荒神鎮送6
歌が聞こえてくる。
「……ほんにこの世は生きづらい、お主は使いか、使いはまだじゃ、使いは城下の
屋敷の奥から聞こえていた
「使いならばここにいるぞ」
ガラリと障子が開いて板の間に黒い式神が放り込まれた。式神を描かれた紙はすっぱりと断ち斬られている。
「やはりお主か、わしの使いの式神を打ち落としたな?」
橘姫は赤い唇を手のひらでぬぐって振り返った。
「式神は俺が邪鬼を退治しなかった場合の策か。こいつが城に残る古い火薬庫に火を放ち、村人もろども邪鬼を消し去るという魂胆だったのであろう? そしてお前はそうやって屋敷に残っていた者を殺し、その血を啜ることで、復讐は完成するというわけだ」
橘姫の周囲の板の間には屋敷の主人とその妻、そして使用人たちが冷たい骸になって倒れている。
「わかっておるではないか、勢三郎よ」
橘姫の身体から吹き出す妖しい気配が濃厚になった。
「”おぞましき奴” を手引きした村の衆への復讐か? 村の衆を騙して新たな社まで建てさせたうえで皆殺しにするつもりだったんだな、狂った神め」
「よくも言う。その身から立ち上る気配、貴様こそわが神域を汚した ”おぞましき奴” の一族であろうが!」
橘姫の言葉を聞いたか否か、勢三郎の刀が唸った。問答無用、一刀で斬り捨てる気迫である。
「やはり、”おぞましき奴”の血を引く男よ。神をも斬り殺すか? それともそれを指摘されたのが嫌だったのか?」
橘姫は嘲りながら天井に張り付いていた。
ミシリと天井板が軋み、その眼光は鋭さを増している。
「黙れ!」
勢三郎の剣が閃く。
橘姫は帯に差していた小刀を抜いた。
両者の刃が激しくぶつかり合った!
橘姫の小刀には妖気が宿っているらしく、受けた瞬間に勢三郎の刀に衝撃が走った。だが勢三郎はその衝撃に耐えながら刀を押し切っていく。
「くっ……! さすがよ!」
橘姫は飛び退くや、四つ足になって部屋を縦横に駆けた。
距離をとって部屋の角で大きく息をつくと、再び小刀を構えた。
勢三郎の振るう太刀筋は明らかに人の域を超えている。それは神に属する者かあるいはその真逆の者の動きか。橘姫は唇を歪め微笑した。
「やはり図星じゃ、図星じゃ! お主こそ汚れた身なのじゃ! 退治屋の里が滅んだのもその血のせいじゃろうよ!」
「黙れ!」
いつになく勢三郎が激高した。
理性を欠いた攻撃は大振りになって、すばしっこく走り回る橘姫に翻弄されている。そもそも大して天井の高くない室内では小刀の方が有利だ。
その刃が神棚を真っ二つに斬った。
「いい加減にするんじゃ、勢三郎! 神棚を斬るとは! そもそもお主が追い続けている奴はわしの仇でもある。 奴に組した村人どもに罰を下し、奴を殺す、その目的は貴様とて同じであろうが!」
神棚を壊された橘姫の目に凶暴な色が灯った。
「妄言を吐くな、荒神め! 村人は騙されただけであろう!」
「くくく……、わしは知っておるのだぞ? ”おぞましき奴” がどのようにあの美しき……」
「黙れッ!」
それ以上は言わせないとばかりに勢三郎が刀を振った。だが、橘姫は野卑に笑いながらからかうようにその一撃をかわした。
(勢三郎、落ち着け、落ち着くのです……心を乱せば荒神に支配されます……)
桜姫の声が聞こえた。
(荒ぶる神になっても神は神、その真髄は変わっていないはず。
「わかった……」
勢三郎は深呼吸した。
いつの間にか、背中に橘姫が指から出した蜘蛛の糸のようなものが付着している。
人を惑わし
「ちっ、揺らがぬ。縁を切りおったか! あと少しで最強の眷属が手に入るところを! 正気に戻りおった」
橘姫が悔しそうに顔を歪めた。
直後、勢三郎の
「ぎゃあ!」
手首を斬られた橘姫が叫びながら、障子を突き破り、外に飛び出した。
外は真白な雪。
新雪に真っ赤な血の跡が点々と続く。
勢三郎が疾風のようにその後を追った。
「ぎゃっ!」
足元に雪煙が上がり、悲鳴を上げて橘姫は雪原の坂を転げ落ちていった。
何が足元の雪を崩したのか確認する間も与えず、勢三郎は刀を引き抜きながら少女に駆け寄り、一気に刃を振り下ろした。
「しつこい男よ!」
だが、橘姫は身軽に後転し、間合いをとって白い雪原に着地した。なんども鬼姫が見せた体術である。
「くっ……!?」
直後、勢三郎は腹を押さえた。
「頑丈な男よのう! 我が爪で貫けぬとは」
橘姫は片足を上げ、長く伸びた爪を見せた。
刃から逃げながらも回転して勢三郎の腹に爪を突き立てたのだ。普通の人間であればはらわたを引き裂かれたであろう。勢三郎はその一瞬で腹に気を溜め、爪を弾いたのである。
「よくぞ生身の体で耐えられたものよ!」
「…………」
「しかし、これで終わりではないわ!」
橘姫は牙を剥いて飛びかかってきた。
勢三郎は刃を構えて防戦したが、鬼姫化しつつある橘姫の素早さに圧倒され、再び蹴り飛ばされた。爪が突き刺さったのは今度は胸だ。
「うぬっ! 強くなった!」
勢三郎の顔に一瞬焦りの色が浮かんだようにも見えた。
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