第5話 英国魔没ー抗/抗
くそっ!
口に出す余裕はない。
口に出しても周りの人々は助からない。
ただ自分が秘める悔しさを薄めるだけだ。
道々に広がる死体を生んだ男の下へ行くために走る。
声は出さない。その分前に進む。
助ける術を持たない俺は元凶と戦うしかない。
強大な魔獣、ドラウグルに近づくにつれその巨躯があらわになった。
下半身は河川につかり、上半身が市街地へと乗り出していた。
さっきの轟音から時間はそう経っていない。
おそらく、壮大な建造物だったのだろう。名のある建造物タワーブリッジ。
その橋はただの橋となり、美しさを失っていた。
「なぜ君がここに?……と問うのは無粋でしたね」
「ジャクソン・J・ジャンク!! 俺様はてめぇを必ず許さない!!」
それは反射だった。
声が頭上から降ってきたとき、視認とともに声があふれ、体が動いた。
「そうですか、道理ですね。ーー切り裂け、ジャック!」
あの時と同じ背格好のジャクソン・J・ジャンクは橋の支柱から飛び降り、正面から迎え撃ってきた。
杖先を銃口のように焦点を俺に合わせ、術式の展開と発動がほぼ同時に起こる。
地面を蹴り、やつの真下に潜り込む。
直後、背中を悪寒がなぞった。
身をかがめ、更に加速する。背中に確かな風圧を受けつつ、砕け散った地面の破片を背後に置き去りにする。
「刻めーー虚式・空花匙色!」
ジャクソン・J・ジャンクの純白の術式の色と違い、黒に近い赤に紫の線が迸ったように刻まれた混色だ。
魔力で強化した木刀で周囲から突き刺すように放たれた攻撃を弾き飛ばす。
「ふむ、目がいいですね」
「余裕ぶってるんじゃねぇ!」
攻撃をはじいている間に俺の背後に着地したジャクソンに振り向きつつ斬りかかる。
ジャクソンは左手で帽子を押さえ、杖先の焦点を俺に向けたまま、その一閃を後ろに飛ぶことで躱し
「切り裂け、ジャック!」
俺の周囲に術式を展開、発動する。
足に力を込め、地面を蹴り飛ばす。
宙に飛び上がった俺の眼下で術式が炸裂する。俺がいた場所を不可視の攻撃が貫いている。
しかし、安心には程遠い。
「切り裂き殺せ、ジャック」
口元に笑みを浮かべたジャックの杖先には一段大きな術式が展開されていた。
「チッ!」
舌打ちと同時に、刻んだ術式に魔力を通す。
詠唱はすでに唱え終え、待機していた術式が待ちかねたように光を帯びる。
「はぁッ!!」
衝撃と木刀が交差した。
振り下ろした木刀は、今までよりも大きく強烈だったであろう不可視の攻撃を抵抗なく斬った。
そこに在った魔術は跡形もなく斬り裂かれたのだ。
実験として悪くない結果だ。
「てめぇの死を以って実験成功とするッ!!」
さらに体に魔力を流す。初めて通した時とは桁外れの魔力量だが、まだ尽きる気配はない。
木刀にも魔力を流すことで強度を上げる。
「末恐ろしいが未熟!」
刹那、背後から爆風を受ける。
「術式の展開と発動が同時で反応できなかったッ!?」
身体のバランスが崩れ、地面に撃ち落される。土の硬い感触が顔と体を打つが痛みはない。
「切り裂け、ジャック!!」
背後に、体を囲むほどの量の術式の展開を感じる。
振り向き、木刀で切り裂く時間はない。
思考時間に猶予はない。とっさに、今まで以上の魔力を胴と頭、首に集中させる。
「ッ、ぐあぁあッ!!」
とっさに致命傷となる部位にだけ魔力を集中させたことは間違いではなかった。
だがそれでも
「満身創痍ですね」
四肢の骨は砕かれ、筋肉は断たれている。
臓器には衝撃で済んだが、衝撃による圧迫によって血と胃液が口から吐き出された。
感じたことのない激痛だ。
……やつの言うとおり満身創痍だ。
だが、怒りと悔しさが心と頭を埋め尽くしたままだ。
「……まだだ、まだ逃がさねぇッ!」
残った筋肉に魔力を流し、無理やり体を持ち上げる。
「まだ……戦う身体も、倒すのに十分な魔力も残ってるッ!!」
諦める要素は何一つない。
『お前の本質は刻むことだ。忘れるな、刻み、刻み、可能性を超えろ』
それの言葉を思い出した。
いや自分の中から聞こえた気がした。
『刻印、罪の証よ。お前はお前であってはならないーー虚式・刻座無銘』
それは自分の声だ。聞き覚えがない自分の声だ。
「……あなたの意思を超え、進む!」
眼前と背後に俺の身体の大きさを超える術式が展開される。
まず間違いなく、俺を殺すのに十分な殺傷力がある魔術あろう。
俺の虚式とは雲泥の差がある極まった魔術だ。
不可視、貫通力、発動速度、すべてが一流だろう。先生の下で魔術を習っていなければここまで対抗することもできなかった。
「切り裂き殺せ、ジャック!!」
死の気配が近づいてくる。
こいつはこんな惨劇を起こすために魔術を研磨したのだろうか。
ジャクソン・J・ジャンクは何のために魔術を鍛え、人を殺す悪道に落ちだのだろうか。
「許せねぇ」
魔力を足のみに集め、上半身が崩れ落ちるまま横っ飛びする。
「お前の目的はなんだ。なんでこんなことをする」
自分でもなぜこんなことを聞いているか分からない。
だが、答えを求め、血反吐を吐きながらジャクソン・J・ジャンクを睨みつける。
「……冥土の土産です」
ジャクソン・J・ジャンクは杖を下げ、帽子を外し、素顔があらわになる。
その顔には大きな欠損があった。鼻はなく、片眼もない。あるのは口だけで、生者の顔とは言えない酷いものだった。
「私はかつて時計塔に属する魔術師でした。その日々のほとんどは好奇心のままに追求することができる幸せな日々でした」
思い出しているのか、口元の表情だけで優しさを感じる。
「その過程で一人の、メディアという女性に出会いました。彼女が……愛おしかった」
そこからの彼の表情は憎しみに変わった。
「ともに歩くだけでこの心は満たされ、魔術に向けられた好奇心は彼女への愛情へと変わっていった。メディアははつらつに笑い声をあげ、いつも優しい目をしていた。そして……希少な術式も持ち合わせていた」
「彼女の術式は彼女の魔力以外では完全な効果を発揮しなかった。そこに目を付けた彼女の師は、彼女の魔力源である魔力炉を彼女から切り離そうとしたんです。……反抗した彼女は生きた屍にされました。私が居場所を突き止めたときには、何も映さないように目を抉られ、助けを呼ばれないように声帯を切られ、不必要と判断された四肢は切り落とされていました」
「幸い、私の魔術は奇襲に向いていたのでその師匠を追い詰めることはできましたよ。聞いたんです。あなたに人の心はないのか、と」
「なんだ? お前は魔力炉を奪いに来たんじゃないのか?」
「はは、あきれるでしょう? あいつの頭には恨まれるという可能性すらなかったんです。その後、師を殺そうとしたとき、さらなる絶望が襲いました。彼を審判官が守ったんです。魔術界を支配するともいえる席次持ちの魔術師が、それを認め、私を悪としたのです! そんなことあってはならない。正義の執行者である彼らが席次持ちの魔術師の一言で悪に加担する、そんな狂った世界に私は負けました」
これがそのときの傷です、と自虐で笑いながら男は話した。
その後、魔術界をつぶすことになるまでを。憎悪に満ちた声で。
「とまあ、私の志が正しいとは思わない。自分でもわかっていますよ。あの時ーー壊れたんだ」
目的のためにすべてを犠牲にすることを是とした在り方が間違いであることは分かっていても止まらない。
メディアを殺したやつらと一緒というのは簡単だが、そんなものは綺麗ごとだ。
それは所詮他人事としか考えられなお部外者の声でしかなく、こんな言葉で止まるほどの決意ならば人を殺すことなんてできない。
俺がもし、愛した人を失うことがあったらそれ以外をすべて犠牲にしても救う道を選ぶだろう。
「ジャクソン・J・ジャンクにとっての救いは、無い」
「ええ、私に救いは訪れない。それならもう何もいらないんです」
彼は救いじゃなくて破滅を求めている。
破滅を求める道の先に憎悪の捌け口を求めただけだ。
「さて、そろそろ死んでもらいます」
「だが死ねない」
彼は理不尽な悪ではなかった。
確固たる理由があり、それを生んだ悲劇がある。
だが、それは悪だ。
「俺は今決めた」
ここまで、好奇心の行き着く先として上の次元を目指し、すべてを知って死のうと考えていた。
ーーーーこころに火が灯った気分だ
「俺は悲劇を無くす。お前みたいな悲劇に壊される人はその可能性を奪ってやる。俺は最大の善行に達成感を覚えて、死ぬ」
偽善のそれを現実にする。
だれもかれも救うためには悪人はいらない。性善説を信じているわけではない。だが、初めて人を作った神が悪意というものを生みつけたならば、神を殺す。
よりよい未来のために、俺は進む。
「ふふ、はっはっはっ! それは…救いがある道ですね」
「だろ?」
こころが熱い。
痛みを忘れ、口が動く。
「『刻印、罪の証よ。お前を』」
今どんな表情しているだろうか?
敵を前にしていい顔ではない気がする。
「認めよう」
想いを紡ぐ。
こころから笑い声が聞こえた気がした。
『頼んだぞ』
「俺はすべて背負い、その先へーー刻座想望!!」
術式が身体に刻み込まれる。
痛みが全身を軋ませるが、心地いい。
この痛みが、誓いの証だ。
「俺はお前の命も背負って先に進む!!」
「踏み越えて見せよう! 来い! 青年!!」
第二ラウンドののろしが上がる。
そこに在るのは空虚な戦いではない。
大量殺人者と名も知らぬ青年の戦いは終わった。
ここからは
『過去にすべてを捨てた愚者』と『すべてを背負い救うと決めた愚者』の戦いだ。
楔の先はロンドンに You& @hinanoko
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