有名に、なりたいですか?

サトウ・レン

有名に、なりたいですか?


 思えば、きみは不思議なひとでしたね。


 


 でもそんな感慨深さを抱けるようになるまでには、だいぶ時間が掛かりました。




 それに出会いからして最悪でしたから。


 初めて会ったのは確か秋の頃だったでしょうか。雨が降ったり止んだりを繰り返す、その季節に似合いの変わりやすい空模様に負けないくらい、ころころと表情を変えるきみとの日々はとても短かったけれど、鮮やかなものとして、いまもぼくの記憶につよく残っています。


 初めて会話を交わしたのは、お互いに二十歳を過ぎたばかりの頃でしたね。あの頃は言えませんでしたが、ぼくはきみに会うよりも前からきみのことは知っていました。きみが周囲に、どう呼ばれていたのかも。そう呼ばれる理由を知ったのは、きみと出会った後のことですが。あんまり大学に顔を出さないぼくでも聞いたことのあるくらい、きみは学内の有名人でしたから。なんで、知らない振りをしちゃったんでしょうね。その時はぼく自身よく分かっていませんでしたが、その事前のイメージと会ったきみに対して抱いた印象に噛み合わない部分があったからなんだと思います。いや、まぁ納得できるところも大いにありましたが。


 きみは世間的に言えば、いわゆる才色兼備と呼ばれるひとです。すれ違う見知らぬひとの目をつねに惹きつけるようなきみですが、人となりが知れると評価が一変するタイプでもありました。世間的に言えば、きみは性格が悪いひととされていましたから。ぼくも先入観から近寄りたくない印象を抱いていましたが、そもそも、ぼくときみの歩む人生は違い過ぎて、交差することなんてないとも思っていました。


 だからきみが突然ぼくの目の前に現れた時には驚きました。と言っても、きみの目的はぼくではありませんでしたが。そのコンビニは別に大学から近いわけでもなく、バイト先だったので、ぼくは職場としてそこに通っていましたが、同じ大学の生徒なんて、ほとんど見かけませんでした。大学をドロップアウト寸前だったこともあって、そのコンビニでアルバイトしようと決めた事情があるくらいでしたから、当然の話と言ってもいいかもしれません。


 深夜のコンビニに怒りも隠さず、店内に乗り込んできたきみは、ぼくの存在なんて気にも留めていなくて、強い靴音を鳴らしながら、ぼくと一緒に働いていた同僚の大学生を、


 ビンタしました。


 きれいな乾いた音ではなく鈍くひどく痛そうな音をよく覚えています。彼は、きみの彼氏でしたね。その時はもちろんそんなことなんて知りません。ぼくも彼が嫌いだったんです。顔と学歴が良くて、それを嫌味に自慢するところが好きになれなくて、だからそのビンタの小気味の良い音は、痛快でした。


 その段階ではまだ、きみを同じ学校の有名人と同じひとだ、と繋げられずにいました。


 急なことでしたし、それに髪もぼさぼさで、メガネも掛けていましたから。


 ほおがビンタの痕で赤くなったそのバイト仲間ときみは険悪なまま店の外へ行ってしまい、ぼくはたったひとりで残りの仕事をすることになってしまいました。深夜だったので、なんとかできないほどの仕事量ではなかったのですが、やっぱり不満には思ってしまいますよね。


 早朝に出勤してきた店長には、その夜にあったありのままを話しました。クビにしてやる、と店長は怒っていましたが、彼はそれ以降、音信不通になってしまったそうです。


 その帰り道でした。ちいさな公園があるのですが、そこのベンチにきみは座っていて、あっ、と思いつつも、通り過ぎようとするぼくをきみは、


「あんた。あいつと一緒に働いてた店員だろ」


 と呼び止めました。


 そこで初めてきみが学内で、


「二番さん」


 と呼ばれているひとだ、と気付いたんです。ベンチには缶ビールが置かれていて、彼女の顔は赤くなっていました。


「ねぇ、ちょっと愚痴に付き合ってよ。あんたもあいつのこと嫌いでしょ」

「いや、別にそんなこと……」

「嘘、吐かなくてもいいから」


 やけ酒に絡み酒と、ぼくのきみへの第一印象はとにかく面倒くさいひとでした。


 睡魔と疲れの残る身体は早くその場から逃れたくて、いちいち否定すると長くなりそうな気がして、ぼくは素直に頷きました。


 きみは満足そうな表情をして、ぼくの答えは余計に話を長くさせてしまったような気がします。でもそれがなかったら、きみとの関わりはとだえていたかもしれない。そう考えると、悪くもない、とも思えるので不思議ですね。


 想像していた通りと言いますか、喧嘩の原因は彼の浮気でしたね。


 でもきみをそこまで怒らせたのは、浮気をされたことよりも、きみが浮気相手だったことなんですよね。


 きみは決して認めないとは思いますが、それは何よりもきみの劣等感を刺激するものでしたから。


 一時間くらいでしょうか。きみの彼への悪口を聞いていた時間は。悪口の語彙の豊富さにずっと驚いていたのを覚えています。別れたことに悲しんでいる様子はなくて、ただただ収まらない怒りをぼくにぶつけている感じでした。


 本当に最悪な出会いでしたね。

 この出会いのせいでぼくは勘違いしてしまったんです。


 きみが浮気されやすいひとだから、


「二番さん」


 って呼ばれている、と。


 だけど実際はもっと直接的なものだったんですね。


 ぼくが同じ大学だって知って、愚痴が言いやすい相手と感じたのか、無理やり連絡先を交換させられて。まぁ断れないぼくも情けないとは思いますが、ぼくは頻繁に呼び出されて、うんざりしつつも、心のどこかで喜んでいる自分がいることには気付かない振りをしていました。


 だってきみにその気がないのですから。


 人間関係や男女関係の愚痴を延々と聞かされて、やっぱりぼくの気持ちも含めて嫌な日々でした。きみのプライドの高さは分かっていたので、だから一緒に行動する相手として不釣り合いだ、とぼくの存在をひた隠しにしていたのは知っていましたが、怒りの感情はひとつもありませんでした。だけどすこし寂しかったのも事実です。


 またすこしずつ学校にも通い始めた頃に、知り合いが話しているのを耳にして、ようやく本当の理由を知りました。


 大学のミスコンで準グランプリ、学業成績なんかの面でもグランプリの女性に一歩及ばない。


 だけど、一番になりたい、ということへの執着の異様さを、周囲が裏で揶揄して、


「二番さん」


 と呼ばれている、と。


 きみの性格は知っています。そのからかっていたひとたちよりも。それはすこしだけ自信があります。ぼくから見ても、きみの自己顕示欲の強さは確かに異様に感じましたし、彼らの言葉を否定しきれません。


 でも同時に、もやもやとした感情もありました。


 その感情の正体も分からないまま、ぼくはきみと会っていたんです。


「あいつさえいなければ……」


 と、その憎しみをはっきりと口に出し始めたのは、いつ頃だったでしょうか。口癖のようになりましたね。


 あいつ、というのは、件のミスコンのグランプリで優勝した女性で、


 名前は、リナさん、と言いました。


 実はリナさんとは地元が一緒で、同じ高校に通っていたんです。そういう意味ではきみよりも古い付き合いなのですが、ほとんどしゃべったことはないです。ただ高校の頃から彼女は、地元では芸能事務所のスカウトに声を掛けられたとか、そんなエピソードを持っていた女性で、実際ぼく自身は彼女との関わりが薄かったので、性格に言及する資格はないように思ってしまいますが、ただ高校の時にリナさんと付き合っていた男子とは仲が良くて、そのひとを選んだことで好感を抱くこと、ってあったりしませんか。


 リナさんは人懐っこい雰囲気で、そのふたりは多くのひとから好かれていました。ぼくたちとは正反対ですね。


 きみが羨むのはすごく分かるような気がします。


 と、もしぼくがきみに口にすれば、私の何が分かるんだ、ときみは怒るでしょう。ぼくも知ったような口は聞けません。だけど分かってしまえるから、一緒に居られたのでは、とも思ってしまうんです。


 彼女は、彼女。

 きみは、きみ。


 関係ないじゃないか、とそうやって勝手に言えるのは、きっとぼくが他人だからで、そう簡単に割り切れるくらいなら、最初から羨んではいないはずですよね。


 こういう時、なんて他人の言葉ってもろいんだ、って思ってしまいます。


 きみの憎しみを強く感じれば感じるほど、きみがよりリナさんに近付いていくのを、きみの口から聞かされていく中で、危うさは感じていました。だけどぼくにできることは聞くことだけでした。


 後悔はあります。しなかった日なんて一度もありません。


「二番さん」


 という言葉が実際にきみの耳に届いたことはない、と思いますが、知らなかったはずはないですよね。プライドの高さは繊細さの表れです。言葉や視線のナイフでできた心の傷から噴き出した憎しみの量は、誰にも、きみにさえ想像できないほどだったのかもしれません。


 あれはぼくたちの出会った次の年でしたね。ひとつの大学という枠をこえて、さらにリナさんが有名になる、という出来事がありました。


 芸能事務所にスカウトされタレントになった彼女は、日も待たずに、有名なアイドルグループのオーディションに受かり、ぽつぽつと彼女をテレビで見るようになりました。


 そのグループの端で踊るリナさんの姿をぼんやりと眺めながら、高校でも大学でも、周囲からあんなにも浮くほど目立っていた彼女でさえ、目立つひとたちばかりが並ぶ場所では、こんなにも埋もれてしまうんだな、とぼくなんかは考えるだけでしたが、


 きみは違っていました。


 どんな形であれ、リナさんが有名になっていく姿に、きみの劣等感が刺激されたんですね。きみにとっては、どんな形、という感覚もなく、手の届かないところへ行ってしまう悔しさだけがあったのかもしれません。不特定多数から認められる。それがあの頃のきみの、すべて、だったはずですから。きみは首を振ると思いますが、きみの感情はぼくにとって分かりやすいから、確信しています。


 でも。


 すくなくともぼくには、あの頃のテレビで踊る彼女が一番には見えなかったし、不特定多数のひとから認められる存在にも感じられなかったし、そして何よりもその状況をリナさん自身が嫌悪しているように思えて仕方ありませんでした。


 きみはどんどんとリナさんとの距離を縮めていき、自分もタレントになりたいから取り入ろうとしているのでは、という噂まで立ちましたが、その噂は何も気にしないんですね。その噂が逆に、きみのプライドの高さを刺激して、狭まっていた視野を取り戻してくれるかもしれない、とこっそりと期待していたのですが、もうリナさんに盲目的になり過ぎていたんでしょうか。いや、そんなこときみ自身も分からないですよね。


 きみと彼女の間でどんな会話があったのか、ぼくはほとんど知りません。ただ伝え聞く話から察するに、彼女はきみに絶大な信頼を寄せていたんでしょうね。


 精神的に疲弊していく彼女にとって、きみの存在は光だったのかもしれません。


 その光がリナさんに穏やかな場所を望ませたんじゃないでしょうか。


 だから、


 もう知ることはできない彼女の真意を勝手に推測するなら、おそらくですが、きみには感謝しかしていなかったはずです。


 大学四年になる直前に、リナさんは一切のタレント活動を辞めて、どこにでもいる普通の大学生としての生活を取り戻しました。


 それ以降のリナさんとは一度だけすれ違ったことがあります。


 知名度が大きくなり過ぎてしまったせいで、以前とまったく変わらぬ生活というのは確かに難しくなっていたかもしれませんが、その時に見た笑顔は、液晶越しに引きつって感じたものではなく、自然な晴れやかさを持っていて、もし会う時期が違っていれば、ぼくはリナさんを好きになっていたはずです。






 それからすこしの月日が経った頃でした。

 彼女が殺された、というニュースと、そして続くようにきみが逮捕された、という報せがぼくの耳に届けられたのは。




「誰からも認められたかったんですね。でもそれは際限なく広がって行って、どこまでも深い影を落とします。……いえ、すみません。説教がしたかったわけじゃないんです。理由なんてきみ自身のほうがよく分かっていないのかもしれません。ぼくがここに来たのは、そんなことのためなんかじゃないんです」




 じゃあなんでぼくは、ここに来てしまったんでしょう。




 直接的な理由には、触れません。勝手に推測することはいくらでもできますが、それがきみの無感情な瞳に光を宿すことができないのなら、ぼくには必要のないことです。




 有名に、なりたいですか?




 そんな言葉に頷くきみと、首を横に振る彼女がいた……。

 ただそれだけのことです。


 それが彼女の死と、孤独の中で子供のように小首を傾げているきみを導き出した。

 きっと、ただそれだけのことなんです。


 ぼくはどうすればいいんでしょうか。ここに来るまでも、そして来てからもずっと悩んでいました。いつまで経っても答えは出ません。


 ただひとつだけきみに言いたいことがあったんです。でもこれは過去形にさせてください。




「誰かの一番。例えばそんなゆるやかなものでは満足はできないでしょうか? たとえばぼくにとっての――」


 ここまでにしておきます。これ以上は、やめましょう。




 いつかそのふたつの檻からきみが出られた時、もう一度、今度ははっきりと言葉にして伝えます。


 だからそれまでは胸に秘めておきます。




 今のきみに言っても、無邪気に小首を傾げるだけでしょうから。

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