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 戦争が終わってすぐ、恭一は郷里での暮らしを諦めてしまった。終戦の前に祖父母は死に、そして終戦後に父親を殺した。生家は恭一の思い描いていた、安心できる場所ではなくなっていた。親子二代で士官学校入学者を出した護国の家は、たった五年で戦争犯罪人の家に様変わりしてしまった。恭一にとって、村八分に等しい扱いの村で荒れ果てた畑を開墾することは到底不可能なことだった。小銃を農具に持ち替えて生きていくことを諦めた彼は、帰郷してわずか二週間後には東京の街をあてどなく放浪していた。友人や同期の家を転々とする暮らしを一か月もやった頃、彼は少将に出会った。


 少将は戦争中に、恭一の大隊の指揮権を持っていた大佐で、終戦のどさくさに紛れて免官手当のために進級していた。目ざといと評判の男で、インフレーションで免官手当が当てにならないことに気づいた途端、生家の財産を物々交換に充ててその元手で闇市を取り仕切った。表向き商社に看板替えした後も闇市との関わりを絶たずに大佐時代のコネもフル活用して、終戦後三年もしない内に生活には困らない程度の稼ぎを得ていた。少将は恭一が無気力なまま士官学校出の頭脳を遊ばせているのを見て、事務方として働いてみないかと言った。他にやりたいことが見つかるにせよ、先立つものが必要であろうとも言った。恭一に断る理由はなかった。翌日から、彼は擦り切れた軍用の外套を着て、割れた窓の並んだ事務所で、帳簿と睨めっこをするようになった。そのうちに仕事にも慣れて、ようやく一つ仕事を任されるところまで来ていた。彼の人生はおおむね順調なレールに乗ろうとしていた。ある一点までは。


 恭一は座面と背もたれが直角に立っている木の硬い椅子から体を離した。背中の筋が固まってしまっていた。列車はもう直に青森の停車場に着こうかという頃で、夜行の他の客も荷物をまとめて立ち上がり始めていた。白み始めた空に満ちる、喉を刺して貫くような初冬の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、白い帽子を被った八甲田山を見つめた。これから青函の列車航送船が出るまでにはまだ数時間あった。大戦中の機雷が海峡に流れこむので、夜が明けてからでないと船は出せない決まりだった。恭一はホームを歩いている駅弁売りから煙草を一本譲ってもらった。火をつけようとして擦ったマッチが音もなく折れた。恭一は半分の長さになったマッチを投げ捨てて、二本目を引っ張り出した。吐き出した紫煙が、冷え切った空気にわずかな痕を残して溶けていった。


 列車を乗り継ぐごとに、長い急行列車が短い客車になって、最後には一両きりのディーゼルカーになった。丸一日列車に乗り続けていた恭一は、地面に降りた後もしばらく、体が歩き方を忘れてしまったようだった。木の板を敷き詰めただけのホームは、恭一の一人分の体重だけでミシミシと音を立てた。青森の停車場よりもさらに凍り付いた空気が喉を直撃して、恭一の疲れた体に追い打ちをかけた。彼はまず泊まるところを探すべく、街へ入ることにした。町で一番顔の広い人間を探して、恭一は新雪に踏み込んだ。


 恭一は人づてに歩いて、村のはずれにある庄屋風の家にたどり着いた。家には町長の老夫婦が住んでいて、戸口に立った恭一を見るとすぐに招き入れた。夫婦は囲炉裏にかけてあった鍋を下ろして、ちょうど三等分した。冷え切った体に、温かい出汁の香りが沁みた。

「若いのは、またどうしてこんなところまで来たんだ」

恭一はこの老人に全てを話そうとは思わなかった。彼は曖昧に誤魔化そうとして言った。

「仕事先からここに行けと言われまして」

「仕事の都合なのに、誰を頼ったらいいか教えてもらわなかったのかい」

老婆はそう言って、煮込んだ大根を齧った。大根をすっかり食べ終わってから、老婆は恭一の方を向いて言った。

「こんな狭いところでは、噂は人が歩くより早く伝わるからね」

老婆は出汁を啜ってにやりと笑った。

「駅に見たこともない若いのがいる、たった今汽車から降りてきたんだって、町中で噂の種さ」

 恭一もまた田舎の生まれだったから、噂の伝わる速さが尋常でないことくらいは分かっていた。特に驚くでもなく彼は言った。

「当分の間ここに住むつもりです。家や仕事はありますでしょうか」

「やっぱり、仕事も要るんだね」

この婆さんは見た目の数倍鋭いな、と恭一は思った。町長は別に何か言うわけでもなく、

「郵便局に欠員があるから、そこで働けばよい。空き家はないが、この隣に居候できるよう話をつけてやろう。どうだ」

といった。食べ終わったらしい老婆が話をしてくると言って席を立った。

恭一は自分が異議を唱えられる立場でないことは分かっていたから、素直に礼を言って老夫婦の家を出た。この姿を見られて元軍人と知られたら、逃げてきた戦争犯罪人だと思われて居候先の家族に迷惑がかかるかと考えた。恭一は軍用外套を脱いだが、あまりの寒さに耐えきれずにすぐ着直した。


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極北 群衆の中の猫 @GSXR125

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