第6話

6.



 翌朝、洗面台で鏡を睨んでいると、家臣の老婆に声をかけられた。

 話の内容は、


 父が昔使っていた離れを私の部屋として利用していい。


 というもの。


「どうして急に?」


 しかも何故、本人が言いに来ないのか。


「私にもわかりませんが、今朝、当主様がそうしろと仰いまして」

「それを私に言いに行けって?」

「はい……」

「……意気地なし」


 ため息をついて、鏡に映る自分の顔を見つめた。


 一見冷たそうな漆黒の瞳。

 どんなに口角を上げても微笑んでいるとしか思われない唇。


 口元を緩めると僅かに、笑顔のような表情になった。


「ねぇ、私の今の顔、どう思う?」


 笑みらしきものを浮かべたまま振り返ると、家臣の人は笑顔で両手を合わせた。


「当主様そっくりの綺麗なお顔です」

「…………」


 綺麗かどうかはいいとして、当主様そっくりって。


「ありがと」


 呟いた言葉は、家臣の人に聴こえていなかったらしい。


「今なにか仰いましたか?」と追いかけてくる家臣に背を向けて、表情を読まれないようにして足早に洗面所を出る。

 こんな表情見られたくない、恥ずかしい。


 父そっくりと言われて、嬉しいなんて。


 そんなこと絶対に、誰にも知られたくない。





 居間に入ると脇目も振らず、自分の席に腰を下ろした。

 珈琲の匂い。

 視線を落として書類を見つめる父の姿。


「おはようございます、父様」


 声をかけると、びくっとその肩が跳ねた。

 顔を背け、「おはよ、いつき」とぼそぼそ声を出す。


 何を恥ずかしがっているのだろう、涙はお互い様なのに。

 そんなことは言えず、懐に隠していた物をテーブルの上に置いた。

 えんじ色の包装紙で包まれたお酒、私の誕生日プレゼント。


「まだ受け取れないって昨日、言いましたよね?」


 長テーブルの上を滑らせて円筒を投げると「壊れるからっ!」と父が慌ててキャッチした。


「離れを私にって、どういう意図ですか? あの部屋は以前、父様とお母さんが二人で暮らしていたんですよね? 私が成人したらまた、一緒にあそこで暮らそうって約束していたんですよね?」


 矢継ぎ早の質問に、父は何から答えようかと思慮しているみたいだった。

 やがてため息のようなものを吐き、書類を置いて私に向き直る。


「プレゼントの件は、正直……俺一人で抱えきれなかった」


 弱々しい声を発する父を正面から見るのは初めてだった。

 ぱちっと目が合うと、父が慌てて顔を背ける。


「人と話をするときは、目を見るんですよ?」

「あ、うん……」


 恐る恐る、と言った風に目線を戻す父。

 これではどちらが子どもかわからない。

 普段、父を崇拝している家臣の人たちも、惚け顔で私たち二人を見守っていた。


「だから、開封は五年後だけど預かるだけ。いつきが持ってて欲しい」

「わかりました」

「で、部屋の件だけど……思い出を増やしたいと思って」

「思い出を増やす?」

「約束してたけど、もう一緒には、あいつとあの部屋に帰ることはできない。だから、それなら、いつきの思い出もそこに入れたいと思って」

「……仰っていることの意味を、理解しかねます」

「えっと、だから、五年後に俺はあの部屋に帰るから。その時に寂しくないように、いつきもこの部屋にいた、俺は一人じゃない、いつきとの思い出もあるって、そう思えるように」

「……父様も同じ部屋で暮らすんですか?」

「俺は五年後。だからそれまでは、いつきがあの部屋を使っていいよ。壁に落書きするのもアリだから。むしろそうやって、いつきが居たって痕跡を残して欲しい」

「…………え?」


 思わず声が漏れてしまった。

 首を傾げる私の正面で、父が恥ずかしそうに顔を隠す。

 母との約束は守るつもりだ、例え一人になっても。

 だけどやはり一人ぼっちは寂しいから、私が居たという思い出を追加しておきたい。


「ん……え?」


 ちょっと、意味がわからないけれど……

 照れ臭そうに顔を背ける父を見て、なるほど、可愛いと思った。


 母はそんな父を、好きになったのだ。


「……私の好きなようにしていいんですか?」


 じっと見つめたまま問いかけると、父がふっと小さく笑った。


「いいよ。成人するまで、いつきの部屋だから」

「わかりました。壁紙を黒くしてそこに血糊を貼りつけておきます」

「……ん? え?」

「勉強机には包丁のレプリカを突き刺して、ゾンビの人形と蝙蝠は手作りします。天井も好きにしていいんですよね? お化け提灯垂らして、蝙蝠の丸焼きもぶら下げるのはどうでしょう?」

「いや、えっ……ちょっと待って、いつき……えっ?」

「父様は知らないと思いますが私、ホラーが好きなんです」

「そうなの? えっ、マジで? 知らなかった……でも、手を入れすぎるのも……」

「冗談です」

「冗談⁉」

「部屋の模様は変えません。お母さんとの思い出があると聞いたので」

「あ、うん……ありがとう」

「私がホラー好きだと、そう思いましたか?」


 私の質問に、父は息を飲んだ。

 軽く視線を外したあと、またそれは私のところへ返ってくる。


「いつきはホラーより、ファンシーが好きだと思ってた」

「ファンシー?」

「自由画帳に描いてたペガサス、可愛かったから」

「…………」


 途端、顔に血が上るのを感じた。

 どうして?

 自由画帳は、母にしか見せたことないのに。


「み、見たんですか? 私の、自由画帳……いつ?」

「え? いつきが寝てる時に、お母さんが……もしかしてこれ、言わないほうがよかった?」


 困惑する父と、真っ赤になって下を向く私。


 お母さん!


 心の中で怒ったが、きっと、母は笑っているに違いない。



 だってお父さんにも見せてあげたかったんだもん。



 そう言って笑って。

 そうしたらきっと、父が「やめろよ」と呆れたようなため息を吐くのだろう。


『ごめんね』


『謝るならやるなって。いつき、今聞いたこと忘れていいからな』


『えー、それはもったいないよ。いつきの絵ね、お父さんも褒めてたよ』


『だから言うなって……』



 脳内で勝手に、両親の会話が再生された。


「残します」


 ぎゅっと手を握り、唇を噛んで顔を上げる。

 不思議そうに首を傾げる父と目があって。

 同じ表情をしようと、私は口角を上げた。


「思い出を、残しておきます。だから父様、五年後、一緒に、私の誕生日をお祝いしてください」


 ちゃんと笑えていたかはわからない。


「楽しみにしとく。よろしく、いつき」


 だけど父が微笑んだので、大丈夫だと思った。


 私たち親子はきっと今、同じ表情をしている。



 誰か鏡を持ってきて、私の顔を見てもいいよ。


 目の前にいる人と、どれだけ似ているか比較してくれていい。


 一見冷たそうな漆黒の瞳。

 どんなに口角を上げても微笑んでいるとしか思われない唇。


 父そっくりなこの顔を、もう、嫌だなんて言わない。


 目の前で微笑む、

 私にそっくりなこの人は私のお父さん。



 この世で一番大好きな私の家族です。



 五年後、宝箱をもらう日まで私は。


 父と母の思い出に新しい綺麗を積み重ねながら、



 生きていく。

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宝箱をもらう日 七種夏生 @taderaion

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