12月8日 (4)
パート中のことはあまり覚えていなかった。いつもいつもやることと言えば品出しとレジ打ちで、他の人と世間話をしている暇なんてない。おんなじ事の繰り返しでうんざりする。
でも、きっと、そう、この日の私はぼんやりと業務をこなしながら今晩の献立をどうしようかと考えていた。これもまあ、いつものことなんだけど。でももう夫はいないから、そういう点では考え方は変わっていたのかもしれない。どうせ料理するなら一人分より二人分の方がコスパがいいのに。迷っているとまた、夫のことが頭に浮かんだ。
そういえば夫は昔からから揚げが大好きで、新婚のころは食卓に並べる度にはしゃいでいた。その姿を見るとつい嬉しくなって、七日間連続でから揚げを作ってしまったことがある。その時も彼は嫌な顔一つ見せず、喜んで口に放り込んでは舌を火傷していた。それくらい無類のから揚げ好きなのである。
から揚げを作れば昔の気持ちを思い出すことができるかもしれない。そうだ、今日はから揚げにしよう。
その後はから揚げのことが頭から離れなかった。別に私はから揚げが好きなわけじゃないのに、彼に当てられたのかな。
そうして17時になると私は業務を終えてタイムカードを押した。パート中のことは覚えていなかったけど、何人かのお客さんが私を見た時の顔が、とても印象に残ったのを覚えている。その人たちは、まるで、妖怪か殺人鬼でも目の当たりにしたかのような、驚き、ひきつったような、そんな顔をしていた。
「ふふふ・・・」
晩ご飯のことを考えると自然に笑みが零れてくる。買い物をささっと済ませて家路を急いだ。
私は家に着くと早々に寝室へ足を運び、それから晩ご飯の支度を始めた。
まずは夫に包丁を入れ、使う部位を分けていく。目玉をくり抜いて、肉を剥いで、頭は・・ん、やっぱり硬いな。骨があるからね。ここは鋸を使うか。
丁寧に材料を切り分け終えるとまな板が血まみれだ。いや、まな板だけじゃない。台所のそこかしこが血で汚れている。まあいいや。たぶん大きい魚を捌いた時もこんな感じでしょう。魚市場とかこんな風よ。
とりあえず材料をパッドに移して肉を洗うことにした。
ボウルに塩水を張って、丁寧に揉み洗いしていく。塩水はあっという間に真っ赤に染まってしまった。その都度水を変えて丁寧に、丁寧に、揉んでいく。愛する男へ愛撫するように、優しく。繰り返していくうちにすっかり汚れは落ちた。これで十分だろう。キッチンペーパーでしっかり包んで水気をとり、小さめに刻んでから揚げ粉をもみ込んでいく。溶きたまごに浸けてもう一度から揚げ粉をかけてと。から揚げの準備はこんなもんだろう。さて、次はっと。
そういえばお米をといでなかった。今は冬だから長めに浸けておかないと美味しく炊きあがらない。早いところ準備しておかなきゃ。さらさらっとお米をといで、炊飯器にセットした。一時間くらいかな。
次に添え物を用意することにした。から揚げの添え物といえばキャベツとトマトよね。夫の頭を毟ってよく洗ってから刻んでいく。パッドの上に転がる二つも同様によく洗う。これ、なんかヌルヌルする。
最後に汁物。鍋に湯を張って出汁の素を、沸騰してきたら夫からとった味噌を溶かしていく。味噌も洗うべきだったのかなあ。味噌汁が赤くなっちゃった。これがほんとの赤味噌かしら。なんて。
さあ、これで一通りの支度は終わり。後はお米の炊きあがりに合わせて揚げるだけ。
「ふふ、楽しみ。早く食べたいなぁ」
私は今どんな顔をしているのだろう。きっと幸せそうな笑顔を浮かべているんだろうな。だって、こんなにドキドキしてるんだもん。彼と出会ったときみたいに。
食事の時間が来るのが楽しみで仕方がなかった。もうすぐ、夫が帰ってくる。
私の下に。
私の中に。
ピンポーン
唐突にチャイムが鳴った。
誰だろう。放送協会の人かな。私は見てませんよ。
「はーい、どちら様ですか?」
眉をひそめて玄関を開くとそこには警察が立っていた。
「清水真澄さんですね」
ああ、ようやくいつもと違う一日を迎えることがそうね。
誰かの日記 松浦 良牙 @Ryoga15498
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