5-15

 あれから三か月ほどが経ち、長かった冬がようやく終わりを告げて、舞い込む風がふんわりと暖かいものに変わっていた。待ちわびた春に浮足立っているのか、町全体が活気に満ち溢れている。

 この三ヶ月間、色んなことがあったような気もするし、案外いつも通りの生活が続いていたようにも思う。結局どんな出来事も過去は一様に過去でしかなくて、このくらいほんやりとしているのがちょうどいいのかもしれない。ともかく今は、今を生きることに必死だ。

 とは言え、あれから止まっていた時が急速に動き出したように、友人たちに目まぐるしい変化があったのは間違いない。それは過去の話というより、今の話だとも言える。

 一番驚いたのは、チャックとマリナのことだ。彼らに会ってからしばらくして、唐突に一通の手紙が届いた。そこには便箋四枚にも及ぶ長い感謝の内容と、綺麗に装飾された「招待状」が入っていた。

 チャックはずっとマリナに想いを寄せていたが、関係性もありなかなか言い出せないでいたらしい。それをようやく言葉にして伝えて、晴れて長く秘めていた想いが成就した。そこからはとんとん拍子に話が進んでいって、あっという間に結婚まで決まった。まあ元々一緒に住んでいるようなものだったから、当然と言えば当然でもある。

 終始緊張した面持ちで、肩の張ったジャケットに身を包むチャックが妙に面白くて、式の最中はみんなで必死に笑いを堪えていた。みんなから野次を飛ばされて照れ臭そうに笑う顔は、子どもの頃の彼そのままで、それが何だかとても嬉しかった。

 途中からは結婚式というより同窓会のような雰囲気になって、とにかく楽しい一日だった。こうやって集めることができただけでも、僕がああやって過去に向き合った甲斐があったと思えた。

 他に思い浮かぶ出来事としては、ロベルトが突然仕事を辞めて旅に出ると言い出したことだろうか。

「僕はこんなところに収まる器じゃない」

 そう言って彼はレターカンパニーに辞表を出し、鞄一つ背負い、相棒のニーナを肩に乗せて、当てもなく街を出ていった。レターカンパニーは大手だから、個人でやっている僕なんかよりよっぽどいい給料をもらっていたろうに……。まあでも彼ならきっとそれでも上手くやっていくのだろう。

 あれがきっかけか、もしくはそう見えるだけかはわからないけれど、とにかく僕たちはそうやって少しずつ前に進んでいる。クリスは何やら船を使って外国と大きな商売を始め、フェンネは植物の勉強をするために大学へと通い始めた。リリアはワジの献身的な支えのおかげで、少しずつ快復の兆しが見え始めたらしい。

 ロワールは再び孤児院を開いたという話を聞いた。『広場』という名前を付け、拒むことなく様々な子どもたちを受け入れている。彼にどんな想いがあるのかはわからないけれど、できだけたくさんの子どもたちが僕たちのように救われてくれたらと思う。

 そして、バルドイは僕の前からは姿を消した。しかしそれは単なる逃げではなくて、彼なりに考えた結果で、彼なりのけじめだった。

 ロワールの孤児院にも誘われたようだったが、今はまだ他にやるべきことがあると言って断ったらしい。

 あのとき僕たちがしたのと同じように、彼は『箱庭』の子どもたち二十一人と会って話をすることを選んだ。自分がしたことを語り、一人一人と向き合うのだと言う。

「これから俺がどうやって生きていくべきなのか。それを考え続けるよ」

 僕はいつか彼ともう一度笑顔で会えることを信じて、遠くなる背中を見送った。

「ちょっと、ユリー何してんの! 急がないと列車に乗り遅れるよ!」

 慌てた様子でセレンが部屋に駆けこんでくる。時計を見ると、いつの間にか出発時刻を過ぎてしまっていた。

「ごめんごめん。それじゃあ行こうか」

 必要そうなものを適当にリュックに詰め込んで、セレンに背中を押されながら階段を駆け下りていく。

「今日は依頼が三つもあって忙しいんだから、ボーっとしてる余裕はないよ!」

「わかってるってば」

 僕はと言うと、あれから旧友の伝手でちょこちょこと仕事が舞い込むようになった。そしてそれをこなしているうちにどんどんとその輪が広がっていき、気付けば途切れない依頼に振り回されて忙しなく働く日々を送るようになっていた。

 仕事があるのはありがたいことだと思いつつ、こんなに働きづめなのもちょっと考えものだ。セレンは贅沢を言うなと怒りそうだけど。

「あれ、もう出かけるの?」

 エプロン姿のアリサがキッチンから顔を覗かせる。僕が立ち止まって話そうとすると、セレンがそんな場合じゃないと後ろからぐいぐいと押して僕を急かす。

「うん。ごめん、なんか急がなくちゃいけないみたい」

 そのまま押し出されるようにして、家を出て駅へと向かう。

「あ、ちょっと待って!」

 するとアリサが慌てて追いかけてきて、僕を呼び止めた。

「これ。作ったから、よかったら持っていって」

 そう言って彼女は何やら布に包まれた箱を差し出す。

「お弁当……?」

 驚きつつそれを受け取ると、彼女は嬉しそうに笑った。そのあまりに屈託のない笑みを何となく照れ臭く感じながら、少し目線を逸らしてお礼を言う。

「ユリー! そんなイチャついてる場合じゃないの!」

「そんな、イチャついてなんて……」

 隣の敏腕マネージャーは僕の言うことなんか耳を貸す気もないようで、用が済んだならと袖をぐいと引っ張る。

「行ってらっしゃい!」

 半ば小走りで遠ざかる僕に対して、アリサの明るい声が飛んできた。

「行ってきます!」

 僕は息を切らしながら後ろを振り返り、精一杯の大きな声で言葉を返す。

 家の前で手を振る彼女の姿を見つめながら、今日もここに帰ってくるのだと思うと嬉しくなった。今の僕には帰る場所がある。だから今日もこうして外へ出かける。

「……行ってきます」

 誰に言うでもなく、噛み締めるように呟いてみる。

 ――行ってらっしゃい。

 頭の奥で薄っすらと、幼い僕がそう答えてくれたような気がした。

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想いは届くよ、どこまでも。 紙野 七 @exoticpenguin

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