3.

 



 少女は、理解が出来なかった。男の言葉が、理解出来なかった。

 何を言っているのだろうと。


“俺で”“最後に”“して”“くれないか”反芻して、少女は首を傾げた。不気味になってしまった姿に似合わない仕草で、男はやや可愛いと考えてしまった。うっかり、ふっと笑いを零してしまった。


 少女はこれに強く反応した。「……ぐっ……!」鋭い金属片が、再度男の足を裏から貫いたのだ。少女は莫迦にされたとでも思ったのだろうか。先に金属が刺さっていた箇所は、単に炎症を起こしているだけかじんじんとするだけで、痛みも引いていたのだが。今回ので痛みが瞬間ぶり返す。このせいで息が詰まった。深く吐いて、一呼吸を置く。痛みに慣れるためだ。

 調子を整えて、今一度「……悪かった」謝罪を洩らす。少女は「……」無言だ。少女は、男の言動が逐一わからなかった。男も勝手を覚えたのか、返答が無くても話を続けることにした。


「お前が、人を、世界を憎いのはわかるよ……だが、もう良いだろう。これ以上人を殺して何になる。呪って、どうするんだ。お前は、人間が一人もいなくなるまで終われないのか?」


 少女を真っ直ぐ捕捉し、男が質す。少女は静聴していた。じっと身動ぎ一つせず、少女も男を向いていた。


「だから、さ……俺で終わりにしてくれないか」

 少女は「……」動かない。


「俺が、死んだら……や、もう死んでいるのか? とにかく、俺が……」

 少女は「……」動かない。


「ここに、残るから……お前のそばに、お前が気の済むまでいるか、ら……っ!」

 少女は「かはっ……」動いていない。だけども、唇の端が上がっていた。少女の口端が上がったのと、男を地から生えた金属が貫いたのはほぼ同時だった。男の足を突き抜いたものと同形の、ただし先のものよりもっと長いものが、男の横腹から斜め上肩までを刺し抜いた。次いで、反対側からも同様の現象が起きる。同じように男を「……ぅっ……!」貫く。次は腰から鎖骨と胸の間を貫通した。背凭れの木枠の隙を縫って。次は腹から背へ。これは距離が在ったからか角度が低い。次は……こうして、幾度も幾度も刺し貫いた。


 少女は笑っていた。見た目だけなら楽しそうに歪んでいる。だが、この表情は少女のものではなかった。

 少女が笑っていたのではない。少女自体は凪いだ水面の如く静かだった。

 笑っていたのは、少女が取り込んだ、何者かだ。


 前述の通り、多くの犠牲者を取り込んだ少女は、少女ではない。少女の中には無数の魂が在り、少女の自意識など、とっくに混ざっているのだ。

 それでも、核は少女だった。表面的な主導権を得た有象無象は最早少女無くしては存在出来ない。


 命を奪った少女に縋るのは、唐突に呪われ死んだ者の、未練の果てなのか。少女の理不尽な死への怨念に共鳴した結果なのか。亡者の腹癒せと言えば、正解かもしれない。


 混沌とした中では、最早明確な答えは無い。

 ただ。


 男が邪魔だと、群集は感じた。少女に異論は無かったけれど反論も無かった。


 何度も貫かれ、男は虫の息だった。少女の口角が更に上がる。うれしそうだ。笑顔の主は少女ではないのだが。

 男へ、さぁ怨め、お前もどうせ一部になるのだから、と何者かの、笑顔の主か不明だが少女の内で囁きがする。少女はこれにも無反応だ。少女自身の反応と言えば、男の科白を奇妙に思ったこと、把握していないところで溜め息を吐かれ不快になったことだけだ。少女は傍観者に等しかった。────記憶を辿れば。


 少女の意思だったのはどこまでだったのだろう。

 村民たちを呪い殺したのは少女の意志だった。けれど、村民以降はどうだろうか。


 少女は医師を怨んだか。調査団を怨んだか。いや、ここまでは怨んだかもしれない。じゃあ、旅行者は? 学術調査隊は? 冷やかしには怒っただろうが。

 どこまでが少女であったのか。どこからが少女ではなかったのか。


 少女が漠然と自己の起源を浚っていると「……ぅう……」男から声が上がった。少女も意識を向けた。

 四方から串刺しにされた男。幾つも尖端が交わって男の体など、ところどころしか見えない。その隙間から垣間見えるシャツは、血に塗れて滴っていた。


 それだけ刺されば、内臓とて無事ではなかろう。がくんと頭を垂れ、喉からもヒューヒュー空気が洩れている。喋ることもままなるまい。少女と統合している何者かが嗤った。少女の面立ちも嘲笑を浮かべる。


“そばにいる”? 抵抗しようと一部にしてやるのだ。おとなしく、飲まれれば良い。笑った。

 だがしかし、少女“たち”は驚愕することとなる。


「……ずっと……いるから」

 男が、浅い呼吸を繰り返しながら、発声しているではないか。瞼が開いたなら、少女は開く限界まで瞠目したことだろう。ざわざわ、少女の中も騒然としている。少女から応答が無いことを熟知している男はぜいぜい言いながら、一言ずつ発する。


「お前の……気が済むまで、俺がいる……」

「……」

「だから……さ、もう、やめよう……いるから……」


 男が首を擡げた。痛みで朦朧とするだろうに、男の眼は光を失っておらず力強かった。少女は男の鋭い眼光に射抜かれ──────視認出来なくても肌で感じ、畏怖した。

 少女の内にいる者たちも震えた。なぜだ、意味がわからない、と。


 男は、この洞穴に来る前も少女に散々脅されて来た。標的は男の姪であったけれど、姪が男といる限り男も巻き添えを食らう。怪我だって、命の危機に瀕することだって在った。

 なのに。意味がわからない。


 ここに引き摺り込んでから、男の挙動は不可解でしか無かった。


 痛いでしょう────体中刺し抜かれて傷だらけで。

 苦しいでしょう────縛られて串刺しにされて息だって絶え絶えで。

 悔しいでしょう────大した反抗も一矢報いることも出来ず死ぬのだから。


 だって、“私たちわたし”は、そうだった。

 だって言うのに、どうして。


 どうして、男は、満身創痍のくせに“私たちわたし”を憎まないの。怨まないの。悔しがって、罵倒しないの。


私たちわたし”が、したように。


 少女の水面めいた心情が波立った。呼応するみたいに、内なる者たちも揺れた。


 そして。

「……な、『  』」

 男は微笑して、名前を口にした。

 今や忘れ去られた、少女の名だった。


 少女の名が口にされた刹那、絶叫した。口は縫い合わされているので喉奥での咆哮だった。頭を掻き毟り、悶える。

 この行動は、少女のものだったか、内なる者たちのものだったか。


 苦悶し、のた打ち回る。少女の尋常じゃない暴れ方に、男も驚く。だが今際の際と言った男に何が出来る訳でも無い。そうでも、と。男は少女を呼んだ。悶絶の最中に、吐息染みた呼び掛けが聞こえたとは思い難い。

 だけど少女は男に向くと、手を振り翳した。男を振り払って、抗うかの如く。


 そうして。


「────」

 男の、胸を金属片が突き抜いた。




 洞穴は再び、寂然とした空間となっていた。洞穴のぽっかり開いた広い空間は、天井に在る穴から光が差し込まれ、男が椅子に縛り付けられ少女が微動だにせず見ている。

 違うのは、少女が立っておらずぺたんと座り込み、男が血だらけの穴だらけで、死んでいること。


 男が絶命して、数日が経っていた。少女は、男を見ていた。視覚は無いので、別のもので。


 洞穴には誰も来なかった。少女は気付かなかったが、男を引き摺り込んでから、誰も来ていないのである。

 あれ程、人が来ていたのに。


 少女は知らない。ホラースポットとして有名だったこの山村跡地を、現在国が立ち入り禁止区域にし、フェンスで囲まれ、見回りも徹底されていること。誰も、立ち入りが叶わなくなったことを。


 人が死に過ぎたせいか、山村の悲劇が公になればようやく新興国として世界と対等になれたのに、問題が起きるためか。男が一役買ったことも、少女は知らないだろうし、その先も知ることは無いだろう。


 少女と、男の二人だけだ。男は死んでいる。少女も死んでいるけれども。

 少女は男を見ていた。他にすることも無いゆえに。動かぬ男を。


 男が少女を恐怖も憎悪もしなかったからか、少女の一部にはならなかった。取り込めなかった。

 人が来ないことで、少女が殺した現況最後は、男だけとなった。


 少女が膝を抱える。少女の中の者たちもぞわりぞわり蠢く。けれど誰も来ないのだ。来なければ取り憑いて殺すことも出来ない。


 少女は考える。このまま、消えるだけだろうかと。蠢動する者たちも小さな唸りを上げているけど、どうにもならない。

 呪った対象が、移動しなければ、動けないのだから。


 少女は良いかもしれないと思った。自らの怨嗟に飲まれ無に近しかった少女は、思い出したのだ。

 零れ落ち魑魅魍魎に拡散した『自分』を。


 名前は自己認識を確立させる。男にそんな意図が在ったか謎だが、確かに少女は少女の輪郭を取り戻した。


 多くの人を手に掛けた。同じ思いをさせてやろうと思った。

 自分と同様に恐怖で追い詰め、殺して、取り込んで、苦しめてやった。

 けど、結局、それだけだった。


 怨みも晴れなかった。膨れ上がって終わりが無かった。少女は男の生前の問い掛けを思い起こす。


“お前は、人間が一人もいなくなるまで終われないのか?”


 男が、少女を呼んで、名を与え直さなければ、そうなっただろう。最後の一人まで、呪い殺した。

 どちらかが消えるまで、終われなかった。


 少女は仰向けになって力を抜いた。元より体なんて無く、この表現はおかしいかもしれない。だけどもこれが近しい。目は閉じる必要も無い。塞がれているので。


 投げ出して、水に浮くようなイメージだった。少女は、内で響く声も無視した。いつの間にか主導権も少女が強くなったらしく、名も無くした群集が歯向かおうとものともしなくなった。


 少女が軽くなる感覚に身を委ねようと途端、ふわっと、頭にあたたかいものが触れた。少女ははっとする。身を起こした。信じられなかった。

 取り込んだ者は全員少女を憎み怨み世界を妬み貶めようとする者ばかりで。まさか、と。


「お前の気の済むまで、いっしょにいてやるって、言っただろ」


 男の、声がした。

 気配がした。

 少女が仰ぐと、男は笑っていた。







   【 了 】

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メリーバッドホラー aza/あざ(筒示明日香) @idcg

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