ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンVS実はおっぱい大きい女の子に地味色カーデと野暮ったいロンスカ履かせて眼鏡かけるガール

λμ

狙われた智奈

「んじゃ、また明日ねー」


 屋久やく智奈ちなは聖涼女子中等部の友だちにパタパタと手を振り、目に飛び込んできた赤信号に「んがっ」と眉をしかめた。


(――どうしよ)


 と、ちょっとブサイクな顔になってスマホを出した。その後の行動と必要な文面を考えるより早くスマホを出してしまうのが彼女の癖だ。


(……寄り道してく? ……どこに?)


 遊びたさが先行しているわりにどう遊ぶのかは友だち任せにするのも癖だった。頼みの綱の友だちはさっき別れたばかり。どこに寄り道したらいいかを聞けば明日の笑いに一役買えそうな気もするが、明日の笑顔は明日が決めるものだ。智奈はそう思う。

 というわけで、


『ちょっと寄り道してく』


 と、お母さんに連絡し、智奈はどこにどう寄り道してやろうか考えながら顔を上げた。信号は青。空も青。そして今まさに私が生きているのが青い春。


(スベったかな?)


 自分で自分の考えに無根拠かつ自信満々な笑みを浮かべ、智奈は街に繰り出した。

 なんにもなかった。

 物理的にでなく、智奈の期待していた青春を彩ってくれそうなアレコレがない。

 ひとりでお茶を飲んでても楽しくはないし、飲んでるところの写真を撮ってもロクなことは起こらない。実際、二回も同じ理由で怒られた。


「……つまらぬ」


 だから帰ろうか。そう方針を転換する彼女の胸の内に後悔はない。

 意気揚々ととはいかないが、そこらによくある青春と同じ匂いを我知らず感じながら智奈は一旦、駅前まで戻った。

 彼女の頭のなかは、紺の毛糸のダサめな手袋を引っ張ったという動作に依って、青春に生きる者の冬は青冬というのだろうかという頓痴気な疑問に向いていた。

 そのせいだろう。

 路端で立ち尽くす少女に気づくのが遅れた。

 一度、十メートルは通り過ぎ、それから、


「んあ?」


 赤信号に止められたときと同じように眉をしかめて振り向いた。

 智奈と同い年か、少し上くらいの女の子だった。ちょっと目つきは悪いけれどキレイ目な顔立ちをしていて、青地に白い水玉を散らしたワンピースを身にまとい、体に比べて大きくみえるベースギターをぶらさけていた。


(……すとりーと……ぱふぉーまー?)


 咄嗟にミュージシャンという単語が出てこなかった。

 と、と、と、と智奈はバックステップで少女の前に戻った。


「…………」


 これは面白いことの予感、と戻ってみたものの、演奏が始まる様子はない。というか、あらためてよく見てみると、すごく変な感じだった。

 まず、ギターケースがどこにもなかった。ベースギターを抜身でぶら下げて歩いてくるとか変人の極みである。普通はケースにいれてもってきて、足元に開いて置いて、演奏の対価に小銭をねだっているはずだ。

 まじまじと見てみると、他にいくつもおかしなところがあった。

 まず手袋とマフラー必須の寒さのなか水玉ワンピ一枚とは女子に殉じすぎてやいないか。次にベースギターだ。レッドホットなんとかの人も真顔になりそうな低さだ。少女の腕ではどんなに伸ばしても弾けないに違いない。なによりも――、


「……だ、大丈夫ですか……?」


 その少女は、お父さんの足の匂いを嗅いだ飼い猫のマチャのような顔をしていた。茶色い毛並みで元からブサ気味なのだが、こう、クワっとした顔をするのだった。

 少女はそんな顔だった。

 そして、智奈の問いかけに返答はなかった。


(……どうしよ。ケーサツ呼ぶべき?)


 智奈はスマホに目を向けた。先に写真とっとく? いやいやいや。友だちに教える? いやいやいやいや……。


「お、おつかれでーす……」


 けっきょく智奈は、首を突き出すようにして会釈し、何もせずに背を向けた。面白ネタには目がないが面倒には関わりたくない。無駄に警察を警戒しながら歩き出し、


「んがっ!?」


 変顔。三度。

 駅前のめぼしい場所に、水玉ワンピにベースギターをぶら下げた少女が幾人も。


「すとりーとぱふぉーまー……流行ってるの?」


 未だ、ミュージシャンという単語が出てこない。

 何か変なイベントに巻き込まれているのかと、智奈はおそるおそる歩いた。あっちにも水玉ワンピベース、こっちにも水玉ワンピベース。水玉ワンピの色やベースギターの色形が違うくらいで、少女たちは一様に呆然と立ち尽くしている。


(ヤバイ、コワイ……)


 気づけば子供の頃にした隠れんぼみたいにつま先立ちで、抜き足、差し足――


「――あれ?」


 ふいに気づいた。急に水玉ワンピにベースギターをあわせるブームでも来たのかと思いこもうとしていたが、それにしては足元への配慮が欠けている。

 あっちはローファー。こっちはスニーカー。


「……なんか、変」


 ぼそりと呟いた智奈の背後で、

 カッッッッ!!

 と、鋭いヒールの音がした。もちろん固まる智奈。背中に叩きつけられる嫌な予感。首の骨と筋肉を軋ませながら肩越しに振り向くと、


「……えっと……?」


 ついさっき電車から降りてきましたという感じの、スーツの女が立っていた。

 女は(それでなくてもぞっとするのに)ぞっとするほど妖しい笑みを浮かべた。


「ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンです」


 やべーやつがいた、と智奈は思った。


「……えっと……どちらさまでしょうか……」

「ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンです」


 絶対にやべーやつだと確信し、智奈は喉をコクンと鳴らした。怒らせたり興奮させたりしたら絶対にやばい。考えろ、考えろ、考えろ――

 スマホを握る手が震えた。ちらっと視線を落とした瞬間、智奈の小動物的な本能が逃げろと告げた。脊髄反射にも匹敵しそうな速度で飛び退ると、

 バフガッシャ!!

 と、赤地に白い水玉のワンピと黄色いベースギターが地面を叩いた。壊れたギターの部品らしき何かが智奈の足元に転がる。


「……え? え?」

「やるわね。まさかかわすなんて……」


 女――いや、ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンは、ニヤリと唇の端を吊り上げた。


「大丈夫、大丈夫……怖くないから……ちょっと水玉ワンピを着てベースもってもらうだけだから……」

「え、えっ? いや、怖っ!?」


 たとえ人ならずとも意味の分からなさには恐怖する。それは日頃から友だちに意味分からなさを突きつける智奈にしても同じだった。

 ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンが両手を大きく左右に開き、誘うように上下に振った。


「大丈夫。きっと――いえ、絶対に似合うから……っ!」

「やべー!?」


 智奈は全力で逃走した。あえてスマホを出して考えるまでもない。やべー女が水玉ワンピを着せてベースを持たせようとしている。それだけで十分だった。

 水玉ワンピもベースギターも単品だったらなんとなく青春を感じられそうだからアリの範疇だが、両方揃えるのはナイ。いや、よしんばアリにしても、赤地に白の水玉ワンピに黄色いベースはナシだ。ナシな気がする。


「待ちなさい! ちょっと目つきが悪くて可愛いあなたには水玉ワンピとベースが似合うのよ!」


 そう叫び、ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンが空高く跳躍した。


「ひ、ひえぇぇ!?」


 智奈はアスファルトに落ちた影で状況を把握し、正面にいたおじさんの背広を掴んで強引に体を入れ替えた。ローリング・ポジション・チェンジ――友だち相手に磨いた必笑の技だ。かけられた相手はいつだって意味もわからないままに笑ってくれる。

 おじさんもそうだった。困惑しながらなぜだかちょっと笑った瞬間、

 ドン!

 と、赤地に白の水玉ワンピを着込み、黄色いベースギターをぶら下げていた。往来の人々が悲鳴をあげ、ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンが苦悶の表情を浮かべた。おじさんに着せたのがダメージになっているらしかった。

 智奈は混乱に乗じて駆け出した。今はとにかく逃げるのみ。逃げ切って、


 ――絶対、明日みんなに話す!


 大ウケは確実だった。写真の一枚くらい証拠に欲しいが、これだけの騒ぎになれば周知の事実となるはず。アホの子の智奈であってもそれくらいは分かった。

 陸上部でもないのにクラスで一、二を争う俊足で通りを駆け抜け、角を曲がり、ちょうどドン・キホーテから出てきた客にぶつかって転んだ。


「ッてーな! どこ見てんだ!」


 生え際の黒い金髪――いわゆるプリン頭の、上下ピンクジャージにハローキ○ィ印のスリッポンを合わせている女だった。

 別の方向でやばいと悟った智奈は、


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 謝罪三唱しながら路地裏に駆け込んだ。

 冷たいコンクリートの壁に背中をつけて、すっかり上がった息を整える。やばかった。本当にやばかった。それに怖かった。恐ろしかった。ドンキから出てきた女と同じくらい、あの意味のわからない力が、その餌食になりかけたのが、何よりも、


「……私、ちょっと目つき悪いの!?」


 一大事であった。

 気づけば取り出していたスマホの真っ暗な液晶を、祈るような思いで覗き込む。ほんのり切れ長で、気持ち吊り目で、ちょい眉も上がり気味。


「……悪いと言えば……悪い?」


 誰に言うでもない問いかけ――いや、指は友だちに『私目つき悪い?』と聞いていた。ポコポコポコンと帰ってくる返信の束。

『そんなことないよ』が一

『ちょい悪いかも』が二

『悪い』が二

『ハイハイ可愛い可愛い』が一

 ちょい悪いかもはそんなことないに換算して可愛いが四。


「……だよね!」


 ほっ、と智奈は安堵の息をついた。静まり返った路地裏。右見て、左見て、ここどこらへんだろうと思いながら振り向いた。そのときだった。


「――見つけたぁ」


 ぞぞぞぞぞ、と背筋を冷たいものが流れた。

 見れば、ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンが両手を大きく開いて立っていた。


「あんなおっさんに水玉ワンピとベースを合わせさせられるなんてね……死ぬかと思った……でも、もう鬼ごっこはおしまい。着てもらう。持ってもらう」


 ニィと唇の両端がつり上がった。


「大丈夫。絶対に似合うからぁ……」

「――ひっ、ひぇ……!」


 靴の踵が引っかかり、智奈は尻もちをついた。猛然と駆け出すちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマン。飛んだ。智奈は顔を守るように両手をかかげ、目に涙をにじませた。

 この寒いなか腕をもろだしにした水玉ワンピに、弾けないベースギターだなんて!

 終わったと思った。だが、


「おおおおおおるぁぁぁぁっっ!」


 路地裏に鋭い咆哮が走り、ハートマークのついたピンクの半ヘルメットが、ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンの後頭部を強かに打った。

 苦悶の声をあげ、飛びかかった勢いそのままに路地奥へと転がっていく、ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマン。


「……ったく、大丈夫かぁ?」


 びくびくしながら腕を下げた智奈は、人生で初めてドンキ住まいのちょっと怖そうなお姉さんに感謝した。


「あ、あ、あ、あの……!」

「落ち着けって。そう慌てんな。もう大丈夫だからよ」


 いつもならダサいと思ったであろうピンクのジャージが聖衣に見えた。

 女は智奈の手を引いて起こすとポンとひとつ頭を撫で、


「……ふぅん? 実はおっぱい大きい?」

「――はっ!?」


 やべーことを言った。引いたばかりの汗が吹き出す。プリン頭の女は正義の騎士などではなく悪鬼の一人なのかと思った。

 逃げないと、でもどう逃げる?

 スマホは未だに智奈は目つき悪いか論争を繰り広げている。もうその話は終わったのに。

 女は舌なめずりし、智奈の両肩に手を置いた。ぎゅっと両目をつむる智奈。

 何か、何かに着替えさせられる!

 そう身を硬くしたのだが、女は意外にもそっと智奈を脇に除かした。


「――えっ?」

「ちょっと下がってな。まだ諦めてねーっぽいわ」

「諦めるはず、ないじゃない」


 ちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンがのろのろと立ち上がり、窮屈そうにジャケットのボタンを外し、脱ぎ捨てた。


「あなた、何者?」

「あたしかぁ? あたしは、実はおっぱい大きい女の子に地味色カーデと野暮ったいロンスカ履かせて眼鏡をかけさせるガールさ」


 あ、相当にやばい人だ、と智奈は思った。

 実はおっぱい大きい女の子に地味色カーデと野暮ったいロンスカ履かせて眼鏡をかけさせるガールはコキコキと肩の関節を鳴らした。


「この子はあたしがもらうよ。絶対、似合う」

「冗談でしょ? その子に似合うのは水玉ワンピとベースギターよ」


 いや、どっちも嫌だよと思いつつ智奈は聞き捨てならない一語について確認した。


「あ、あの……助けてくれるなら嬉しいんですけど……」

「――あぁ?」

「ガールは厳しくありませんか?」


 実はおっぱい大きい女の子に地味色カーデと野暮ったいロンスカ履かせて眼鏡をかけさせるガールは眉間に深い皺を刻み、固まった。

 その隙をちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンが逃すはずもない。目にも留まらぬ速さで接近する。

 遅れる反応、だがパワーでは――いや。


 智奈の目はスマホに向いていた。

 どっちが勝っても地獄じゃん。ちょっと目つき悪い認定された水玉ワンピのベース女子か、実はおっぱい大きいと自己主張する地味色カーデに野暮ったいロンスカ、それに必要ない眼鏡。どちらかといえばアイテムが多い後者のほうが嫌か。いや、弾けないベースも相当だ。それに寒がりの智奈にとって手袋なしは耐えられそうにない。


 どうすれば、どうすれば、どうすれば――。

 智奈の目つきが悪いか論争に高速で既読をつけていく指先が、はたと止まった。

 もしか、したら――

 二人がぶつかる寸前、智奈は叫んだ。


「ウーマンはおっぱい大きいしガールは目つき悪いと思います!」


 刹那。

 ドン! と地味色カーデに野暮ったいロンスカを合わせて眼鏡をかけたちょっと目つきが悪い可愛い女の子に水玉ワンピを着せてベース持たせるウーマンと、ピンク地に黒の水玉ワンピに真紅のベースギターをぶらさげた実はおっぱい大きい女の子に地味色カーデと野暮ったいロンスカ履かせて眼鏡をかけさせるガールが完成した。

 両者とも、呆然としていた。


「……あざーっしたー」


 カシー、と写真を一枚撮って、智奈は深々と頭を下げた。ぷいと背を向けほくほく笑顔でスマホに指を滑らす。


『私、実はおっぱい大きくて可愛いらしい!』


 智奈が寄り道で得た知見は、友だち全員に沈黙を強いた。

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