窓辺の足あと

どすこい恍惚の檻

柔らかい牛肉(まだ途中)

 ゆずは飛び降りた。

まだほとんどの生徒が登校していない静かな教室。

高い樹々をバックに温かい木漏れ日を受けて。

3階の窓から。


 美術室を出てすぐのところに水飲み場がある。そこでは先程、親の迎えを待つあの子達が水遊びをしていた。中学3年にもなって、水遊び。周りにはその残骸である小さな水溜りが点々と残されていた。無邪気に笑いながらあの子達は汚す。そして始末は他人に任せてさっさと帰る。あの笑い声を思い出すたびに吐き気がした。それでも部活終わりに私はゆずと廊下を拭く。使った雑巾を冷たい水で洗う。気づけばすでに廊下の電気は消されていて空も青くなり、美術室から漏れる光のみが私たちを照らしていた。赤く冷えた指先に苛立ちが熱を帯びる。

「あの子達の笑い声は、今日も見えない誰かに支えられ成り立っています。」

「しかし彼女らの世界には、見えない誰かなど存在しません。」

「汚してもいつの間にか綺麗になってる。不思議だね。誰かがやってくれたなんて、これっぽっちも想像したことがありません。」

「とか言ってみたり。」

声のトーンは低めだけど、私もゆずも笑っていた。

その声は暗闇に溶けて、ここには私たち二人しかいないという、不思議な特別感が感じられた。

絞り終えた雑巾を掛けて、荷物を取りに美術室へと戻る。窓と準備室の鍵が閉まっているのを二人で確認し、次いで机や椅子のずれを直す。美術部部長と副部長の仕事の一つだ。時計を確認すると、時刻は午後6時前。

「あらら、もうこんな時間。急ごう。」

どちらかが言うと、二人ともすぐに廊下へ出て、荷物を整理する。いつものように、比較的足が速い私が鍵と出席簿と最小限の荷物を持って、全速力で廊下を駆け抜け職員室へと向かい、その間にゆずが残りの荷物を持って昇降口へと向かう。

以前は職員室に入るだけで緊張したものだが、今となっては流れ作業のように入室、

「失礼します。美術室の鍵と出席簿を戻しに来ました。」

顧問の先生の机の脇にこの二つを掛けて、

「失礼しました。」

退室。

入り口脇に置いておいた荷物を持ち、息を切らしながら昇降口へ向かう。

「おつかれ〜」

ゆずがニコニコしながら手を振っている。私はそれに応えながら、残りの荷物を手に取り靴を履き替える。

なんなんだろう、この人は。なぜいま私たちは一緒にいて、帰宅までの何分かを共にしようとしているのだろう。

ふと、喉元に鉛の塊が引っ掛かっているかのような感覚に襲われる。

内履きを持った右手を鼻の高さで止め、下駄箱の中をじっと視ていた私を不審に思ったのか、

「どうしたの?」

と、親友を心配する人間の優しい笑顔を向けてくる。なんと気持ちの悪いことだろうか。自分のことで手一杯なのにそれでも親友を心配して笑顔を作る私って、なんて優しいのかしら。私はいつもそう。笑顔の仮面を被って、いい人を演じて。なんて健気な悲劇のヒロインなのかしら。なんて思っているのだろうか。中学に入ってからの彼女を見ていると、こう思わずにはいられない。

「なんでもないよ」

と言った私の顔は、彼女の目にはどう映っていたのだろうか。

他の人間に興味がない彼女には。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

窓辺の足あと どすこい恍惚の檻 @umashima8652

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ