透視スキャン
Mondyon Nohant 紋屋ノアン
「君は本を開かなくてもその内容がわかるのですか」
先生は窓際の席をたつと、閲覧室の隅で
「はい」
「CTスキャンのような技術だろうか」
先生はかなり古めかしい技術を
「まあ似たようなものですね」
と、私は答えた。
「君はロボットだね?」
「はい。ご覧のとおりの見た目なのでよく人間に間違えられますが、実は私はロボットなのです」
私の姿は、古典的機械人間のそれに近い。
先生は声をあげて笑った。ロボットのくせに面白い奴だと思ったようだ。
自分に関する情報を
先生は八十二歳。大きな経済団体の理事をしていたが、二年前に引退してここの近くに在る家で独り暮らしをしている。この図書館が経済的な理由で閉館の
「
「私は今朝こちらに着任したばかりの文化財保護ロボットです」
私をここに搬送したのは政府の文化財保護機関である。
「文化財保護? なるほど。ここには古文書とか百二、三十年前の
「私が面倒をみるのはけっこうなお宝だけではありません」
私は図書館専門の文化財保護ロボットである。図書館に関係する情報であれば、お宝であろうがゴミ屑であろうが無差別に収集し記録保存する。図書館が所蔵する書籍や視聴覚資料はもちろん、図書館の建物も書架も閲覧机も椅子も、
「君はVRの制作をするのですか」
先生は私の自慢話を聴いて、感心したといった顔をした。
「もしかして、以前私が体験したVRは、君が制作したものですか?」
先生は首都近郊に在る図書館の名をあげた。そのVR図書館を私は数年前に制作している。
「閲覧室の隅でニコニコしながら読書していたあの人は、
私は「個人情報なので申し上げるわけにはまいりません」と冗談めいた口調で言った。
「やはりそうか。私が『随分可愛い本をお読みですね』と言うと彼はバツが悪そうな顔をしていた」
先生は愉快そうに笑った。
このコンテンツには人気がある。私がつくったVR図書館を訪れた人は、その図書館の利用者だった有名人や見ず知らずの人の隣に座って彼と同じ本を読むこともできるし、彼に話しかけ彼の
先生が以前、VR図書館の閲覧室で会った人物のモデルは鋭い
「あっ、これはいかん。君のお仕事の邪魔をしてしまったようだ」
私は「ここには
「働きづめのようだね。もしかして、徹夜残業かな?」
休館日を挟んだ翌々日の午後、先生は来館すると直ぐ、私に声をかけた。
「ええ。
私はロボットなので何時間残業しようが何日徹夜しようが平気である。私は所属組織の職員ではなく「設備」なので給料とか残業手当を頂いたことは一度もない。私の仕事は百パーセント「サービス」だ。
私は二日間で、この図書館に所蔵された全図書の透視スキャンを終えていた。
先生は「
「ところで」
先生は私の
「この図書館で君はもう物語を見つけましたか?」
「はい、ひとつ見つけました」
一昨日、先生が退館した後、私は図書館じゅうを
「どんな物語ですか?」
「大昔の恋物語です」
「大昔って?」
「六十年ほど前ですかね」
先生はしばらく沈黙した。
「未完成ですが、3D映像をご覧にいれましょうか?」
先生は黙ったまま
私は古いSF映画のロボットのように目からビームを出し、テーブルの上に3D動画を投影した。
「六十年ほど前のある日の閲覧室です」
……窓際の席に、当時の高校の制服を着た髪の長い少女が穏やかな
「当時の図書館は若い人たちに人気が無く、こんな若いお嬢さんの姿を閲覧室で見ることは
先生は身じろぎもせず、私が投影したお嬢さんの立体CGを
「やがて、ひとりの青年がこの物語に登場します。彼は近くの大学に通う二十二歳の学生でした」
……青年は閲覧室の入り口で足をとめ、お嬢さんに見とれている。彼の視線に気がついた彼女は不思議そうな顔をして彼を見かえす。彼はバツが悪そうに視線を彼女から
「お嬢さんに
「二人とも?」
先生は私の顔を見た。私は先生の質問を無視して物語を続けた。
「二人の物語にもう一人、若者が割り込みます。青年の親友です。名前を仮にケイさんとしておきましょう。ケイさんは青年と同じ大学で工学を専攻していました。二十二歳にして十数件の特許を所有するような秀才で、将来を属望されたエリートでした。しかもスポーツマンで、当時の言葉でいうイケメンでした。でも彼は
先生は、小さく頷いた。
「でも、青年は失敗しました。
……親しそうに会話するお嬢さんとケイ。二人を遠くから見ている青年に彼女は
「二人の接近に青年がヤキモキしているうちに、四か月が過ぎました。お嬢さんは高校を卒業して大学に入学し、青年とケイさんも大学院に進学しました。でも三人とも、卒業式にも入学式にも出席していません。パンデミックがおきて、卒業式も入学式も中止になったのです。図書館も休館になりました」
……誰もいない閲覧室。
「やがて、この物語は悲劇の
私は、無人の閲覧室を投影し続けた。
「残された二人はどうなったのだろうか」
「お嬢さんが大学を卒業した一年後、二人は結婚しました」
「君はさっき、悲劇と
「本当にそう思いますか?」
長い沈黙が訪れた。沈黙を破ったのは先生の大きなため息だった。
「この物語を補足してもいいだろうか」
「お願いします」と、私は静かに言った。
「青年はケイが入院していた病院の医師から、ケイが書いたお嬢さん宛ての手紙を預かった。ところが彼は、その手紙をお嬢さんに渡さなかった。かわりに青年が彼女に渡したのは、自分の想いを綴ったラブレターだ。青年は親友のケイを出し抜いたのだ。ケイはその一週間後に亡くなった。君が
先生の奥さんが亡くなったのは二年前だ。
「君にお願いがあるのだが」
先生はバッグを開けて、中から古びた封筒を出した。先生の奥さんの名前が封筒の表に書いてある。
「この手紙を君は開封せずに読めるだろうか?」
「はい」と私は答えた。
「これは六十年前、私の親友だった
「今日は妻の
私はその封書を透視スキャンして中の手紙を瞬時に読みとった。そして、先生に「読んで頂いて大丈夫ですよ」と言った。
「この手紙を奥様の墓前で読むとき、泣きながら読まないで下さいね。きっと奥様に叱られます」
おそらく先生は私の忠告を無視して、その手紙を泣きながら読むだろう。
私が透視スキャンした手紙の
『僕は今、
「めぐり合わせ」と言われる
「図書館を舞台にした恋物語を見つけるのはとても簡単なのです」
未開封の手紙をバッグに入れようとしている先生に、私は言った。
「図書館を
「その人とは誰だろうか?」
「主人公の青年と結婚したお嬢さんです」
「一方、つい先ほど私はケイさんの手紙から彼の指紋を採取しましたが、六十年前ケイさんが読んだ本に彼女の指紋はひとつも見当たりませんでした」
先生は閲覧室を出る直前、振り向いて、次のような
「君は恋をした事がありますか?」
「恋をしたくはありませんか?」
私は答えなかった。*2
(了)
*1夏目漱石『こゝろ』,角川書店,2004,p.8.(23字引用)(角川文庫)
(ISBN-10 : 404100120X)
*2 ibid., p.39.(4行引用)
透視スキャン Mondyon Nohant 紋屋ノアン @mtake
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