エピローグ3
「ここからはじまったんだよね」
「玄さん来ると思う」
「富さんだよ」
「そうだよね」
僕と倫子ははじめてこの駅に降り立った時と同じように丸太のベンチにすわっている。山の青さが増しているように思えた。都会よりも涼しく、風が気持ちよかった。
「こんなにくたびれてたかな」
「もう少しましだったような気がするけど」
でも、あの時はそう感じなかっただけなのかもしれない。僕たちを寒さから守ってくれるはずの場所だったから。ドアを見ているだけで、その中の生活が見えてくるように思えた。僕たちの時もそうだったのだろうか。僕はそんな生活をのぞき見しているような感じがして、うしろめたさを覚えた。倫子はどう感じているのだろう。
「そろそろ行こうか」
「そうだね」
僕と倫子は歩きはじめた。
「今日の月は細長いね」
「三日月かな」
雨月荘の露天風呂から二人で月をながめている。ここは女湯だけれど今日の客は僕と倫子だけだから。ここの露天風呂で初めて月を眺めたときは二人で男湯にいた。
「はじめてきた時もそうだったけど、癒されるね」
ゆっくりと時が流れていく。あの時と同じはずなのに、あの時は感じなかった安堵感が感じられる。こうして倫子と二人でいることがごく自然であたりまえのように思えた。言葉は交わさなくても肌と肌で会話しているような感覚って、あの時にはなかったかな。僕も倫ちゃんももっとドキドキしていたような気がする。
「いつまで入ってるんだ」
背中から玄さんの声が聞こえた。
「玄さんここは女湯」倫子が大声で叫ぶ。
玄さんの大きな笑い声が聞こえた。
「じゃましたな」
そう言い残して玄さんは風呂から出ていったようだった。
「あとどれくらいかな」
「送ってくれるのはいいけど早すぎるよね」
「玄さんはやることがいっぱいあるから」
「そうだね」そう言って倫子は自販機のほうに歩いていく。
「コーラでいい」
「いいよ」
倫ちゃんが缶コーラを二つ抱えてベンチに戻ってくる。
「女将さん元気かな」
「忙しそうだって佳代さんが言ってた」
缶コーラの刺激が懐かしかった。今度ここに来るのはいつになるんだろう。そろそろここを離れる時間が近づいている。僕と倫子は飲み終えた缶コーラを自販機に備え付けられた缶入れにすべりこませた。
《完》
山と海と缶コーラ 阿紋 @amon-1968
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます