12月8日 (2)
また今日が始まる、布団の中で私は思った。外はまだ薄暗い。机の上にあるデジタル時計は六時半を告げようとしていた。習慣とは恐ろしいもので、この時間に目を覚ますという行為はすっかり私の身に染みついているようだ。今日も何事もなかったかのように瞼は上がり、脳は起床を促してくる。抵抗しようにも上半身は既に起き上がっており、両腕は布団の裾をがっちりと腰の位置で押さえつけている。毎日毎日そんな律義に同じ行動を繰り返さなくてもいいのに。まったく、真面目なんだからなどと頭の中でぼやきつつ、寝ぼけ眼をこすりながら横に目をやると、まだ夫が眠っていた。気持ちよさそうに眠っている夫の顔を見つめているとなんだか憎々しく思えてくる。しかし朝からそんなことを思っていてはせっかくの新しい一日が台無しになってしまうと考えた私は、足早に部屋を出た。
我が家の朝食は大体決まっている。焼いた食パンに、お湯を注ぐだけの即席スープ、そして残っていれば昨晩のおかず、残っていなければ目玉焼きとハム。なにかと忙しい朝はできるだけ手早く準備できるものがいいのだ。2枚の食パンをオーブンに入れ、電気ケトルの電源をいれて、昨晩の肉じゃがを火にかければ朝食の準備は終わり。私は夫が下りてくるのを待った。
しかしいくら待っても夫は下りてこなかった。今日はパートの日なのでそれまでに家事を片付けて、できるだけゆっくり過ごしたかった。それにお腹も空いていたし、先に朝食をとってしまうことにした。
「いただきまーす」
私の声が広いリビングにむなしく響いた。人間とは不思議なもので、感情によって物の見え方が大きく変わる。それはもちろん私も例外ではなく、実際窓際のキューピー人形が私をあざ笑っているように見えた。年がら年中一糸纏わぬ姿で立ちつくしているだけの赤ん坊にばかにされたくはなかったが、過ぎたことはもうどうしようもなかった。せめてもの仕返しとして放った輪ゴムはまるで標的を避けるように飛んでいき、私が大事にしている植木鉢の返り討ちに遭って床に落ちた。
朝食を終えた私はやるべきことを済ませていく。まずは洗濯だ。溜まった洗濯物を洗濯機に突っ込みスイッチを押す。近頃の洗濯機は便利なものでそれだけで洗剤、柔軟剤を適当なタイミングで適当な量だけ勝手に入れ、挙句の果てには乾燥までしてくれる。私は乾いた衣類を畳むだけでいいので、洗濯に限って言えば正に愛妻号と呼ぶに相応しい働きぶりである。もっともこの家における”愛妻”の称号は私に与えられるべきものだが。
次に手を付けたのは部屋の掃除だ。とは言っても常日頃から掃除はしているのでそんなに汚れてはいない。今汚れているのは寝室くらいだろうが、ここも他の部屋と比べれば汚れているという程度である。夫がいなくなればすぐにきれいにできるだろう。
私は床の輪ゴムを拾い上げリビングの床を掃いた。家具の隙間にも箒を差し込み丁寧に埃を集めていく。そうして集められた埃の黒く形の定まらない様子はまるで私の心にかかった靄のようで、一緒に集められた塵も餌に群がる蟻のようで気持ちが悪い。
「早いところ掬ってゴミ箱に捨ててしまおう」
考えるより動くが早いか、気が付くと既にそれらは部屋の隅に置かれたゴミ箱に収まっていた。軽蔑の眼差しでそれらを見送った後、部屋中に掃除機をかけて、床を拭いていった。寝室を除いて家中を同じように掃除していくとなんだか空気が少し澄んだように感じる。窓の前で背のびをすると肌を刺すような冷たい空気と、明るく温かい日差しが私を迎えてくれた。太陽がまるでお疲れさまと労ってくれているようで、外には澄んだ青空が広がっている。私はそんな澄んだ世界に背中を向け、汚れた部屋へと向かう。
寝室に入るとベッドの上にはまだ夫が眠っている。呆れたものだが、そのあまりにも穏やかな寝顔を見つめているとなんだか羨ましくなってくる。
「まったく、私は朝からこんなに大変な思いをしているのに」
全ての苦しみから解放されたかのように無垢なその寝顔を見れば、そうぼやいてしまうのもしょうがない。きっと誰だってそうなる。私は自分に言い聞かせ、寝室の掃除を始めた。
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