5-14

「……やっぱりここにいたんだ」

 そこは町の端にある小さな高台だった。高台と言っても荒れた草原に朽ちかけのベンチがあるだけの場所なのだけれど、ここからは町を一望する絶景を見ることができる。街の人もほとんど知らない穴場で、彼に教えてもらった場所だった。

「よう。来ると思ってたよ。……いや、来るのを待ってたって言う方が正しいか」

 彼は突然現れた僕に驚く様子もなく、ベンチに座ったまま、まるで待ち合わせをしていたみたいに僕を迎えた。

「君に話があって来たんだ」

 数メートルの微妙な距離を保ったまま話を進める。まだ信じたくない自分がいて、彼が僕の妄想を笑い飛ばしてくれる未来を期待していた。

「ロワールには会えたのか?」

「うん。会ってちゃんと話をしてきたよ」

「そうか」

 言うべきことが喉仏の辺りまで出かかっているのに、それを声にして発するのを躊躇してしまう。それで何かが終わってしまうのではないかという恐怖に押し潰されそうだった。

「お前はもう前に進めるんだな」

 心底嬉しそうな笑みを浮かべ、彼は言った。その笑みが嘘でないことくらいは、僕にだってわかった。

 すっと身体の力が抜けて、すべてが吹っ切れたような気がした。どんなことだろうと、受け入れる覚悟ができた。

「犯人は君だったんだね、バルドイ」

 僕はゆっくりと彼の隣に座る。

「ああ、そうだ。今まで黙っていて本当に悪かった」

 案の定、聞きたくなかった答えが返ってくる。

「どうして……」

 まだ信じたくないと考えている自分が情けなかった。それでも自分の心には逆らえない。バルドイと過ごしてきた日々が走馬燈のように駆け巡り、頭の中を覆いつくしている。

「俺にはさ、あそこにいた全員があの場所に囚われているように見えたんだ」

 彼は幼少期の思い出を語るような優しい口調で語り始めた。

「あそこにいたお前たちはどこにでもいる子どもだった。花が好きだったり、勉強が得意だったり、動物を可愛がっていたり。いつも走り回っている奴もいれば、それを静かに遠くから眺めている奴もいた。とにかく三者三様色んな奴がいて、それぞれに未来があった。にも関わらず、あの場所はそんな子どもたちから夢や希望を取り上げて、人間性を排そうとしていた」

 相槌を挟む暇もなく、彼は話を続ける。

「ずっとそこに違和感があった。クリスやマリナはあの中で何とかしようとしてたが、俺はそもそもあの場所自体をどうにかしたかったんだ。何故なら、あの場所はお前たちを縛り付けているだけじゃなかった。俺たち三人はあの場所にいることで、ロワールへの罪滅ぼしをしているつもりになっていたし、ロワールはあの場所があるせいで、過去に追われ続けていた。俺たちはみんなあの場所に囚われていたんだ」

 僕たちやロワールだけでなく、バルドイたちもそんな風に感じていたというのは少し意外だった。少なくとも当時の僕たちにとっては、彼らは自由な大人に見えていた。

「あの場所はただ俺たち全員を蝕んでいくだけだった。だから一度壊すしかないと、そうして初めから全部やり直そうと思ったんだ」

「それが火をつけた理由……?」

「ああ。クリスにだけは話をしていて、最後まで反対されてたよ。でも結局は渋々協力してくれた。それで俺が火をつけて、二人ですぐに全員を逃がす。そうして誰も傷つかないまま、あの場所だけが壊れる……そのはずだった」

 彼は小さく息を吐いた。

「あんなところにチャックたちがいるのは誤算だった。元々子どもたちは入れない場所だったし、部屋からも一番離れている。火元としては安全な場所だったはずなのに、あの日に限ってチャックたちがこっそり忍び込んでいた。クリスが気付いて助けに行ったときにはもう手遅れで、あいつもろともあんなことになっちまった……」

 彼は少しだけ顔を上げて、静かな町並みを見つめていた。陽が傾き始め、パノラマに広がる風景全体が赤みを帯びている。皮肉にもその赤は煌々と燃える炎を彷彿とさせる色だった。

「結果として、解放するどころか、全員を一生あの場所に縛り付けるようなことになった。お前を育てながら、自分でぶっ壊しておきながら何してるんだって何度も思ったよ。結局それも自分の罪滅ぼしのためだったんだからどうしようもない」

「……罪滅ぼしだろうとなんだろうと、僕が君に救われたことには変わりない」

 僕は率直な気持ちを言葉にする。本当に心からそう思っていた。『あの日』の原因が彼にあるとしても、僕は彼を憎むことはできなかった。それだけ恩義があるのは間違いない。

「そう言ってくれるなら幾分か救われるよ」

 力なく笑った彼の顔を覗くと、きっとこの気持ちが届いていないだろうことがわかった。

「お前が全員と会って過去を清算するって話をしたとき、正直ほっとしたんだ。これでやっと俺は裁かれる。ずっと真実を隠してきた奴が言うのも変な話だけどな。でも俺自身も過去にけりをつけることができると思った」

「自分が犯人だって気付かれるのがわかってたってこと……?」

「まあ少し考えればわかることだからな。たぶんロワールは薄っすら気付いてたはずだよ」

 ずっとこうして誰かに裁かれるのを待っていたということか。誰かが真実を突き止め、自分がすべてを吐露する機会を与えてくれるのを待っていた。今にして思えば、ロワールの元に行く直前に云壜を作るよう頼んできたのは、真実を僕に暴いてほしかったのだろう。

どれだけ彼が苦しんできたかを理解すると同時に、どこかでそれをずるいと感じる自分もいた。

「お前たちには本当にすまなかったと思ってる。クリスたちのことはどうしたって許されないことも分かってる。だから俺はこの罪を一生背負っていくつもりだ。とにかくもうお前たちの前からは消えることにする。もう俺なんかいなくたって、十分立派にやっていけるのがわかったしな」

 彼はずっと弱々しい笑みを浮かべていた。すべてを諦めて、悟ったような表情をしている。きっと彼は未だ『あの日』に囚われたままで、これからもそうやって生きていくつもりなのだろう。

「最後だからいくらでも罵ってくれ。ぶん殴ったって構わない。どんな怒りも制裁も受けるつもりだ」

 そう言ってうなだれるようにして目を瞑った。僕はそんな彼をただじっと見つめる。

「もしくはもう関わりたくもないって言うなら、このまま放って俺のことは忘れてくれたっていい。恩義なんてもんを感じてるなら、それは勘違いだから気にしなくていい。全部俺が俺自身のためにやったことだ」

 まるで僕を突き放すようなひどく冷たい声で言う。無理に上がった口角が小刻みに震えていた。

「……ずるいよ」

 堪え切れず、ついそんな言葉がこぼれる。

「全部捨てて、諦めて、自分から真っ先に舞台を降りようなんて、そんなのはずるいよ。君はそれで幾分か楽になるかもしれないけど、残った僕たちはどうなるのさ。まだ物語は続いてるんだよ。『僕たち』の物語が……。だから僕たちは、いなくなった彼らの分まで生きる責任がある。君はその責任から逃げようとしているだけじゃないか」

 ひとたび溢れると、堰を切ったように言葉と感情が勢いよく流れ出した。僕はそれを抑えることもせず、駄々をこねる子どもみたいにみっともなく声にしていく。

「……ぐうの音も出ないな」

 僕が固いボールを投げつけるように言葉を吐き捨てたあと、しばらく沈黙があって、彼は自嘲気味に笑った。

「結局俺はずっと逃げ続けているんだな……。本当はあそこに囚われてたのは俺自身で、誰よりも自分が逃げ出すことが目的だったのかもしれない。俺の方がよっぽど自分本位な『人間擬き』だよ」

 彼はまた自分を卑下するに言う。でも僕が求めていたのはそんな言葉ではなかった。これではただ彼を傷つけているだけで、本当に伝えたいことが伝わっていない。

 人に想いを伝えるのは難しい。そんな当たり前のことを実感する。だからと言って云壜を介せば伝えられることでもないように思う。言葉を尽くし、僕自身が自分の想いを見つける必要がある気がした。人の想いを扱うはずの云壜屋がこんなことを言うなんて、何だかおかしいかもしれないけど。

「違う、そうじゃないんだ……」

 僕は頭の中で散らばった思考の断片を必死にかき集めて言葉を紡ぐ。それはつぎはぎで不格好なものだったけれど、紛れもなく僕が伝えたい想いだった。

「君はそんなに弱い人じゃない。何度も諦めようとした僕を、いつだって君は助けてくれたじゃないか。いつだって君は頼もしくて、君がいたからこそ僕はこうやって生きてこれた」

「それは、それこそ自分のためにやったことだ……」

 彼は目を逸らしたまま、僕の方を見ようとしない。

「確かにそうかもしれない。実際、君がいなかったら今頃どこか野垂れ死んで、天国で楽しく第二の人生を歩んでいたかもしれない。それなのに、君が手を差し伸べたから、色んなつらいことがあって、苦しい想いをして、こんな風に生きることになったんだよ」

 口が乾き、喉が張って声が上擦る。それでも僕は言葉を止めない。

「君にはその責任がある。僕を生かした、僕に未来を与えた責任が……。だから君がそのことを忘れて逃げようと言うなら、羽交い絞めにしたって引き留めてやる。すごくつらくて、苦しくて、いっそ死んでしまいたくなるような、そしてそれでも幸せだと思えるような人生を生きさせてやる」

 重たい一歩を踏み出し、彼に近づく。俯いたままの彼を真っ直ぐ見つめる。

「だってさ、それが生きるってことでしょ? 間違えて、後悔して、苦しんで、それでも前に前に進んでいく。過去はやり直せなくて、でも未来は変えられる。それを教えてくれたのはバルドイじゃないか」

 僕は項垂れるように力の抜けた彼の右手を思い切り掴んだ。

「だから僕は君の手を離さない。それがせめてもの僕の恩返しだと思うから」

 ようやく彼は顔を上げて僕の目を見た。そして小さく笑う。けれどさっきまで覗いていた暗い影は消えていて、いつもの少しおどけた笑顔に戻っていた。

「……昔、師匠に言われたことを思い出したよ」

「師匠?」

「ああ。俺が云壜屋の仕事を教わった師匠さ。まだ云壜屋になりたての頃、その人に聞かれたことがあったんだ。『云壜屋に一番必要な能力は何だと思う?』ってな」

 唐突に始まった昔話に、僕は少し困惑する。その問いかけに対する答えを尋ねられたが、まるで思いつかなかった。彼が何を伝えようとしているのかも。

「俺は色々考えて答えたが、結局一つも当たらなかった」

 ――それはね、言葉で人の心を動かす力だよ。

 その人はそう答えたらしい。しかしそれを聞いただけではあまり納得できなかった。云壜屋は言葉で伝えられないことを伝える仕事じゃないのか。

「云壜ってのはな、所詮手段でしかないんだよ。手紙や贈り物と同じ。人の想いを込める媒体でしかない。ただ云壜を使えば、想いを伝えられるわけじゃないのさ。だから云壜屋はまず言葉で人の心を引き出す。それができて初めて一人前だって教えられたよ」

「言葉で、心を……」

 思い返してみれば、僕はいつもそこに苦労してきた気がする。言葉というもの、そしてその奥にある想いというものの難しさに頭を悩ませることが多かった。

 云壜屋はただ預かったものを相手に届ければいい仕事ではない。どうやってそれを預かるべきか、渡すべきか。預かったものが偽りないものか、本当に相手に渡すべきものか。そういうことを常に考えて、依頼主の想いをあるべき形で云壜に閉じ込める。無意識のうちに僕はそれを考えていた。

「いつの間にか、俺なんかよりも立派な云壜屋になってたんだな」

 しみじみと呟く彼の目は少し遠くの方を見つめていて、昔を懐かしんでいるようだった。

「……でもそれはたぶん、バルドイのおかげだよ」

「俺の?」

「そう。心が空っぽだった僕に対して、君はいつも僕の想いを引き出すように接してくれた。僕が何を考えていて、何をしたくて、何を拒んでいるのか。自分でもよくわかっていなかったそれを、君は辛抱強く探ってくれた。そうやって僕の心を拾い上げようと言葉を尽くしてくれていたから、自然と僕自身もそれが当たり前のことのように刷り込まれていったんだと思う」

 人間擬きだった僕を、彼が人間にしてくれた。心を、想いを、自分というものを教えてくれた。僕はきっと自分がしてもらったことを真似ているだけだ。

「もし本当にそうだとしたら、俺も少しは云壜屋らしいことができたのかもな……」

「僕は君に色んなことを教えてもらったんだ。君はとびきり優秀な云壜屋だったよ。それは他の誰よりも僕が一番よく知ってる」

 自分本位な人間だと、彼は言った。でもそれ以上に、彼は自分のことのように他人のことを考えられる人間だった。そんな彼を誰よりも近くで感じてきたし、彼のおかげで僕は今ここに存在している。

「それじゃあ、そんな俺から云壜屋のお前に一つ仕事を頼むよ」

「うん。今度こそちゃんとできるはず」

 僕は鞄の中から云壜を取り出す。今にも消え入りそうな弱々しい炎を灯していた。

「これはもういらない」

 蓋を開け、中の想い石を掌に乗せる。すると炎は静かに萎んでいき、小さな破裂音とともに粉々に砕け散った。

 空になった壜に新しい石を入れて、それをぐっと握り締めながら目を瞑る。そこからはあっけないほど一瞬だった。彼から受け取った想いの灯を云壜に詰めると、中には先ほどよりも一層黒くうねる炎が燃え盛っていた。

「相変わらず汚い色だな。持ってる絵具を全部混ぜたみたいじゃねえか」

 彼はその炎を見て呆れたように言う。

「そんなことないよ。ありがとう」

 初めて彼から受け取った本当の想いは確かに不格好で斑な色かもしれない。それでも僕にとっては、この上なく綺麗に輝いて見えていた。

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