1日目『文化祭金魚戦争(未遂)』お題:金魚

『文化祭金魚戦争(未遂)』



「来週のホームルームで文化祭の案を募るから、みんな考えておいてね」


 引き金はあっさりと引かれた。

 この言葉が、文化祭準備期間の始まりを告げる合図だった。

 クラス委員長が言い終えないうちから、2年B組の室温が2は上がった気がした。


 この高校において、文化祭はすなわち戦争と同義語である。

 全クラスが出店を行い、利益を競い合う。


 それだけならよくある光景かもしれない。

 だが見事利益一位を勝ち取ったものには隣の商店街で使える商品券が与えられる。

 その額、十万円。

 クラスの人数で割っていくと、一人頭約三千円。

 いくら商店街が協賛してくれているとはいえ、高校生には重い値段である。

 少なくとも、打ち上げをして徹夜でカラオケをするには十分だ。


 言い換えると、文化祭で一位を勝ち取るだけで一日豪遊チケットが手に入るのである。

 否が応でも力が入る。


「走れ!」


 生徒の誰かが言った。

 それを聞いた生徒が椅子を蹴飛ばし、教室の外へ飛び出した。

 廊下から、ドアを開け放つ轟音がいくつも重なった。


 B組の担任はこの高校に務めて長かった。

 毎年こうなることを予見して、本日に限りホームルームはすでに生徒に任せてあった。


 B組には頼もしい生徒がふたりいる。

 土田ケイと白井ナオ。二年にして陸上部のエースを張る俊足コンビだった。

 階段を飛び降り、ほかの生徒をごぼう抜きにしながら、なおもしゃべる余裕がある。


「どこにいく?」

「もち、校門前!」


 伝統的に、この文化祭の場所取りは早い者勝ちになっている。

 しかも、出し物が決まる前からとっていいことになる。

 場所の確保と出店の経営戦略が密接に絡んでいるから、というのが一説だ。


 体育館や道場を除けば、最も倍率が高くなる場所は決まっている。

 すべての入場者が必ず通る場所、つまり校門前である。

 そのせいで、文化祭準備開始の場所争いは校門前争いとも呼ばれる始末だった。


 校門前争いをより激しくしているのが、守衛室と噴水の存在だ。

 校門から石畳を踏むと右手に守衛室、左手にスペース、そして突き当りを噴水がふさぎ、道が左右に分かれている。

 校門前という絶好のスペースを勝ち取れるのは、たった1店舗だけなのだ。


 場所取りのルールは簡単。

 一番最初にクラス番号が書かれた杭を芝生に打ち込めば、そこを中心に4m四方が手に入る。


 ケイと目的は、手に持った杭を校門前に打ち込むこと。

 ナオの目的は、万が一の妨害からケイと杭を守ること。


 だが、ナオの仕事はもうなさそうだった。

 靴を履き替えもせず昇降口を出れば、追いすがる生徒は誰もいない。


 前方からは噴水の水しぶきしか聞こえない。

 高い太陽に照らされ、青々とした芝生は真っ新なままそこに残っていたのだ。


 ケイは腕を振り上げ、杭を打ち込もうとした。

 その時だった。


「ケイ、危ない!」


 反応することもできなかった。

 背後から風を切って、何かが飛んできた。

 それは鈍い音を立てて地面に突き刺さる。

 3年A組と書かれた杭だった。


 一瞬頭が真っ白になる。

 とんでもない逆転だった。杭を投げるなんて考えたこともなかった。


 背後をゆっくりと振り返る。

 3年C組の窓辺で、ひとりの生徒が弓を構えていた。

 名前は知らなかったが、確か弓道部の部長だったはずだ。


「おーい、どうだったー?」


 乾いた口をぽかんと開けているケイとケイとは裏腹に、2年B組の生徒たちは何食わぬ顔で校舎を出てきた。ふたりの脚力を信じて疑わなかったのだろう。

 現実は非常だった。


「……ごめん、間に合わなかった」

「ど、どうして?」

「ほら、あれ見てよ」

「う、嘘、弓? そんなのあり?」


 そもそもが不文律だらけの文化祭準備である。

 杭を指す方法にルールなんてあるわけがない。

 ケイは力なく、守衛室の裏のスペースに杭を刺した。

 校門前の出店に人が並んだ場合、まず間違いなく人の流れは守衛室の方向に流れる。確かに二番目に人気の場所ではあるが、一瞬前まで勝ちを確信していたのだ。

 クラスのテンションは低い。


「あらあらあら、みなさんお揃いで」


 そこに悠々とやってきたのは、金髪をなびかせたいかにもな上級生だった。

 自身に満ちた声がキンキンと耳に響く。


「ねぇ、あの人だれ?」

「そういえば転校生だから知らないっけ。3年の金魚山って人。家が金魚の養殖やっててさ、昨年品種改良か何かで一山当てて、すんごい稼いだらしいよ。成金ってやつ」


 山沖ミヤと板谷ルイのこそこそ話など気にもせず、金魚山は手にしたスペースに仁王立ちした。


「さささ、みなさんは早くお帰り。この場所は3年C組のものよ。あなたたちのようなおこちゃまはその日陰でおとなしくしてなさい」

「ちょ、ちょっと待ってよ、杭を弓で飛ばすのって反則じゃないの」


 長井チホの懸命の反撃も、金魚山は動じなかった。


「おだまり! 要はここの問題ですわ、ここの」


 自身のこめかみをとんとん、と突く。


「走るしか能のないあなたたちにはこの場所はもったいないということですわ、オーッホッホッホ!」


 ぶち、と何かが切れる音がして、その瞬間、2年B組の結束はより強固なものとなった。


 そして二日後である。

 新聞部員の旭ヨミが重要な情報をクラスにもたらした。


「3年C組が何をするのかわかったよ」


 放課後、部活もそっちのけで緊急会議が始まった。


「金魚山の親が育ててる超高級金魚を使って、金魚すくいをするんだって」


 そこまでは大半の生徒が予想していたことではあった。

 だが、金魚山のあくどさはそこからだった。


「まず、超高級金魚っていうのを存分にアピールして、ちょっとお高めの値段設定にするらしい。金魚の品評会があるらしいんだけど、そこでもらった賞状とかトロフィーを店先に並べてね」

「確かに、人目をつくのは間違いないし、それだけ超高級ならってので、高めでもやりそうな人は多そうか……」


 クラス委員長の御手洗セイコが顎に指をやる。


「でもさ、それって、超高級金魚の値段がかなり圧迫するんじゃないの。文化祭は店の売り上げじゃなくて、利益で勝負するわけだし、原価になる金魚が高いと、利益も減るよね」

「そこなんだよ!」


 ヨミが机をたたく。かなりいら立っている様子だった。


「まず、この超高級金魚は買い取りじゃない。レンタルなんだ」

「レ、レンタル……?」

「そう。しかも自分の娘が親からレンタルするわけだから値段はタダ。金魚の管理には専門家もつれてくるらしいよ」

「ということは、3年C組の出費は、実質ポイとカップだけ……」

「ポイは1本20円とかそういうレベルだから、かなり利益率はいいよ」

「待て待て、そこには問題があるぞ」


 野球部の鈴木リッカが待ったを入れる。


「それって、金魚をすくえばいいだけの話じゃないのか? レンタル料はタダでも、取られたらその分の値段は店の出費になるだろ?」

「要は、すくわれなければいいんだよ」


 会議に不穏な空気が漂う。

 まさか、いやそんなはずは、という心の声が見えてきそうだった。


「やつら、ポイに細工をする気だ」


 果たしてその予想は決定的となる。


「そんな派手な細工じゃなくてもいいんだ。ポイを一度濡らして乾かしたものをお客に渡す。ほかの人とポイの見た目は変わらないから、細工されているなんてまずバレない」

「つまり……」


 セイコは委員長らしく、一度すべての話をまとめ始めた。


「3年C組はタダでレンタルした高級金魚をダシに、使えないポイを渡して利益だけ上げようって魂胆」

「かー、弓で杭に引き続き、どこまでも卑劣な奴らだ」


 リッカは悔しがるが、利益は間違いなく上がるだろう。

 回転率は多少悪いかもしれないが、定番の飲食物と比べれば利益率は段違いだ。


「だけど、わたしたちは3年C組に負けたくない、そうでしょ?」


 士気が下がりかけた面々に、セイコが活を入れた。

 そうだよ、もちろん、と口々に聞こえてくる。


「3年C組は非常に安い原価で勝負してきてる。どうやったら、わたしたちはそれに勝てる? 文化祭の出し物はそれにしましょう」


 みな、方向性は一緒だった。

 利益で必ずや3年C組を上回る。

 それも、不確実な方法ではだめだ。

 何があろうと上回らなければいけない。

 それだけの計画性と確実性を持った案が必要だった。

 だが、それはあんがいすっと出てきた。


「あの――」


 手芸部の糸井マオがおずおずと手を挙げた。


「どうぞ」

「わたしたちも金魚すくいをしませんか?」


 全員、唖然となった。

 相手には高級金魚がある。それも原価ゼロで。

 自分たちにはコネもないし、当然金魚を仕入れるとなったら原価がかかる。

 どうやっても、同じ金魚すくいで勝てるヴィジョンはない。

 それと全く同じことを、ヨミが話して、マオは小さくなってしまう。


「まぁ待って。ほら、何か案があるんでしょ?」

「は、はい……」


 マオはひとつ呼吸を置いて、ゆっくり計画を確かめるようにしゃべりはじめた。


「わたしたちも、原価ゼロで金魚を手に入れればいいんですよ」

「だから、それはわたしたちにはできないんだって――」

「いいえ、できる」


 マオの腹案にいち早く気づいたのはセイコだった。


「は、はい。その……3年C組の金魚すくいから、わたしたちが高級金魚をすくって、それを自分たちのお店で出せばいいんです」


 まるで教室の中心に雷が落ちたようだった。

 たしかに、3年C組から高級金魚を奪ってしまえば、2年B組はただで金魚を手に入れることができる。そのうえ、3年C組には高級金魚分の支払いが発生するため、利益の面でも大きく引き離すことができる。


「だけどさ、あっちはポイに細工をしてくるんでしょ? どうやってすくえばいいのさ」

「わたしなら、できます」


 マオが取り出したのは、スプレー缶だった。


「防水……スプレー?」

「手芸部でたまに使ってるんですけど、これをかけるだけで、布がものすごく水をはじくようになるんです」

「じゃあ、これをポイに吹きかけたら……!」

「はい。絶対に濡れない、無敵のポイが完成するはずです。事前に準備しておいた無敵ポイをうまくすり替えることができれば、3年C組の高級金魚も一網打尽にできるはずです」

「「「おおおっ!!!」」」


 クラスは大いに湧きあがった。


 早速セイコが指示を飛ばした。


「ヨミとケイは3年C組を監視。どんなポイを使ってるか調べてきて。それがわかったら、まず大量のポイに防水加工を施しましょう。あとはポイをすり替える練習。くれぐれも3年C組にはばれないようにね。表向きはあくまで、3年C組に対抗意識を燃やしたわたしたちが、無謀にも同じ金魚すくいで無意味な勝負を仕掛けた、ということにするの」


 一斉に掛け声が上がる。

 もはや勝鬨にしか聞こえなかった。


 だがただ一人だけ、冷静な生徒がいた。

 生物部の生田ナミだった。


「あの、たぶん金魚すくいはだめになるから、普通に正攻法で行ったほうがいいと思うよ」


 クラス全員水をかけられたように首をかしげたが、理由は二日後、早くも明らかになった。

 朝のショートホームルーム、担任が遅る遅る申し訳なさそうに切り出した。


「あー、生物部からのタレコミでな。動物を使った出店が提案されるかもしれないというのを聞いたんだが、文化祭という人の多い環境は、まず間違いなく、動物のストレスになる。そこで昨日職員会議を開いたところ、金魚すくいをはじめとした動物を使った出店は、まだ高校生には難しいだろうということで、動物愛護の観点からも禁止することになった」


 そのとき。

 3年C組の方向からものすごい叫び声が聞こえてきて、2年B組は笑いに包まれたのだった。

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小説レベリング100日チャレンジ 多架橋衛 @yomo_ataru

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