転生者なので、冒険者登録に必要な本人確認書類がないんですけど……

豊科奈義

転生者なので、冒険者登録に必要な本人確認書類がないんですけど……

『うっ……』

『少年よ、目が覚めました?』


 少年は、意識を取り戻し目を開こうとするも目は開かなかった。それどころか、感覚すらないのだ。

 必死に藻掻くも、何ら変わりはなく感覚はないままだった。

 

『失礼。この世界で『目が覚める』は不適当でしたね。なにせここは概念の間。物体が存在しないのですから。取り敢えず、私は概念さんとでも呼んでください』


 少年の概念に、人間らしからぬ声が響く。しかし、少年には意味がわからなかった。


『まあ、そんなことはどうでもいいのです。ところで君はラノベとかよく読みます?ネット小説とか』

『ラノベですか、まあそれなりには……』


 唐突に振られた全く関係なさそうな話。しかし、少年自身ではどうすることも出来ない以上、会話の主導権を謎の声に委ねるしかなかった。

 

『トラックで轢かれたり、SEが過労死したりすると、異世界転生しますよね。今その状態です』

『……。SEになった覚えもトラックに轢かれた覚えも……』

『知ってます? トラックは異世界転生の代名詞ですが、言うほど多くはないのです。それにしても君は残念でしたね。まさかトゥクトゥクに撥ねられるとは』


 少年は青の横断歩道を歩行中、猛スピードのトゥクトゥクに撥ねられて死亡したのだ。


『はは……。で、僕は異世界転生するんですかね?』


 少年の読んでいた異世界転生物では異世界転生に対して肯定的なイメージがつきものだが、少年は悄然としていた。


『そういうことです。理解が早くて助かりますよ。さっきの方は、理解してもらうのに数時間かかったんです』

『そうなんですか……。で、やっぱり剣と魔法の世界? なら無限収納と最強ステータス、言語理解ください』


 異世界転生に最低限必須のものだ。これがないと、食べるものに困ることになる。特に、言語理解は一番大切だった。忘れないように少年は真っ先に提案した。


『ああ、もちろん付与します。あと、一つ大切な物を忘れてますよ?』

『大切な物……? 何でしょう?』


 大切な物。それは各々異なるものだ。しかし、異世界転生を仲介する概念さんが言うのであれば重みがあるだろうと、少年は聞き耳を立てる様に集中した。


『スマホです。異世界にスマホはマストアイテムですよ。序盤にちょっと登場するだけで中盤移行は全く出番がないことでおなじみのスマホくん』

『……何で渡すんですか?』


 大切な物だと言われたのがまさかのスマホで、少年は冷ややかに笑いながらその真意を問いかける。


『そういう決まりでしてね。因みに、私に電話かけられますが、電話は5分以内にしてくれます? 5分以上話すと超過料金取られちゃうんですよ』

『繋がるのあなただけですよね?だったら5分以上話すことなんてないでしょうし安心してください』

『慰めてるんだろうと思いますが、その顔面を殴りたいです。いや、概念だけだから殴る顔面がなかったです。というか、さっきから元気ないですね』

『いや、自分は死んだのでしょう? 実感がわかないとはいえ、家族や友人との永遠の別れですよ? 思い詰めるのが普通じゃないんですかね?」


 小説でよく見る異世界転生者は、転生が決まると何食わぬ顔だったり、喜んだりする。しかし、少年にとってそのようなことは到底理解が及ばなかった。


『ああ、そういうものですよ?』

『そういうもんです。で、早く転生させてください。いつまでもこんなところ居たくありません』

『わかりました。えーっと、最強ステータス、無限収納、言語理解、スマホ……服は適当にっと。終わりました。それじゃ、頑張ってください』


 その言葉の直後、少年の概念が薄れ始めた。転生を開始したのである。そして、数秒もかからない間に概念は完全に消滅し、別世界へと移動したのであった。

 

 

 *

 


 少年が目が覚めるとそこは薄暗い場所であった。

 

「どこだ? ここ」


 薄暗い要因。それは単純に日光が遮られているからであった。では、何によって遮られているのかというと、家の壁と城壁である。一応少年の真上には空が広がっているが、壁と壁の間は非常に狭く太陽が少年を見下ろせるのは昼の一時のみだろう。


「ん? 住宅街か?」


 辺りを見渡すと見えるのは家ばかり。どうやら少年が転生したのは住宅街のようだった。だが、日光が容易に遮られるほどに路地は狭く、比較的貧しい住宅街と思われる場所である。周囲には木の根や岩が埋まっておりなんとも歩きにくそうな場所でもある。

 

「というか、寒い……。何で裸なの? 着せとけよ!?」


 少年は近くに乱雑に置かれていた服を手に取る。その服には極太ゴシック体でこう縦書きで書かれていた。

 

『Cathy condenses the toilet』

 

「何だこのクソダサ英文Tシャツ!? キャシーは何がしたいんだ……?まあいいや、路地から出るか」


 取り敢えず、当分の生活費を稼がなければならない。最強ステータスを要求したので、ギルドで食べていくのはそれほど難しいことではないと、少年は信じ切って浮かれている。

 クソダサ英文Tシャツを着てスマホをズボンの右ポケットにしまい嬉々としながら狭い裏路地を出て、しばらくし大通りに出る。比較的大きな街のようで、大勢の人たちが往来していた。中には、武器を持った者もおり、冒険者ギルドがこの街に存在する可能性が高い。

 少年は冒険者と思しき人物を付けたが、思い通りに冒険者ギルドへと到着した。


 中は異世界物でよく見るいかにもギルドらしいギルドだった。掲示板には冒険者が集り、受付カウンターが存在する。

 少年は想像していた通りのギルドじゃなかったらそれこそ不安だったろう。取り敢えず少年は空いているカウンターへと向かった。

 

「本日はどのようなご用件で?」

「冒険者登録をしに来ました」

「おお、そうなんですか。最近冒険者を希望する若者が少なくて困ってたんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。国保に加えて、冒険者用の強制保険、あと任意保険に入る人も多いので保険料がとにかく高いです。更に確定申告はあるし、何より命の危険がありますからね。さて、話もここまでにして、それでは本人確認書類と住民票の写しを提出してください」

「……は?」


 少年の言葉に受付嬢は首を傾げた。さも、本人確認書類を提出するのが当然だと言うように。

 

「どうかされましたか? 住民票の写しと本人確認書類です。住民票の写しなら市役所で発行してきてください。本人確認書類は馬車の操縦免許証とかです」

「無いですね」

「旅券とかは?」

「無いですね」

「健康保険証とか」

「無いですね」

「……」

「……」


 受付嬢はしばらく奇想天外な物を見たような顔のまま固まっていた。そして、掛ける言葉を見つけたのか途端にほぐれ営業スマイルに戻る。


「申し訳ございません、冒険者ギルドは公的な本人確認書類が無いと登録できないものでして。本人確認書類が無いのであれば、一度市役所の方でご相談をされてみてはいかがでしょう? ……ところで、一応確認はしますがこの街の方でしょうか?」

「いえ……」

「……。でしたら、一度住まわれている街に戻られて、そこで本人確認書類を発行して最寄りのギルドでの登録をおすすめします」

「え? あ……はい」


 結局、ギルドでは何もすることができずにギルドを出ることとなった。無戸籍のため、どうしようもない。戸籍を買おうにも、金がなく、稼ぐ手段もないという絶望的な状況。

 

「こんなところで躓くとはな……」


 少年が読んだ異世界物は、何事もなくギルドに登録して活動をすることができる。まさか登録に躓くとは少年とて全く思っていなかった。

 取り敢えず食事を確保したい少年だが、そんなあてもあるはずがない。街を歩けば、屋台が並びそこに香るは様々な芳醇な匂い。しかし、このような匂いは却って空腹を刺激するものだった。井戸で何とか水は入手できるが、食事はない。諦めて転生したときに最初にいた場所に戻り、誰かの家の壁に凭れ掛かりながら眠りについた。

 

「……君。そこの君?」


 壁に凭れ掛かり、少年は背中が痛いながらも目を開いた。目を開いた瞬間飛び込んできたのは強い閃光。腕で光を遮りつつ、瞳孔も収縮し何とか直視が可能なまでになった。

 

「警察?」


 少年が思い描いた日本の警察とはどこか雰囲気も、服装も違うが、制服を着ており武器を携帯し野外で寝ている人に声をかける。これを警察と言わずしてなんと言おうものか。

 そんな警察は、手にしていたランプを下げて少年に話しかけた。


「君、こんなところで寝てるとスリに合うよ。家に帰ったら?」


 少年に問いかけた二人の警察官は、警察官になれるだけあって市民のことを大切に思っているのだろう。しかし、家を持たない少年からすれば、安眠を妨害された邪魔者だ。

 

「家……ですか」


 言いたくないながらも反芻した少年の言動に、二人の警察官は顔を見合わせた。

 

「帰る家がないの?」

「……」

「まあいいや、取り敢えず本人確認書類ある?」


 職務質問ということを考えれば、警察が少年に本人確認書類の提示を求めたのは何もおかしくはない。しかし、本人確認書類を理由にギルド登録を拒否された少年からすれば、不快に思うのも仕方なかった。


「……」

「持ってないの? じゃあ、家族はどこにいるの?」

「……」

「もしかして完全な路上生活?」

「……はい」

「だったら、戸籍がある内に市役所に行って、生活保護を求めた方がいいよ」


 路上生活者と言えども、普通は戸籍は存在する。だが長期間に渡ると職権削除され、戸籍の回復が難しくなる。路上生活者なら尚の事だ。だからこそ、警察官は早めに公的機関への救済を求めるように提言したのだろう。


「じゃ、取り敢えず荷物検査ね」


 そう言って警察は少年の荷物を隈なく検査することになった。


「ちょっと失礼」


 そして、警察はズボンのポケットに不審な膨らみがあるのを見つけ取り出す。


「これは?」


 少年のポケットから出てきたもの、それはスマホだった。少年は本人確認書類云々ですっかりスマホのことを忘れていた。


「えっと……」


 スマホと言ってもこの世界にスマホはない。あれこれ考えている内に警察官の訝しげな目で少年をずっと見つめる。


「ま、魔法の触媒ですよ」


 少年は疑心に満ちた目で見られるのに耐えられず、ふと思いついたことを述べた。警察官は表情を変えずに互いに見合わせた後、触媒と称したスマホを手に取った。

 電源ボタンに触れられなかったのは幸いだったが、画面には見事に警察官の指紋が残ってしまう。

 警察官は魔力を少し流したものの大差ない触媒に、警察官は顔を顰めた。


「あんまり大差ないようだが?」

「こ、壊れてるんですよ。思い出の品だから後々修理したいと思ってます……」

「そうか」


 無事、手荷物検査は終わり警察官は街の中心部へと戻っていった。

 

「危ない危ない。ってそうだ、スマホ!」


 戸籍がないことを概念さんに相談すれば何か道が開けるかもしれない。そう思い早速スマホを起動した。すぐに電話しようと思った矢先、問題が生じる。


「初期設定やっといてよ……」


 真っ先に出たのは言語選択画面。迷わず日本語にし、キャリアアカウントとOSのアカウントの連携は面倒なので飛ばす。ようやくホーム画面に出たので迷わず電話アイコンをタップした。しかし、ここに来て重大な問題に気づいた。


「圏外じゃねーか! いつぞやのジェ○フォンかよ……」


 苦労が無駄になり、少年はスマホをズボンの右ポケットにしまい大人しく暗い路地裏で夜空を見上げた。焦点は何とも朧げで、光は儚いものであった。



 *



 翌日、目が覚めた。天気は生憎の曇りである。空腹の渇水は慣れればそれほど苦にならず、ただただ飢えるをの待つようだった。


「ねえ、お兄さん。こんなところで何やってるの?」


 体を動かす気すらなくした少年は、視線だけを声の元へと向けた。そこに居たのは少女だった。中学生になるかならないか位の女の子だ。


「何事もうまくいかなくてね。どうしたらいいのかなって」


「ふーん……」


 少女は少年の右側に腰掛けた。

 

「それってさ……。必死に足掻いた?」


「足掻いたよ」


 食事を求め街中を彷徨った。そして、助けを求めスマホを使おうとしたのだ。少年にとってそれはもう十分なほどに努力していたのだ。


「俺さ……、ずっと引きこもりだったんだよね」


 その言葉を聞き少女は驚いた後、すぐに真剣な眼差しで少年の方を向いた。


「親に色々迷惑ばっかりかけてるのはわかってるんだよ。でも、何をするにしても気力がなかったんだよね。そんな中、おふくろが倒れた。病院に入院することになった。それでも、おふくろも親父は何も言わなかった。俺は……。そんな自分が惨めになって家を飛び出した結果がこれだよ」


 ギルド以外屋外にいた少年の服は、土埃によって汚れていた。


「親孝行もできずにこっちに来て、やってることは路上生活。色々もう疲れちゃったよ……」


 少年は壁に凭れ掛かり目を瞑ると、ゆっくりと自分を蝕む死を待った。願わくば、もう一度転生しないようにと。

 そんな様子を見た少女は、何も言わずにトボトボ去っていった。生への執着のない少年に呆れたようにも見えた。


「あ、そうだ。転生しないように連絡しよう。外に出れば繋がるかな……。あれ?」


 せめて恩には報いたいと、スマホの入っている右ポケットへと手をのばす。確かにスマホはズボンの右ポケットに入れたはずだった。しかし、見れども、触れどもスマホの膨らみはない。


「もしかして……スられた?」


 先程の少女は、少年の右側に座ったのだ。無気力な少年のポケットからスマホを抜くことなど造作も無いだろう。


「クソッ!」


 少年は心の中から生まれた煮えくり返るような憎悪に駆られ、走り出す。


「っ!」


 感情に駆られよく見ていなかったせいか、足を木の根に引っ掛けそのまま土の上へと体を強く打った。

 服は耐久力がないようで穴が開き、しかも膝からは出血もしている。


「っ……はぁ……」


 大きなため息をついた少年は何もかも諦めたような顔をして再びどことも知れぬ人の家の壁に凭れかかった。そして、開いたズボンの穴から見える膝の傷を見つめる。

 

「ヒール」


 異世界物でよく見る治療魔法だ。小説をよく嗜んでいた少年にとってはすぐその言葉が浮かんだのだろう。傷も魔法通りに一瞬で消え失せた。しかし、少年の諦めきった顔に何ら変化はない。

 

「ヒール。ヒール。ヒール──」


 少年は自らに向かって何度もヒールを唱えた。曇っていた空からポツポツと雨粒が滴り始めた。しかし、その浮かない顔が治ることはない。ただ呆然と時間が過ぎていく。



 *



 夜。少年は案の定壁に凭れ掛かり、曇っている夜空を見つめていた。しかし、少年の焦点は何ら定まらず、光は完全に消え失せている。

 そんな中、少年に近づく二人の足音。少年は警戒心を微塵も見せず、そのまま足音は近づいた。

 

「そこの君! まだいたのか」


 少年は声の元へとゆっくりと顔を向けた。近づいた二人組は、昨日の警察官であった。


「そう言えば君、触媒を落としただろ? 警察署で保管してあるからすぐに来るといい」


 触媒? 少年は意味のわからない警察の言葉に少しばかり顔を顰めた。そして、その意味を理解する。


「届けられたんですか?」


 盗んだのに警察署に届けられたというのなら、全く以て少女の意図が掴めないのだ。


「いや、実は少し前に窃盗犯と思われる少女を追っていてな。証拠がないから令状も取れないし、何より見た目は普通の少女だ。職務質問もしにくい。でも今日の昼、急に少女から音楽が鳴り始めて、ひどく驚いていたんだ。異常な光景だったから職務質問からの手荷物検査をしたら、そこから盗まれた物がたくさん出てきてな。そのまま補導だよ」

「それにしても君、顔色悪いけど何か食べてるかい?」


 警察官の一人はランプを少年の近くに提げ、強引に照らした。


「もういいですよ……」

「いいから行きましょう! あの少女も返したいって言ってたし」

「罪を軽くするだけの方便で──」

「じゃ、行くとしましょう」


 警察官は少年の腕を掴み、そのまま有無を言わさず連行した。


「これ違法じゃ──」

「警察官職務執行法第三条に基づき保護でーす」


 途中、少年は僅かばかりの抵抗を見せるも断念し警察へと引きずられていった。この世界の科学技術は中世と同程度だ。しかし、法についてはなぜか異常に発達している。少年の元いた世界と同じというのは安心と同時に、自由にできないということでもあった。

 戸籍という概念がない世界だったらどんなによかったかと、少年は淡い希望だけを抱き諦めの境地を抜け出そうとはしていなかった。


 警察署。土木建築技術においてこの世界は少年の元いた世界と比べてもまだまだだが、中に入ると眩しいのランプがところどころに置かれており少年を強く照らす。

 役職についてはほぼ同等だった。すぐに会計課に連れて行かれ、少年が落としたはずのスマホがカウンターの上に置かれている。

 

「ところで、身分証明書……は持ってないんだったね。どうしよう」

「公共料金の領収書とか、診察券とかも無い?」

「……何でそんな親身になってくれるんですか?」


 少年からすれば、警察官ははっきり言って鬱陶しかった。安眠を妨害された挙げ句、全てを諦めることすら許さなかったのだ。


「そりゃ、警察官だし……ね」

「ああ」

「……元々この街の人じゃないんですよ。税金払ったことないんですよ?」

「別にいいさ」

「え?」

「最初君を見たとき、君に生気を感じなかった。今回は尚更のことだ。自殺しようとか思ってなかったかい?」


 警察官の言葉は、徐々に語勢が強くなっていた。誰しも切迫さを感じるだろう。


「……」

「死ぬな! 足掻こうともしないで、諦めるな!」


 警察官は少年を掴んだ。少年は、この行為が警察官として適当なのかはわからなかったが、強い意志があることは十二分に感じられた。


「落ち着け」


 もうひとりの警察官が手を離させる。


「そうだな。取り乱した」


 警察官は近くにあった椅子に座り話を続けた。


「実は俺、弟がいたんだよ。俺と違って、想像力があったんだ。だから学校出た後すぐに起業して軌道に乗った。でも、徐々に低迷し始めて赤字になった。そして自己破産。自信に満ち溢れてた弟は、色が抜けたように空っぽだった。そんな中でも、俺は警察官としての職務を全うするあまり寄り添えなかった。そして弟は……」


 警察官の瞳に涙が浮かぶ。


「だから、誰一人として自ら死んでほしくない。君もだよ。一生懸命足掻いてくれ。一人じゃできないかもしれない。だったら誰かに助けを求めるべきなんだ。壁に凭れかかってるだけじゃ何もできないんだ!」


 少年は振り返った。自らの行動を。

 ギルドで登録できなかったとき、何もせずに諦めた。

 スマホに助けを求めたとき、圏外だからという理由で諦めた。

 スマホを盗まれたとき、木の根に躓き諦めた。

 結局、必死に足掻き続けたと思っていた少年は、何一つとして足掻いてなかった。


 そんな中、カウンターの上から心地よいメロディー音が流れる。何事かと警察官二人も振り返るが、音の出どころはカウンターにおいてあるスマホだ。警察官たちは、片面が光り小刻みに震える触媒とされる物体に戦々恐々としながら近づいた。しかし、少年はそんな怯える警察官たちの間をくぐり抜けスマホを手に取った。

 手に取ったときに応答ボタンに触れてしまったようで、すぐに声が聞こえる。


『少年よ、今までどこにいたのですか? 圏外だったんですけど。あなたがきちんと生活できているのか気になって7時間しか寝れてないんですよ?』


 その瞬間、少年はスマホの画面を見た。少年が手に取ったスマホに映し出されたのは、『概念さん』の文字だ。


「君、大丈夫?」


 警察官たちが見た少年の顔。それはスマホの光によって、強く照らされ瞳には強い光が宿っていて涙を浮かべている顔だった。生気の感じられない少年しか見たことがない警察官たちにとって、初めて見る顔である。

 

「はい……大丈夫です」


 少年は涙声になり吃りながら喋っていた。しかし、吃りの原因は諦めといった負の感情ではない。警察官たちはそのことを容易に察することができた。

 

『ちょっと! 聞いてますか? ちゃんとやれてるかって聞いてるんですよ?──』


 少し苛立ちながら少年を心配する声に、少年は答えられなかった。しかし、概念さんの言葉は杞憂だった。なぜなら、今まさにちゃんとやろうとしている少年が笑顔で泣いていたからだ。

 警察官たちは、何も言わずにその場を去った。



 *



 就籍への道は厳しかった。

 まず、電波の繋がる場所で少年が概念さんに相談すると、相談機関を紹介された。概念さんは、概念の間でこそ何でもできるが、他の世界にはほとんど干渉できないらしい。

 その後、すぐに司法支援センターに相談に行った。そこで言われたのが、国籍を証明できないということだった。過去に健忘者が就籍した事例があるが、今回はまた違う。無料低額宿泊所に泊まりながら、弁護士と相談したり、家庭裁判所に行ったり数ヶ月。

 絶望的かと思われたが、過去に転生者が王命により特別に就籍した事例があることが判明した。

 クソダサ英文Tシャツや、スマホを証拠品として提出。ようやく少年は就籍が認められ戸籍を入手。その後すぐに冒険者登録を行い、晴れて冒険者となったのだ。少年がこの世界に来て一年以上経ってのことだった。

 

 戸籍を手に入れて七年後、すっかり成長した元少年は冒険者ギルドを訪れていた。カウンターへ行き、冒険者カードを出す。その冒険者カードは最高ランクの黒色であり、本人確認書類としても健康保険証としても、馬車の操縦免許証としても使える便利なものである。そして、何枚かの紙も同時にカウンターに出した。主に冒険者向け保険の解約用紙であった。

 その紙を見た瞬間、受付嬢は目を見開き思わず手で口を押さえた。


「あのー。こちらの冒険者保険は強制保険でして、こちらを解約されるとなると冒険者としての活動ができないのですが……」


 再び営業スマイルに戻った受付嬢は、提出された解約用紙を見ながら元少年を諌めた。


「実は、冒険者辞めようと思って」

「……はあああ?」


 素っ頓狂な声をだす受付嬢。営業スマイルに戻ることすら忘れる有様だ。

 

「冒険者になったとき、嬉しかったんです。でも、ずっと憧れだったのにいざやってみるとすぐに何か違うって思ったんです。そのまま七年。ずっと考えて昨日決めたんです。モンスターを狩るだけなら、独りでも訓練すれば誰でもできる。でも、独りじゃどうしようもできない悩みを抱えている人だっていっぱいいるんです。そんな人を助けられる存在になりたいんです」


 話を終え、受付嬢ははようやく営業スマイルを取り戻した。

 

「わかりました。そこまで言うのであれば引き止められません」


 一応冒険者としての籍は残すが、活動としては凍結状態になる。そうなれば冒険者カードの効力も消えるため、新たな本人確認書類を携行せねばならなくなるのが玉に瑕だ。

 元少年はギルドを立ち去り、設立目前の相談センターの目の前に来ていた。誰もが落ち着けるように、冒険者時代に稼いだ金銭を惜しみなく大量に投じてあるため居心地は良いと思われる。エントランスのリビングで寛いでいると入り口に二人の人影が見えた。


「本当に作ったんですね」

「あの時の少年がまさかね」


 二人の警察官は元少年には気づかず、思いを馳せるとそのまま立ち去った。元少年も警察官の声に触発され回顧する。そんな中、元少年の右ポケットが小刻みに震えメロディー音が流れ出す。

 少年は迷わず手に取り応答した。


『明日ですか? 開設は』

「ええ、おかげさまで」

『あのときは情報不足で申し訳ないです』

「結果として、いい方向になりましたし気にしてないです」

『ならよかったです』


 概念さんとの会話は、すぐに終わると少年は思っていた。しかし、いざ久しぶりに話す機会に恵まれると自然と会話が長くなってしまう。


『それでは、開設前日で忙しいと思うので切りますね』


 そのことに気づいたのか、或いは五分を超えそうなのか。概念さんは会話の終わりを告げてきた。


『わかりました。それでは』


 着信履歴を見ると、5分14秒と表示されていた。

 元少年は、概念さんが概念の間で電話料金を嘆いているところを想像し、ふと笑いがこぼれた。

 そして、改めて相談センターの内装を見渡した。前日と言っても準備は全て終わっている。元少年としては、正直今日から人が来てもらっても構わないようだった。

 その思惑通りに、入り口には一人の19歳位の女性が佇んでいた。元少年はすぐに向かう。

 人が来て動揺した女性は、大きく深呼吸をすると元少年に助けを求めた。

 

窃盗症クレプトマニアなんですけど、今から相談いいですか?」

「もちろん!」


 元少年は、絶望に駆られた女性を奥へと誘う。その時の元少年の顔は、女性を笑顔にするためにと言わんばかりの屈託のない笑顔だった。

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