第8話

「食事に文句を言うのは、はしたないことだと思っているのよ、私」

 立ち並ぶ屋台から男が選んできたのは、何の変哲もない、串に刺した肉を炙ったものだった。

「それに良くも悪くも、屋台にそこまで過大な期待はしていなかったの」

「……何が言いたい」

「あなたが選んできた時には、無難な選択で安心したわ。だって、串に刺した肉を炙ったものに、そんなに特徴を出す余地はないでしょう、普通」

 ヤーヤムは半分ほど食べた串をじっと見つめながら、淡々と言いつのった。二人は市場から少し離れた路地で、向かい合って立っている。

「なあ、遠回しにチクチクやるのはよしてくれ、お嬢さん。要するにこう言いたいんだよな、この串焼きはおそろしく不味い」

 ヤーヤムは鼻からため息をついた。

「有り体に言えば、そうよ」

「……貴族のお嬢さんのお口には合いませんでしたかね、なんて嫌味を返したいところだが、こいつに関しては俺も同意だ。こりゃあひどい」

 珍しくうんざりした様子を隠さない男に、ヤーヤムも重々しく頷いた。

「でも、これもありがたい糧であることに変わりはないわ。あやしい生臭さ、それを誤魔化すに至らない味付け、なのにやりすぎ感のある焼け具合。つまるところ、私たちはあの屋台からは二度と買わないという知見を得たということよ」

 さあ、全部食べて、それから午後の行動よ。ヤーヤムはそう言って、残り半分の串焼きと格闘しはじめた。

「くそ、本当にひどい」

「……次に何か買う時は私が屋台を選ぶわ」

 食べながら、二人はどちらからとなく笑いを漏らした。それは串焼きを食べきる頃にははっきりとした笑い声になって、路地にこだましたのだった。


「行けない?どういうことなのかしら」

 ヤーヤムの問いに、中年の御者は頷いた。

「あそこには行きたがる奴がいねえって意味でさァ、冒険者さん」

 二人は辻馬車の溜まりにいた。

 いつもならば行き先を言い終わらぬうちに御者台に飛び乗るような男たちなのに、妙な反応をする。

「詳しく聞かせてくださる?」

 御者は決まり悪そうな様子で頭を掻き、視線をさまよわせながら話し始めた。

「おっしゃっている『泥の塔』、あそこは三年前に燃えちまってからは無人です。場所も王都のはずれだし、わざわざ近づこうって者はいませんよ」

「それだけで馬車を出すのも無理とはならないでしょう。あなたの知っていることを全て話してちょうだい」

 ぴしゃりと言うと、御者はひょろ長い体躯を縮めて、声をひそめた。

「……出る、ってもっぱらの噂なんです」

「出る?」

「そのう、亡霊が」

 あっきれた、と言ってヤーヤムは御者の口元に寄せていた頭を引いた。

「死者の魂がこの世に残存するという考えは大昔から信じられているけれど……仮にその方法があったとしても、それはエルフの魔法に関わる秘技に類するもので、恨みや何やで偶発的に起こることはないと思うわよ」

 いかにも魔法使いらしい口ぶりで切って捨てる。

「あっしにゃア難しいことはわかりませんが、とにかく色々と不吉な噂があるんですよ。亡くなった魔法使いやお嬢さまが、夜な夜な墓場から起き上がるとか……」

「馬鹿馬鹿しい、軽々しく死者を冒涜するのはおやめなさいな。死した者は蘇らないわ……たとえそれでも会いたいと、こちらが望んだとしてもね」

 最後だけがわずかに暗い口調になったのに、誰が気づくだろうか。ヤーヤムは気を取り直すように頭を振って、御者を見上げた。

「まあでも、無理強いはやめておきましょう。代わりに、馬車だけ貸してくれる店をご存知ではない?」

 

 紹介された貸馬車屋で一頭立ての小さな馬車を借りて、二人は王都の郊外を目指している。

 ヤーヤムは出発前、自分が手綱を取ると主張したが、男は頑としてそれを退けた。

「我が家の領地でなら何度も乗ったことがあるのよ、私。それに馬にかける魔法もいくつか心得ているし、そうそう事故になどなりはしないわ」

「王都の道を田舎の領地と一緒にするのは危険な考えだ、お嬢さん。ここの奴らは、領主の紋章をはるか先から見分けて端に寄るような真似はしないだろうよ」

 それを補うための魔法じゃないの、と納得しかねる様子のヤーヤムだったが、男の慣れた手綱捌きを見て口を閉じた。


 王都の西には小高い丘がある。

 そのふもとを流れる川からは、水路を通って王都に水が引かれていた。

 馬車は水路に沿って郊外に向かい、そのうち取水口と行き当たる。そこからは川に沿って折れてしばらく走らせた。

「この先の丘の上が、『導師』ハシュエンの最期の地……『赤き夜』の現場、私塾『泥の塔』よ」

「……本当に行くのか、お嬢さん」

 男の問いは、ひどく乾いた声で発せられた。ヤーヤムは、おや、といった様子で、御者台に並んで座る男の顔を横目で窺う。

「行くわ。一連の事件の発端となるのが『赤き夜』なのよ、私は少なくともそう確信している。現場を見ておく必要は絶対にある」

 頭巾の影から見える男の口元は、何か言おうとしたのかわずかに開き、しかしそれは果たされず閉じた。

「……あまり気が進まない様子ね?」

「そうだとして、あんたは行くのをやめるわけではないんだろう」

 先程の酷薄さは、男の口調からは薄れていた。

「ええ。大図書館で、真実を明らかにしなければ前を向けないと言ったでしょう?それは本心。でも本当のところね、同時に……知るのが怖い気持ちもあるの」

 丘はまだ先ではあるが、踏み固められた土の道はごくゆるい勾配になっている。道の左は向こうに川が見える程度のまばらな木立、右はそれよりもやや密度高く木が茂っていた。

「私は兄の闇を覗き込んでいる……出てくる真相は、私の心を安らがせてくれるものではない。おそらくね。目を閉じて、知らないでいる方が幸せなのかとも。お父さまに真実を知りたいと訴えても何もおっしゃらないのは、その証拠としか考えられない」

 馬の蹄が地面を打つ音、秋の午後のひやりとした風の音、木立のざわめき。そんなものだけが二人の間にあった。

「……真実なんてものは、見る者によって変わる。俺は俺の真実によって動いているし、あんたの親父さんにも、死んだ八人会議の奴らにも、奴らなりの何かがあったのかもな」

 ただ前を見ながら、男はさらに続けようとしたが、隣から伸びてきたヤーヤムの白い手に気づいて肩をひいた。

「おい、なんだ一体。俺は真面目な話をしてるんだぞ」

「わかっているわ。だからこそよ、私、あなたの顔をまともに見たこともない。真面目な話をするには、最低限お互いの顔くらいは知っているべきではなくて?」

「急に妙なことを言い出すなよ……」

 馬を驚かせたらどうする、とぼやきながら、それでも男は、出会ってからヤーヤムの前では片時も脱がなかった頭巾を、後頭部に向かって引いて取り去った。

「これでどうだ、満足かい、お嬢さん」

 男はちらりと横を向きヤーヤムに顔を見せた。

 全体としては、頭巾の下に見えていた印象を裏切るものではなかった。黒い髪、灰色の瞳、やや細面の顔。少しこけ気味の頬と深く窪んだ眼窩のしわが余計に老けて見せている可能性はあるが――

「まあ。思っていたよりも若いのね、あなた」

「はあ……?」

「ふふ、父と同じくらいの年齢なのかしらって、思うこともあったのよ。本当はいくつなの?」

「……もうすぐ四十」

 何なんだ本当に、と言いながら、男はまた頭巾で頭を覆った。

「くそっ、何の話をしていたのか忘れちまうだろうが……とにかく、真実ってやつがどんなに痛いもんだろうと、それを受け入れて行動するしかない。行動の結果もまた然りだ。あんたにその覚悟があるなら、止めはしない」

「ええ、そうね。ありがとう」

「なんの礼だ」

 尋ねられたヤーヤムは、自分でも少し考える様子で、首をかしげた。

「心配してくれてるのかしら、と思って」

「……そんなんじゃない」

 憮然とした様子の男には取り合わず、ヤーヤムは前方に視線を戻した。

「あの辺りから丘に登るみたいね。このまま馬車で行けるかしら?」

「問題ない」

 木立に挟まれたつづら折りの道が見えてきた。

 丘の頂上の様子はまだわからない。

 かつてはそこに塔が聳え立っていたというが、今はこんもりとした木々に覆われて、往時の様子の手がかりになるようなものは視界に入らない。

「それでも、はあるはずなのよ」

 ヤーヤムのつぶやきに、男は応えなかった。

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