクの中には擬似羊水が入っており、円柱形の水槽にそれを満たす。擬似羊水の中に卵子を入れる。水槽の底は柔らかく、胎盤の働きをするようだ。数日経ち、胎芽が成長し、肉眼でも確認できるようになってきた。三ヶ月経つと胎児はかなり成長していた。男は仕事を辞め、クローンの成長を見守る事だけに集中した。八ヶ月も経つと、胎児の顔の表情も分かるようになった。その頃には男は一歩も外に出ず、ひたすらクローンを眺めていた。髪はボサボサ、髭も伸び放題、しかし、目だけは血走りギラギラしていた。そして遂にその時がきた、十月十日経ち、胎児は誕生を待つばかりだった。水槽の下に繋がっている機械のランプが点滅し、クローンの成長が完了した事を知らせる。擬似羊水の排水が始まり、胎児と胎盤を繋いでいた臍帯が切断された。男は水槽の蓋を開けると、恐々とクローンベビーを抱き上げた。クローンは初めて肺に空気が入った事に驚き大きな声で産声を上げた。男は泣いた。今までの無意味な時間はこの瞬間の為に費やされていた事を実感した。


男やもめが赤ん坊を抱いていたら周囲は訝しむだろう。男は産まれたばかりのクローンを連れて、住んでいたアパートを出た。男が新たに住みかにしたのは都会から離れた田舎だった。女房に逃げられた憐れな男を演じれば、世話焼きな近所の住人たちが何くれと世話をしてくれた。男が仕事に行く時は、子沢山の母親が一人増えても変わりはしないと、クローンを預かってくれた。粉ミルクの時期が過ぎると、男はクローンの為に自炊をするようになった。お粥を作り、ほうれん草をすり潰し、クローンに与えた。男はクローンに、寺尾まりから名をとって、まり子と名付けた。


まり子はすくすく成長していった。男はまり子が成長するにつれ、ある疑問が湧いてきた。まり子は厚ぼったい一重まぶたで、少々つり上がっていた。寺尾まりは垂れ目の二重まぶただ。まり子の鼻は低く、全体的にのっぺりした顔だ。寺尾まりの鼻はツンと尖っていた。寺尾まりの唇はぷっくりと厚ぼったいが、まり子の唇は薄く、小さかった。寺尾まりが整形美人だったのか、もしくはそもそも体細胞が寺尾まりのものでは無かったのか、男には判断がつかなかった。


まり子。男が呼ぶと、彼女は振り向いて、目を糸のように細めて笑ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まり子 城間盛平 @morihei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ