第4話 加治ヨシオの決断
十分に手入れされた植樹帯の緑と
無彩色のスーツに身を包んだ男性が行き交う中を時折ビビッドな装いの女性が足早に通り抜けていく。
かつての自分もあの中の一人として意気揚々とこの道を闊歩していたのだ。
しかし今となってはこの風景もあの量子図書館で感じたのと同じく、どこか現実味に欠けた景色に思えてならなかった。
二年ぶりのオフィス、そこでヨシオを待ち受けていたのはかつての仲間でも新しいプロジェクトでもなく、知らない顔の面々とマネージャーを名乗る自分よりも年下の上司だった。事業再編、ヨシオが父親の介護に没頭している間にこの職場では大規模なリストラが断行されていたのだった。
マネージャーを名乗る男は復帰を祝う挨拶もそこそこに冷たい笑顔を浮かべながらヨシオにこう伝えた。
「我々は
提示された破格の退職金、それでも会社にとってはこの先ヨシオを雇用し続けるよりもずっと人件費の削減になるのだろう。たった二年とは言えこの業界では長いと言わざるを得ないブランクによる不利と居心地の悪そうなオフィス、そこでかつてのように活躍する自分の姿をヨシオはどうしても想い描くことができなかった。
このままここに残ったとしてもその先の自分を待ち受けているのはあの介護の日々に匹敵するストレスだろう、それは自分が望んでいたことではない。そう考えたヨシオは会社からの提案に二つ返事で同意した。
これだけの退職金がもらえるのならば……その金額を目にした瞬間からヨシオの気持ちは決まっていた。広い歩道の端っこを歩きながらヨシオはスマートフォンを手にすると通話履歴をスクロールする。
「量子図書館会員様専用窓口」
そこで指を止めるとヨシオは迷うことなくその番号にタッチした。
――*――
大理石張りの空間の中央にポツンと置かれた黒い鉄製のイスとテーブル、かつて訪れたその広間で
「加治様、お父様とのご面会かと思いましたが、まさかのご提案を頂戴することになるとは。しかしながら誠に申し上げにくいのですが……」
「お金はあります。退職金が出たのです」
退職金、その言葉に仏子沢館長の目が鋭く光る。そしてその表情はすぐさま柔和な笑みに変わった。
覚悟を決めた目で自分を見つめるヨシオの心をなだめるかように仏子沢館長は大きくゆっくりと頷く。そして静かな声で「わかりました」の一言を残すと、その後は女性秘書に全ての手続きを委ねるのだった。
――*――
そこはよくあるIT企業のオフィス、白を基調にしたインテリアに丸みを帯びた大きな葉の観葉植物が無機質な中に少しばかりの安らぎを与えていた。
奥の部屋から颯爽と現れたスラリとした初老の男性、オールバックにセットされた白髪と鼻に載せるような縁なしの丸眼鏡で学者然とした雰囲気が演出された姿に従業員たちが姿勢を正して一礼する。
男性はデスクに着くなりリーダー格の社員を自分の下に呼びつけた。
「例の加治さんな、親父さんに続いてせがれもだ」
「えっ、息子さんってまだ三十代ですよね」
「ああ、親父さんを見て決心したんだそうだ。金は心配ない、リストラされたとかで退職金をそのまま使うって話だ」
リーダーは男性に向かって姿勢を正すとテキパキと答える。
「それではすぐに履歴を調査して動画の制作を……」
「いらん、いらん、そんなものに手間も経費もかけんでよい。なにしろ彼には墓参りに来るような身内はいないんだから。それに図書館のあのコケ脅しのようなセットにも結構な金をかけてるんだ、これからは無駄な経費は減らしていかんとな」
男性はリーダーの言葉を遮るようにそう言うと、デスクの上のビジネスフォンに手を伸ばす。
「ああ、私だ。この間のに続いてもう一体追加してくれ。今度のは若いぞ、なにしろあの親父のせがれだ……そうだ、ほぼ健康体、これは稼げるぞ」
男性は受話器を置いて立ち上がるとリーダーの肩をポンポンと叩きながらほくそ笑んだ。
「こんなに若く健康な献体を扱うのは初めてだ、なにしろ脳以外のほとんどが使えるんだからな。移植を心待ちにされている皆さんもさぞかしお喜びになることだろう。さて、加治ヨシオ君、はたして君はどれだけ我が社の売り上げに貢献してくれるのだろうか、私は楽しみだよ」
軽い咳払いひとつ、それを機に彼の振る舞いがやり手の経営者から学者然とした初老の紳士に変わる。そして目の前に立つ従業員に向かって命じる。
「これから会うドナー、いや失礼、被験者のファイルを用意してくれ」
「承知しました、社長……あっ、いえ、仏子沢館長」
「ここでは社長で構わんよ、社長で」
従業員たちは起立すると部屋を出ていく初老の男性に向かって再び一礼する。男性は振り向くことなく片手を上げると再び扉の向こうに消えていった。
量子図書館へようこそ
―― 完 ――
量子図書館へようこそ ~彼は如何にして苦悩することをやめて最後の決断を下したのか~ ととむん・まむぬーん @totomn
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