【後日】 コーヘイとセトルヴィード
愛弟子の結婚式が無事終わり、二人をフレイアの家に魔法で飛ばした後、セトルヴィードは少し疲れを感じて、椅子に深く腰をかけたまま、少し眠ってしまっていた。
新しい魔法の研究を始めた事もあり、日々の仕事のほかにもたくさんやらなければいけない事がある。毎日忙しかった。最近は全く疲れが取れなくて、若い頃に、無茶な鍛錬をし過ぎた事を、後悔する。
本当なら大貴族の嫡男として、妻を迎えて子を成すべき義務があったのだが、のらりくらりと見合い話を交わし続けた結果、ついに両親は折れて、セトルヴィードの姉の息子、つまり彼の甥を、家の跡継ぎとする事に決めた。
家という足枷が外れ、少し解放感もあったのかもしれない。
魔導士団長という地位も、ある意味足枷ではあったが、この仕事は気に入っているし、この立場であるからこそできる事も多く、満足している。
うとうとしていると、故郷の風景が眼前に広がった。
彼が生まれ育ったのは、エステリア王国の東側。湖沼の広がる湖水地方。夏にはとても美しい風景が広がる。のどかな雰囲気で、昔ながらの建物が立ち並ぶ風景が広がり、古の都とも呼ばれる。
田舎といえば田舎だが、王都に出て来るまでの少年時代を過ごした、思い出の土地だった。
一度、帰っておきたいな、と思う。
ただ、彼の見た目はとにかく目立つ。今は腰に届く長い銀の髪。それなりに年齢を重ねてはいるはずなのに、美しさはそのままで、昔のように野原に寝っ転がったり、等という事が出来る雰囲気ではない。いつも誰かからの視線を感じそうだ。
それでいて、魔導士団長というその立場。何処に行くにも護衛が一個中隊ついてきてしまう。気軽に里帰り、というのも中々難しい。
だがあの風景を、信頼する黒髪の騎士と共有しておきたいという思いもあった。
特に、そう、今のこの夏の時期が最高なのだ。
コーヘイの爽やかな笑顔は、あの場所の青空に似ている。
そんな風に考えていると、不意に花の香りがした。知っている花は頭に思い浮かばないが、代わりに懐かしい少女の顔を思い出す。
――ああ、この香りは、フレイアの香りなのか。
これがコーヘイの言う、さくら?という花の香りなのだろうか。等と考えているうちに、まどろみは深い眠りに代わって行った。
結婚式場の後片付けを終え、コーヘイが魔導士団長の部屋に報告に戻って来た。ノックをしたが、反応がない。副団長のところかな?と思ってそちらに行ったが、そこにも姿はなくて。
あまり部屋から離れる人でもないので、なんとなくコーヘイは不安に思った。
いつもは返事がないときに、扉を開けたりしないのだが、なんとなく嫌な予感もして、そっと開けた。
その目に飛び込んで来たのは。
ローブを脱いだシャツ姿で、机に突っ伏して微動だにしない魔導士団長の姿。
「閣下!?」
彼は鍛錬をするときはベッドの上だったし、こんな昼寝の仕方をする人でもない。黒髪の騎士は駆け寄って、慌ててその肩をゆする。呼吸が確認出来てほっとしたのだが……。
「あれ?でもローブはどこに置いたのだろう?」
寝てるのなら肩に、ローブでもかけようかと思ったのだが、見当たらない。
部屋の隅々に、目線を送ると、本棚の向こうにその裾がちらりと見えた。
「あれ?なんであんなところに」
コーヘイがそのローブの元に足を向けると、二度目の驚くべきものが目に入った。
「ユ、ユスティーナ!?」
長い黒髪、整った人形のような顔立ち、セトルヴィードと同じ紫の瞳。それが魔導士団長のローブにくるまって、本棚の影に座り込んでいた。
「コーヘイ、すまん……」
「閣下なんですか!?」
顔色が悪く見え、慌てて抱き上げてベッドに運ぶ。ユスティーナは十七歳ぐらいの見た目、細身の体はとにかく軽い。
「どうしちゃったんですか、というか、ユスの体はどこにあったんですか」
「うっかり作ってしまった……」
「えーーーー!?どういう事なんですか」
「とりあえずカイルを、呼んでくれ……」
紺色の髪の魔導士は、結婚式用の儀式服を、いつもの魔導士の服に着替えた所だった。慌てて駆けつける。
「何やってんだおまえ」
「夢にフレイアが出て来て、彼女の魂はもしかして、今は私の中にあったりするのかなと……彼女の魂を核に、私の魔力をまとわせば、ユスティーナが出来上がるのかと考えていたら、目が覚めたらこの状態だった」
「魔力を完全に使い切ってる。これもある意味、新魔法だな。禁忌の香りはするが」
「これ、どうやったら元の体に戻るんでしょう」
前回は、急に戻っていて、何をきっかけにしたかどうか定かではない。
とりあえず本体は、カイルの部屋にある小部屋で預かってもらい、以前同様、時間を止める封印を。
その間に、コーヘイはユスティーナ用の服を確保してきていた。マンセルの実家の商店は、品揃えが豊富で助かる。
ただ、年頃の女の子の服はともかく、下着を買うのはちょっと恥ずかしい。そういえばディルクもあの時、すごく恥ずかしかったと言っていたっけ……。
少しベッドで休んでいたせいか、ユスティーナはすっかり元気になっており、さくさく着替えた。
「でも今後、どうしますか」
「そうだな……せっかくだし、王都の外に行ってみようか」
「えー!?大丈夫なんですか?」
夢の内容を反芻すると、フレイアがそのために力を貸してくれたような気がする。せっかくの機会を生かしたい、彼はそう思った。
「旅をするのは流石に難しいから、目的地まではカイルに飛ばしてもらおう。前回と同じで魔法生物だが、この成長状態なら構造が安定してる。いけるはずだ」
「目的地?」
「私の故郷を、おまえに見せたい。明日の朝」
紫の瞳でじっと見つめて来る。この瞳に弱い。
「わかりました、行ってみましょうか。でも日帰りですからね。自分、急にはそんなに休めませんからね!」
「チッ」
「今、舌打ちをしませんでした!?」
「何の事だか」
姿が変わると、性格が変わるのか。いやもしかしたら、これが素なのかもしれない。カイルから、昔はやんちゃなところも多くあったと聞いている。見た目や立場に相応しい態度という、そういう物にも縛られていたのかなと思う。とにかく足枷の多い人だから。
ユスティーナでいるときだけ、彼は全てから解放されるのだ。そのしがらみから解放された素の彼も全部、コーヘイは大切にしたいと思っている。
カイルはすんなり、目的地まで飛ばしてくれた。彼は親友の幸せをずっと願ってこれまでやってきた。今回もその幸せの手助けである。
二人が転移すると即、青い空が目に飛び込んで来た。青い青い空、高く高く。
二人が立つのは、一面が緑の丘。所々に白い岩。遠くに雪を抱く山が見え、大きな湖は鏡のように、空を映す。まるで空が上にも下にもあるようだ。
息を飲むような美しさだった。
風がかすかに吹き、草原にさざ波のような光を走らせる。
コーヘイがその風景に見とれているのを見て、ユスティーナはとても満足そうな顔をしていた。
「どうだ、美しいだろう?」
「素晴らしい景色ですね」
「ずっと見せたかったのだ、ここが私の故郷だ」
両手を広げて、楽しそうに草原を走って見せる。
くるっとまわって振り向いた笑顔がとても明るくて。いつも儚げな、静かな微笑を見せる人なのに、ともすればミシャのような笑顔だ。
この美しい光景から引き離され、石積みの城に閉じ込められる事になったとき、どれほどの絶望だったろうか。
黒髪の少女は駆け戻って来た。
「コーヘイの故郷はどうなんだ」
「自分の生まれ育った所は、こういう美しさではないですね」
彼は、東京に比べれば空は広いが、緑が少ないそれなりの都市部生まれだった。誰かに見せたいと思うような衝動は沸かないが、あそこが彼の故郷だった。アスファルトとコンクリートの無個性な街。だが、人が懸命に技術を培って作りだした風景だ。誇りを持ってもいいだろう。
ふとユスティーナを見ると、幼い姿の時のように”抱っこしろ”の仕草をやっていた。この姿になると、本当に甘えん坊で困る。困るが、それが可愛いとも思う。
コーヘイは笑って、ユスティーナの体を抱き上げた。
「ほら、閣下、空が少し近くなりましたよ」
「ほんのちょっとじゃないか」
「この、ほんのちょっとで、色々違うんですよ」
「そうだろうか?」
少女は左手を伸ばして、空に浮かぶ雲に触れようとする。
「届かない」
コーヘイは、ユスティーナから桜の香りがする事に気付いた。
「花の香りがしますね」
「これはフレイアの香りだ」
「彼女がいるんですか?」
「この体の核の魂は彼女だと言っただろう?」
コーヘイは、ぎゅっと少女を抱きしめた。
ユスティーナはびっくりした顔をしてコーヘイの顔を見た。
「これは彼女を抱きしめている事になるんでしょうか」
「なる」
そっと地面に、少女の体を下した。そしてもう一度、覆いかぶさるように抱きしめる。あの時できなかった事を、今。
ユスティーナは目を閉じて、ぎゅっと抱きしめ返した。
「ずっと好きでした」
「過去形か」
「過去になってしまいましたね」
ユスティーナはユスティーナであって、もうすでにフレイアではない。だが彼女の魂に向けて、きちんと告白したという実感が、彼の心に区切りを付けた。
「ユスティーナとしては、愛してやらないのか?今だから言うが、フレイアはおまえを選んでいたようだぞ」
「だって、閣下じゃないですか」
コーヘイは笑う。とてもややこしい事になってる事に気付いて。
「私の事は嫌いなのか?」
「好きですよ」
「じゃあ、二人セットでお得だ」
「時々、わけのわからない事を言いますね」
「今なら性別の壁はないぞ」
「豪胆なのはいったいどっちなんですか、周囲にも壁がありませんよ」
そこは原っぱである。一切の遮蔽物はない。
「ここは今も昔も、人がこないのだ」
「まさか最初から狙ってたんですか」
「あわよくば」
「本当に、無茶苦茶ですね」
すべてのしがらみを、セトルヴィードは取っ払っていた。とにかくひと時の、完全な自由な時間を満喫する。
心の赴くままに、空に向かって翼を広げようとする美しい鳥。
草の香りがする地面に背を付けたユスティーナは、空を見る。
黒髪の騎士は、今この眼前に広がる風景のよう。この夏の午前の空のような爽やかな笑顔をしている。この顔を一日でも長く見ていられたらと、セトルヴィードは願った。
若い頃の無茶は、随分と彼の体を痛めつけていて、その五年後、銀髪の魔導士は四十二歳でこの世を去った。静かで穏やかなその眠りの日を、カイルと黒髪の騎士がその枕元で看取る。
早逝だったので、彼の新魔法は完成に至らず、その後を継いだ新しい魔導士団長が、その魔法の開発を引き継いだ。
コーヘイは新しい魔導士団長も守りきり、騎士団員としては驚きの享年七十九歳。死因は老衰。この世界に来ても彼は、元の世界の母国の平均寿命まで精いっぱい生き抜いて見せたのだ。
二人の魂は再び出会う約束が成されている。次は一つの魂となって、二度と離れる事はない。
異世界人はこの世界を愛してるⅣ MACK @cyocorune
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