あのノイズ、本当に消してもよかったのだろうか……
乃木重獏久
第1話
「ホント、恩に着るわ。さすがは音響のプロね、アンタって」
渡したDVD-RWのディスクを手に、俺に礼を言う、日に焼けた浅黒い笑顔。政府系研究機関へ技術者として出向している同期の女が、俺の勤務先を尋ねて来ていた。
「そっちにも、これぐらいできる奴、いるんじゃないの? 主にサンプルデータを解析するだけだったから、大した作業じゃなかったし」
「そりゃ、できる人もいるかもしれないけどさ、うちには解析機器はないし、こんなことに割く時間も無いからね」
俺だって、日々業務に追われる中、同期のよしみで、何とか頼まれた期日までに準備してやったというのに、一体何という言い草だ。しかし、コイツの明るくざっくばらんな性格に、あまり気にはならない。
「はいはい、どうせこっちはエリート様とは違って暇ですからね。いくらでもお申し付けくださいませ、お嬢様」
「え、ゴメンゴメン。別にそういう意味で言ったんじゃないのにー。ほんと、許して」
俺を拝むように両手を合わせて謝るコイツの、困ったような表情がかわいらしかった。腹を立てていないにも関わらず、嫌みを言ってやったのは、この顔が見たかったからで他意はない。
コイツは出向とはいえ、大きな国家プロジェクトに参加して、毎日が充実しているようだ。活き活きとしたその表情からもよく分かる。それに引き替え、俺はどうだ。財閥系総合電機メーカーの本社直属とはいえ、鎌倉にある音響事業部で、音響システムの改善設計に追われる毎日だ。全くもって情けない。
「しかし、ヘリでわざわざ離れ小島から取りに来なくても、イントラネットで済む話なのに。全く、ご苦労なこったな」
「だって、仕方ないじゃない。うちの職場は、個人端末では外部からのメール受信はもちろんのこと、内部メールでも添付ファイルの送受信ができないんだから。それに、うちへの郵送物はすごく時間がかかる上に、最近は紛失事故も多いし。ヘリはたまたま、首都圏への便があったから便乗させて貰っただけよ」
現在、先進国間で繰り広げられている、惑星間及び恒星間飛行の実現に向けた、超長寿命高出力の新型推進機関の開発競争。最終的には、光速に近い速度を出せる宇宙船の実現を目的としたこの国家間競争に、当然のことながら、我が国も参加している。そしてコイツは、その「核融合パルス機関実用化計画」に携わっており、鹿児島県の種子島に新たに建設された、プロジェクト専用の実験機打ち上げ施設に勤務しているのだ。
「いくら最重要国家プロジェクトの一つといっても、機密漏洩防止のために、インターネットはおろかイントラネットまで使えないなんて、あまりにも神経質すぎないか。それに、USBメモリでのデータ授受は駄目で、光学ディスクでならOKだなんて、矛盾しているだろ。今渡したそのディスクに、ウィルスが仕込まれていないとは限らないだろうに」
「まあ、独立行政法人主導の計画だし、妙に間の抜けたセキュリティであるのは否定しないわ。でも、ご心配なく。このディスクも、厳重にチェックした上で使わせて貰うから大丈夫よ。とにかく助かった。これで、問題なくプロジェクトが進むわ」
「あれ、それって、職場のイベントで使う個人的なものって言ってなかったっけ? プロジェクト用のものだったら、事業部を通さないとまずいだろ」
「え、いや、これはね。えーと、なんだ。うちのグループにメンタルが弱い子がいてね、その子を元気づけようと思って、今度パーティーをやるときに使うんだよ、えへへ」
ホントにコイツ、嘘が下手だ。最重要国家プロジェクトに、メンタルが弱い子なんか配属されるわけないだろう。いや待てよ、嘘をつけないコイツが、機密の塊の計画に参加しているんだ。あながち、あり得ない話でもないか。
しかし、今回のコイツからの依頼が、決して私的なものではなく、プロジェクト絡みであることは、
ある特定の波長を持つ音波を完全に消音するための、逆位相音の作成。それがコイツの“個人的な”依頼だった。消音対象のサンプルデータは、十万近い数の音声ファイルで、そのいずれもが、〇.五秒程度の長さのものだった。この膨大な数の短い音声を、すべて同時に消去できる逆位相音の作成。果たしてアンタにできるかしらと、妙に挑戦的な態度で俺に話を持ちかけてきたのは、三か月前のことだ。
ある音に対し、逆相の音をぶつけて相殺することにより、その音を聞こえなくする騒音低減技術は、自動車や航空機の室内騒音や、携帯型音楽プレーヤーでの周辺環境音等の低減など、広く一般的に利用されているものだ。コイツ自身、サンプルの音声に対して、市販されている消音スピーカーを試してはみたものの、僅かに低減できるだけで、完全には消音できなかったという。
まあ、一般に普及している消音スピーカーやノイズキャンセラーでは、完全な無音にすることは難しいだろう。しかし、音響システムの設計を生業としている俺にとっては、仕事の片手間にできるような非常に簡単な話だ。同期というだけではなく、女性として憎からず思っているコイツの頼みを、俺は二つ返事で受諾した。
それらのサンプルが普通の音声でないことは、解析に着手してすぐに分かった。いずれの音声データも、いくつもの音が混ざり合った、複合的なものだったのだ。重層的な構造のその音声は、いくら逆位相音を発生させても、何故か完全に消すことはできなかった。どうしても、僅かな音が残ってしまう。
俺が思うに、どうやらこのサンプルは、新型エンジンか何かの機械装置が発生する複合ノイズを、機密保持のため、瞬断的な音声にカモフラージュしたものなのだろう。このサンプル音を同時に完全に消すことができる逆位相音が、そのノイズを同様に消すことができるのかもしれない。
そう考えながら、いろいろ試すうちに、何とか逆位相音のデータは完成し、音の強弱や長短に合わせて、自動的に追随しながら相殺消音する制御プログラムとともに、今日、依頼者に手渡すことができたのだ。
「もう行くのかい。もうすぐ昼だし、社食で一緒に食事でもしないか」
「ゴメン、もう行かなきゃ。ヘリって結構速度が遅いんだよ。途中で給油もしなきゃいけないし。それに、早く帰って、アンタのデータを試してみたいんだ」
「そんなに重要なパーティーなのか」
「そんなに重要なパーティーなの」
ヘリポートで羽を休めていたヘリのローターが、独特の低い唸り声とともに動き出す。そして次第に大きくなっていく羽ばたき音が、あたりを支配しはじめた。
「そうそう、言い忘れていた! そのデータ、サンプル音は完璧に消せるようになったけど、その際、ごく僅かな高周波が生成されるんだ! でも、これ以上のことはできない! すまん!」
ローター音が騒ぐ中、叩きつける風に乱れる長い黒髪を抑えながらヘリに乗り込むコイツに、大声でそう言うと、
「ボイスが消えるんなら大丈夫よ!」
コイツも負けじと大声で応え、ハッチを閉じる。
「じゃあ、またね」
離陸するヘリの窓に見える、アイツの口はそう言っていた。小さく手を振りながら見せる、褐色の健康的な笑顔に白い歯が見える。俺は少し離れた場所に下がり、ヘリの巻き起こす風に飛んでくる砂粒を片手で遮りながら、細めた目でアイツを見送る。
便乗させて貰ったと弁解はしていたものの、わざわざ種子島くんだりからヘリで来るとは、いくらプロジェクト絡みだとはいえ、よほど重要な案件だったのだろう。遠い空に小さくなっていく機影を眺めながら、アイツが国家プロジェクトの重要な仕事を任されていることに、尊敬の念と少しばかりの嫉妬を抱いた。アイツも頑張っているんだ、俺も今の仕事を頑張るか。そう思いながら社屋に引き返す。
あれ、そういえばアイツ、「ボイスが消えるんなら」って言ってたな。“ボイス”ってノイズのことか? 彼女の妙な表現が気になり思わず振り返るが、真夏の青く晴れ渡った空に、もうヘリの姿を見つけることはできなかった。
******
『こちら管制センターからの生中継です。間もなく、世界初の「核融合パルス機関」を搭載した、実験用無人宇宙船が打ち上げられます。この新型エンジンは、今後の実現が期待される、冷凍睡眠を用いたり、乗組員が世代交代を繰り返したりしながら長期間の宇宙旅行を続けるといった、恒星間宇宙船の実現に必須の技術といわれており 理論上は数百年間稼働し続ける推進機関として期待されています。しかしながら、最大出力時には膨大な推進力を誇るものの、始動時には非常に弱い出力しか望めないため、今回の実験機打ち上げでは、従来型の大型ロケットによって打ち上げられ、衛星軌道上で新型エンジンを始動し――』
会議室の大型テレビには、種子島の専用発射場に控える実験機が映っていた。本社では、専用回線で配信された映像が映され、役員や社員が見守っていることだろう。しかし、この計画には全く関係のない音響事業部では、そんなものは望むべくもなく、ただNHKの中継番組を見るしかないのだ。
続いてテレビ画面には、管制室が映された。多くのスタッフが、複数のカメラ映像やデータを映す大型モニター前の、整然と並ぶコンソール席に座り、その周りを別のスタッフが、せわしなく動き回っていた。その中には、同期のアイツもいるのだろう。しかし、画面上の小さな人影では、確認のしようがなかった。
『間もなく、カウントダウンがゼロを迎えます。管制センターでは、様々な通信が取り交わされており、騒々しくも、緊張の糸が張り詰めているかのようにも感じられます。先ほど、スタッフの方に伺ったところ――』
俺は、そのとき妙な違和感を覚えた。中継現場のレポーターの声の向こうに聞こえる、カウントダウンや各観測所との通信音声。それに、現場への指示や状況報告といった、飛び交う様々な音の陰に隠れるように聞こえる、その音。間違いない。去年アイツに渡した、逆位相音を適用した際に生じる、副産物としての高周波。逆位相音を作り上げる際に何度も聞いた、聞き取れないくらいに小さな、それでいて特徴的なあの音。
実験機から、かなり離れているはずの管制室。そこに、この高周波が流れるほど、実験機が発するノイズは大きいというのか。ならば逆位相音もかなりの音量になっているはずで、周辺環境や人体にも影響があるんじゃないか。そう思いながら画面を見続けるが、レポーターやスタッフの様子に、不快な表情は認められない。
いや、先ほどのレポーターの話では、今回の打ち上げにはロケットを使用するとのことだった。ということは、宇宙空間で始動する予定の新型エンジンは、今は停止中のはず。ならば何故、この高周波が流れているのだ。エンジンノイズではないとすれば、一体何のノイズを消しているのだろう。
『――三、二、一、リフトオフ! 三、四、五―― 固体補助ロケット第一ペア点火。続いて――』
『ただいま打ち上げられました! 白煙をたなびかせながら、機体はどんどん昇ってゆき――』
テレビ画面には、斜めに上昇していくロケットと実験機が映っている。しばらくして二本の補助ロケットを切り離し、さらに上昇を続ける光点が映っていた。
程なくして、画面は再び管制室に戻った。実験機は順調に上昇中で、目標高度到達後に新型エンジンを始動。その出力のみで月周回軌道に入るのだと、興奮冷めやらぬレポーターが解説する。しかし、実験機は既に離床したというのに、未だにあの高周波が、テレビの向こうから流れてきていた。
*****
先日のテレビ中継を見て以降、あの高周波が気になってしようがなかった俺は、
音声解析システムのディスプレイには、先日見たテレビ中継とは異なるアングルで撮影された管制室を映すウィンドウが表示されており、そこには、同期のアイツの姿もチラチラと映っている。去年の夏に鎌倉に来たときと変わらない元気そうな姿に、思わず視線が吸い寄せられる。しかし、その後ろでは、ずっとあの高周波が小さく流れていた。
この映像に流れるすべての音声を解析システムにかけ、一旦あの高周波を除去した上、さらにそこから、俺が作った逆位相音を除去する。何度か作業を繰り返すうちに、本来そこに流れているはずのノイズの正体が、次第に明らかになってきた。そしてそれは、決して新型実験機由来のノイズではなかった。
俺には、低い女の声にしか聞こえなかった。恨みがましい怨嗟の声。それは、無意味な音ではなく、聞く者に向ける様々な呪いの言葉として意味を持っていた。あのサンプルデータは、この女の声をぶつ切りにして、本来の意味が分からないように加工したものだったのだろう。そして、女の声の後ろで、いくつもの呻き声や読経のようなものが、幾重にも重なり合っている。アイツは単純に、これを消したかっただけなのだ。実験機のノイズではなく。
俺は何か嫌な感じがしていた。何とも説明のつかない、妙な心のざわつき。そして、漠然とした不安がつきまとう。果たしてこの
解析システムのモニターに映る、宇宙空間での新型エンジン始動成功を確認した後の、和やかな雰囲気の管制室。画面の隅には、白い歯を覗かせた、魅力的な笑顔を振りまくアイツがいた。そして、緊張感が少しばかり解けたスタッフ同士のやりとりや、関連部署との通信音声の後ろに、その呪詛の言葉と呻き声が延々と流れ続けていた。
あのノイズ、本当に消してもよかったのだろうか…… 乃木重獏久 @nogishige
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