死体します。

千羽稲穂

ねぇ、命って何円で売れると思う?

 お客さんがやってくる。私達は頃合いを見計らい、二手に分かれ、お兄ちゃんがお客さんを後ろから追いかける。暗い小路を模した建物を、もう何回と行き来しているせいか暗闇に目が慣れていなくてもすいすいと進めている。突き当たりの仕切りを右にお客さんを誘導する。黒のパーカーで、フードを被っている姿をしているから、雰囲気が本物のストーカーっぽくて、見ていると恐怖がこみ上げてくる。歩みを進めて、お客さんを大詰めの袋小路まで追い詰めていく。お客さんはそこで感情が高まり、思わず悲鳴を上げた。そこで颯爽と私はお兄ちゃんの背後に登場する。

「大丈夫」とお客さんへ演技ががった声をかける。

 すると、お客さんは私の演技を見るやいなや、悲鳴をやめ、魂がぬけたような白けた表情を見せた。私はお兄ちゃんほど演技に入れないので仕方ない。専門でないからこのぐらいで勘弁してほしい。これから本物を見せるのだから。

 お兄ちゃんが振り向いて、タイミングを見計らう。そこから取っ組み合いを始める。お兄ちゃんが私を引き寄せた隙に、一撃で頼む、と何度も懇願している事柄を確認する。それは私の殺しの手腕にかかっているけれど、あいにくこっちは素人だ。無理難題を突き付けられても困る。

 そして、お兄ちゃんは私を軽く突き飛ばす。お兄ちゃんの体はがらあきだ。手に持っていた包丁を建物の中で唯一の光源にちらつかせ、お客さんに包丁に気づかせ、そして一気にお兄ちゃんの心臓がある胸へ突き刺した。

 お兄ちゃんは仰向けに倒れ、目を開けながら、お客さんの方を向いた。次第に失っていく目の輝きに、お客さんは顔の色を失わせる。胸には包丁が刺さりっぱなしになっている。お兄ちゃんの顔色が白に染まっていくのと対照的に、衣服が包丁が突き立てられた周辺からじわじわと血色が濃くなる。それを見届けた後、お客さんの方を私は見る。体に力を入れず、自身の存在を空間にあけわたし、ぼんやりとお兄ちゃんを見続けていると、お客さんはなぜかさっきの悲鳴とは違う、小さくも凍てついた声を漏らす。

 まじかよ本当にやりやがった、とでも思っているのだろうか。

「違うの」

 と、私が悲壮めいた声をだして、手を伸ばすと、お客さんは悲鳴も上げず、私の横を通り過ぎ、出口へ向かって一直線に駆け出した。まるで鬼にでもおいかけられているようだ。お客さんが外へ出て言う言葉は決まっている。

「中で殺人が起こっています」

 あまりのリアルさに従業員に助けを請うのだ。

 黒いパーカーも相まって闇に紛れているお兄ちゃんの死体を見下げた。力なく仰向けになって、生気が感じられない。口が数センチ空いている。その開いている空間を挟むようにして紫色の唇があった。本来あるべき呼吸はそこから吹きこぼれていない。

 毎度この時間が怖い。今日はもう無理なんじゃないか。もう生き返らないんじゃないかって、喉が圧迫される。押し出された空気の塊を、ぐっとこらえて待機するしかない。私の手にあるのは、お兄ちゃんに言われた通り一撃でやった肉を貫く感触だけだった。

「ねぇ」震える手を、喉を、目ん玉を、唇を、噛みしめて見つめる。「お兄ちゃん、本当に死んじゃったの」

 違うの、とリアリティある重い言葉をようやくここで紡げた。

 すると、ひゅっと空気の抜ける音が、お兄ちゃんの口から漏れ出る。みるみるうちに紫の唇に紅が引かれていく。それは暗い世界に花畑が咲くように、そこから一気に芽吹く。目に生気が宿り、眼光が私に向けられる。建物内の唯一の灯火がお兄ちゃんに移動する。この奇跡を私は何度となく体験したのに、未だに信じられない。突き刺さった包丁がお兄ちゃんの体から押し出される。滲んだ血がみるみるうちに傷口にひいていく。押し出された波が引くように、今度はお兄ちゃんが津波になって押し出すように、命の息吹が吹き返す。息を大きく吐き、お兄ちゃんは汗を額から流した。

「一撃でっていったのに、めっちゃ痛かったんですけど」


 ***


「疑似体験、殺人現場!」と銘打った看板がひっさげられている。それを眺めつつ、私はお兄ちゃんがへこへこと頭を下げている横にいる。看板の下にはお客さんがまだ並んでいた。先ほどお化け屋敷に入ってきたカップルまで居る。もう営業は終わったというのに、リアリティを刺激されたいという快楽に溺れている。それを見て従業員が困ったように説明していた。もう終わったんです、ともう何度されたか分からない言葉を告げられていた。それでも食い下がるカップルは、凄くよかったんです、思わず警察に通報しようかと思ったぐらい、あれをまた体験したいんです、と従業員に熱心にアタックしていた。

「お兄ちゃんのファンだって」

 お兄ちゃんの服の裾をひっぱって、カップルを指さした。お兄ちゃんは嫌なものでも見るように、カップルを一瞥した。私に返事をよこさない。まださっきの殺し方に怒っているっぽかった。頬をむっつりと膨らませて、お化け屋敷の店長に向き直った。私に見せるいやみったらしい顔でなく、顔をほころばせている。へこへこぉっと、頭を下げる。

「いやあ、すごく評判良いよ。仕事受けてくれてありがとうね。一週間大変だったでしょ」

 黒ぶちの眼鏡をかけた、お兄ちゃんと同年代くらいの男性店長は、お兄ちゃんの肩を叩いた。

「それほどでも」とお兄ちゃんが言いながら、矛盾するようにうなづく。

「給料は、あの口座に」

「ありがとうございます」

「ちょっとだけ割り増しにしといたから、妹と一緒に良いものでも食べろよ」

 そういうと店長はカップルの方へ苦情の対応に向かった。スーツ姿の店長と、ジャージ姿のお兄ちゃん。同い年のわりに、どう見ても店長の方がしっかりしているように見えた。

「よかったじゃん、ひと死に三千円の仕事だったけど」

「お前なあ」

 ようやくお兄ちゃんが反応してくれた。こうして見れば、お兄ちゃんは、普通の人だ。先ほどまで死んで生き返ってを繰り返していた人とは到底思えない。肌色に生気が宿って、瞳が潤っている。黒い眼に光が宿っているし、なにより動いている。あたふたと慌てたかと思えばため息をつく。

 私はにやりとお兄ちゃんに微笑みかける。

「本当に死んでるのに、良い気なもんだよね」

 それでも、私達はこの仕事を続けていくんだろうね、と続けて声をかける。お兄ちゃんは何にも言わないけれど、きっと同じ考えなんだろう。

 それからいつもの通り仕事終わりに行く喫茶店に向かった。手にあったお兄ちゃんの肉を貫いた感覚は薄れていた。お兄ちゃんが先で私が後からついていく。仕事はつらいけれど、帰りのこの時間は好きだ。もうへとへとで動けないのに、夕飯にありつけると思えば、歩みを進められる。仕事やめたいなって感じるこの時間が普通ってやつの感覚に戻る感じがして、心地よかった。


 ***


 喫茶店で大きなカツサンドイッチを食べ終わり、アフタヌーンティを楽しんでいたら、お兄ちゃんが背中をさすった。何か不自然に感じることでもあるのか、次の瞬間服をめくる。いくつもの傷跡が背中に刻まれていた。まるで、戦場痕のようだ。お化け屋敷があるような、平和な国ではありえないぐらいの傷の量だ。

 兄の肌を食事中に見たいと思う妹なんていない。気分が一気に覚めていく。

「暇だからって、服脱がないでよ。キモイよ、お兄ちゃん」

「いや、俺だってそんなことで脱がないよ」

「じゃあなんで」

「ここ、どうなってる」

 お兄ちゃんが向けた背中には、治りきっていない刺し傷があった。出血はしていないけれど、肌が盛り上がっている。薄桃色の乾いたホイップがついているようだ。ゴムのような艶がある。形状や傷の場所で、先週、ある死体をした依頼の時につけられたものだとすぐさま察した。本来ここまで盛り上がる傷なんてないから、お兄ちゃん特有のものだろう。

「なんかキモイ」

「もっと言い方ってものがあるだろ」

「服着て」

 お兄ちゃんが服を下げた後、私は安心して紅茶をすすった。休まる茶葉の香りに、一息つく。紅茶色の水面に、喫茶店の電灯が満月みたく映っている。お兄ちゃんはつまらなそうに、その様子を見ていた。二人で稼いだお金なんだから、存分にくつろぐ。お兄ちゃんだって、死体をした後は動きたくないのか、大きな動作はしない。

「やっぱり治ってないか」

 うん、と舌の上に残った茶葉の苦さを味わった。脳内に茶葉の心地よさが広がる。気分は平たんで、小さな波さえたたない。凪いだ海面を眺めているようだった。喫茶店にはスローテンポのおしゃれな曲がかかっている。寝てしまいそうなほどに穏やかだった。窓を窺った。外界は既に暗闇で包まれていた。電灯が無機質な光を地面に照らす。人も車も通らない。

「もう時期、回数制限なのかなあ」

 お兄ちゃんが、眠そうに目を細める。そこにはどこにも緊張感がない。弛緩した空気で、私達はお兄ちゃんが死ぬかもしれないってことを話している。お兄ちゃんが死ぬってどういうことだろうか、と気にもかけない。私達にとって命はそこに横たわっているだけの、ただの物。そしてそれを生業にしているだけ。

 今治っていない傷だって、「人を殺してみたいの」なんていう興味本位な依頼で、お兄ちゃんの命が差し出されたのだ。見事にお兄ちゃんはめった刺しにされて、血まみれになった。そこで依頼人は逃げてしまった。お化け屋敷みたいな仕事を除き、私達は前払い制をとっているから、別にいいけれど。残ったのは、たったの百万円のみ。

 もう少し値上げしてもいいかもしれない。なにしろ、回数制限がきている可能性だってある。お兄ちゃんがいつまで生き返れるのか、命がどれくらいあるのか、私達にも分からない。明日お兄ちゃんはこれまでの命の対価として死ぬかもしれない。明後日、事故にあってそれっきりお兄ちゃんは起き上がらないかもしれない。明々後日、おにいちゃんはコンクリートで固められて湖に沈められていなくなるかもしれない。危険な綱渡りの上で私達の仕事は成り立っている。

 それでも、私達はこうして、死体をしてなんとか生計をたてていけているし、そこに生きがいを見出している。同い年くらいの子達はもう成人して立派に働いている。私達だってこうして働いている。そこに変わりはないのだ。

「一回、どれくら大丈夫かやってみたいよね」と私はティーカップを置く。中身は空っぽになっていた。

「例えば」

「サイコロステーキにして、生き返るか、実験するとか。頭と胴体を切り離したり、あとは湖に沈めて永遠におぼれさせたり、コンクリートで固めて……」

「待て待て」お兄ちゃんは慌てて目を回す。「俺をなんだと思ってんだお前」

「仕事道具」

「お兄ちゃん悲しい」

 あはは、と声を出して笑ってしまう。お兄ちゃんをからかうのは、なんて楽しいのだろうか。分かっているくせに。

「冗談にきまってんじゃん、お兄ちゃん」

 お会計はいっしょに、だ。


 ***


 喫茶店から出て、一緒に住んでいるマンションまでの道のりで、いつも通り次の予定を話し合う。そこらへんは私とお兄ちゃんはビジネスライクだから、どこで死体をするか、とかお金の相談をする。歩きながら話していると、背景はいつの間にか市街地になっている。車のテールライトを浴びたと思えば、気にせず次の話に移る。

 案外世の中死体を欲している人ばかりだ。死なない死体はいりませんか、と呼びかければ何千万というお金を出してくる。そのたびにお兄ちゃんは命を差し出す。

 さすがにお化け屋敷は安かった。命の値段が三千円。あの店長がやり手だったのだ。手痛い出費の責任をお兄ちゃんとなすりつけあう。いつも思うけれど、この責任は一体どこにめどがあるのだろうか。お兄ちゃんは自分の命の値段をどれくらいに見積もっているのだろう。報酬は何千万円だと言ってもいつも納得しないままに仕事を受けている気がする。


 ***


 一通り、喧嘩という話し合いをし終わったあと、お兄ちゃんはこっちを振り向いた。足取りが止まっている。そこは人通りの多い交差点前だった。多くの人が私達をかわしつつ、交差点に踏み入る。白黒のテープが敷いてある歩道に何の気もなしに跨げる人々を、私は羨ましく見入ってしまう。赤信号になれば止まり、青信号になれば歩き出す。そんな当たり前なことすら、尊く思える。

「どうした」

 お兄ちゃんが振り返ったのは、私の足が止まったからだ。

 お兄ちゃんの姿が人に混じっている。その中身も外身も変わらない。でも、なんだか歪なのだ。私とお兄ちゃんの心の内でもがく何かが言っている。お前たちは本当にそれでいいのか。私は交差点のテープを気にしない。お兄ちゃんはもっと気にしない。でも、それ以前に、もっと大きなわだかまりを見ているような気がしてならない。そのヘドロの一端に、私達は片足をつけている。人間誰しも持っている歪に、心がかき乱される。

「ううん、なんだか気分が悪くって」

「早く帰ろう」

 どうして私の手にはお兄ちゃんを刺した感覚がないのだろうか。私はなんの罪悪感をもっていない。今日の店長もそうだ。お化け屋敷という名目だけど、命を奪うことに何の迷いがない。それを了承して設営している。お化け屋敷に入るお客さんはみんなお兄ちゃんの命が潰える様を面白おかしくみているし、「殺してみたい」なんてちっぽけな理由で、人の体をめった刺しにする。みんな、お兄ちゃんの命を奪うことに躊躇しない。

「なあ、最近ちょっと考えすぎなんじゃないか」お兄ちゃんが、私の背中を撫でた。「あんなこと前は言わなかっただろ」

「あんなこと」

「『本当に死んでるのに、良い気なもんだよね』って。別に俺は気にしてないよ。この仕事、結構気に入っているし、俺が死んで喜んでもらえるなら嬉しいよ」

 分かっている。私はお兄ちゃんのことを想ってじゃなくって。我ながらひどい妹だけれど、そこは分かっているのだ。お兄ちゃんはそこまで気にしていないし、気にする必要はない。そこではなく、私はもっと大きなものを相手をしているような気がしてならなかったのだ。

 私達の曖昧な生と死の線引きを誰がしているんだろう。

 なんでこんな簡単に、彼らは意気揚々と命を奪うのだろうか。

 人間の奥底に眠る、命の線引きをあやふやにする黒いどろどろとしたこの塊はなんなんだろう。

「明日はいつもの喫茶店じゃなく、もっと高級なとこ行こう。そうしよう。良い気晴らしになる。そうだ。少し遠出になるけれど、良いところ見つけたんだ。いつも行く喫茶店みたいな隠れ家的雰囲気の、うんと高いところ」

「そうだね。お兄ちゃんいつもジャージだから、高いところ行くときは着替えなきゃならないけど」

「お前」と言ったところでお兄ちゃんは私の体の上に被さる。遅れて「なあ」と息を漏らした。体の重さがどんどん私に圧し掛かかる。顔が見えない。体重を支えきれなくなって、地面に倒れこんでしまう。すぐにお兄ちゃんの体を押しのけると、地面に血だまりができていた。お兄ちゃんの表情は、私の言葉を笑い飛ばしたままの、そんな穏やかな表情のままだった。口から赤い筋を伝わせた。苦しそうに呼吸する。

 遅れて周囲の悲鳴が耳に入る。

 いけない。ここで生き返ったら、大騒ぎになる。誰か、救急車を。でも。

 私の思考と正反対の悲鳴と救急車を呼ぶ声を頭で紡ぎ出し、パニックになる。さっきまで話していたはずだったお兄ちゃんが、血の海の中心にいるのだから。

「ば、化け物」

 そこで、劈く言葉を私は見つけた。

「化け物を倒すんだ」

 青年が狂ったように包丁を振り回している。お兄ちゃんの血で染まった刃先を、今度は私に向けている。化け物の妹だと、わめいてきかない。これは制裁だ、と刃を突き立てる。足元にあった、横断歩道の白黒はなく、テープは切られている。青年はお兄ちゃんの返り血をかぶり、ヘドロを全身に浴びているようだった。そうして青年は私に直進し、包丁を私の頭へ。

 と、した時、お兄ちゃんが再び、私の前に立ちはだかった。包丁はお兄ちゃんの腕に刺さる。それを皮切りに、何度も何度も包丁を抜いては、刺してを、青年は繰り返した。お兄ちゃんの腕、背中、お兄ちゃんがその場に倒れる前にもう一回背中。何回も何回も刺して、もう起き上がることのないよう、祈るように青年は包丁を突き立てた。もうこれでもかというぐらい、血が彼や私に降りかかる。まだそれでもで続ける。

 目の前が真っ暗になったところで、青年は警察官に後ろから取り押さえられた。包丁はお兄ちゃんに刺さったまま止まり、お兄ちゃんはぴくりとも動かなかった。

「本当に死んじゃったの」

 お兄ちゃんを揺さぶってみる。なんの反応もなかった。呼吸は止まっている。歩道にお兄ちゃんの死体が一つ取り残されている。こんな状況でも私は思ってしまう。これはいくらの死体だろうか。これは何円の仕事だろう。

 これで死ぬなんて、思いたくなくて違うのと言葉を噛みしめる。青年の怒りまじりの声が耳にかすかに残っていて、体を震わせる。喉にせりあがった。胃液がこみ上げる。お兄ちゃんをここまでさせるその意思に、気持ち悪くなる。その吐き気を催す感覚を、一番に感じているのが、自身の内であることに悲嘆にくれる。

「ねぇ、返事してよ」

 お兄ちゃんがなでてくれた背中の暖かさが、まだあるうちに、またお兄ちゃんに会いたかった。

「嘘だと言って」

 周囲の視線が痛い。私を囲んでいる。お兄ちゃんを見ている。そして私のことを大丈夫、と介抱してくれる人が寄ってくる。救急車がもうすぐ来るらしい。でも救急車がきたら、お兄ちゃんは生き返るところが見られる。だから来ないでほしい。そうして、お兄ちゃんが生き返るのを私は待っていたい。

「大丈夫よ」

 介抱してくれる人が私に告げる。知らない間にあの青年の声がなくなっていた。あたりは喧騒につつまれている。ざわざわと影が揺れている。私の傍にいてくれた人は血まみれの私を、汚れるのもいとわず服の袖で拭ってくれた。

 救急車の音がする。


 ***


 通帳が戻される。そこに記入された金額を数えた。一、十、百、千、と桁を数えて、何円かを鑑みる。まあ、このぐらいだろうな、と白けてしまう。お化け屋敷の店長に期待してはいけない。

「お待たせ」

 銀行から出て、私は待たせていたお兄ちゃんに声をかけた。いつも通りジャージだし、仕事終わりだということもあって、動きが緩慢だ。気怠そうに腕や腰辺りをさする。

「まじで死ぬかと思ったわ」とお兄ちゃんが鼻を鳴らす。

「ほんと、心配して損した」

 何度となく同じ会話をしてしまう。

「よく生き返った。褒めてあげる」

「褒められるようなことじゃないけど」

 救急車に乗って病院へ行った後、お兄ちゃんは死亡が確認された。瞳孔が開いて、出血多量で、もうどうすることもできなかった。肝心のお兄ちゃんは早々と死んでしまっていて、私もこれはもうだめだと思って、諦めていた。そして、用意していたお墓や、生命保険について考えようとしていた時、お兄ちゃんは体を起き上がらせた。

「痛い」と勢いよく。

 奇跡だ。

 と、何度も見た光景に叫んではいられない。病院に騒がれるのは、こちらとしても避けたいので、その後お兄ちゃんを連れて、すぐに病院を後にした。

 それからはいつも通り普通の死体をする日々に戻った。

 未だにお兄ちゃんの命の回数制限が来た気配はない。

「今日の仕事も終わったし、給料入ったし、お兄ちゃんが言っていた高いお店に行こうよ」

「仕事終わりはつらいからパス」

「こんなに給料あるのに」

 お兄ちゃんに通帳を渡すと、その顔に驚愕の表情をを浮かべた。そんなに高くはない。お兄ちゃんの命と比べたら、どちらかと言えば少ない方だろう金額に、お兄ちゃんは驚くのだ。自分の命がお金に換えられている事実があるにもかかわらず、お兄ちゃんは気にしない。

「この仕事やめられないなぁ」

 つらいのなんのと、言っているくせにいつもお金が入ればこうなんだから、悩んでもいられない。なんだかんだ私も銀行に振り込まれたお金を見ていると、次も頑張ろうって思える。悩みや考え事はその時一瞬にして吹き飛ぶ。

「じゃあ、明日も頑張ろう」と私が言うと、お兄ちゃんは私の前を行き、いつもの行く喫茶店がある方向へ歩き出す。高級店には行かないらしい。

「仕方ない。明日も頑張って死体するかぁ」

「その意気その意気」

「お前なあ」

 目の前にある横断歩道を踏み抜く。ヘドロまみれの腐った道のりを思わせるそこへ、懐のお金を気にしつつ、歩き出す。そこには大勢の人が行きかっていた。白黒のテープを、何の気もなしに跨ぐ。その光景を見て、私は先日、服が汚れるのも気にせず返り血をぬぐってくれたあの人を思い出した。少しだけ気持ちが軽くなる。お金もたんまりある。私達は、死体ごっこを繰り返していく。

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死体します。 千羽稲穂 @inaho_rice

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