荒神鎮送8 ー雪解けー

 「あっ、勢三郎様が! 造六! 勢三郎様が目を開けましたわ!」


 …………弾むような穂乃の声が遠くに聞こえた。


 霞がかっていた視界が次第に色を取り戻し、それが高く澄んだ青い空だと分かった瞬間、覗き込むように美しい穂乃の顔がその瞳に映った。


 「穂乃殿か……」

 そう言ったつもりだったが、それが声になったのかどうか勢三郎にも分からなかった。


 「勢三郎様! 私はここでございます! 良かった、気がつかれたのでございますね」

 穂乃は泣きながら勢三郎の頭を抱えて微笑んだ。

 ぽろぽろと涙が止まらない。


 ただ一度目を交わし、口を開いた途端に抑えていた涙が溢れて止まらなくなったのであろう。


 勢一郎様が目覚めた。

 まだ生きて、ここへ帰ってきてくれたのだ。


 「ああぁっ……うあぁっ……勢三郎様~~っ!」

 いつもより感情的な姿を見せ、穂乃は勢三郎の胸に両手を添えた。


 「穂乃殿、そんなに泣くものでない」

  その頬を優しく勢三郎が撫でた。


 「勢三郎様…………」

 「心配をかけたようだ、済まぬな」そんな言葉と共に勢三郎は微笑んだような気がしたが、涙の溢れた穂乃には確かめる余裕もなかった。


 「おお、勢三郎! やっと戻って来おったか! 心配して負ったのだ!」

 蔵六が二人の元に駆け寄って来る気配がした。


 勢三郎は穂乃の膝を枕に、板の上に寝かされていたらしい。


 「無事か! 俺が分かるか?」

 「当たり前であろう」

 「そうか、ならば万事めでたしめでたしじゃな!」

 勢三郎がいつも通り答える様子を見て、蔵六はほっとしたように笑った。


 「俺はどうしたのだ?」

 「おぬしは、助けた少女と一緒に枯れ井戸に落ちたんだ。そこは何も覚えていないのか?」

 造六は顎髭を撫でながら井戸を指差した。


 「鬼姫は? 鬼姫はどうなった?」

 勢三郎はゆっくりと身を起こし、首を撫でた。


 「鬼姫ならもう大丈夫でございます。勢三郎様に斬られた直後、幻のように鬼姫は消えてしまいました。神職がずっと何か祈っていたので、彼らが運んできた神輿に鎮まったのかもしれませぬ」

 そう言いながら穂乃はその温もりを確かめるように優しく勢三郎の羽織の乱れを直した。


 「どうかなされましたか? 勢三郎様」

 「……いや、なんでもない」

 過去に飛び、色々と分かったことがある。


 勢三郎を見つめ、美しい穂乃が微笑んでいる。


 彼女こそ四季姫の一人冬姫に違いない。その使命についてはいずれ穂乃に正直に伝えねばならないであろう。


 「皆には心配をかけたようだな」

 勢三郎は額の髪をかき上げた。

 その左手首にかわいい桜の小物の付いた組み紐が巻かれていることに穂乃が目ざとく気づいた。


 「それは何でございます? ずいぶん可愛らしい細工物でございます。前からしておりましたでしょうか?」と小首を傾げた。


 「これか、ああ、桜か……」

 なるほど、力を取り戻した桜姫の力で俺はこの世に戻ってこれたのだろう。

 

 これはその二人の契りの証なのだ。

 冬姫の穂乃と出会ったように、おそらくいずれどこかで春姫に出会うことになる。その約束の印なのであろう。


 「……行くか」

 勢三郎は立ち上がると身なりを整えた。


 「こちらをお使いくださいとのことでございます……」

 穂乃が新しい雪靴を揃えていてくれた。武田が予備に持参していたものであろう。古いのは井戸の底で無くしたようだ。


 「戻りました!」

 「おお、目覚められたか!」

 屋敷の崩れた門に泥まみれの連中がぞろぞろと姿を見せた。


 武田の手勢である。

 皆、裾をまくって肩に土の付いたすきを担いでいる。その様子から、おそらく亡くなった人たちを埋葬してきたのであろうと察しがついた。

 

 「武田殿! 日暮殿が気が付かれたご様子!!」

 門前で立ち止まった男が、後ろを振り返って大声で叫んだ。


 すぐに彼らは大屋敷の敷地へ入って来た。

 最後に姿を見せたのは武田である。


 「勢三郎殿、この御方が礼を言いたいとのことだ。山向こうの尾田藩、尾田一誠殿の末の姫らしい。さらわれてきていたのだ」

 武田の袴をぎゅっと掴んで立つ愛らしい少女がそこにいた。


 歳のころは10歳かそこらであろうか。

 少女はちらりと武田を見上げた後、勢三郎の前に走り出て急に冷たい地面に指をそろえると「日暮殿!」と丁寧におじぎをした。


 「礼など良い。着物が汚れます、お立ち下され。そなたは?」

 勢三郎がそう言って微笑むと、少女はにっこりと笑みを返して立ち上がった。


 「私は尾田の小桜と申します! 此度はあの恐ろしい鬼姫から命を救い頂き感謝の極みでございまする。日暮勢三郎殿!」

 その美しい瞳を見て、勢三郎は「ああ!」と気づいた。彼女の瞳の中に桜姫の姿が見えたのである。


 「尾田の小桜姫、御身に怪我がないようでなによりでございます」


 「はい、日暮殿のおかげで命拾い致しました。従者を皆殺しにされ、鬼姫にさらわれてもはやこれまでと観念しておりましたが。この御礼はいずれ必ず……」

 そう言って小桜姫はぽうっと頬を染め、勢三郎の顔を見つめた。少し赤くなった小桜姫の愛らしい様子に無骨な武田たちも思わず頬を緩めた。

 

 「ごほん!」

 二人の間に流れた甘い雰囲気に何か勘づいたのか。勢三郎の隣にいた穂乃が急に咳払いをした。


 「勢三郎殿、これは約束にございます……、髪結いの後は……」

 小桜姫は穂乃の視線を気にもかけず微笑むと、勢三郎の手をぎゅっと握って屈ませると、その耳元で何かをささやいた。


 「……きっとでございます」

 そして自分の右手首に巻かれた組み紐を勢三郎に見せると、微かに頬を染めながら澄んだ瞳に勢三郎を映したのだった。



 ーーーーーーーーーー


 古い城跡に質素な供養碑を建て、静かに祈る三人の姿がある。


 朝の日差しの中、武田は小桜姫を背負い、先に山を降りて行った。

 その一行の神職に付き従う男の背には小春姫を祀った神輿が見える。こたびの惨劇を機に小春姫の御霊を藩の神社で手厚く祀ることにしたのだと言う。正しく祀られればあのような事は二度と起こらないであろう。


 高い空を数羽の白い鳥が鳴きながら飛んで行った。

 朝日が力強く雪山を照らしていくと、木々を白く見せていた雪塊が一つまた一つと音を立てて滑り落ち、重い雪に耐えていた枝々がようやく解放されて青空に向かって枝先を揺らした。


 「勢三郎様、そろそろ私たちも参りますか? ここは冷えまする。ほら、また少し雪がちらついて参りましたわ。とてもキレイですけど……、これが最後の雪になるのでしょうか?」


 穂乃が差し出した手のひらの上で、小さな雪の粒が水になって光った。


 「そうだな、まもなく雪解けの季節であろう」 

 勢三郎もきらきらと光るものが舞い始めた空を見上げた。


 「ああ、鬼姫が消えてようやくこの地にも春が来そうだな」

 蔵六がよいしょと荷を背負って、同じ空を見上げたのだった。





ーーーーーーーーーー


『雪妖語り』第一部完となります。


またどこかでお会いできる時を楽しみにしております。

冬に書く物語にしようと決めていますが、もっと続きを読みたいというご要望があればいつでもお教えください。


ありがとうございました。

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雪妖語り 水ノ葉月乃 @tomkatom

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