荒神鎮送7
長者への復讐を成したことで鬼姫化が進んできている。
橘姫の動きには一切の無駄がない。
鎌のような鋭い爪、それに腕力もある。
並の男なら数合と斬りあわぬうちに首が飛んでいるであろう。
相手は少女に見えるが、中身は荒ぶる神なのだ。
「どうした? どうした?」
橘姫の攻撃が続く。
この場所では本気の攻撃はできない。なんとか御社まで橘姫を導かねばならない。
「貴様、なぜ反撃せぬ?」
「……」
「まぁ良い。死ねぃ!!」
橘姫は大きく踏み込み、爪先が閃いた。
「!」
橘姫が放った鋭い突きを弾き、勢三郎はそのまま刀を振り下ろした。
「舐めているのか! それが本気ではなかろう!」
橘姫は後方に下がりつつ、左の手のひらで刃を受け流した。
「うっ!」
勢三郎は受け流された反動で雪に足をとられ、前のめりになった。一瞬、無防備になったのは背中である。
「これで終わりじゃ! あのまま邪鬼を殺しておけば良かったものを!」
すかさず橘姫が勢三郎の背に爪を立てた。
「!」
勢三郎が振り向こうとしたと同時に橘姫の腕がなぜか止まった。
「冬姫? 貴様、既に……」
勢三郎の背に何を見たのか、橘姫は恐れ、よろけるように数歩後退りすると、不意に身を転じて脱兎のごとく雪原を駆け下っていった。
「待て! 待たぬか!」
その後を追う勢三郎は、懐から邪神も嫌がる破邪の念を込めた
雪煙が舞い上がり、橘姫の逃亡の邪魔をする。
それは次第に橘姫を村外れの鎮守の森へと誘導して行った。
ーーーーーーーーーー
「む……社か。貴様、ここへわしを誘い込んだつもりか?」
橘姫は大きく息を切らせ、真新しい社の前で振り返った。
勢三郎は無言で睨んだ。
その目に金色の光が宿り、仄かに光る刀身が今までと違う気配を立ち上らせていた。
「やっと本気を出す気になったか、ん? そこに隠れておるのは誰じゃ?」
背後の御社の影から新雪を踏む足音がして、橘姫は勢三郎を睨みながら気配を探った。
「私ですよ橘姫、いや荒神となった小春姫でしょうか。ひさしぶりです」
「その声は桜姫か? そなた、力を取り戻したのか? あの谷から出てくるとは……」
「春姫として勢三郎と契りを結びしゆえに」
桜姫の澄んだ瞳が橘姫を映した。
「この男と? そうかなるほどのう」
勢三郎の背を守ろうと浮かびあがった冬姫の表情を思い出し、橘姫はわずかに口元を上げた。
(この男ならば、いずれ奴を仕留めるかもしれぬ)
「結びの神が今頃になって現れ、全て奪われしこの汚れた神を再び土地に結ぶつもりか?」
橘姫は勢三郎の隣に進み出た桜姫をにらんだ。
「それがあなたを救う道です」
「それこそがお前にとっては本当の望みではないのか?」
勢三郎が言った。
「だが、先の世が見えておろう? この村は私が手をかけずともやがて滅ぶのだ」
「わずかな時でも良いではありませぬか? そうやって私たちはいずれ誰からも意識されない天へと還るのみです」
「馬鹿め、受肉した身に今さらそれが出来ると思うか!」
橘姫は凶暴な目つきで両手の爪を光らせた。
「ならば、橘姫。その身の残念を斬るまで!」
「馬鹿めッ! やれるものならやってみるがいいっ!」
橘姫が爪を鋭利に尖らせるや勢三郎に飛び掛かった。その瞬間、勢三郎の瞳が金色に染まった。その顔は橘姫が始めて見るものであった。
吸い込まれそうなほどの美しい瞳……。
「御霊還り!」
大気を真一文字に斬り裂くその一刀が、周囲の空気の臭いすらも変えた。
まるで雷鳴が轟いたようであった。
凄まじい斬撃を放ち、勢三郎は静かにその刀を収めた。
一刀のもとに橘姫の胴を斬ったのである。刀身はその妄執の根源を断ち切ったのだ。
声も無く、まるで天をつかもうとするかのように両手を広げ、やがて橘姫は膝から崩れ落ち、ゆっくりと雪上に伏した。
「桜姫、彼女の御霊を鎮めてくれぬか」
「ええ、任せてくださいませ。さあ、小春姫、その神体を御社に遷し給え、さればこの地を清め大いに祭り奉らん!」
桜姫が
やがてそれは大きく真っ白な繭玉に育ち、人の背丈ほども大きく膨れたかと思うと、一転、急激に小さな珠に転じていった。
「!」
手の平に乗るような美しい糸珠の表面に目を閉じた小春姫の姿がうっすらと浮かびあがると、糸珠は桜姫に招かれるままに真新しい御社へと吸い込まれていった。
だが、同時に雪の上に倒れていた橘姫の体も舞い散る粉雪のように儚く消えていく。
勢三郎の剣の手元が狂ったわけではない。魂の無い器はこの世に器として存在できぬのだ。
その時だ、ドドーーンと遠くで爆音が鳴り響いた。その音は山あいに幾度も木霊しあって枝の雪を散らした。
見上げると山上から黒い煙が立ち昇っている。
古い火薬庫の火薬であろう。村人の火縄の火が引火したのか、残っていた式神がいたのか、もはや確かめるすべはない。
橘姫の魂を宿した邪鬼は村人と共に吹き飛ばされたのだろうか。
「小春姫の執念でしょうか? 村への復讐は成りました。小春姫が荒神に堕ちる原因を作った村人たちはおそらく死んだのでしょう」
桜姫が勢三郎の隣に立ってその左手をぎゅっと握りしめた。
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