荒神鎮送5

 「さても難儀なことよ。……ん……?」


 思案顔で邪鬼を見送った勢三郎の背後に衣擦れの音がした。


 「あれを斬らなかったようですね?」

 聞き覚えのある少女の声である。


 「桜姫だな。さてはお主、知っておったな?」

 振り返ると勢三郎の背後に美しい少女が立っていた。


 「貴方が橘姫を追わずに邪鬼のところに向かったのを感じて、短慮であればお主を止めようと来たのです。でもあれを斬りに来たわけではなかったようですね」

 桜姫はほっとしたように胸に片手を置いてもの静かに言った。


 「橘姫と遊んでいた、姉妹のようだったと言われていたが、それは橘姫の体に乗り移った神と戯れ、話をしていたのだな? そもそも神と神に近しい者同士、だから姉妹に間違われるような雰囲気だったのではないのか?」

 勢三郎の目が桜姫を見据えた。


 「今はまだ封印の谷から出られない」と言ったはずの少女がそこにいる。


 「あれと私は同じ神の系譜なのです。だからなんとか彼女を鎮めようと試みていたのです」


 「同じ神の系譜?」


 「ええ、あの山神は元は小春姫という私の妹分にあたる神なのです。清純な神でしたが、金に目がくらんだ村人たちをそそのかした ”おぞましき奴” にその神域を汚され、神器を盗まれて憎しみに染まってしまったのです」


 「そこに奴が関わってくるか……」


 「小春姫は失われた神器を求めさすらううち、おぞましき奴の目論見どおりに荒ぶる神に変じ、財宝を奪って長者に成り上がった仇の一人である者の娘、橘姫を見つけて恨みに駆られ、神器の代わりにその身体を奪ってしまったのです」


 当然、人の体は神器ではない。年月と共に神の道を外れた呪いを受けてさらに恐ろしく醜い存在になってしまうのだ。


 「つまり、このままではやがて鬼姫と呼ばれる存在へ変貌していくしかないのでしょうね」


 「あの邪鬼はむしろ犠牲者だったというわけだな?」


 「橘姫の身体を乗っとった荒ぶる山神は、邪鬼の中でこの世に留まる橘姫の魂を消し去るため、貴方をこの時代に送り込んだのでしょう」


 「そうであろうな」


 「気づいておりましたか。貴方がこの時代で邪鬼を滅ぼしてくれれば、その身は完全になり、鬼姫はさらに強大になる。おそらくあそこで貴方に斬られても死なずに復活できると目論んでいたのでしょう」

 

 「なぜ、最初から話をしてくれなかった。むしろ俺を邪鬼退治に駆り立てるような言動をしていたような気もするが?」


 「これは小春姫と私との契約、神の試練なのです。自分で真実を見抜ける者が現れるかどうか。貴方が真実に辿り着くまでは本当の事を話すことは禁忌だったのです」


 「神のしきたりというものか。神の考えることはいつも面倒くさいものだな」

 「こればかりはすまぬとしか言えません。それで、貴方は真実を知ってこれからどうするおつもりですか?」


 「俺の心は決まっている。橘姫の中にいる荒ぶる神を斬り、天に帰した後で邪鬼を浄化する、この順番を間違えてはならぬ」


 図らずも元の世界では鬼姫を斬ったが邪鬼は斬っていない。偶然とは言え順番は違えていないのである。


 「できるのですか? 神殺しは大罪、その心は殺さず鎮めねばならぬのです」


 「やらねばならぬのであろう?」

 「ええ、私も貴方はそれができる方だと思っております」


 「ならば時間はないようだ。桜姫、そなたはあの神を鎮めるための準備をしておいてくれ。既にわかっているのであろう?」


 そう言って意を決し、坂を降り始めた勢三郎の目に下から登って来る集団が映った。


 「あれは村の衆か、さては橘姫に扇動されたのだな」

 里の者どもが槍や火縄を手に、邪鬼を滅ぼすために城跡に大挙して押しかけてきた。


 その目は怒りと恐れに満ち、狂気じみた表情である。

 やめろと説得しても無駄であろう。


 村人が邪鬼を殺す前に、橘姫に宿る荒神を浄化できるであろうか。事は急を要する。


 勢三郎は刀の鞘を掴み、村人に見つからぬよう大手道を避け、帯曲輪に向かって雪の絶壁を滑り降りた。

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