12月8日 (3)
まずは夫の遺体から片付けることにした。こんなに大きなものがいつまでもあっては邪魔で仕方がない。
昨日ホームセンターで買っておいた大きめのビニールシートを床に敷き、その上に椅子を置いて簡易的な作業場を作った。本来こういうことは夫の仕事なのだけど、当の本人はもう動かない。非力な私が自分でやるしかない。冷たい夫の体をベッドから引き擦り右腕を椅子に載せ、肩に鋸をあてがい、刃を前後に何度も引くが、骨が固くなかなか斬れない。魚の骨のように簡単にはいかないわね。
力を込めて何度も何度も刃を引いた。その度に血が噴いた。
息を荒げて何度も何度も刃を引いた。その度に血が滴った。
何度も何度も、何度も、何度も・・・。私の体に血が飛び散った。
そうして10分程経っただろうか。ようやく腕が身体から離れた。一本だけでこれ程までに体力を使うなんてと参ってしまう。
「誰か手を貸してくれないかしら」
そう口にして足下に目をやり、映ったものを見てつい笑ってしまった。
私は転がるその手を掴んで、腕ごとゴミ袋に投げ捨てた。
左腕、右脚、左脚と続けて鋸で切断していく。四肢を失い、自らの血で真っ赤に染まったその姿はまるで達磨だ。もっとも、この達磨が腐らせたのは手足でなく性根だけど。
次はぶくぶくと丸い達磨の腹に刃を入れていった。脂ののった肉はすっかり硬くなってしまっていたが、太腿と比べると幾分もマシだった。途中、腰骨に手間どったものの腕が上達したのか、それともコツを掴んでいたのか、右腕ほど苦労はしなかった。
最後に首を切断した。ここが最も楽だったものの、終えた時には大きな達成感があった。鋸の最後の一引きを終え、愛した夫の首が無残にも胴から零れ落ちるその光景には感動を覚えて見入ってしまったほどだ。この感動は木から落ちるリンゴを目にした時にも匹敵する、いやそれ以上のものかもしれなかった。いずれにせよ恍惚とした私は首だけは捨てられなかったので、このまま置いておくことにした。
首だけを残して、バラバラになって、夫はゴミ袋の中に消えた。部屋中に飛び散った血糊はべっとりとこびり付いて、落とすのには骨が折れそうだ。
私は鋸を服の裾できれいに拭き上げて片づけると、血がべったりとついたビニールシートと掛け布団をゴミ袋に突っ込んだ。このままの恰好ではどんなに掃除をしても、拭いたそばから汚れてしまうだろうと考えて、血がついている衣服を脱いでいき、そのまま捨てていった。血が下着まで染み込んでいたせいで、結局全裸になってしまった。少し恥ずかしい。でもなんだろう。この開放感が気持ちよかった。この後はどうせシャワーを浴びるのだからと、体の汚れを軽く拭いてから、そのままの恰好で掃除を始めることにした。
血のついた家具をしっかりと洗剤タオルと濡れタオルで拭いて、乾拭きで仕上げて、壁や床も同様にきれいにしていく。最後に消臭剤をかければ大丈夫だろう。目立った汚れが無ければそれいい。
二重にしたゴミ袋をひとつずつ台所へ運んでいく。一つ一つが重い。計4つも運んですっかりくたびれてしまった私はシャワーを浴びるべく脱衣所へ向かった。気が付くと洗濯は終わっており洗濯機は静かに佇んでいた。鏡には、顔に、肩に、鎖骨に、胸に、身体中にうっすらと血化粧を施した女の、見惚れるほど美しい裸体が映っていた。まあ、私なんだけど。
お風呂場に入ってシャワーを浴びた。体の表面を駆け巡るお湯が気持ちいい。髪と体を優しく洗い、泡とともに排水溝に流れる鮮やかな赤が段々色味を失っていくのを見ると心が穏やかになっていくのを感じる。
私を温かく包み込むお湯は化粧を優しく洗い流して、身体をきれいにしてくれる。
「身体だけじゃなくて、心もきれいにしてくれればいいのに」
そう呟く私の身も心も、本当の意味では汚れていた。
身体を拭いて髪を乾かし、いざ下着を着けようとバスタオルをはだけさせた時、着替えがないことに気が付いた。取りに行こうかとも迷ったが、洗濯が終わっていることを思い出してすぐさま蓋を開けた。乾いた洗濯物たちは今すぐにでも着ることができる。適当に着替えを済ませて洗濯物をリビングで畳んで、ようやく家事が終わって自由時間。んー、気持ちいい!
グーっと伸びをして時計に目をやると、なんともう12時を回っている。休んでいる暇はあまりなかった。
お湯を沸かしてカップ麺に注いで3分、寂しく麺を啜りながらふと思った。夫は昼食を誰と何を食べたんだろう?
普通に考えれば仕事の日は会社の同僚と近くの定食屋で済ませていたに違いない。
しかし夫は浮気をしていた。ただ相手が誰かまではわからなかった。仕事が休みの日でも朝早くから出かけて、嗅ぎなれない香水の香りを体中にまとわせ、皺だらけのシャツに真っ赤な口紅をつけて、普段は飲まないくせに酔っぱらった状態で夜遅くに帰ってきて・・なんてことが度々あった。朝帰りしたのも数回なんてものではない。どんなに連絡を入れても返事はなく、浮気していることは疑いようがなかった。
だからそんな日は誰と何を食べていたんだろう?と。考えても答えなど出るはずもなく、問い質すこともできず。考えるだけ無駄なこと。
スープを残した私は急いで歯を磨き、玄関の扉を開いた。
外は寒く、冷たい風が耳元で囁く言葉は痛むほどに耳を裂き、背筋を凍らせ、剥き出しの手から感覚を奪っていった。
「大丈夫。落ち着いて」
声に出して深呼吸をした私は、暗く先の見えない道を、ふらふらと自転車で進んでいった。
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