カミカゼ
圭琴子
カミカゼ
「コンニチハ」
「あっ……すみません」
私は深く嘆息した。これでもう、四人目だ。肩を落とし、ハットを取って額の汗を拭う。
日本人がおおむね親切だと教えてくれたのは、日本育ちで日本語の堪能な父だった。だがその一方、シャイだとも付け加えていた。
灰色の瞳に『ガイジン』特有の
私は昨日、住み慣れたロンドン郊外の街・バースから、北海道に引っ越してきた。街全体が世界遺産に登録されているバースは、歴史が深く美しい街並みだが、父が育った緑豊かな日本にも、ずっと住んでみたいと憧れていた。
父の地元は、少し外れに足を伸ばすと牛舎があるような、ひと言で言えば田舎町そのものだった。
ネット経由で古い一軒家を借りて、家賃は三万円。フラットシェアして毎月七百五十ポンド払っていた頃から比べれば、生活は随分楽になる。
取り敢えず一ヶ月間は、貯金を切り崩して暮らす予定だった。
そこで、家の周りをウロウロとして出会うひとに声をかけている訳だが、一向に会話にならない。
北海道は過ごしやすいという話だったが、八月の太陽は容赦なく肌を焼く。湿気も多く、感じたことのない不快指数の高さだった。
こんな田舎の軒先にもある自動販売機に驚愕しつつ、有り難くミネラルウォーターを買って喉を鳴らして飲み干す。
「シーユーレイター、アリゲーター!」
その時、すぐ横の玄関先から、大人の女性の声で、すでに懐かしくなっている英語が聞こえてきた。小さな子どもたちにかけるような、ダジャレめいた別れの挨拶だった。返事は複数の幼い声が賑やかに返し、英会話としては聞き取れない。
玄関扉に貼られたカラフルなポップを読むと、『RAINBOW ENGLISH SCHOOL』とあった。
助かった。英語の分かる大人が居る筈だ。
他にも英語の情報はないかと、長身を折って小さな文字にも目を凝らしていたら、勢いよく扉が開いた。
――ゴツンッ。
「Ouch!」
子どもたちが口々に、キャアキャアと日本語で何ごとか叫ぶ。中にひとりだけ、つたない英語で私を心配してくれた女の子がいた。
「あーゆーおーけぃ?」
六~七歳くらいの、白いワンピースを着た女の子だった。ぶつけた額を押さえる私の手の上に、
「Thank you. I'm OK」
女の子は、えくぼを見せてニカッと笑った。
子どもたちを送り出していたショートカットの三十代の女性が、上品に唇を覆って声を上げる。
「あらあら。大丈夫ですか? 外国の方かい?」
「コンニチハ。私ハ、ジョン=田中=スミスデス。英語、分カリマスカ?」
「ごめんなさい。子どもたちに教えているだけで、ちょびっとしか分からないの」
玄関には、女性と女の子と私だけが残った。
「マイネームイズ
女の子が、元気よく声を弾ませる。女性が、笑った。
「あら。そだね。自己紹介は大事だね。ナイストゥミートユー。マイネームイズ
「Oh. 陽、冴子、nice to meet you. 私、昨日、引ッ越シマシタ」
「まあ、ご近所? えっと、近くですか?」
冴子が、足元を指差したあと、その両手をぐるぐる回す。その何ともキュートなジェスチャーに、噴き出しそうになるのをこらえた。
「ハイ」
「よろしくお願いしますね」
「陽も? 陽もご近所さん?」
「そうね」
「よろしく、ジョンさん!」
「ヨロシク、陽」
陽の小さな小さな手と握手を交わす。独身だったが、もう三十九の私からしたら娘のようで、とても可愛かった。
「上がっていきます?」
「Sorry?」
「えーっと……プリーズ、カムイン」
「Oh! Thank you!」
「陽も!」
「うん、陽ちゃんもどうぞ」
先に陽が靴を脱いで、家に上がる。
そうだ、日本は靴を脱ぐんだ。私も陽の真似をして、靴を脱いで綺麗に揃え、冴子の家に上がった。
「失礼シマス」
「どうぞ」
冴子が通してくれた部屋は英語教室をやっている部屋らしくて、壁やテーブルの上に沢山の英単語が散りばめられていた。お陰で、お互いに片言ながらも、単語を指差すことで幾らかの意思疎通が出来た。
日本茶というものを初めて飲んだが、紅茶とはまた違って、とても美味だ。
今日は、『オボン』という日本の休日で、『ボンオドリ』という祭りがあると教えて貰った。
陽に手を振って、徒歩五分の帰り道を歩く。陽と冴子と三人で、夜、ボンオドリに行く約束をして。近所付き合いが出来て良かった。
もう太陽は傾いてオレンジ色に燃え、だいぶ涼しくなっている。コンビニエンスストアで弁当を買って、家に帰って食べた。
約束の時間に冴子の家を訪ねると、白地にピンクの花柄の着物を着た陽が、飛び出してきた。
迎えてくれた冴子も、藍地に深い赤色の金魚が泳ぐ着物を着ていた。
「Oh! Kimono!」
思わず感動して両手を広げると、冴子が腕に抱えた灰色の着物を掲げてみせた。
「
「私?」
「羽織るだけでも。せっかくだから」
陽に手を引かれて上がると、ジャケットを脱がされユカタに袖を通した。鏡の前に連れて行かれ、そのディテールの美しさに目を奪われる。灰地に黒のブロックチェック柄が、繊細に描かれていた。
スラックスにシャツの上からユカタを羽織り、ハットを被る私の姿は、何だかちぐはぐで笑ってしまう。
「似合ってるさ。ねえ、陽ちゃん」
「うん!」
ふたりとも満面の笑みだった。私のユカタ姿がふたりを笑顔にしているなら、こんな幸せなことはないと思えた。
陽を真ん中に、三人仲良く手を繋いで近くの公園に向かう。エキゾチックな笛の
広場の真ん中にやぐらが組んであって、太鼓はやぐらの上で生演奏だった。目を輝かせて見入っていると、やがてユカタの女性も現れて、マイクで歌を歌い出す。始まりは、「ハァ~」の音だった。
「Wow……Fantastic」
「そだね。綺麗だね。ジョンさんも、踊るかい? 盆踊りは、ご先祖を供養するダンスなのよ」
「ダンス」くらいしか分からなかったが、周りのひとたちもやぐらを中心に輪を作って踊り始め、踊る祭りなのだということは分かった。
「陽が、教えちゃる」
そう言って、陽が私の前に立ち、しなやかな手付きで踊り出す。じんわりとした――何というのだろう、紅白の丸い間接照明が頭上に沢山下げられていて、とても神秘的な光景だった。
「陽、トテモ上手」
「えへへ」
見よう見まねで踊りながら、陽に賛辞を送る。彼女は照れて、頬を薔薇色にした。
十分もそうやって踊っていただろうか。無心になることで、ハッと気が付くと周囲の景色は一変していた。
ユカタを着て踊る、狐の親子。打ち手不在のまま、
「ジョン」
ゆらゆら揺れる白いユカタの袖に気を取られていたら、不意に名を呼ばれた。真っ直ぐに前を見てボンオドリを踊る、陽だった。
「陽?」
「日本に住むのか?」
「分カリマセン。マズ、一ヶ月」
「戦争を知っちょるか?」
「イイエ」
変わらず陽は、一心不乱に前を見て踊りながら語る。少し違和感があったが、私も踊った。
「俺は、神風特攻隊だった」
「カミカゼ? 父ノお爺サン、カミカゼデ死ニマシタ」
「ほう……英国くんだりまで、伝わっちょるか。日本によく来たさ、ジョン」
――ブロロロロ……。
不意に、エンジン音が響いた。いつの間にか私は、小さな飛行機の狭い操縦席で、操縦桿を握っていた。
――ダダ、ダダダダダッ。
巨大な空母から、機関銃が放たれる。その照準は、真っ直ぐ私の飛行機に向いていた。飛行機に乗ったことなどないのに、反射的に操縦桿を倒して左に旋回する。
鼻が詰まる。私は、声もなく泣いていた。脳裏に、結婚したばかりで置いてきた年若い妻の面影がよぎる。
羽虫のように飛び回っている敵戦闘機の攻撃を避けながら、空母に近付く。最後の瞬間、艦橋めがけて突っ込んだ。
「大日本帝国、ばんざ――い!!」
そう叫びながら。景色が、ブラックアウトした。
ハッと我に返った。棒立ちで周囲を見回すと、太鼓のリズムと歌、ユカタを着た子どもたち。白いユカタのひとびとは、もう何処にも居なかった。
「石次郎……?」
それは、カミカゼで亡くなった曾祖父の名前だった。父が話して聞かせてくれた。
踊りながら離れていく陽の背中に問いかけると、後ろからポンと肩に手がかけられる。弾かれたように振り返ると、冴子が驚いていた。
「どうしたの? 疲れた? 休むかい?」
ボンオドリの輪は、進みながらゆっくり回る。私が立ち尽くしていることで、後ろがつかえていた。
細く息を吐いて、片手で額を押さえる。
「Ah……ハイ。疲レマシタ」
「抜けるべさ。陽ちゃん、先生たち休むね」
「うん! 陽、もちょっと踊る」
やぐらの周りに置かれた、簡易式のベンチのひとつに腰を下ろす。ぼんやりしていると、冴子が缶ビールをふたつ、持ってきてくれた。
「Thank you」
「なんもだよ。お近付きの印……って、何て言うんだべか」
独りごちる冴子をよそに、言うべきかどうかひどく迷って、結局曖昧に口にする。
「Well……父ノオ爺サン、カミカゼデ死ニマシタ」
「あら、そうなの」
勇気を出す為に、缶ビールをひと口あおる。
「今……カミカゼデ死ニマシタオ爺サンノ……夢、見マシタ」
「ああ……お盆だからね。お爺さん、会いに来てくれたんじゃないかい」
「オボン、何デスカ?」
「え~と……」
冴子は、焦げ茶色の眼球を上向けて考えた。
「ライク、ハロウィン。ソウル、オブザデッド、イズバック」
「Oh……」
私は深く納得し、自分の体験が異常ではなかったと安堵して、ホッと胸に手を当てて見せる。
「先生ー! ジョンさん! 焼きそばなまら多いから、みんなで分けよう!」
透明パックを手にした陽が走ってきて、私たちはそっとその話題を終えた。
「コレハ、何デスカ?」
「ジャパニーズ……スパゲティ?」
小首を傾げて考える陽が微笑ましくて、私と冴子は顔を見合わせて笑う。つられるようにして、陽も明るく笑った。
人波の向こうで、白黒写真で見たことのある石次郎が、微笑んだような気がする。
私を……歓迎してくれている?
日本には、長く住みそうな予感がした。
End.
カミカゼ 圭琴子 @nijiiro365
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