透視スキャン

Mondyon Nohant 紋屋ノアン

 

 わたくしが先生と知り合いになったのは地方都市にある小さな図書館である。先生が名誉館長をしているその図書館は二十世紀初頭に建てられた延床面積のべゆかめんせき五百平方メートルほどの木造建築だが、百七十年以上をた今も健在で、図書の閲覧えつらんもできるし貸し出しも行っている。

「君は本を開かなくてもその内容がわかるのですか」

 先生は窓際の席をたつと、閲覧室の隅で古文書こもんじょの透視スキャンをしていた私に近づき声をかけた。

「はい」

「CTスキャンのような技術だろうか」

 先生はかなり古めかしい技術をたとえに出したが、

「まあ似たようなものですね」

 と、私は答えた。

「君はロボットだね?」

「はい。ご覧のとおりの見た目なのでよく人間に間違えられますが、実は私はロボットなのです」

 私の姿は、古典的機械人間のそれに近い。何処どこからどう見ても人間には見えない。

 先生は声をあげて笑った。ロボットのくせに面白い奴だと思ったようだ。

 自分に関する情報をわたくしが把握していると確信しているのか、先生は自己紹介をしなかった。

 先生は八十二歳。大きな経済団体の理事をしていたが、二年前に引退してここの近くに在る家で独り暮らしをしている。この図書館が経済的な理由で閉館のき目にあいそうになったことは過去何度もあったが、先生は、そのつど、公的機関に働きかけ、あるいは私財を投じてこの図書館を救ってきた。この図書館の維持運営は、現在も先生が設立した財団がになっている。

昨日きのうはここにおられなかったようだが」

「私は今朝こちらに着任したばかりの文化財保護ロボットです」

 私をここに搬送したのは政府の文化財保護機関である。

「文化財保護? なるほど。ここには古文書とか百二、三十年前の初版本しょはんぼんとか、けっこうなお宝があるからね」

「私が面倒をみるのはけっこうなお宝だけではありません」

 私は図書館専門の文化財保護ロボットである。図書館に関係する情報であれば、お宝であろうがゴミ屑であろうが無差別に収集し記録保存する。図書館が所蔵する書籍や視聴覚資料はもちろん、図書館の建物も書架も閲覧机も椅子も、すみに置かれた花瓶さえも、徹底的に分析しその形状や属性を記録するのだ。例えば一冊の本なら、そのページページの手触りや匂い、紙についたシミや汚れ、ぺージをめくるときの音までもが私の収集対象だ。私は収集した膨大な情報を一本の仮想現実VRにまとめる。私が制作するVRは、図書館を丸ごと再現する。脳に直接情報を伝えるブレインキャップというデバイスをかぶれば、人は自宅に居ながら図書館の中へ歩いて入り、書架しょかから本を選び、それを読むことができる。図書館に併設された喫茶室のソファーに座り、コーヒーを味わいながらの読書も可能だ。もちろん、そのコーヒーの味覚情報も私は収集している。

「君はVRの制作をするのですか」

 先生は私の自慢話を聴いて、感心したといった顔をした。

「もしかして、以前私が体験したVRは、君が制作したものですか?」

 先生は首都近郊に在る図書館の名をあげた。そのVR図書館を私は数年前に制作している。

「閲覧室の隅でニコニコしながら読書していたあの人は、わたしがよく知る評論家だと思うのだが、違いますか?」

 私は「個人情報なので申し上げるわけにはまいりません」と冗談めいた口調で言った。

「やはりそうか。私が『随分可愛い本をお読みですね』と言うと彼はバツが悪そうな顔をしていた」

 先生は愉快そうに笑った。

 わたくしの収集対象のなかで特筆すべきは、図書館の利用者に関する情報である。誰が何時どんな本を閲覧室の何処で読んだのか、そして、何故そのときその本を其処そこで読んでいたのか、私は数多あまたの推理小説から学習した様々な手法を用いてそれを推理し、図書館利用者の隠れた物語を見つけ出す。ほとんどが大した物語ではない。ある文豪が下積み時代、閲覧室の片隅で苦虫にがむしみつぶしたような顔をして自分より若い人気作家の小説を読んでいたとか、覆面ふくめんを脱いだ強面こわもての悪役プロレスラーが涙を流しながら読んでいたのが悲恋物語ひれんものがたりだったとか、私が探し出すのは、そんな些細ささいなエピソードだ。もちろん、本人や遺族の承諾なしに物語を公開したりはしない。ただ、私が見つけた物語の主人公で自分の物語の公開をこばんだ人は今までひとりもいない。彼らにとって図書館の物語はどんなに恥ずかしいエピソードであっても、自分の人生から切り離せない懐かしいときの断片なのだ。

 このコンテンツには人気がある。私がつくったVR図書館を訪れた人は、その図書館の利用者だった有名人や見ず知らずの人の隣に座って彼と同じ本を読むこともできるし、彼に話しかけ彼の心情しんじょうを共有することもできる。

 先生が以前、VR図書館の閲覧室で会った人物のモデルは鋭い舌鋒ぜっぽうで知られる社会評論家である。その評論家が図書館に通いニコニコしながら読んでいた本は幼児向けの絵本だった。

「あっ、これはいかん。君のお仕事の邪魔をしてしまったようだ」

 私は「ここにはうるさい上司がいませんので、かまいません」と言ったが、先生は私に詫び、私と握手して、窓際の席に戻った。


「働きづめのようだね。もしかして、徹夜残業かな?」

 休館日を挟んだ翌々日の午後、先生は来館すると直ぐ、私に声をかけた。

「ええ。一昨日おとといこちらにうかがってから四十八時間、一睡もしていません。しかもサービス残業ですよ」

 私はロボットなので何時間残業しようが何日徹夜しようが平気である。私は所属組織の職員ではなく「設備」なので給料とか残業手当を頂いたことは一度もない。私の仕事は百パーセント「サービス」だ。

 私は二日間で、この図書館に所蔵された全図書の透視スキャンを終えていた。

 先生は「身体からだを壊さないでくれたまえ。君を診てくれる病院はなさそうだから」と、声を出して笑った。

「ところで」

 先生は私のかたわらに椅子を持って来て座った。

「この図書館で君はもう物語を見つけましたか?」

「はい、ひとつ見つけました」

 一昨日、先生が退館した後、私は図書館じゅうをくまなく探って、その物語の材料フッテージを手に入れ、既にVRに組み込むためのプリプロダクションを終えていた。

「どんな物語ですか?」

「大昔の恋物語です」

「大昔って?」

「六十年ほど前ですかね」

 先生はしばらく沈黙した。

「未完成ですが、3D映像をご覧にいれましょうか?」

 先生は黙ったままうなずいて、居住いずまいを正した。

 私は古いSF映画のロボットのように目からビームを出し、テーブルの上に3D動画を投影した。

「六十年ほど前のある日の閲覧室です」

……窓際の席に、当時の高校の制服を着た髪の長い少女が穏やかな眼差まなざしを本のページに向けながら座っている。風景になつかしさを感じるのは、窓外そうがいの空気が濃いオレンジ色に染まっているせいだ。晩秋の夕暮れ時である。

「当時の図書館は若い人たちに人気が無く、こんな若いお嬢さんの姿を閲覧室で見ることはまれでした。彼女は子供のころから図書館の常連じょうれんだったのです。母親がこの図書館の司書だったからです。学校が終わるとここに来て閉館時間まで本を読んで過ごし、仕事を終えた母親とともに家に帰るのが彼女の日課にっかでした。今はまだご本人や遺族の承諾を頂いておりませんので、本名は打ち明けられません。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない*1ので、とりあえず彼女をお嬢さんと呼んでおきましょう」

 先生は身じろぎもせず、私が投影したお嬢さんの立体CGを見詰みつめていた。図書館の常連だったお嬢さんの写真は何枚も保管されていた。私はそれを参考にして彼女の姿をモデリングしたのだ。私は先生がもういいといったふうに目をあげるまで、しばらくの間そのシーンを投影し続けた。

「やがて、ひとりの青年がこの物語に登場します。彼は近くの大学に通う二十二歳の学生でした」

……青年は閲覧室の入り口で足をとめ、お嬢さんに見とれている。彼の視線に気がついた彼女は不思議そうな顔をして彼を見かえす。彼はバツが悪そうに視線を彼女かららす。

「お嬢さんにこゝろかれた彼もこの図書館の常連になりました。ときどき視線をわす程度だったのが、半月もすると、互いに笑顔で挨拶をするほどになりました。ただ、二人の仲はそれ以上進展しませんでした。相手への想いを抱くだけのような静かなこゝろのかたちを二人とも大切にしたかったのでしょう」

「二人とも?」

 先生は私の顔を見た。私は先生の質問を無視して物語を続けた。

「二人の物語にもう一人、若者が割り込みます。青年の親友です。名前を仮にケイさんとしておきましょう。ケイさんは青年と同じ大学で工学を専攻していました。二十二歳にして十数件の特許を所有するような秀才で、将来を属望されたエリートでした。しかもスポーツマンで、当時の言葉でいうイケメンでした。でも彼はおごることをせず、誰に対しても優しく誠実で、誰からも好かれていました。ケイさんは青年の幼馴染おさななじみで、青年とは将来の夢を語り合うような仲でした。青年がケイさんを図書館に連れて来たのは、社交的な彼を利用してお嬢さんに近づきたかったからかもしれません」

 先生は、小さく頷いた。

「でも、青年は失敗しました。り来たりな話ですが、ケイさんもお嬢さんに一目ひとめれしてしまったのです。社交的なケイさんは積極的にお嬢さんにアタックし始めます」

……親しそうに会話するお嬢さんとケイ。二人を遠くから見ている青年に彼女は時折ときおり、「こっちに来て一緒に話しませんか?」といっためくばせをする。しかし、青年は哀しそうな顔をして本に視線を落とす。

「二人の接近に青年がヤキモキしているうちに、四か月が過ぎました。お嬢さんは高校を卒業して大学に入学し、青年とケイさんも大学院に進学しました。でも三人とも、卒業式にも入学式にも出席していません。パンデミックがおきて、卒業式も入学式も中止になったのです。図書館も休館になりました」

……誰もいない閲覧室。

「やがて、この物語は悲劇の様相ようそうびます。ケイさんがウィルスに感染し亡くなるのです」

 私は、無人の閲覧室を投影し続けた。

「残された二人はどうなったのだろうか」

「お嬢さんが大学を卒業した一年後、二人は結婚しました」

「君はさっき、悲劇とおっしゃった。確かに人が死ぬのは悲劇だ。だがケイが死んでくれたおかげで、青年はお嬢さんと結婚できた。青年にとっては、単純に悲劇とは言い切れないのではないか」

「本当にそう思いますか?」

 長い沈黙が訪れた。沈黙を破ったのは先生の大きなため息だった。

「この物語を補足してもいいだろうか」

「お願いします」と、私は静かに言った。

「青年はケイが入院していた病院の医師から、ケイが書いたお嬢さん宛ての手紙を預かった。ところが彼は、その手紙をお嬢さんに渡さなかった。かわりに青年が彼女に渡したのは、自分の想いを綴ったラブレターだ。青年は親友のケイを出し抜いたのだ。ケイはその一週間後に亡くなった。君がおっしゃったとおり、この物語は悲劇だ。親友を裏切ったという思いを抱きながら、青年はその後六十年を苦しみ抜いて生きた。自分の妻が本当に好きだった相手はケイだったかもしれない。もしそうなら、自分は生きるに値しない卑怯者ひきょうものだ。本当に好きだった相手が誰だったのかを妻にきく勇気が彼にはなかった。そして、それをきかないまま彼の妻は亡くなった」

 先生の奥さんが亡くなったのは二年前だ。

「君にお願いがあるのだが」

 先生はバッグを開けて、中から古びた封筒を出した。先生の奥さんの名前が封筒の表に書いてある。

「この手紙を君は開封せずに読めるだろうか?」

「はい」と私は答えた。

「これは六十年前、私の親友だった工藤くどうという男が、結婚する前の私の妻宛てに書いた手紙だ。私は六十年間、この手紙を妻に渡さず隠し持っていた。君はこれを開封せずに読んでくれないだろうか。そして、内容を私が知ってもよいかどうか判断して欲しい。もし君が読むなとおっしゃるなら、私はこの手紙を未開封のままあの世にもっていく。もし君が読んでもいいと言ってくれたら、私は今日、妻の墓前でこれを開封し、妻に読んできかせるつもりだ」

「今日は妻の祥月命日しょうつきめいにちなのだ」と、先生は続けた。

 私はその封書を透視スキャンして中の手紙を瞬時に読みとった。そして、先生に「読んで頂いて大丈夫ですよ」と言った。

「この手紙を奥様の墓前で読むとき、泣きながら読まないで下さいね。きっと奥様に叱られます」

 おそらく先生は私の忠告を無視して、その手紙を泣きながら読むだろう。

 私が透視スキャンした手紙の文面ぶんめんは次の通りである。 

『僕は今、病床びょうしょうでこの手紙を書いています。読みにくいのはそのせいです。決して僕の字が下手なせいではありません(笑)。近々ちかぢか、死ぬかもしれない…僕にはそんな予感があります。なので僕は、この手紙で僕の決心を伝えておこうと思います。僕はあなたが好きでした(直球でごめんなさい)。でも僕はあなたをあきらめます(速球でごめんなさい)。男らしくていさぎよいでしょ? れましたか?(笑)。もし、僕が無事に退院できたとしても僕の決心はかわりません。なので、もし僕に多少気があっても、あなたは僕のことをあきらめてください(笑)。あなたにお願いがあります。僕の一番の親友で僕の憎い憎い恋敵こいがたきのあいつのことです。あなたがあいつを好きなことは、あなたと話していてわかりました。僕は大学で透視を研究していますから人のこゝろの内側を見ることなど朝飯前あさめしまえなのです。あいつは僕が知る限り、僕の次に(笑)誠実でやさしい男です。あいつは僕と違って(笑)不器用ぶきようかつ臆病な人間なので、あなたへの想いを巧く伝えられないのです。あいつがあなたに告白できないのなら、あいつをひっぱたいてでもあなたへの想いを白状させて下さい。どうかどうか、あいつを幸せにしてあげて下さい。そして何より、あなたが幸せになることを僕は希望します。……僕たちが心から愛するあなたへ』

「めぐり合わせ」と言われる事象じしょうを私は理解できないので誰にも伝えるつもりはないが、透視スキャナー関連の古い特許申請書から私は工藤という名前を見つけていた。

「図書館を舞台にした恋物語を見つけるのはとても簡単なのです」

 未開封の手紙をバッグに入れようとしている先生に、私は言った。

「図書館をくまなく検索すれば、誰が誰を好きだったのかがはっきりとわかります。人は好きな人が座った席に座り、好きな人が読んだ本と同じ本を読もうとするからです。この物語の主人公の指紋を私は一昨日おととい採取しました。むかし彼が読んだ本には彼の指紋の他に、必ず或る人の指紋が残っていました」

「その人とは誰だろうか?」

「主人公の青年と結婚したお嬢さんです」

「一方、つい先ほど私はケイさんの手紙から彼の指紋を採取しましたが、六十年前ケイさんが読んだ本に彼女の指紋はひとつも見当たりませんでした」

 先生は閲覧室を出る直前、振り向いて、次のような見当違けんとうちがいな質問をロボットの私にした。

「君は恋をした事がありますか?」

 わたくしはないと答えた。

「恋をしたくはありませんか?」

 私は答えなかった。*2

                                  (了)




*1夏目漱石『こゝろ』,角川書店,2004,p.8.(23字引用)(角川文庫)

 (ISBN-10 : 404100120X)

*2 ibid., p.39.(4行引用)

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