第28話


 リュシエンヌを追って来た騎士が、ミシャのいる船室に武器を抜いたまま駆け込んで来た。見覚えのある長い髪、泣きボクロのある灰色の瞳。続けて、その相棒である男。




 危険な女が死んでいるのを見て、彼は剣を鞘に戻しながら、ミシャに駆け寄って来ると、絞り出すような声で言葉をかけてきた。


「迎えに来たよ」


 ミシャがそっと、右手の中に包み込んでいた木彫りのリスをジルに見せる。


「ずっとジルに、傍にいてもらいました」

「ミシャ……」


 ジルは我慢できなくて、思いっきり彼女を抱きしめた。心を隠すなんて、出来なかった。ハーシーは、そっと部屋を出ていく。

 ミシャの首筋には、いくつかの内出血があった。独占欲の強いリュシエンヌが、ミシャの体につけた印。誰にも渡したくないという執着の目印。それを見て、ジルにいろいろな思いが去来した。

 抱きしめる腕に力が籠められる。


「守れなくてごめんね」

「迎えに来てくれるって、信じてました」


 ミシャは毛布にくるまれて、ジルの腕に抱かれて船を降りた。

 





 王都に戻ったミシャは、リュシエンヌの話を全て、セトルヴィードに伝えた。


「でも、精霊は魂の光を奪ったりしてないと思うんです。むしろ漏れ出す光を、必死に抑えて止めようとしてくれてるみたいに、私は感じてしまっていて」


 カイルの部屋の診察用のベッドに体を横たえて、ミシャは言う。それに対して、セトルヴィードが説明を付け加えていく。


「そう、精霊は白呪術師を支える。だからあの女の精霊の使役はふつうではありえない。灰色の呪術師という、新しい名称を付けてもいいぐらいだ」


 白呪術師は、なろうと思ってなるわけではない。光が漏れだしてしまう弱い魂に、精霊が寄って助けてくれる。魂が脆いと体も弱くなるから、自然と、相談したり力を借りたりするようになって、そうやって白呪術師は出来上がっていくのだ。傍目には魂を削って見えるが、もともと魂の光が漏洩して、消耗していただけだった。


「そういう意味では、正確に言うとミシャは白呪術師ではない。その素養がある魂を持っているという感じだろうか」


 ミシャの魂は、すでに魔力の器を隠してしまって、彼女は魔力を失っていた。体に刻まれた古代の魔法陣は、維持できなくなって完全に消失。しかしそれは、ミシャの命も、それほど長くない事を示しているかのようで、周囲を不安にさせた。


 ミシャを誰もが、普通の女の子だと思っていた。

 いつも元気いっぱいな夏の花のようで、健康に思えたし。

 だが思い返せば、魔力を使い切ったとはいえ、頻繁に寝込んでいた。下位魔導士の魔力しかないミシャが、あんなふうになるはずがなかったのだ。

 普通の魔導士にない魔力のコントロール等、彼女は色々と規格外。魂を使役できるような集中力があれば、あの技術も納得できる。

 気づかなかったのは迂闊だったが、魂が見える事をミシャは言わなかったし。普通は見えないという事を知らなかったのだから、仕方ないが。


 ただ、彼女には精霊は見えていないし、声も聞こえていない。聞こえた気がする?という感覚はあったようだが、精霊は白呪術師以外にも、予感めいたものを伝える事はまま、ある。その点で、ミシャは完全に崩れる魂ではないようにも思われる。ヒビが入っている、という感じなのかもしれない。そのヒビさえ塞げれば。


「白呪術ってどうやって勉強したらいいです?」

「通常は、精霊に聞いて理解するらしい。書物の類はない」


 精霊と親しかったゲルトラウトは、彼等の力を借りて自らの魂を使役し、小麦畑に魂と意識を残しきったが、ミシャはどうなるのかわからない。体の中の小麦の苗が、どう作用するのかも。



 少しでもミシャに精霊の支えが増えるように、再びではあるがフレイアの家に送られる事になった。


「ミシャを一人で行かせるのか?」

「いや、護衛騎士を一人付ける」

「彼を付けるのはいいですね」

「え?男をつけんの??」

「ディルクさんはミシャに背伸びをさせる人でしたが、彼は、ミシャの歩幅で歩く人ですよ」

「まさか、そういう関係のやつなの?」


 カイルはライバルの余りの多さに、ガッカリしたようだ。でもミシャなら仕方ない、という気もする。魅力が駄々洩れなのだから。


 優秀な影を王は手放すだろうかというセトルヴィードの心配をよそに、ジルはミシャの傍にいる事が、すんなり許された。王は、彼等を使い捨ての駒とは思ってはいない。活躍できる場を与える事も、幸せになる道にいざなう事も、父としての役目と思っている。



 森の家に二人は再び。ジルは騎士姿で。

 本来は騎士ではないのだけど、その姿は今の彼に似合っていた。


「なんだか帰って来たって感じがします」

「もはや、我が家って感じだね」


 二人は視線を交わして笑い合う。

 

 家は二人を歓迎する雰囲気で包み込む。

 夕食を一緒に作って、一緒に食べて。

 寝る前は、ひと時のおしゃべり。


「僕、時々だけど、精霊の声が聞こえてるみたいなんだ」

「え!?ジルも白呪術師なんです?」

「お母さんがそうだったから、血筋とかあるのかなあ。危ない時に、知らせてくれる感じなんだよね」


 ジルの魂が、急にミシャは心配になった。


「ジルの魂を見てもいいです?」

「見えるの?いいよ」


 ミシャはベッドから出て、ジルのベッドに寄った。


「え?あ、ちょっと」


 ミシャは密着しないと魂が見られないので、ジルに覆いかぶさるようにして、その首筋に唇をあてるような姿勢になった。


――どうしよう、これなんていう地獄?


 ジルが落ち着かない中、ミシャはそのままじっとしている。


「すごくキレイな魂が見えました、大丈夫そう」


 ミシャは安堵したようだった。起き上がろうとしたミシャを、引き留めるようにジルは抱きしめてしまった。そして、ずっと言いたかった言葉をつむぐ。


「僕、ずっと傍にいるからね」

「ずっとって、どれくらいです?」

「ミシャか僕、どちらかが死んでしまうまで。だめかな?」


 好きという告白を、すっ飛ばして、プロポーズのような事を言ってしまう。


「いいですよ?」


 ジルの狼狽をよそに、ミシャもぎゅっと抱きしめかえした。


「僕、ずっとミシャのことが好きだったんだよ」

「嬉しいって思ってます」

「もっと傍にいてもいい?」

「一番近くでもいいですよ?」


 ミシャは、新たに恋しく思える体温を見つけた。

 まだ、今は抱きしめ合うだけの関係。

 思い出のかさぶたが、過去を癒したら、彼女はまた一歩、先へ。




 ジルからの心からの愛情を受けて、ミシャの中の小麦は根を伸ばす。哀しみに何度もつぶされた芽は、強く、長く、その金色の根を張って、今にも壊れそうなほど脆かったミシャの魂を包み込む。その枝葉もぐっと伸ばして。


 精霊は愛を受けて育っていく。それが彼等のエネルギーなのだ。


 たくさんの人から愛されるミシャと小麦に、精霊たちが力を貸して、漏れ出し続けていた光は、抑え込まれる。



 ミシャに光が満ちていく。

 金色の光が、満ちていく。



 光は、影を照らして、そのすべてをさらけ出させた。

 影が散った後には、たくさんの愛が横たわっていた。


 明日、別たれるかもしれない儚さの中、記憶の中に大切な思い出を閉じ込めて。


 一日一日を大切に積み上げて、歴史を繋ぐ。

 


 世界は今も繋がったまま。

 魂達はその半身を求めて、今日も煌めく。




(第四部 完)

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