魔女は絶対に魔法を使わない

森野乃子

男はある日突然、魔女の前に現れた

「だから! 私は魔法を使わないと言っているの!」


 薬草の匂いが入り混じる狭い室内で、男女二人が言い争いをしていた。

 室内は狭い。それを助長しているのが天井から吊るされた薬草だ。

 また壁一面の棚には所狭しと瓶が並べられている。それは埃をかぶっていたりガラスがくすんだりしているが、綺麗にラベルが貼られて整然と並べられていた。瓶の中身は液体や乾燥した植物のほか、小動物の骨だったり、光を発する謎の球体がおさめられている。


「こちらも依頼があってここに来ているんだ。もう十日も通っているんだから、そろそろ魔法薬を売ってくれても良くないか?」

「そんなことは知らないわよ。王都の薬か別の魔女を探したら?」


 すれ違ったもの全てが「今すれ違った男の顔を覚えているか?」と聞かれれば答えられないほど没個性的な顔立ちの男。目の色もありふれた青で、髪だってどこにでもいる茶色の短髪だ。

それをガリガリと掻きながら、冒険者の格好をした男は受付カウンターに体重を支えるようにして片手を置いた。


「他の魔女達には断られた」

「ならそれが答えよ。さようなら」


 かたや魔女殿と呼ばれた女はと言えば、目を見張るほど美しい女だった。真っ黒なローブにとんがり帽子。裏地は夜空の青から湖の緑とグラデーションがかっており、細かく砕いたパールが散りばめられている。

 ピンと背筋を伸ばして受付カウンターの中の椅子に座り、顔立ちや仕草も非常に優雅であった。

 燃えるように赤い髪の毛と若草色の宝石のような瞳――もっとも、今は怒りのあまり魔力が宿り燃えるように輝いているが、薄暗い室内でもキラキラと輝いて非常に美しい。


「何故そう頑なに魔法薬を作らないんだ? 村での噂は聞いているが、魔女殿の作る“普通の”薬は王都で買うものより遥かに安くて効果が高いらしいじゃないか。ならば魔法薬など王都のものより遥かに優れた――」


 男がそう言った途端、魔女の顔がパッと明るくなる。


「本当? それ誰が言っていたのかしら? パン屋のナーシャ? それとも金物屋のお婆?」


 明らかに機嫌が良くなった魔女に驚いたものの、男は好機とみて言葉を続ける。


「今日褒めていたのは肉屋のオヤジだ」

「まあ! パパタルね。あそこはいつも新鮮な肉を売っているの」

「そんな村人が褒める魔女殿の作った魔法薬がほしい。きっと村人だって今以上にあんたを認めて褒めるだろうさ。ギルドの依頼をこなす凄い魔女だってな」


 そう言い切って、男は自分が失言をしたと気づく。

 魔女の顔からは表情が抜け落ち、本気で怒っているのがわかった。髪はぶわりと広がり、体の周りを魔力が走り、それがぶつかり合って光と音を発する。


「……失言だったようだ」

「帰って」

「ああ、もちろん。また明日来る」

「もう来ないで」


 受付カウンターから出るために椅子から立ち上がる。

 バチバチと音を立てながら凄まじい形相で歩くその姿は、正しく魔女である。


「だが――」


 この村の魔女は魔女らしからぬ言動が多いので、男はすっかり油断していた。


「早く出ていってよ!」


 受付カウンターから出てきた魔女が男の肩を押して叫んだのと同時に、壁に並べられたいくつかの瓶が魔力にあてられて破裂した。


「わかった、わかったから」


 男が慌てて飛び出して扉を閉めると、魔女は苦い顔をしてその場に座り込む。


「……また魔力を暴走させてしまったわ」


 頭を抱えて長く息を吐くと、割れた瓶を片付けるために掃除道具入れへと向かったのだった。



 + + + + +



「お前が白兎を名乗るのか」


 目の前の、自分によく似た魔女達。

 その姿を見て、魔女は「ああ、これは夢だ」とすぐに気づいた。

 魔女は魔力が強いせいで、何人生まれようとまるで判で押したような顔の女が生まれる。その自分と同じ顔をした魔女達が馬鹿にしたようにクスクス笑うのだ。


「全く嘆かわしい。魔女の中でも最も古く威厳ある白兎の腹から出た者が、これっぽっちも魔法を使えないと言うのだからな」

「ねーえ、ルタ。お願いだから白兎の家の魔女だって言わないでよ」


 見慣れた家族に囲まれて、あの時の場面を見せられる。


「ルタ、家を出たらいいんじゃない?」


 喉が引き連れ、飲み込んだ唾液の音が大きく響く。


「だ、だけど……成人した時に魔女集会に出なければならないもの。家にいないと……」

「魔法も使えないのにか? 集会には出なくてよろしい」


 魔女集会に出られない――それは魔女として認められていないことと同義。


「そんな……お願いよ、魔法が使えないことは絶対に言わないわ……!」

「いいか――」


 自分と同じ顔をした母の表情は、氷漬けのように動かない。


「誰も、お前には期待していない。魔力を使えば魔女として死ぬお前に、誰が期待などするものか」

「そんな……!!」


 叫んで跳ね起きて、辺りがすっかり明るくなっていることに気づく。

 じっとりとかいた汗は気持ち悪く、未だに心臓が破裂しそうなほど暴れていた。


「…………」


 いつの間に寝たのだろうと考え、そういえば昨日は割れた薬の瓶を掃除してから気持ちが疲れてしまったので、二階にある自室で昼寝をしてしまったのだと思い出す。

 そこから翌朝まで寝てしまったのだという答えを導き出す頃には、謎の罪悪感に襲われて頭を抱えた。


「……とにかく、起きなきゃ」


 しわくちゃになったローブを脱ぎ、洗濯桶の中へ放り込む。

 風呂場で頭から水をかぶって汗を流した後、雑にタオルで水気を拭って裸のまま部屋を横断した。


「お母様が見たら烈火の如く怒るでしょうね」


 だが今は一人暮らしだ。

 クローゼットの扉を開け、ずらりと並んだ全く同じデザインのローブを一着取り出す。それを着ながら朝食の準備でもするかと振り返ったときのことだった。


「あら……また川ができているわ」


 自分の通った跡がびしょ濡れになっている。

 未だに髪の毛からポタポタと落ちる水滴を、ルタはどう処理したらいいのかわからなかった。


「拭いても拭いても水が落ちるんだから」


 こういう時、姉たちは魔法で水分を飛ばしていたなと思うと、魔法を使えることを羨ましく思う。

 どうせ木の床だからその内に乾くだろうと諦め、ルタはローブを着るとキッチンへと向かった。


「えっと……良かった、運良く昨日の炭にまだ火が付いているわ。これに薪を足して……」


 大きめの薪を何本も積み上げ、満足げに頷く。舞い上がった煤はローブの裾を仰いで散らした。


「これでいつか火がつくわね。ナーシャがやっていたのと同じ方法だもの」

「ルタ~! 起きてる~?」


 噂をすれば、だ。

 パン屋のナーシャは毎朝訪れてルタの朝食を持ってくる。まだパンが余っているから大丈夫だと言えば「カビの生えたパンは捨てろ」と怒るのだ。

 だからルタは慌てて置いてあるパンにカビが生えていないかを確認すると、何枚かつかんで捨てた。


「起きているわ!」


 叫びながら走って一階へ向かう。

 素足が見えるその走り方をしながら、これも母親に見られたら怒られるだろうなと思った。


「入るわよ――って……また!」


 今日はどんな理由で怒られるのだろうとドキドキしていれば、パンを山程詰め込んだカゴを持ってやってきたナーシャは濡れ鼠のルタを見て目を吊り上げる。


「髪の毛は濡れたまま放置しない、ちゃんと拭くって教えたじゃない!」

「拭いたのよ。でも永遠に水が出てくるのだもの」


 わざとらしく拗ねてみせれば、ナーシャの肩が跳ねる。

 その顔はやや白く、明らかに何かを見て怯えていた。理由がわからず不思議に思った次の瞬間。

 思い当たることがあって慌てて棚を見てみれば、棚に並べられた瓶にうつった自分の目が、魔力を帯びてキラキラと輝いているのが見えた。


「あっ……ご、ごめんなさいね。あなたに会えて嬉しすぎて、ちょっと光っちゃっただけなのよ」

「う、うん……そうよね。わかってる。大丈夫よ。それよりほら、タオル持ってきてよ。拭いてあげるから」


 まだわずかに白い顔のまま、ナーシャが顔を引きつらせて微笑みらしいものを浮かべる。


「それが終わったら私が朝食を準備するわ。今からなんでしょう?」

「……ええ、ありがとう。いつもごめんなさい」


 逃げるように二階に駆け上がってタオルを取りに行けば、後を付いてくるナーシャが嬉しそうに笑った。


「気にしなくていいのに」


 パンの入ったカゴを置いてルタからタオルを受け取ると、ナーシャは椅子に腰掛けたルタの毛をいくつかの毛束に分け、水分を押し出すように拭っていく。


「ねぇ、ルタ。最近冒険者の――」


 外から悲鳴が聞こえてきたのは、ナーシャが何かを言いかけた時のことだ。


「――何かあったのかしら」


 二人そろって窓に寄ると、どうも村の入り口付近が騒がしい。

 一体何が起こっているのかとじっと見ていると、ややして最悪な事態が起こっていることがわかった。


「野盗だわ!!」


 馬に乗った何人もの男達が、村のゲートを壊して侵入してくる。

 次々にサーベルを抜いて露天の柱や家の壁を破壊し始め、村はあっという間に大混乱に陥っていった。


「お父さん……!!」


 ルタは駆け出したナーシャの腕を引く。


「危ないわ、ナーシャ!!」

「でもお父さんが……!」


 腕を振り払って降りていくナーシャを追いかける。そうして二人して外へと飛び出すと、見慣れた村がまるで地獄のようになっていた。


「お父さん……!!」


 店に向かって駆け出すナーシャ。その腕をつかもうとしたが、少しも動けず見送ることしかできなかった。

 なぜなら別のことに気を取られていたからだ。


「ルタ! ああ、こんなところにいたのか!」


 駆け寄ってくる年老いた魚屋の店主に、自分が何を言われるかわかってしまった。

 魔法を使って助けてくれ、そう言うに違いない。


「早く逃げるんだ! 最近ルタのところに入り浸っている冒険者と村の男どもが頑張っているから、今のうちに早く……!」


 ――しかし、実際は違った。

 鬼気迫った表情からは心底そう望んでいるのだと伝わってきて、その言葉がルタの心臓を締め付けていく。


「ど、どうして……」


 ルタの薬が一番だ。ルタの薬を一度でも飲めば、それ以外を飲むことはできない。

 そう言われたから、嬉しくて無料で薬を渡すこともあった。

 居場所を与えてくれた村人達に報いたくて、多少の無茶でもやってみせた。否、やりたかったのだ。


「ルタ! いいから早く行け……!」


 だから、もし請われたら叶えようと思っていたのに――……


「なんで――」

「魔女殿」


 一歩下がった瞬間、肩を掴まれて強引に振り向かせられる。

 よろけながら振り向けば、ここ数日ルタの家に通っていた冒険者の男が血にまみれて立っていた。


「怪我をしたの……!?」

「いや、返り血だ。それより、なぜ魔法を使わない。村が襲われているんだぞ」

「だ、だって……私は……やろうと思って……でも……」


 頭が混乱して、どうしたらいいのかわからない。

 ぐるぐると頭の中を何かが駆け巡り、思考が渋滞して停止して、少しも言葉が出てこない。

 やがて男は焦れたように顔をしかめた。


「もういい。俺がやる。これでも冒険者の中では強い方なのでな」


 そう言うと男は去っていく。

 魚屋の店主はその後姿を見ていたが、やがて伺うようにルタを見た。


「ルタ、無理しなくていいんだ。あの男の言うことは忘れて、すぐに他の女達と逃げろ」

「……どうして私に助けを求めないの……? 私は魔女で、あなた達より遥かに力があるわ」


 泣きそうな顔でそう言うと、魚屋の店主は驚いたような顔をした。


「だって、死ぬんだろう? 魔法を使ったら。だからお前は、今まで一度も魔法を使わなかった。違うか? 魔女は魔力を使い切ると死ぬ。そんなのは誰だって知っている。強がらなくていいんだ、泣き虫の小さな魔女さん。魔力量が少なくていじめられてここに来たくせに」


 そう言って困ったような笑顔を浮かべる魚屋の店主を見て、ルタは覚悟したように細く息を吐く。

 顔を伏せ、手で覆う。

 髪が膨れ上がり、魔力がバチバチと音を立てながら体の表面を走る。


「魔女は陰湿で、短気で、人の嫌がることを好んでやり、人が苦しむ姿を見て笑う……ええ、間違いないわ。確かにその通りで例外というものはないのよ」


 顔を上げたルタの目からは、真っ黒の液体がぼたぼたと溢れ流れ落ちていく。


「だからそれで言えば、私は確かに魔女だったのだわ。自分のプライドを優先したのだもの」


 血管が膨れ上がり、体中を魔力が駆け巡る。


「望みなさいよ、助けてくれと。私の魔力量が少ないですって?」

「ル、ルタ……何を言っているんだ……?」

「言ったでしょう――私は偉大なる白兎家で、史上最も力の強い魔女よ。必ず助けるわ」


 次の瞬間、魚屋の店主の前からルタの姿は消えていた。



 + + + + +



「何が冒険者の中では強い方だ……! 馬鹿か俺は!」


 元々多勢に無勢。勝てるとは微塵も思っていなかった。

 しかしここまできて自分だけ逃げるというのは男の矜持に関わると思ったが最後。これはもう文字通り死ぬ気でやって、そして村と運命をともにするしか無いなと思ったのがさっき。

 今はもう、俺もこの穏やかな村に感化されて焼きが回ったかと苦笑した。


「ぐっ……ここまで……か……」


 視界がかすみ、膝をついたときのことだった。


「ねぇ、魔女が魔女たる理由をご存知?」


 まるで気配がなかった。

 突如現れたそれは、あの日、男が怒らせたときよりも遥かに強大な魔力をまとって輝いている。


「私は確かに魔女だわ。でも、それも今日で終わる」

「何を――」


 光が、空から降る。

 たくさんの光の槍が悪しき者を貫き、正しき者には癒やしを与えた。

 やがて目がくらまんばかりの光りに包まれた村は、誰も目が開けていられないほどの時間がしばらく続き、再び目を開けた時には全ての野盗が地に伏し、魔女はその姿を消していた。

 その日以降、魔女の姿を見た者はいない。まるで初めからいなかったかのように、一つの痕跡も残っていなかった。



 + + + + +



「嫌だわ……どうして火がつかないのかしら……」


 燃えるような赤毛の女が、洞窟の中でお腹を鳴らす。


「……木の実はもう食べ飽きたわ……魚とか肉とか……そういうのを食べたい……」


 綺麗な若草色の瞳が太陽の光を浴びて輝いていた。


「ならこれを食うといい」

「ぎゃあ!?」


 自分以外は誰もいないと思っていた女の独り言に返ってきた言葉。そして差し出されたいい匂いのする包み。

 状況がわからず取り敢えずその場から逃げ出し、何度も転びながら振り返れば、見覚えのある冒険者の男が顔をしかめて立っていた。


「なんだ、魔女殿。そんなに驚くことあるか」

「な、な、な……!」


 地面にへたり込んだまま荒い息を吐いているルタに、男は呆れたような顔をして近寄る。

 そしてルタの前でしゃがむと、さらに顔をしかめた。


「こんなに痩せて。ナーシャが心配していたぞ。火も起こせないのにどこに行ったんだと」


 汚れてベタッとしたルタの髪を、男の手が撫でる。


「こんなところにいたんだな。大変だっただろうに、頑張ったな」

「何よ……! ま、まさかとは思うけど連れ帰る気じゃないでしょうね……村には帰らないわよ!」

「いや、それは困る。俺の今回の任務は“とある村から消えた魔女を連れ帰る”なんだ」


 それを聞いて、ルタの顔が歪む。


「あなたまさか……あの村から――野盗に襲われたばかりの村からお金を取ったの!?」

「ギルドからの正式な依頼だからな。村人達でなんとか工面して金を捻出したようだぞ」

「最低……!」


 最低も何もギルドの当然のやり方だとつぶやく男に、ルタの顔はさらに歪む。


「で、金を受け取ったからには俺は魔女殿を村に連れて帰らねばならんわけだ」

「ならその任務は失敗だわ」

「魔法で逃げる気か?」


 そう言った男に、ルタは顔を背けて大きく息を吐いた。


「……魔女が魔女たる理由をご存知か聞いたのを覚えていて?」

「ああ」

「問の答えは出たのかしら」


 男は表情を変えないまま、少しだけ視線を空へやる。


「単純に言えば、魔力を持っている者のこと。ひねった回答がよければもう少し考えるが」

「いいえ、あっているわ。そのとおりよ」


 それがなんだ、何が言いたいんだと言う顔をして、やがて男は先程から感情的になっている魔女の目が少しも光らない事に気づいた。


「まさか――」


 男が気づいたことに、ルタも気づく。

 ルタはゆっくりと顔を伏せ、頭を抱える。


「なぜだ。あの時は使えただろうが」

「――私は、白兎の一族の中で一番の落ちこぼれだった。一度でも魔法を使えば、全ての魔力を底尽きるまで使い切ってしまうからよ」


 男は息を呑む。

 ルタは少しも嘘を言っている様子はない。


「魔女の魔力は無限じゃない。自然回復しない有限のものを、一生をかけて少しずつ使っていくの。ただ私はその魔力を放出する回路が壊れていた。一度でも使えば全ての魔力を使ってしまうくらいにね」


 その代わり、瞬間火力は白兎の中で一番強かったけど、と自嘲する。

 家族には必要とされなかったが、村人は誰もがルタを頼りにした。

 だから嬉しかったのだ。たとえ薬という損得関係だとしても、この村では魔法が使えないルタが存在する意味があったから。


「あの日、私は魔女としては死んだ。だから村にだっていられないし、実家にだって帰れない」


 私の居場所はなくなってしまったの――その言葉に、男は何も言わなかった。

 代わりに真横へ座り、そして大きくため息をついた。


「……何やらこじれているな」

「うるさいわよ」

「なあ、試しに村に行ってみたらどうだ。何のために村人が復旧でアホみたいにお金がかかるはずの時期に、高い金を払ってまで俺を雇ったと思っているんだ」

「良い薬を安く簡単に手に入れるためでしょう? ちょっと自慢なのだけど、私の薬は本当に凄いのよ。魔法が使えない代わりに頑張ったのだもの」


 なるほどなあ、と男はつぶやく。


「はあ~……この手は使いたくなかったのだがなあ」


 至極残念そうに顔を歪める男に、魔女は何故か嫌な予感がした。


「な、なに……」

「魔女殿、村人達はお前が死んでしまったとそれはそれは悲しんでいてな。すぐ実家に連絡を入れたんだ」

「死んだ……? ああ、そう言えば魔力を失った魔女は死ぬとかいう“解釈違い”の噂を信じていたわね……って――私の実家に連絡を入れたの!?」


 なんて余計なことを!

 そんな心の声が顔に出ていたのだろう。それを見た男は鼻で笑うと、自分が次に言う言葉でルタがどんな反応をするか知っているかのように――いや実際わかっていたのだが、その様子を想像して嫌な笑みを浮かべる。


「魔女殿の母を筆頭に、白兎の一族郎党があの小さい村にやってきたぞ。そろいもそろってお前にそっくりなもんだから、そらたまげたぞ」

「嘘でしょう!? あの人達が来るはずないわ!」

「いや、本当だが。末娘に何をしたと大騒ぎしていたな。我に返った後はさすがだった。魔法で即座に位置を探し出し、この周囲へ結界を張ったようだ。獣に襲われたことなどなかっただろう?」


 言われてみればそうだった。

 餓死寸前になればいつの間にか木の実やら薬草が現れたし、川の水をそのまま飲んでもお腹を壊したことはない。


「まあ、もうこれ以上押さえておけないからな。腹をくくれ」

「待って。何のこと……?」


 男が胸元から取り出したそれは、見覚えのありすぎる帰還符。

 魔法の使えないルタ用にとよく家族が作ってくれたもので、発動すれば一瞬にして符の作成者の元へと飛ばされる。


「待って……! 嫌よ、そんな――」


 言葉の途中で、二人の姿は一瞬にしてかき消えた。



 + + + + +



「まあ~、なんて汚いのかしら。相変わらず駄目な子」


 一瞬にして身の回りの景色が変わったかと思えば、サッと体中の不快感が消える。

 身に覚えのある魔力の気配に振り向くと、ゴミでも見るような目で一番上の姉がルタを見下ろしていた。


「ルタ、魔法を使ったそうだな」


 ルタよりも少し低い母の声。


「人間なんぞに魔法を使うとは思いもしなかったが、これでお前は魔女として死んだわけだ」


 それを聞いてクスクスと笑う二番目の姉。

 それに続くように、三番目の姉がルタの顔を覗き込んで鼻を鳴らした。


「あら……本当に魔力の欠片も残っていないのね。白兎の匂いがしないわ」


 だから嫌だったのだ。魔女として認めない家族は、ルタにとって優しくない。


「なあ、確かに魔女殿は生活能力がまるでないし、すっかりこじれてしまっているが――」


 男がそう言ったその時だった。


「人間」


 三番目の姉が冒険者の男の首を目にも留まらぬ速さで掴む。


「お前、ルタの何を知っているのかしら。お前ごときがルタのことをなんと言ったの?」


 その手は確実に殺すつもりで力を込めており、男は苦しさにあえいだ。


「そういう、ところだぞ……! 本当に魔女は素直じゃない……!! 言えばいいだろう、魔女の間でいじめられないか心配で、心配しすぎていじめみたいになってしまったと!」

「はあ~? 言っている意味がわからないわ。馬鹿な人間。本当に馬鹿。馬鹿ね。信じられないほど馬鹿だわ。何を言っているのかしら」


 衝撃的な言葉を聞いた気がしてワンテンポ遅れてルタが顔を上げれば、今まで凛とした姿しか見たことのなかった姉達が視線を彷徨わせているのが目に入る。


「魔女集会に出るなって……」

「そりゃ魔女殿は嘘をつけないからな。魔法が使えないなんて一瞬でバレるのを心配したんだろう」

「魔法が使えないことを誰にも言うなって……」

「そうしないと爪弾きにあうのだろう? 魔女の世界では」


 一体、何が起こっているのかさっぱりわからなかった。

 仮に全てがルタを思った言動であったとして、なぜあんなにもルタを傷つけるような言い方を――と、そこまで考えて、ルタは魔女の本質を思い出す。

 陰湿で、短気で、人の嫌がることを好んでやり、人が苦しむ姿を見て笑う。

 そして何より、恐ろしいほど素直じゃない。


「……嘘でしょう」

「お前のことを心配しないような家族だったら、ここまで来ないだろうな。他にも――ほら」


 指差す方向にはナーシャがいる。

 遠目でもわかるほど涙を浮かべたナーシャは、ルタと目が合うと走ってきて飛びついた。


「馬鹿! 馬鹿、馬鹿! なんで勝手に消えちゃうのよ!」

「ナ、ナーシャ……だ、だって……どうして……ナーシャは私の目が光るたびに怯えていたじゃない……私、魔法を使ったのよ……? 怖いでしょう……?」


 震える声でそう言えば、ナーシャは溢れる涙を拭いもせず大声を上げた。


「私は魔法なんか使えないんだから、怖いに決まってるじゃない! でも、それ以上にルタが大好きなんだから、心配するに決まっているでしょう!」

「く、苦しいわよ、ナーシャ……」


 もみくちゃになっているルタを見ながら、冒険者の男は困ったように笑う。


「まあ、そういうことだ。わかっただろう? いかに言葉が足りず、すれ違っていたのかを。だから一度しっかり話し合ったほうがいい」


 かくして、この鶴の一声でルタと家族、そして村人達はそれぞれ話し合うこととなった。

 盛大な勘違いやら素直じゃない魔女のせいで何度か話し合いはこじれかけたが、そのたびに冒険者の男は面倒くさそうな顔で軌道修正をし、長きにわたる話し合いが終わる頃にはすっかり夜も更けていた――そして夜半。

 皆それぞれの家に帰っていき、一人残った冒険者の男は「お茶でも」と誘ったルタに応じて二人で茶をすすっている。


「なんだか随分とお世話になったわね。これで依頼は完了かしら」

「ああ。明日の朝にでも戻るさ。依頼は失敗だがな」

「どうして? 私は戻ったわ」


 片眉を跳ね上げて見せれば、男は肩をすくめてため息をついた。


「見つけた魔女が魔女じゃなくなっていたのでな。“魔女を”連れて帰れという任務は失敗だ。俺の報酬は消え、ギルドに預けた金は村へ返されるだろう」


 そう言って男は口角を上げる。


「……あなたも、大概ひねくれているわね」


 男は声を上げて笑うと、飲み終えたカップを流し台に置いた。


「ごちそうさん。あまり遅くても悪いからな。俺はもう行くぞ」

「……ええ、もう二度と会うことはないでしょうけど」

「どうだか」

「来る予定があるわけ?」


 月明かりに照らされたルタの目が輝いている。


「ルタ。あんた、魔力がなくたって十分に綺麗な目をしているじゃないか」

「……はあ!?」

「それから、俺の名前はスナスリだ。次はそう呼んでくれ」

「なっ……! あっ……! あなた、私の名前……!!」


 混乱しているルタを引き寄せ、頬に口づける。


「ひっ……!!」

「じゃあな、ルタ。また会おう」


 ガチガチに固まって思考停止しているルタが我に返る前にと、男は笑いながら外へと飛び出していくのだった。

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