25ハクション ニアミスケアレスミス
「くぁ……ねむ」
放課後、いつもの様に花菜の生徒会が終わるのを図書室で勉強しながら待っていた。今日も周りの迷惑にならないようにあくびを必死に噛み殺すが、隣からはあくびを通り越して寝息が聞こえてくる。
「スゥ……」
笹原から分からない所を教えて欲しいと頼まれ並んで参考書を開いていたのだが、先程からうつらうつらと船を漕いでいてとうとう寝入ってしまった。トントンと軽く肩を叩いて起こしてやる。
「おい笹原」
「ん……すまん、寝てしまった」
謝りながら目を擦ると、その前髪の下に隠した綺麗な瞳が姿を現す。悔しいがコイツも美形だ。ホント、俺の周りにはイケメンが多くて嫌になる。顔だけのチャラ男なら唾を吐いて終了なのだが、もれなくイイ奴ばかりだからな。嫉妬するのもバカバカしい。
「疲れてるなら明日にしようか?」
人に教えを請いておきながら居眠りなんて不届き千万だが、俺も居眠りする太郎の異名を持つ男だ。あまり強くは言えない。
「いや、今日中に終わらせたいんだ。もう寝ないから教えてくれ」
笹原は大学を受けないつもりらしい。ゲームで賞金を稼ぎながら音楽クリエイターを目指すようだ。清川つぼみと同じ世界で生きていきたいという事だろう。それを親に話した所、一学期の中間、期末両方の学力テストで30番以内に入ったら好きにしていいと言われたそうだ。両親も笹原がどれだけ本気か試したいのだろう。夢の為にそれ以外の事を頑張れるか、決意の程を計りたいのだ。
お陰で作曲をしながら『ガンドラ』の練習もして更に勉強、と睡眠を削る様な生活を余儀無くされたという訳だ。
「そっか、わかった。ほら」
ポケットから眠気覚ましのミント菓子を出して笹原に差し出してやる。それを箱ごと受け取ると一気に何粒もザーっと口に流し込んだ。バリボリと豪快に噛み砕くと刺激が強すぎたのか鼻をギュッと摘まんで悶絶する。
「うお……くぅー! きくぅっ!」
「一気に食べるもんじゃねえだろ。俺が言っても説得力無いけど、睡眠はパフォーマンスの基本だからな。ちゃんと寝ろよ」
「ああ、痛感してる。無理はするもんじゃない」
急に睡眠を削ると途端に皺寄せが来る。俺なんかは睡眠不足のプロだからいいけど、アマチュアが無理をしてはいけない。
「睡眠不足のプロって何だよ! 誰も憧れねえよ!」
「稲村? 急にどうした?」
「何でもない。ただのセルフツッコミだよ。で、その問題だけどさ……」
俺もミント菓子を数粒口に放り込んで個人授業を再開する。笹原もそれ以降は眠ることもなくちゃんと俺の話を聞いてくれた。
それにしても、改めて見るとハイスペックな男である。
作詞作曲とパソコンによる編曲が出来て更にピアノとギターが
爆発しろ。
チートにも程があるな。物語のキャラなら絶対に主人公だ。
ん? それに比べると俺ってスペック低くない?
成績こそいいが、逆に言えば勉強しか取り柄がない。
完璧な花菜に全部釣り合おうなんて叶う筈がない。だからせめて一番可能性のある勉強を頑張ろうなんて
運動神経はない。
絵心もない。
音痴ではないが、特別なセンスもなくて楽器も弾けない。
おまけに顔も普通だ。
死のう。
「いやいやいや死なねえよ! 俺は生きる!」
「ん? どうした?」
「いや、何でもない」
職業だってミーチューバーなんていう得体の知れない物だし、それだって今は花菜と二人で出演してるから彼女に対してはアドバンテージにはならない。ひょっとしなくても俺は男としてハズレなんじゃないか?
「笹原、一つ聞きたいんだけど、勉強と教えるのが上手いっての以外で俺の魅力っていうと何かな?」
笹原は泰やモモと違って最近よく話すようになった友達だ。贔屓目でなく客観的な意見をくれるだろう。
「ツッコミだろ」
「は?」
何言ってんだコイツ。しかも即答かよ。
「この間つぼみさんが北高に来たときに杏と一緒にいて、稲村の凄さを実感したんだ。あんな無茶苦茶な奴によくツッコミが追い付くもんだって。間違いなく特技だよそれは」
ってかそんな長文でしみじみ誉める程なのかよ。
「履歴書に書けねえよ! 就活の面接で『特技はツッコミです!』なんて言えるか! お見合いで『ツッコミを少々……』とか言われたらその後のトークでボケなきゃいけないのかとプレッシャーになるわ!」
息切れするほど必死になって否定するが、これさえも巧妙な罠。
「ほら。そういうトコだよ」
ぐぬぬ、ついツッコんでしまう……
「ハァハァ。ち、違う。モモとか雛岸がやたらボケるからだ。仕方なくツッコんでるだけだ」
そうだ、やりたくてやってる訳じゃない。環境がそうしてるだけなのだ。
トントン。
心の中で言い訳をしていると不意に誰かが肩を叩いてきた。図書室で騒いでしまったから注意しに来たのかもしれない。謝罪の言葉を準備して振り返ると、名前はわからないが2年生の女子生徒が立っていた。
「お母さん!」
「え?」
「……あ、間違えました! ごめんなさい!」
俺の顔を確認するとギョッとして頭を下げた。どうやらお母さんと間違えたらしい。
そんな訳あるかよ。
「今日は参観日でも三者面談でもねえよ! 何でお母さんが学校にいるんだ! ってか制服着た男子の顔を見るまでわからないとか複雑な家庭か! どんなお母さんか気になってしょうがないわ!」
「す、すみませんでしたっ!」
再び謝ると逃げるように図書室を飛び出して行った。いくらなんでも俺をお母さんと間違えるのはおかしいだろ。
「稲村、いくらなんでも後輩の女の子にあそこまでツッコむのはおかしいだろ」
「え?」
「だから友達ならともかく、ほぼ知らない人にお母さんと呼ばれたからって普通はツッコまないって」
なん、だと……?
「辻ツッコミって礼儀じゃないの?」
「そんな作法も辻ツッコミなんて言葉も聞いた事ねえよ」
違和感を覚えたら全力でツッコむ。これは当たり前じゃないのか?
「じゃあ何? 道で犬を抱っこして歩いてる人がいても『散歩の意味ねーじゃん!』とかツッコんだりしないの?」
酷いのになると乳母車みたいなのに犬乗っけてる人もいるからな。どう見てもツッコミ待ちだろ。
「しねーよ。ってか、そんな事までしてるのかよ」
待て待て待て。そんな訳……
「じゃあ近所のオッサンがスクール水着を着て三輪車に乗ってても皆スルーって事?」
「それは通報しろ」
「マジか……」
なんという事だ。自分だけはマトモだと思っていた。至って常識人だと思っていた。人に物を教える人間として至極真っ当だと思っていた。
「お前は異常だよ稲村。夢GEN楼のウェイトレスさんが言ってた様にツッコミ職人なんだよ。辻ツッコミは職業病だ。凄いとは思うがなりたくはないな」
「俺が、異常……」
あまりのショックにガシャーンと音を立てて椅子ごとひっくり返ってしまった。
俺の周りは生まれたときからコスプレ大好き変態親父を筆頭にモモや蒲ちゃん、最近では東堂院と変人ばかりだ。その中で唯一の常識人が俺だったのだ。
ザ・普通。
それが俺のアイデンティティだった。
茫然自失。
立ち上がれない。
「ハッ、ハッ、『春太郎にギュッて抱きしめられたい!』」
近付いてくるくしゃみの音。どうやら生徒会の仕事が終わったらしい。控え目にドアが開けられるが、倒れたままの俺に驚き声を掛ける幼馴染みと毒舌な後輩。
「お待たせ春太郎……どうしたの?」
「おや? 殺虫剤でもかけられましたか虫けらキモ太郎先輩?」
ゴキブリじゃねえよ。ってイカンイカン。雛岸の言葉に反応してはいけない。無言で立ち上がり衣服の乱れを正す。
「笹原、あと分かんない所あるか?」
「いや、理解した。夜にでももう一回やってみるよ、ありがとう」
「不安そうなら明日にでも言ってくれ。いつでも教えるし、動画にして送ってもいい。そうだ、これから花菜達と夢GEN楼に行くんだけど笹原も来るか?」
夢GEN楼には週イチぐらいで通っている。コーヒーが飲めない雛岸はすっかり紅茶専門店が気に入ったようで行こう行こうと誘われるのだ。
「何なら笹原先輩と二人で行ってきてもいいんですよ。そうしたら私と会長が二人きりになれますから。お邪魔な虫太郎先輩」
どこまで俺を虫扱いするんだ、そんなツッコミが喉元まで出掛かって必死に飲み込む。俺は普通だ。ツッコミなんてしないんだ。
「せっかくだけど今日は帰るよ。作曲もあるし、『ガンドラ』の大会も近いんでね。じゃあありがと」
「ああ、ちゃんと寝ろよ。じゃあまた明日」
笹原が帰るのを見届けて俺達も夢GEN楼へ向かった。
◇◆◇
「ダージリン2つにアールグレイがお一つ、全て本日のケーキセットですね、かしこまりました」
ツッコミ職人仲間のウェイトレスさんが恭しく頭を下げて奥へ戻っていく。いや、元仲間というべきだろう。今日でツッコミ職人は卒業だ。普通の男の子になるのだ。
「どうしたの春太郎? ずっと黙りこんじゃって……ハッ、『無口でニヒルな春太郎もカッコいいよ~!』」
口を開けばツッコんでしまいそうで図書室を出てからずっと無言でいた。
「あ、笹原先輩と別れて寂しいんでしょ恋する乙女太郎先輩。会長は私が幸せにするので安心してください」
「何でもない」
花菜を幸せにするのは現在進行形で俺の役目だが、「上手いことカップル2組成立させてんじゃねーよ!」なんて言葉が食道をせり上がってきてグッと堪える。
「あら、体調でも悪いんですか? いつもなら『上手いことカップル2組成立させてんじゃねーよ!』ってツッコんで来るのに」
なんで一言一句わかるんだよ。エスパーかお前は。
「俺はツッコミをやめた」
なんの宣言だよ。
「ツッコミをやめた? どういう意味ですか?」
「言葉通りだ。もうやたらとツッコんだりしない。どれだけ雛岸やモモがボケようとスルーする」
「ええ? 先輩からツッコミを取ったらガリ勉の陰キャしか残りませんよ?」
それはボケじゃなくてただの暴言だぞ。誰がガリ勉の陰キャだ、って俺か。そうだ、これからは寡黙な男になるんだ。ガリ勉の陰キャでいいじゃないか。
「構わない。ツッコミ職人は引退だ」
俺が言い切るとウェイトレスさんが持っていたお盆を落とした。店内にカランとした音が響き、その顔はプルプルと震えている。
「そんな……ツッコミ職人界の重鎮が引退……信じない……認めない!」
絶望的な表情を向けてブツブツと言っているが、俺はもうツッコミ職人じゃないからそれさえもスルーだ。あと勝手に界隈の重鎮にするな。
「そうは言っても、しばらくしたらツッコむんでしょ?」
「しない。何なら試して貰ってもいい」
「そんな無駄な事に時間使いませんよ。わかりました、勝手にしてください。でもだんまりはダメですよ、ツッコミ職人じゃないならツッコミ無しで普通に会話出来ないと」
なるほど、一理ある。口にチャックをしてツッコミしなかったとしても意味がない。当たり障りのない会話が出来て初めて一般人と言えるだろう。
「わかった。俺の本気を見せてやる。で、何の話だったっけ?」
本気を出さなければいけない時点で負けている気がするが、せっかくだ。練習させてもらおう。
「ヒナの家に田舎からおじいちゃんが来てるんだって」
「へえ、そりゃ賑やかそうでいいな」
「そうなんです! うちの祖父もう80過ぎなんですけど、トシの割にテンション高くて!」
お祖母さんは5年前に亡くなってしまったらしいが、一人でも元気いっぱいで今も北陸のお父さんの実家で農家を続けているそうだ。
「祖父、今はうちの離れのお花の部屋で寝泊まりをしてるんですけど、父とそっくりで片付けが出来ない人なんです。毎朝お花の稽古をしようとすると祖父の持ち物が散らかってて」
「ふーん、実家も散らかってそうだなあ。まあ、男は皆そうだろ」
俺も片付けは苦手だ。だから自分の部屋に極力物を持ってこない様にしてる。
「で、今朝もお稽古してたんですけど、私寝惚けちゃって祖父の入れ歯にお花を活けちゃってて!」
「……」
「途中で気付いてビックリしちゃって、『入れ歯活けてる!』って部屋で叫んで、その場は片付けて終了したんですけど、どうやら祖父が私の言葉を『入れ歯がイケてる!』って勘違いしちゃったみたいで」
「……」
「朝食の時に私の席の前に入れ歯が置いてあって、それがさっきのじゃなくて全部金歯の勝負入れ歯で、『いばら、どうだ、こっちの方がイケてるだろう?』ってドヤ顔してきたんですよ!」
「てめえわざとやってるだろ!」
「え?」
「え?じゃねえよ! その話にツッコまないのは逆に失礼だろ! どうやったら入れ歯に花が刺さるんだよ! 普段使いの入れ歯ボロボロになっただろ! 勝負入れ歯って何、料亭とか行くときに着けるの? ってか全部金歯ってお祖父さんファンキーにも程があるだろ! 大体何でアールグレイ頼んでるんだよ、3つともダージリンでいいだろ! それに俺の名前イジリがいつも遠すぎるんだよ、せめて少しは語呂合わせしろよ! あと電柱が真っ直ぐ伸びすぎなんだよ! パクチーの存在意義がわかんねえよ! カフェオーレ頼んだのに一緒にミルク持ってくる奴何なんだよ! 泰も笹原も顔が良すぎるぞ少し分けろよ! あとなあ、これだけは言わせろ!」
捲し立てすぎたのか、雛岸は呆気に取られながら何とか返事をする。
「な、何ですか?」
「お祖父さん大切にしろよ」
「ズコッ」
あまりの言葉の落差に雛岸は盛大にズッコケた。
「普通か! もういいよ!」
そんな俺達に嬉しそうなウェイトレスさんのツッコミが炸裂。こうしてツッコミ界の重鎮は復活したのである。
ってなんでやねん、いい加減にしろ。
◇◆◇◆◇
帰り道。雛岸と別れて二人きり。
「もう。ウェイトレスさんは許してくれたけど、お店の中であんなに大きな声で叫んだりしたらダメだよ春太郎」
花菜は頬を膨らませて「めっ!」っと俺のおでこにデコピンを放つ。そんな花菜の仕草が可愛くて痛みよりも幸福感が心に広がっていく。叱られているのだから反省の色を見せなければいけないのに、どうしても頬が弛む。
「ごめんごめん、気をつけるよ」
「でも、確かにツッコミがなくなったら春太郎じゃないかも。ねえ春太郎?」
「何?」
「私もツッコんでいい?」
「へ? 何を?」
突然そんな事を言い出すもんだから、俺の返事は上ずってしまう。
「この前の木曜日、どこに行ってたの?」
ドキリ。
「じゅ、塾の友達と会ってたんだ。実は相談を受けてて、あと何回か会わなくちゃいけない」
女の子と会ってたとは言えない。まして、恋人のフリをしてるなんて。
「次の日、春太郎の目が腫れて真っ赤だった。苛められた? 嫌な事された?」
さすが、幼馴染みはよく見てる。
「何でもないよ。いつもの寝不足」
そんな言い訳、15年以上一緒にいる幼馴染みに通用する訳がない。だけど、死んだばあちゃんを思い出して泣いてたなんて言えない。
カッコ悪い。
「本当に? 私に言うことない?」
弱さなんて見せられない。花菜にとって常に頼れる男でありたい。
「ないよ」
そうさ、花菜に心配なんてして欲しくないから話せないんだ。なのになんでそんな悲しそうな顔するんだよ。
「私、いつも春太郎に助けて貰ってばかりじゃない? 若葉の事も本当に感謝してるの。ありがとうじゃ足りないくらい。だから、私も同じ様に春太郎の力になりたいんだよ。だから、辛い時は言ってほしいの」
俺はそうは思わない。一方通行でいい。助けるのは俺で、花菜にはいつも笑っていてほしい。
ばあちゃんが死んだ時も俺は一人で唇を噛んで耐えた。あえて花菜を避けた。だって、キツい時に花菜が隣にいてくれたら甘えてしまう。弱くなってしまう。
「大丈夫だよ。それに、もし辛くても花菜には迷惑かけないから」
俺の言葉に唇を歪めて一層悲しそうな表情をする。何でだよ、迷惑を掛けないって言ってるじゃないか。
「あっ、そう。わかった、もう知らない」
悲しそうな表情から一変、口を尖らせてプイッとそっぽを向くと、歩く速度を速めてスタスタと俺を置いていってしまった。慌てて足並みを揃えるけど、もう俺の方を向いてくれない。
「は、花菜? どうした? 何怒ってるんだ?」
「別に。怒ってない。知らない。ハッ、ハッ『春太郎なんて大っ嫌い!』」
初めて
サトラレクション!! ~幼馴染み美少女のくしゃみがハクションではなく「(俺の名前)大好き!」と言ってしまう件 なお、本人は気付いていない模様~ 京野うん子 @kyouno-unko
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