第12話 新たな人生③

「宗平さん」

 聡子に声を掛けられるまで、ひたすら川の流れを見ていた。

「ああ」

「茉優さんから話を聞いたわ」

「えっ?」

「不思議と怒りの感情はないの。芸能人の不倫報道で予習ができていたのかな。というか、他人事なのかもしれないわね」

「他人事?」

「そう、夫婦って何だろうね。恋人同士だったら浮気をされて怒るのは当然のことだろうけれど、私にはどうでもいいことのように思えてね。だって家族が守れればそれでいいのだから。きっと、私たちが男と女という関係ではなくなっているからかもね」

「ごめん」

 宗平は謝っていた。

「どうして謝るのよ。そうしてきたのは私も同罪というか、一緒でしょう。私が少し変なのよ。芸能人が不倫をして離婚するケースがあるでしょう。そういう時、結構周りのママ友たちはそれを理解できるというのよね。でも、私はそうじゃなかった。相手が本気の恋を他の誰かにしたとしても、それが何だろうって思ってしまうのよね。相手が本気の恋をしたとしても、それを裏切りとは思えなくて。それより遊びや性のはけ口で浮気を重ねる男性とは早くに縁を切るべきじゃない。でもそういう男性は地位もお金も持っていたりして、多くの女性はそういう相手との離婚は支持しないのよね」

 宗平はどう反応してよいのか困っていた。

「あら、ごめんなさいね。何だか話がズレたわね。ワハハハハ」

 聡子の大笑いに宗平も引きずられる。

「海斗ちゃんが自分の子どもではなくてショックだったわね」

「ああ、あっ、いやぁ・・・」

「いいのよ。正直になりなさい」

「ああ、男の子だったし、懐いてくれていたし・・・」

「男の子か」

「あっ、いやぁ・・・」

「いいのよ。おじいちゃんは男の子ができないことを嘆いていたものね。あなたはそんなことは気にするなって言ってくれていたけれど、本心ではなかったでしょう」

 しばらくは二人とも黙っていた。

「喉が渇いたわね。自販機でジュースを買って車で飲みましょう」

 聡子の提案に宗平は素直に従った。

 二人はスポーツドリンクを手に宗平の車に乗り込む。

「あれ?車は?」

「おばあちゃんにここまで送ってもらったのよ。帰りはこの車に乗せてもらおうと思ってね。あっ、言っておくけれど、おばあちゃんも七海も何も知らないからね」

 ホッとしている自分に呆れる宗助だった。

「自分の人生、どこで間違えたのだろうって、思っているでしょう」

 何もかもお見通しの聡子に恐怖さえ覚えた。

「でも、あなたは何も失ってはいないのよ」

 聡子の言葉は全て正解だと思えた。

「こんな状況だから生き方や働き方を変えざるを得なかったけれど、遅かれ早かれ変えるべき時はきたはずだもの」

「変えるべき・・・」

「そう、何となく日常は流れていて、時間はあっという間に過ぎ去ってしまうけれど、人間は川の流れとちがうのだから、時々は立ち止まって考える時が必要なのよ。でないと本当の自分を見失ってしまうじゃない」

「自分を見失う・・・」

 宗平は聡子の言葉を反芻するばかりだった。

「いのちの相談員だというのに、あなたとの会話を怠ってしまって私も反省しているのよ」

「いのちの相談員?」

 聡子の話はいつも脈絡もなく唐突に進行していく。聡子としては意図があるのかもしれないが、理解が追い付かない宗平にはそれが会話をしなくなった一因であると思っていた。

「あら、言っていなかったわね。まあ、いのちの相談員であることは家族以外には言わないルールがあるから。いやだ、宗平さんは家族なのにね。ごめんなさい」

「その相談員って何?」

「ああ、そうよね。自殺予防を目的としていて、電話で相談にのるボランティアなの。私も去年研修を終えたばかりのまだまだ半人前の相談員だけれどね」

「研修?」

「そう、一年半研修があったのよ」

「そうだったのか。知らなかった」

「人のためになることがしたくなったのよ。私でも何か役に立てるかなって。微力だし大した役には立てないけれど、何もしないよりはましかなってね」

「誰かのために・・・かあ」

「それって自己満足でもあるのだけれど、私が私でいられることには繋がっているかな」

 助手席に座る聡子から後光がさしているように感じられる宗平だった。何だか手の届かないところで生きている。いつの間にか自分とは違う世界の住人になってしまった聡子を自分の妻としてどう扱って良いのかわからなくなってくる。

「あなたがどうしても家族ではいられないというのなら別だけれど、私たちは家族なのだからこれからも支えあっていけばいいのよ。だから、しばらくゆっくり休んでのんびりしたらいいわ。そうすれば、やりたいことや目標が出てくると思うから。あっ、でも、のんびりしろとは言ったけれど、家の手伝いはしてもらうからね」

「ああ、そうするよ」

 宗平の頭にはまだ靄がかかっていた。だが、その靄は決して不愉快なものではなかった。雨上がりの虹がかかる寸前で、遠くにはかすかにだが光が見えていた。

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二つの家族 たかしま りえ @reafmoon

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