もの思わし、支配者の王国
狼子 由
第1話 父は、偉大な王だった。
父は、偉大な王だった。強大なる王国に君臨する賢き王。若くして玉座についてより治世の間、長く争っていた周辺の異民族を剣もて追いやり、周囲の国と講和を結び、国に大いなる繁栄と長い平和をもたらした。
少なくとも、民はそのように見ていたらしい。俺にとっては、ただ厳格なだけの男だったが。
父には息子が二人いた。俺と弟、同じ母から生まれた兄弟だ。母は弟がつかまり立ちを始める前に死んだ。異民族の手にかかったのだと聞く。報復はすみやかに、かつ苛烈に行われたとも。
母を失って以来、父はいつも二人を公平に扱うと口にした。そしてその癖、俺にだけはひどく厳しく当たった。
理由は明白だ。俺よりも、父は弟の方を愛していたということだ。
俺のことが邪魔だったのだろう。父の冷たい眼差しが弟の前ではわずかに緩むことを、俺は知っていた。そもそも兄と弟でありながら、公平に扱うなどということから間違っている。世の習いに従えば、長兄をたてるものだ。それを曲げても弟を持ち上げるのが父の謳う「公平」なのだから、腹立たしい。
弟はよく言えば控えめで、悪く言えば目立たない地味な男だった。黒茶けた髪も瞳も没個性で、顔立ちも特段優れたところはない。母の幼い頃によく似ていると、昔はよく言われていたが。
どちらかと言えば金髪碧眼の俺の方が、まだ父の美質を継いでいた。普通は、己に似た子の方を愛するものだろう。それでも弟の方が可愛がられるのだから、世の中はままならない。
一度、父の前に兄弟が並んで、問答のようなことをやらされたことがある。事前に取り決めがあった訳ではない。隣国の使者が訪ねてきた際、なんとなくそのような流れになった。
父は問うた。万が一、隣国との中に争いの種が生まれたらどうするかと。俺は答えた。隣国は小さく、まだ若い国だ。争うならば早い方がいいと。周辺諸国の事情もよく学んだ、王国の承継者らしい答えである。弟の答えは凡庸で、ただ争いの種がどこからきたものかしっかり調べるとのことだった。
父は即座に使者に笑いかけ、自分は弟の道をとると答えた。場に不思議な弛緩の空気が流れ、俺の言葉は無視された。
俺の答えは、隣国との戦力差を考えてのものだ。それが、なぜ弟の弱腰の答えの方を評価するのか。父は結局、弟の方をより愛しているだけなのだろう。
それ以来、俺は父のことも見限った。情に溺れるものは、国を支配するに相応しくない。
一度だけ、弟と話したことがあった。玉座を欲しているか、と問うて。
母が愛したという中庭の四阿で、偶然顔を合わせたときのことだ。沈みかけの夕日が弟の頬を照らしていた。どこにでもある顔だと思っていたが、その時だけは確かに、少しばかり母に似ているような気はした。
弟は、長子相続の慣習にならって、玉座は俺のものだと言った。自分が玉座を狙うことなどあり得ない、と。
性の合わない弟だが、今でも、あの時の奴の言葉は本気だったと思っている。そういう男だと、誰より俺が一番知っていた。
「それで、お前はどうするんだ」
「兄上が国を治めてくださるなら、誰より安心です。僕は国の外へ出て、万が一にもこの国が戦禍に巻き込まれたりすることのないよう、兄上をお助けしようと思っています」
「そうか」
俺は頷いて、弟に背を向けた。そして、奴の顔を見ないまま呟いた。
「国を盛り立てる思いが同じなら、俺たちは同じ道を歩けるのかもな」
弟の答えは聞いていない。振り向かなかったので、奴がどんな顔をしていたのかも分からない。
長じて、俺と弟に婚姻の話が舞い込んだ。
王国には、二人の大臣がいる。外大臣と内大臣だ。二人にはそれぞれに年頃の娘がいたため、国内の安定を重視して、俺たちがそれぞれの娘を娶ることになった。
さすがに一生のことだと思ったのだろう。珍しいことに、父は自分だけで決めることはせず、どちらがどちらと婚姻を結ぶか、俺と弟に相談した。
父の前で、弟は恭しく頭を下げた。
「父上のよろしいように」
鼻で笑いそうになった。
俺は知っていた。弟は二人のうちの片方、内大臣の娘を密かに見初めていたことを。
正直、どちらがどちらでも俺にとっては大差なかった。だが、弟がいらぬと言うなら、もらってやろうと考えた。
「兄のお前はどうだ?」
「では、父上。俺に内大臣の娘をください」
横槍を入れられたようなものだが、弟は何も言わなかった。頭を上げすらしなかった。
弟の思いなど知りもせぬ父は、重々しく頷いた。
「確かに、そなたには内大臣の娘の方が良いであろう」
こうして、内大臣の娘は俺の妻に決まった。後に、内大臣の娘は誠実で大人しく、外大臣の娘は社交的で派手好きであると聞いた。父は始めから、弟と俺と、欠けたところを妻に埋めさせようという腹だったのだろう。
ならば、やはり俺の方が正しかったのだ。誰に何を言われる筋合いもない。
父の思惑が、当たったかどうかは別にして。
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