新米農家の憂鬱
@GABAGABAAMINOSAN
新米農家の憂鬱
何かを好きになるというのは、どういう仕組みで起こる事なんだろうか。よく目にしてきたものは親近感が湧くし、魅力的な人や物は皆が好むものだ。じゃあ、魅力的に欠ける人が人々に好かれるのはどうすれば良いんだろうか。人間には生まれつき、人々にちやほやされたいという欲求があると思う。殆どの人は魅力的になれるものならなりたいと思ってるだろうし、周りを見渡すと、そのためにしのぎを削っているように見える。でも僕は、人に好かれる事なんて下らない、という生き方があっても良いじゃないかと思う。そもそも、人に好かれようとする事なんて本能に従っているだけにすぎないのだ。どうして21世紀に生きていて、本能なんかに従わなきゃいけないんだ。どうして他人の目を気にしなければいけないのだ。僕は僕で良いじゃないか。でも、こう言うことを人に言うと、きっと持たざる者の僻みに聞こえるだろう。だから僕は、僕のやり方で持つ者になろうとした。これはそういう話だ。
僕は女性が何を考えているのか分からない。彼女らは46本の染色体中、45本までは僕たち男と同じはずなのに、どうしてああも行動原理が違うのだろう。もちろん他の種類を見れば、雌雄で差が大きい生き物なんてざらにいる。チョウチンアンコウのオスは巨大なメスにくっ付いて配偶子を供給するだけの”器官”になるらしい。蝶には、同種の雄雌のペアよりも、別種の同性のペアの方がずっと似ている種類がいる。どれもこれも、その方が効率が良かったからそう進化してきたんだろう。それなら、人間の男女差というものも、進化で説明できるはずだ。なら、仕方ない。アプローチは二つある。女性に考えを話して貰って理解するか、徹底的に習性を調べるかだ。僕のアプローチは後者だった。
養老孟司は、「人間なんて所詮生ものなんだから、インプットに対して型通りのアウトプットを期待してはいけない」みたいな事を書いていた。彼曰く、人間関係とは農業なのだ。友人づきあいも、恋愛も、子育ても、丁寧に育てようが嵐で台無しになるかもしれないし、放っておいても豊作になるときもある。収穫量は試算できない。自然の物はどうしようもないとあきらめるしかない。でも、肥料を撒いて収穫量を増やそうと努力することはできる。大事なのは、相手の状態を見極めて、適切な肥料を使うことだ。そういう訳で、僕の恋愛は自分に対する好感度の見分け方を知る事から始まった。
恋愛はほぼすべての人間が悩むことだ。だから指南書は山ほどあるし、情報は腐るほど転がっている。どう見ても眉唾なものから、高度すぎて真似できないものもある。情報同士で矛盾していることもある。じゃあどうすればいいか。できるものを片っ端から実験をするしかない。僕は徹底的にシステマチックに恋愛をすることにした。実験結果を数値化するのが難しい以上、情や倫理観は、データを汚してしまう。心のない事をして、相手から恨まれたとしても、そこで得られた経験を次に活かせばいい。手始めに僕は身の回りの女子から、ライバルが居なさそうな人たちを探してきて、実験農場(パイロットファーム)を選んだ。誰も農業が出来ないような荒れ地で色々な農法を試みるのだ。
僕は、本気で恋愛が分からなかったので、最初は共同体から追い出される位の覚悟でやったが、案外排除されることは無かったし、むしろ実験農場の好感度が上がったように感じた。誰にも見えない所で、聞きかじった恋愛工学を使おうとする男は世の中に腐る程いるらしい。僕は案外珍しい存在じゃなかったのだ。手始めとして相手が好きであるという仕草をしてみた。人間が本能で生きているなら、仕草は重要な指標になるはずだ。複数のサイトで言われていたのは足の向きがこちらを向く事、距離感が近くなる事、声のトーンが高くなったり低くなったりする事だ。僕がこれを相手の好感度に依らず、意図的に行うと、相手は恥ずかしそうにして、たまに同じような仕草を僕に向けてきた。念のため、統計的に確かになるまで、待ったが、結果は当初の印象と変わらなかった。通常ならこれで成功だろう。だが、僕には相手の仕草が本当に好感度の高まりを意味しているのかが分からなかった。足の向きなど幾らでも意識的に変えられる、擬陽性なのかもしれない。
だからとりあえず、実験はストップした。第一に、これは実験であって恋愛に発展するのは不味い。次に、この仕草は一般的なアプローチ過ぎる気がした。複数のサイトに乗っている好感度の見分け方なら、相手も把握していてもおかしくないと気付いた。だから僕が相手にそのアプローチをしたとき、相手は僕の好感を読み取り、それに対して返した可能性がある。この可能性を棄却するためには、よっぽどマイナーなアプローチをしなければならないだろう。あるいは、単純に仲間意識を高めるためにミラーリングを行ったという可能性もある。相手がよほどの食み出しもので無ければ、組織の中で人に好かれるというのは概ねポジティブな結果をもたらすことが多いだろう。だから、僕が相手と仲良くなるような仕草をして、それを相手が真似てきたからといって、好感度の測定に使えるわけではない。何にせよ可能性が多すぎる。これは経験の少ない僕には判断できない。対照群(コントロール)が必要だ。とりあえず、結果の妥当性を高めるために似たような方法で複数の実験農場で実験をしなければならなかった。
農場を経営しだしてから半年が経ち、ある程度の情報が揃ってきた。複数のサイトで書かれている方法は、やはり信頼できる事が多い。この頃には僕は相手を観察するだけで色々な情報が得られるようになっていた(気がしていた)。誰とも恋愛に発展しそうには無かったが、僕の試みは幾つかの良い結果をもたらした。第一に、相手があからさまに嫌がっている事をすぐにやめる事が出来るようになった(このことを友人に話したら多くの人は小学生位で身に着けるテクニックだと言われた)。そして逆に、相手が喜ぶことが何だか知識だけでなく分かるようになってきた。そして分かったのは、相手を観察するという点数項目で、自分が平均値を超えたのではなく、元々低かった点数がマシになったという現状だった。人間関係の構築に積極的になったためか、以前よりも人と話すのが怖くなくなった。
僕はいよいよ、コントロールを設けることにした。つまり、仕草や話す内容から好感度を測定する際に、一人称視点でなく、相手の関係が分かっている三人称視点で見るのだ。誰かと誰かが話している所を観察し、その二人の好感度を予め把握しておくことで、好感度に応じてどのような仕草が飛び出すのかを観察するのである。いがみ合っている二人はネガティブコントロール、惹かれ合っている二人ならポジティブコントロールだ。以前の僕には出来なかった事がある。それは誰が誰を好きかという人間関係を聞き出すことだ。僕は知り合いを積極的に飲みに誘い、恋愛話を聞き出そうとした。この時、普段の好感度観察は話を引き出すのに実に効果的だった。誰が好きだとか誰と誰は付き合っているというような話は隠したがる人もいるが、僕が確信を持っているかのようなトーンで話すと、相手は簡単に喋りだす事があった。僕が、自分が好きな架空の女子について話すと、相手も罪悪感か知っている情報を話してくれることが多かった。こうしてサークル内で二つのカップルがある事を知った。次に始めたのは恋バナの商売だ。恋バナというのは情報商材として価値が高い。自分の知っている情報を「ここだけの秘密」と称して切り売りした。こうしてさらに三つのカップル、四つの片思いを引き出した。サークル内のいがみ合いは、聞き出すまでもなく流れてきた。
サークル内の人間関係を大体把握した僕は、答えを見ながら人間を観察することで、好感度測定の精度をさらに高めることに成功した。最早、人間関係をコントロールする事も可能に思えた。一般的に、恋愛についての打ち明け話をしあった時点で、割と仲が良い状態と言えるらしい。僕は気に食わない相手の立場を悪くしたり、間接的にメンバー同士の好感度をコントロールしてみたりし始めた。人々が自分を見る目が変わるのを感じた。メンバーの大半と仲が良く、時々怖い面も見せるからだろうか、女子からの好感度も上がったような気がする。そして、次第に僕に対して文句をいう人たちが出てきた。最初はその人たちの陰口をいう事で仲間を作ったが、元々やっていることが下劣極まりないので、限界があった。誰か農場の一人でも口説いてサークルを抜けようかなとさえ思ったが、ここまで構築した人間関係を捨てるのは勿体ない気がした。僕がこの悪魔の所業をやめるには、彼女を作るしかない。彼女が出来たら、皆に全て打ち明けて、笑って許してもらうか、殴って許してもらおう。観察者でいるためにフラットな関係を目指してはいるが、好感度測定の精度さえ高められれば、そこまで地位にこだわりはない。ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろうか。
僕は邪悪な事がしたくてこんな事を始めたのではない筈なのだが、僕の心は次第に黒く染まっていて、もう取り返しのつかない所まで来ていた。元々、自分はそれなりの常識と倫理観を身に着けた人間だと自負していたが、それはコミュニケーション能力を補うための付け焼刃だったのかもしれない。今となっては、少しずつ積み上げてきた常識と倫理観が煩わしくてしょうがなかった。
A君はBさんの事が好きだ。僕はA君の親友になっていたので、Bさんに対する好意は1年前から知っていた。で、A君は最近自信を付けてBさんにアプローチをしていたらしい。上野の美術館に二人で行ったことも二人で飲んだ時に聞いていた。僕は、これを人間心理の測定法の研究に利用しようと思った。たまたまBさんと二人きりになる事があった。とりとめもない世間話をした後、僕は仕掛けた。実験農場の一人に、実験のため色々なアプローチを試して、その後手放したのだが、それを涙あり、笑いありの失恋の話に仕立て上げた。Bさんにその話をして、Bさんからも恋バナを聞き出そうとした。正直、何を喋るかはどうでもよかった。僕は眼の向いている方向で相手が嘘かどうか判断するという方法を試したかっただけなのだ。相手が嘘を言おうが、本当の事を言おうが、その内容は既にこちらが把握しているのでどうでもよかった。肝心なのは、Bさんがどのような顔つきになるかだ。ただ、あまりにも僕が真剣な顔をしていたからだろう。Bさんは、誰にも打ち明けてないという彼女の心の病についての話を語ってくれた。これは、僕の恋愛対象から外れようという気持ちと、僕の打ち明け話に応えようという心理から来たものなのかもしれない。どう考えても彼女にとって不利な情報開示なので、顔を見るまでもなく嘘ではないなと思った。僕はなんだかどっと疲れたが、方針を変えて彼女の生い立ちについて聞くことにした。色々な人の人生を知るのも、人間を知るのには有効だろう。
それからさらに時が経ち、研究を始めて二年が経った。僕はサークル内でそれなりの立場になったので、女子から好感度の高さを示す仕草をされることもあった。だが、虚飾にまみれた僕に彼女たちは信じられなかった。この頃僕は人を疑うあまり、完全な無意識で出てくる反応以外は信頼していなかった。具体的には顔が赤くなる事、声のトーンが変わる事などだ。足の向きを変えたり、距離を制御したりというのは、殆どの人間が涼しい顔をして偽れることだ。それは自分がやっているからよく分かる。例え意識せずにやってる人が大半だとしても、僕には信じられなかった。それに、女子からのアプローチに動じないのは、女子慣れしていると映るのか、相手の好感度をかえって上げる事になった。
僕は農業をそれなりに頑張ってきた、そろそろ収穫しても良い頃かもしれない。懸念は、防御力ばかり上がって、攻撃力が無い事だ。僕はデートすらしたことが無いのだ。一般的に、恋愛に必要とされるような能力、段取り力やお洒落等は全く成長してなかった。ポテンシャルは高くても、その使い方は下手糞なので、ダメかもしれない。それでも、農業の集大成として試してみる価値はあると思った。僕はダメージのなるべく少ないデートをしようとした。まず、自分は好きでないが、向こうはデートを断らなさそうな相手を選んだ。何度も飲んでいる相手だし、口は固い。僕が喋らなければ(僕はこの頃益々噂話好きになっていて、隠し事ができなくなってきていた)、僕が失態をしたとしても表には出ないだろう。失敗したときのダメージを減らすために、想定外をなくそうとした。デートは綿密に組まれた。基本的に、新宿のバーで二人で飲み、打ち明け話をしあう。定期的に好感度を測定し、レベルに応じてABC3つのプランに派生する。Aプランは別れ際に告白、Bプランは好意を伝えるも告白はしない、Cプランは当たり障りのない話をして解散する。バーは食べログ上位を選んだ。相手がトイレに行っている間に勘定を済ませるイメトレも済ませた。完璧な計画だ。一応成功率を高めておくために、顔色をよくするために前日は早く寝た。それでもその日はあまり眠れなかった。
当日、夜7時に集合する約束だったが、僕は少し遅刻してしまった。そして、集合する出口を間違えて伝えていて、僕の方が目的地に近い出口にいたので、向こうに歩いてきてもらった。そして彼女は僕を一目見るなり、普段では考えられないほどの好感度の低さを露呈した。僕の方から迎えに行くべきだったと思った。まあ仕方ない。いまさら気づいたが、バーは駅からホテル街の方面にあったので少し気まずかった。まず適当に食べようと言ったが、断られたのでいきなりバーに行くことになった。最早プランは滅茶苦茶だ。
バーに入ったら、ガラガラだった。これも想定外。本当は距離を近づけるためにカウンターに行くべきなのだろうが、僕は相手の顔が見れないと何も喋れないのでテーブル席に行った。この慣れてなさも彼女の癇に障ったようだ。しばらく喋っても彼女の好感度は直らなかったし、話も盛り上がらなかったので、Cプランに決めた。彼女は気を利かせたのか、「そういう気分」にするためか、過去の恋愛経験や猥談を始めたが、僕には対応できなかった。猥談は守備範囲外だ。それにCプランに決めたから今更変えられない。それにしても、普段飲む場所と文脈、雰囲気が違う。普段より飲んでいないのに物凄く酔っていて、もう帰りたくて仕方がなかった。僕はここまで弱体化するもんなのか。これもまた発見だった。どうも、あたふたする僕を見られて、呆れられたようだった。農場に麦は実っていた気がしていたが、鎌を持っていなかった。普通は収穫も勉強するものだろう。何たる失策である事か!
結局、彼女が手を洗っている間に勘定を済ませて、もう帰ることにした。そして、プランの欠陥に気付く。Aプランはバーからの帰り道を想定していたが、B, Cは適当だ。帰り道に何を喋ればいいか考えていない。手持無沙汰になった僕は、駅の近くの雰囲気も減ったくれもいない辺りで、脈絡なく彼女に告白した。正気じゃなかった。彼女は最初ブちぎれながら告白を断った。その後、逆に慰めてくれた。
しかし、思ったよりも僕の心は清々しかった。彼女は溢れんばかりの好感度の低さを示している。ここで告白すれば100%断られると思っていた。つまり、ここにきて僕の研究は完成したのだ!その日は帰っても、興奮で殆ど寝れなかった。彼女は、その日の事は誰にも言わないと約束してくれたが、1ヶ月後に結局自分から周りに喋ってしまった。最早何も怖くなかったので、直接彼女にフィードバックをしてもらった。会話は最悪、そして何よりも、服装が普段と同じだったのがダメだったらしい。唯一、バーのセンスは良かったと言われた。なるほど、普通の人は無意識の好感度の表れではなく、意識的な努力を評価するものなのだな。デートの日の彼女の服装はあまり覚えていないが、普段より化粧はちゃんとしていたなあ。その観点が無かった、言及するべきだったかもしれない。僕はまた一つ学びを得て、次の研究計画を考え始めた。
新米農家の憂鬱 @GABAGABAAMINOSAN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。新米農家の憂鬱の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます