WST
Mondyon Nohant 紋屋ノアン
製品開発部はスタッフ数わずか三十名の小さな部署だが、
今日、製品開発部の研究センターでは新製品の性能評価試験が行われていた。
ミッションコントロールセンターに設置されているような壁一面のディスプレイに映し出されていたのは、手をつないで神社の長い石段を下りるカップルの姿だった。
「
カップルが石段を降りきると、「製品コード1192に関するデータ収集が完了しました」というアナウンスが流れた。ウォーキングスーツに仕込んだ無数のセンサーからのデータを研究センターのAIはあっという間に処理する。データ収集が完了したということは、性能評価試験の結果が出たということだ。
「父さんも母さんもお疲れさま。すぐに
「帰社? 嫌よ。せっかくのデートだもの。あと十二、三キロは歩きたいわ。この新製品は最高の出来よ。歩くのが楽しくて
「その通りだ。今日は社には戻らないぞ。二人で町じゅう、歩き回ってやる」
妻の
「ご勝手にどうぞ。あんまり
我社のウォーキングスーツを着ている限り怪我なんか絶対にしないとは思ったが、繁は一応、両親に忠告した。
「試験結果の
研究スタッフの一人が笑顔で言った。
「必要ないでしょう。僕はもう決めました」
WST
長田繁は
繁が考案したウォーキングスーツは人の筋肉運動を強化拡張する機械装置、いわゆる
リハビリは
繁のウォーキングスーツはリハビリテーションルームを笑顔の空間にした。そして、その笑顔はあっという間にリハビリ施設の外へと
繁のウォーキングスーツは安全な歩きも
街は歩く人であふれている。十キロや二十キロの
二人のハリウッドスターをプレゼンターとして起用したこともあって、製品コード1192の新作発表会場は百人を超える取材陣で溢れていた。
「お前のおかげだ」
新作発表会場の楽屋で、ディスプレイに映る会場の様子を見ながら
五十年前の震災で範途の父親は、百人もの
「そうやね。みんな繁のおかげやわ」
繁はそう言う真理恵を見て首を横に振った。
「母さんのおかげだよ」
十二年前、母親の真理恵が事故で
神経の
「あなたとデートする夢を見たわ。あなたがつくった靴を履いて、二人で街を歩いたの。いつかまた、あなたと二人で歩きたい」
真理恵は範途にすがって泣いていた。
その様子を病室の外からうかがっていた繁は決心した。
「僕が母さんの夢を
繁はリハビリテーションの専門医になるために、この市にある国立大学の医学部に入学した。彼がウォーキングスーツを思いついたのは二回生の時だ。繁は大学と市の支援を得て試作品を完成させ、特許を取得した。二年間必死にリハビリをしても介護ロボットの力を借りなければ立ち上がることさえできなかったのに、繁のウォーキングスーツを着た真理恵は半年もしないうちにスタスタと歩くようになった。
会場の明かりが落ち、「歩き」をイメージした軽快なBGMが流れると、ざわついていた会場は一瞬で静まりかえった。男性のハリウッドスターがアナウンスする。
「WST社が皆様にお贈りするノリミチ・ナガタの新作『DATE(デート)』をご紹介します」
スポットライトが舞台上の小さなテーブルに並べた製品コード1192を漆黒の宙空に浮かび上がらせた。会場を取り囲む無数のディスプレイが様々な角度からとらえたその二足の映像を映し出す。
「ワオ! なんて素敵なペアシューズなの!」
もう一人のハリウッドスターが声をあげ、慌てて手を口にあてた。彼女の感嘆は台本にはない。
製品コード1192はウォーキングスーツではない。靴だ。
「このペアシューズは絶対売れるわよ。世界中の恋人たちがあなたの靴を履いてデートするわ」
楽屋のディスプレイで新作発表会の様子を眺めていた真理恵は自らの手を夫の手に重ねながら言った。
「そろそろ社名を変えようか。国際企業の事業所名としちゃ、地味すぎると思わないか」
WSTは略称である。正式な事業所名はあまり世に知られていない。
「このままの名前が好いよ」
繁は「僕はこの町の靴屋の
「私もこのままが好いわ。私もこの町の靴屋の女房だもの」
真理恵もそう言って夫に笑顔を向けた。
「わかった。このままで行こう。俺もこの町の靴屋だからな」
と、
(了)
…靴のまち神戸への敬意をこめて。
WST Mondyon Nohant 紋屋ノアン @mtake
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