第27話

 暗闇の中、剣を打ち交わす音がする。


 黒髪で青い瞳の長身の男、ハーシー。


 その前に立つのは赤毛に明るい若草色の瞳のヴィルジニー。

 キース王子の護衛、とされていた女。


 共に、国王の影であった。


「裏切ったわね、ハーシー」

「裏切ってはいない。俺の主君は、元より陛下だ」

「王のために、相棒すら手に掛けるのか」

「手段は選ばない、大事なのは結果のみ」


 足場の悪い夜の港で、お互いの銀の刃が闇を斬り裂き合う。

 素早い二人の、攻撃と防御は、何度も繰り返され、永遠に続くかのよう。実力は拮抗していて、有利不利は見て取れない。


「ろくに気配も消せない癖に、剣技は一流と認めてやろう」

「おまえより、私の方が実力は上だ」


 接近する都度、舌戦も行う。火花と、鉄と鉄の噛み合う音がそれに重なる。


「お前は何を望んだ」

「正統な評価」


 打ち合うたびに、距離を取る。


「栄光を欲するのか」

「望んで、何が悪い、私は優秀だ」


 一瞬ごとの接敵、交わす刃に交わす言葉も一言ずつ。


「捨て駒になるために、生まれたわけじゃない!」

「そんな事だから、簡単にいなされる」

 

 海賊達は、交易船を無事に返すつもりなどなかった。荷物はすでに奪い済みで、本当の計画では、乗員ごと海に沈める予定だったのだが、船は難なく港に停泊している。ハーシーの仕事だった。


「どいつもこいつも、私の邪魔をする!」

「邪魔される程度の浅はかさというだけだ」

「この!!」

「!?」


 ヴィルジニーは複数の小刀を至近距離で投げて来た。ハーシーはそれを左腕を上げて防ぎ二本が刺さる。

 黒髪の男は、何事もなかったようにそれを抜き取ったが。

 急に眩暈がした。


「……毒か!?」

「ふん、馬鹿め!」


 ハーシーは反転して攻撃を避け、数歩後ろに飛び下がると、再びよろめく。


「手段は選ばない、大事なのは結果のみ」


 ハーシーの言葉を、今度はヴィルジニーが発し、ニヤリと笑う。

 毒は一瞬で血管をめぐり、体を支配する。弱い毒のようだが、ハーシーの足元が、おぼつかなくなる。

 ヴィルジニーが余裕の表情で石畳を蹴り、その剣は鋭く黒髪の影に向けられた。


 鉄の焼けた匂いが再び生じる。ヴィルジニーが後方転回して下がった。

 ハーシーを庇うように前に立つ、二刀流の長髪の男。左だけ、剣を逆手に持つ。

 灰色の瞳が、若草色の瞳を睨みつける。その背中を見て、黒髪の影が呟く。


「遅いぞジル」

「誰のせいだよ!」


 ヴィルジニーは舌打ちをして、新たな敵に向かう。

 再び放たれた毒の小刀は、二本の剣で叩き落とし、細身の短剣をその両手に携え、ジルは敵に挑みかかる。素早さはハーシーの方が上だが、ジルの得意はフェイント。赤毛の女は翻弄された。


「生きていたのか」

「あの程度で死ぬものか!」


――死ぬかと思ったけど!!


 前でぶつかり、後ろに下がるを繰り返す。

 しばらく力の拮抗を見せていたが、ジルがわざと見せた隙にヴィルジニーは引っかかった。引っかかった自分に舌打ちをしたときは、すでに遅かった。

 ジルの二本の剣は、かつては仲間だった影を十字に斬り裂いて、その石畳を裏切り者の血で染めた。


剣を鞘に納め、ジルは相棒の手を取り、立たせる。


「他に方法はなかったのかよ」

「あれが一番、敵から信用を得るのに確実だった。後ろからヴィルジニーも見ていたから、本格的にやらないと」

「滅茶苦茶、痛かったよ!」

「それはお前が、剣の手入れをさぼるからだ」

「ひどいよ、もう」


 拗ねた表情で、普段の地を見せてしまう。


「あのままでは、ウロチョロしていたお前は真っ先に殺られてた。敵に殺されるより、俺の手にかかるべきだろう?」

「どういう理屈なのさ」


 はぁ、と聞こえるように溜息をつく。

 そして海に遠く目線を送る。

 ミシャがあの女の手に落ちてしまった。自分は傍にいけなかった。傍にいるって、誓ったのに。


 遠い目をする相棒を、ハーシーは見守った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ミシャは目を開けた。揺れる船の中、ベッドで一人、目が覚めた。波の音に混じって、雨の音がする。外は暗く、何時なのかわからない。どれくらいの時間が経ったのかも。


 ベッド脇のテーブルの上で、木彫りのリスが倒れていたので、少女は腕を伸ばして、それを手に取った。両手で大切に包み込むと胸元に寄せて、抱きしめる。


 木彫りのリスに勇気をもらい、意識を集中して、自分の魂を覗いてみる。

 魂は光の塊ではなく、ほわほわとした綿菓子のようで、脆く、崩れそうに見えた。すでに魔力の器は見えなくなっている。

 再び目を開けた。


「精霊が光を吸い取るなんて、本当なのかなあ」


 ミシャの感じる感覚とは全く違う。


 ただ、自分の命はもうすぐ終わってしまうのか、という予感が訪れた。ミシャが死んでしまったらきっと、小麦の苗も死んでしまう気がする。寂しがり屋の小麦が残した種から育つ命を、死なせたくない。


 どこかに、植え替えが出来ないものかと思った。

 今からでも、白呪術の勉強をして間に合うだろうか?自分の命が尽きる前に、小麦だけでもなんとか生き残らせたい。

 自分の周囲には、死がまみれてしまったから、今はとにかく命を育みたい。


 神様なんていない。むしろこんなひどい運命を作り上げる神様なんて、いない方がいい。偶然そうなったって、思った方がいい。何もかも受け止めてくれる神様であっても、誰かを恨むなんてしたくない。


 船が揺らぎ、波がミシャをゆっくりと揺らす。


 木彫りのリスを抱いて、再び意識が遠のいていく。

 あの森にいた精霊が、耳元で眠りなさいって歌っているように聞こえ、素直にミシャは、眠り続けた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 数日後、海賊船は、かつてコーヘイが囚われていた倉庫傍に停泊していた。

 リュシエンヌは目的を達成し、ミシャへの興味を失って、彼女を見張りもなく放置していた。死のうが逃げようが、もう魂に印をつけたのだ。

 今世の彼女は、もはやどうでもいい。


 海賊達の指揮も適当で、とりあえずは交易船から奪った荷物の分配だけを行った。

 あんなに邁進していた、世界の分離も必要なくなり、やり遂げた達成感はあるが、次の目標も同時に見失う。


「まあいいわ、どうせ長くない命だし」


 操舵室の椅子に座る女の青銅色の瞳に、精霊たちが見える。

 精霊は何かを訴えているが、リュシエンヌは元から、彼等の言葉に耳を傾ける気はない。必要な情報は聞くが、それ以外のアドバイスは全く聞かない。意識して聞こうと思わないと、リュシエンヌには聞こえないのだ。


「ほんと、虫みたい。チラチラ見えて、うっとおしい」


 リュシエンヌとレナルドの母は異世界人だった。なまじ見た目が美しかったので、さっさと略奪されて、海賊の統領の女にされた。結果として生まれたのが、青銅色の瞳の双子だった。

 母はいつも、元の世界に帰りたいと泣いていた。兄がリュシエンヌの望む異世界人のこない世界作りに協力していたのは、本心だったのだろう。

 思い返せば小さい頃から体の弱かったリュシエンヌを、元の世界に帰りたいと言いながら、大切にしてくれた優しい母だった事に今更ながら気付く。

 あの人は魔力がなかった。もう少し早く事が進めば、母を帰りたがった元の世界に還す事も、もしかしたら出来たかもしれない。母は死んでしまっていて、もはや叶いはしないが。

 世界がつながっているのがいい事か、悪い事かは、もはやわからない。盲目的に、つがいの魂だけを追い求めてきて、それ以外を意識したことがなく、思いつかないのだ。


 雨の中、遠くで騒ぐ声が聞こえて来る。憂鬱な長雨の中、煩わしい。またケンカでもやっているのかと、リュシエンヌは操舵室を出た。


「姉御!逃げろ」


 出た瞬間、操舵を担当する熟練の男が、リュシエンヌの腕を掴んで走る。


「なんだい!?」

「王国軍が来た!」

「早すぎる」


 とにかくエステリア王国は、他のどの国より手強い。操った人間もすぐにばれて奪還されるし、狙った重鎮の警護も強固で、かなり卑怯な手でやっと、という感じだ。


「情報が洩れていた」


 こちらが内通者を作るように、向こうも作っていた。ただそれだけだ。

 あの黒髪の、影の男が脳裏をよぎる。

 リュシエンヌは海賊達を道具だと思っていた。大切にしようなどと考えた事は一度もない。だが、彼等はそんなリュシエンヌを逃がそうと戦っていた。命を賭して。


「姉御が生き残れば、俺らはまた集える」


 彼等の仕事は海賊で、居場所はその統領の元だった。今更、地上の仕事に就けるはずもなく、海賊として生きて死ぬ、そういう輩だ。

 彼らの目には、謀略を持って海賊でありながら大国を落としてみせたリュシエンヌとレナルドの双子は自慢でしかない。

 

 だが、リュシエンヌはもう自分は死ぬのだと思っていて、そんな自分を守って、彼等を死なせるのは無意味にも感じる。彼女は今更ながら気づきつつあった。どの人生でも、守られ、愛された日々があった事を。半身を求める苦しさの記憶だけに縛られ、生きている間には気づけなかった色々に。


「私は出るよ!」

「姉御!」


 女は甲板に躍り出ると、雨の中、戦闘が行われる周辺に向けて、指示を飛ばした。


「退却を優先しろ!つまらない理由で死ぬな!」

「ヘイ!」

「撤退だ、逃げろ!」


 部下の海賊達を追いかける騎士を、風の精霊に命じて切り刻む。


「ふん、雑魚どもが」

『イヤ、コンナコトヤリタクナイ!』

「うるさいだまれ!」

『ヤメテ、ダメヨ、リュシエンヌ』

「うるさいうるさいうるさい!!」


 強引に、風の精霊を使役する。もう敵はどれでもいい、その辺の誰彼構わず、風を向かわせる。

 黒い瞳と目が合った。黒髪の、短髪の騎士。兄が執着した、異世界人。

 その隣には金髪碧眼の少年王子。侮っていたあの王子が、この襲撃の指揮官か!


 船の上に立つリュシエンヌを、崖の上から見る強い眼差しに、彼女は一瞬だが怯んでしまった。だが奴らは兄のかたきにも思える。すべての風を、あの二人に向かわせようと思いたつ。


 そのための使役の術を使う時、黒髪の彼の手には剣はなく、兄の銃が見えた。

 それがゆっくりと構えられる。


 一瞬の静寂の後の銃声。

 残響が消えると共に、雨の音が再び蘇る。


 あの音を立てるのは、いつも兄だった。


 そうか、あの男はあれを使いこなせるのか。だから兄は欲しがったのか。


 それなりの距離があったのに、リュシエンヌの腹部を銃弾が貫いていた。雨のためか僅かに急所ははずれ、即死は免れていたが重症。


 女は衝撃に大きく後ろによろめいた後、フラフラと歩きはじめ、甲板から船倉に吸い込まれていく。王子の指示を受け、二人の身軽な騎士が船に上がり、後を追う。



 失われる命だと思っていた。覚悟もすでにしていた。このリュシエンヌとしての命はもう、捨ててしまっても構わないと思っていた。だが、いざ肉体が魂を手放すとなると、急に惜しい気がする。

 白呪術師として、魂の光を使い切らずに死ぬ、というのが、何かおかしい気もしてきて。この残った光が勿体ない、彼女はそう思ったのだ。


 よろめきながら、前に進む。精霊たちが彼女が倒れないように必死に支えているのがわかった。


「何であなたたち、私を助けようとするのよ、なんなのよ」


 血を流しながら、なんとかミシャの眠る部屋にたどり着くと、眠っていたミシャは目を覚まし、ゆっくりとベッドから半身を起こし、目の前の女の姿に驚きの表情を見せる。


「リュシエンヌ……?」

「ミシャ……」


 彼女は血を吐き、血にまみれながら、這いずるようにベッドにたどり着いた。

 酷い目に合わせたはずの自分に向けて、憎しみもなく、静かに黒茶の瞳が向けられる。リュシエンヌは両手で、ミシャの左手を包むように掴んだ。


「絶対に、私を見つけて、もう嫌なの、待つのは、探すのは」


 苦し気に喘ぐのは、怪我のせいだけではなく、魂の慟哭のままに彼女は叫んでいるように、ミシャには感じられた。


「約束するよ、絶対に見つけるから」

「いったん、さよならよ、私の魂の半身。貴女はもう少し、生きる事を、楽しんでちょうだい、そして次に会った時、どんなに幸せだったか、教えて?」


 彼女は何度生まれ変わっても、半身を求め苦しむだけの人生を生きて来た。彼女の幸せは魂が一つになって落ち着く事であって、人としての楽しみを感じる事も、味わう事も出来ずにいたのだ。今、徐々にやっと、魂を一つにする以外の、幸せがあった事に気付きつつあったが、もう遅いという後悔も共に訪れる。


 ミシャは頷いた。


 女は、精霊の力を借りる最後の呪術で、自分の魂に残った光を絞り切って、ミシャの魂の中に移し替え、やがて力尽き、青銅色の瞳は開かれたまま、彼女の魂は空っぽの状態で原初の光に向けて旅立って行った。

 ミシャはそっと彼女の瞼に手を添えて、その瞳を閉じさせた。

 黒茶の瞳からも、涙が伝う。


――いったんさようなら、哀しさを纏った私の魂のつがい


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