ネガティブバージョン

お役目

「中府尚書様」


 天界の役所、中府舎。


 本職は、下士の呼び掛けに応じて 書記中の机から顔を上げた。


「─ 何用じゃ」


「大府尚書様の直命にて 桃を川に流しました旨、一応のご報告を」


「── どういう事じゃ?」


「これなる書面にて、そう御指示が」


「─── 何故、再度この様な事を??」


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(そういえば…)


 いつもの、通い慣れた洗濯場。


(この川で あれを拾い上げたのは……いつ頃じゃったかのう………)


 抱えてきた洗い物の入ったタライを、婆が地面に降ろした時。


(ん!?)


 あの日と同じ様に、それは流れてきおった。


(なんと、また大きな桃が。。。)


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「いつもより、帰りが早いようじゃが…」


 扉の開かれる音に、ワシは顔を上げる。


「─ 顔色が良くないが、どうしたのじゃ?」


 婆さんは無言で身をかがめ、足元に降ろしていた何かを持ち上げた。


「そ、それは!?」


「見ての通り、大きな桃じゃ」


「か、川上から流れてきたのか?」


 うなずく 婆さん。


「多分、中には──」


「また…赤子が入っておるかもしれぬと?」


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「おぎゃー」


 ワシは、慎重に桃を切り分けた。


「おぎゃー おぎゃー」


 以前と同じ様に生まれ出た赤子が、大きな産声を上げる。


 反対側に控えていた婆さんが、産湯を使わせるべく手をのばす。


「─ 名前は どうしましょうかのぉ」


「桃から生まれ出た子じゃ…桃太郎しか なかろうて」


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「色々と、お世話になりました」


 板間に正座し、私は頭を下げた。


「これより、旅立ちます」


 顔を上げたとたん、おじいさんと目が合う。


「─ 鬼ヶ島に行くのか?」


「はい」


 その横に座るおばあさんが、表情を曇らせた。


「じゃがな。先代の桃太郎の話では…鬼はお宝を差し出し、二度と悪さをしないと誓ったと言うぞ?」


 おじいさんが、言葉を引き継ぐ。


「そして、その約定どおり 何の悪事も働いておらぬ」


 沈黙に耐え切れなくなり、私は口を開いた。


「…仕方がありません。鬼退治は、天から遣わされた桃太郎の お役目ですから」


----------


「あなたは──」


 頭には、中央に桃の紋の入った 白い鉢巻。


 羽織っているのは、肩に桃の紋が染め抜かれた 緑色の陣羽織。


 背中には<日本一>の旗指物。


 それが、某の住処を訪ねてきた男の出で立ちだった。


「…いったい」


「見ての通です。犬殿」


「今頃は…鬼退治の功績で……都でお勤めの筈………」


「私は、新たに天から遣わされた桃太郎です」


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「─ この犬に何用で?」


 新しい桃太郎殿が、何を差し出す。


「── 吉備団子?!」


「黙って、これを受け取ってくれませんか」


「まさか…」


「鬼ヶ島へ、供をして欲しいのです」


「い、一体…何をしに……」


「決まっています」


 某は、後ずさった。


「お、鬼との約定の存在を…ご存知ないので?」


「承知している」


「で、では…何故……」


「鬼退治は、天から遣わされた桃太郎の お役目ですから」


----------


「おお!?」


 山道を見下ろす枝の上。


 登って来た者の正体を確認して、わしは大声を上げた。


「犬殿、犬殿ではないか!」


 急いで大木から駆け下りる。


「良くも、こんな山奥まで来てくれた。久しいのう」


 何故か犬殿は、わしと目を合わそうとしない。


「如何 致した?」


「実はな…猿殿……」


----------


「その話、本当なのか?」


 犬殿から差し出された吉備団子を、わしは凝視した。


「約定を守って悪さをしておらぬ鬼を、何故に退治する必要が!?」


「桃太郎殿は…鬼退治こそが、天から遣わされた自分の役目だと……」


「わしらも、それにお供しろと?」


「残念ながら猿殿、それが我々の使命なのですよ。。。」


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「また…鬼退治ですか?」


 こんな僻地まで、わざわざ両名が訪ねて来た事実。


 それこそが、凶事だった。


「こんな遠方まで、わざわざお訪ねいただいた おふた方には悪いのですが──」


 犬氏から差し出された物の受け取りを、小生は拒否する。


「吉備団子ごときで命を懸けるのは 一度やれば充分な愚行です」


 猿氏は苦笑した。


「雉殿。われらも気が進まないので、出来れば 無理強いしたくない」


「お解り頂けますか?」


 犬氏の表情が歪む。


「ただ…桃太郎殿は、天から遣わされた存在」


「?」


「その頼みを断ると言う事は…天罰の覚悟が必要かと……」


 小生は、天を敵に回す程には愚かではない。


「─ お供するしか、選択肢がないと言う事ですね」


----------


「何故?」


 その日、我ら鬼は襲われた。


 前回の争いの際、約定を結んだのに。


 財宝も、根こそぎ差し出したのに。


 私達は誓いを守り、大人しく平和に暮らしてたのに。


 手下を引き連れた桃太郎に、鬼ヶ島は蹂躙されたのだ。


「どうして??」


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「…ととさま」


 沖合に逃れた小舟。


 そこから見える鬼ヶ島は、どす黒く燃え上がっていた。


「……かかさま」


 多くの鬼が、戦った。


 桃太郎には、決して叶わぬと知った上で。


 何とか子鬼達を、逃がす時間を稼ぐために。


 立ち向かった鬼たちは、猛火に包まれた鬼ヶ島で 今頃。。。


「………にいさま、ねえさま」


 手負いの子鬼たちは、涙を流しながら 誓った。


「…………極悪非道な人間どもを我らが成敗して、必ずカタキを。」


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「…中府尚書」


「これは、大府尚書様」


「先日の<桃>の件じゃが──」


「は」


「麿は、遺憾に思っておる」


「─ は?!」


「諸事、善処してたも」


「ぎょ…御意……」


----------


「中府尚書様」


 天界の役所の中府舎。


 本職は、下士の呼び掛けに応じて 書記中の机から顔を上げた。


「─ 何用じゃ?」


「昨今 下界で鬼が暴れ、世の安寧が失われておる件、如何致しましょうか」


「── 至急、桃を川に流す様に取り計るしか なかろう。。。」

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天遣燃実 紀之介 @otnknsk

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