後日談 それぞれの人生

【後日】 ミシャとジル

 ミシャの体調がいったん落ち着いたので、彼女とジルの二人は再び、王都に戻って来ていた。

 彼女はいつもの町娘の姿。ブラウスの胸元にはスカートと同じ紺色のリボンが結ばれている。ジルもその辺りの青年と変わらない、素朴な茶色を基調とした服装。


 王都の中では比較的大き目の墓地に、ミシャの養父母の墓はあった。


 ミシャはしゃがみ込んで、その墓石に花を置く。

 通常、祈りの仕草というのは、両手を組むのだが、ミシャはいわゆる、手のシワとシワを合わせる重ね方をする。


 彼女は元の世界で、共働きだった両親から離れ、祖父母の家に預けられて四歳まで育っていた。その古い家には仏壇があり、祖父母は毎日、ミシャにも手を合わさせていたのだ。

 意味も理解していない遠い過去の記憶だったが、彼女にとっての祈りの仕草は、これだった。


 コーヘイもそうなのだが、ミシャは食事の前後もこの仕草をして、「いただきます」「ごちそうさま」と言う。

 この国の宗教的には、食前に、今日一日の糧に対する神への感謝を捧げる信者はいるが、ミシャやコーヘイのように、これといって特定の信仰を持ってもいないのに、食べ物そのものの命に感謝する姿勢が、とても素晴らしく見えて、騎士団を中心に、その文化が広まりつつある。

 異世界人の文化、というか日本の文化が、このエステリア王国に根付いていく。良いと思う事は取り入れていく、その柔軟性がこの国にはあった。そうやってこの国は、強固になっているのだ。


 ミシャが父母への祈りを終えて、続けて騎士団の共同墓地へ。そこでも同様の祈りを捧げる。ジルもその後ろを、静かについていく。


 墓参りを終えて、彼女はいったん魔導士団長の元へ。ジルは城内の自室に戻って行った。いつもの黒装束に、着替える。


 体に馴染んだこの服装。だが、死と隣り合わせの印でもある。ジルは、ミシャより先に死ぬ事が怖くなっていた。そんな半端な気持ちでは、王の護衛は務まらない。やりがいがあり、自分の個性を生かせる仕事だったが、勇気をもって辞する思い。

 せめて、ミシャの命ある期間は、彼女の傍にいてあげたくて。


 今日、王にその告白をするつもりでいた。

 考えに沈みこみ、黒髪の相棒が部屋に来ている事に、気づくのが遅れる。


「おまえはもう、資格がない」

「っ!」

「こんな日が、来ると思っていた」


 ハーシーはいつものように静かに、ジルの傍に歩み寄って来た。


「陛下は、お会いにならないそうだ」

「え!?なんで?どうして?」

「お前は、光に触れてしまったからな。もはや影ではない」


 薄く笑う、いつもの表情。だが、普段なら完全に自分の心を隠しきる彼が、少しだけ自分の心をその表情に乗せた。わざとなのか無意識なのか、我慢できずに漏れ出したのか。ジルの事を愛おしく思う気持ちが、その表情に乗ったのだ。


「ハーシー?」


 ジルはその変化を敏感に感じ取った。


「鈍いのか、敏感なのかわからないな。お前とコンビが組めて本当に良かった」

「それは僕もだよ」


 黒髪の長い前髪の隙間から、青い瞳が覗き見える。


 再び薄く笑うと、ハーシーはその姿を闇に溶け込ませ、一瞬で気配を断った。もう二度と、彼の気配を感じる事はないと、ジルは思った。ハーシーは、その一生を影として全うするつもりである。いつ死んだのかすら、ジルは知る事ができない。

 彼が去った後、そこには騎士団の制服が置かれており、王はジルと、騎士としてなら面会するという事のようだった。



 国王と、王妃の前に、騎士姿で跪くジル。

 王座の間ではなく、そこは王の私室で、まさかこんなところに案内されるとは思っておらず、彼はどういう態度をすべきか混乱していた。


「このたびの、ミシャ嬢の護衛に対し、褒賞を与える」


――え?そんな物をもらえるような事をしたっけ?


 困惑するジルの手を取り、国王は彼を立たせた。


「長らく、影としての任務、ご苦労であった。以後は騎士団に所属し、魔導士団護衛騎士団に籍を置くように」

「は、はい」


 通常の城の騎士団では、ジルは活躍が出来ない。そもそも、集団行動に向いた性格ではないし、武器も片手剣ではなく、短剣の二刀流。そんな彼をきっと、護衛騎士団長はうまく使いこなすだろうと、王は判断した。

 自分が騎士となる事に、ジルはくすぐったい気持ちを感じた。今までの仕事にも誇りがあったし、ミシャの事さえなければ、このまま続けたい気持ちだった。だが、信頼できる魔導士団長を守る事、騎士として素晴らしいと感じたコーヘイの下で働く事も、楽しみに感じる。やはり、陛下は色々わかってる人なんだと、ジルは尊敬を更に深めた。


 続けて、王妃がジルに小さな小箱を渡した。


「開けてごらんなさい?」


 ジルが素直にその小箱を開けると、金色の指輪が入っていた。小麦と小鳥が意匠になった透かし模様になっていて、とても可愛らしい。


「プロポーズに必要でしょう?」


 王妃はクスクスと軽やかに笑う。彼女のデザインだった。


「あの僕……キスすらまだなんですけど、一足飛びでも大丈夫でしょうか」


 王と王妃が目を丸くして驚いた。


「あんなに長時間、一緒にいてか!?」


 国王の、こんな感情の乗った声を聞くのは初めてだった。気配は感じないがきっとハーシーも、王の護衛のために傍にいて、笑っているに違いない。


「だ、段階は、踏んだ方が、いいかもしれない、わね?」


 王と王妃は顔を見合わせる。いや、いきなりでも、いい気もするし?いくつかの混乱の表情の後、もう若い二人に任せてしまおうと、王と王妃はジルを部屋から追い出した。


 夫妻は顔を見合わせて笑う。孝行息子が、これから幸せになっていくという実感を得て。彼女に相応しくなるべく、頑張っていた実の息子には、ちょっと泣いてもらうけども。




 カイルとコーヘイに見守られて、ミシャはセトルヴィードの前で目を閉じている。

 魔導士団長の長い指が、彼女の額の上に。


「少しだが、魔力が戻ってるな」

「良かったな、お前」


 カイルが心底ほっとした声を出す。

 ミシャの中の小麦に、カイルの愛情が届く。


「顔色も良くなってるし。それに随分、綺麗になりましたね」

 

 爽やかな笑顔がミシャに向けられる。

 ミシャの中の小麦に、コーヘイの愛情が届く。


「無理はさせられないが、今後も魔導士団の区画で、古代魔法の研究者として暮らしてもらおう。ここがミシャの居場所だ」


 美しくも優しい眼差し。

 ミシャの中の小麦に、セトルヴィードの愛情が届く。


「フレイアさんの家、少し手直しをしておいた方が良くないですか?」

「そうだな……」


 ミシャの具合が悪くなれば、またあそこに送る事になるだろう。どんどん朽ちていくあの家に、彼女を暮させるのも。

 でも、そのままでいい気もした。あの家は役目を果たすまではきっと、持ちこたえそうな気がする。精霊が守る家だ、あまり手を加えるのも良くないように思えた。

 

「頻繁に出入りすれば、家は朽ちにくい。時々は我々も、遊びに行ってみるのもいいだろう。雨漏りぐらいはその時に直そうか」


 コーヘイやセトルヴィードにも、思い出の場所である。



 コーヘイはジルを新たな団員として迎え入れ、以後は彼を、その片腕として重用していく事となる。


 ジルとミシャのそれからの日々は、町を一緒に歩いたり、王都の外の森でピクニックをしたり。そのピクニックでジルはムード作りに成功し、最初のキスを達成。一気に距離が縮まった。段階を踏んで一歩ずつ、二人は関係を深めていく。

 あまりにもゆっくりとしていたから、随分と周囲をやきもきさせたが、これがミシャのペースだった。コーヘイがかつて言ったように、ジルはミシャの歩幅に合わせて歩く人。二人はゆっくりと歩んだのだ。


 そしてミシャの十九歳の誕生日。


「前よりいい物をあげる約束だったから」


 ミシャの前に、三十センチ四方の大振りな包みが置かれていた。


「え?まさか本当にタヌキです?」


 ミシャが笑顔を見せて包みを開けると、そこには木彫りの……鮭をくわえた立派な熊が。これがとても彼女にウケて、本当に笑い転げていた。涙すら出て来てしまうほど、笑ったという。

 ジルはミシャがやっと落ち着いて、呼吸を整えたところを見計らい、王妃にもらった小箱を開けてミシャに差し出した。


「僕と結婚してください!」


 ミシャは、目をぱちくりとさせたが、すぐに最大の笑顔で返事をした。夏の花、太陽の化身の花のような笑顔。彼女の一番の笑顔を、この日からジルが独り占めする。


 婚約期間もちょっと長めで、結婚式はその半年後。ひとつひとつの人生のイベントを、ミシャはゆっくり楽しみたいようで。


 葬儀同様、結婚式も魔導士が主催。

 城の中庭を借りて、カイルがその役目を果たしていた。

 ジルに対して彼は、「クソ野郎」等とは言わないでいる。ミシャに一番ふさわしいと思ったのかどうかはわからないが、特に邪魔する訳でもなく。


 愛弟子の結婚式という事で、二人の師匠も式に出席していた。小さい式だから簡易な礼服でと思っていたのに、王妃から華美な礼服が送られて来ていた。

 王妃の趣味に付き合って、二人は城内の女性達を喜ばす羽目に。これが、城仕えの女性達に対する、王妃のサービス……心遣いであると知り、二人は着用した。


 小さな式だったが、騎士団員をはじめ、たくさんの人に祝福された。

 ミシャの中の小麦に、たくさんの愛情が届く。


 ジルは騎士団の宿舎暮らし、ミシャは魔導士団の区画暮らしで、まだ自宅がなかったので、式の後はフレイアの家に送られた。一週間ほどここで、新婚の二人きりを楽しむように、との計らいだった。

 その後は王都に小さな家を持って、暮す予定。


「もう本当に、僕らの家みたいになっちゃったね」

「ただいま、みんな」


 見えないけどそこにいる、友達に声をかける。

 寂しがり屋の精霊たちは、二人の再訪を歓迎した。


 ベッドを二つくっつけて、おしゃべりを楽しんで、じゃれあって。

 やがてジルが、ミシャの手を引いた。

 きっかけを作っただけで、後は彼女のペースに合わせて優しくゆっくりと。どんな時も彼は、ミシャの歩幅に合わせていく。


 ミシャはこの夜、精霊に祝福されながら、大人の階段を、また一歩登った。



 命を育みたがった彼女は夢を叶え、一年後にはジルそっくりな女の子、名前はミユ。その二年後にはミシャそっくりな男の子、名前をヨウ。二人共、コーヘイが名付け親になった。隠し名はセトルヴィードがつけた。

 おしゃまな愛娘の「お母さんの初恋ってどうだった?」という質問に、ディルクとの思い出を語り。


 短命と言われる白呪術師の素養のある魂を持っていたけど、多くの人に守られて、彼女は三十二歳まで生き、約束した幸せの思い出を胸に、その魂の半身を求めて旅だった。小麦の精霊も、彼女の魂の旅に連れ添っていく。


 その後は毎朝出仕する父親に連れられて、二人の子供たちは元気に、城内で育つ事になる。

 娘のミユは活発で、魔導士よりも剣士向き。ジルにくっついて、騎士団の方に入り浸っている。息子ヨウは魔導士の素養が強かったので、カイルが弟子にした。



 世界は、更なる次世代を歓迎した。

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