最終話


 




 天正十七年 八月 二条城






 夏真っ盛りな今日この頃、俺は正装に身を包みながらゆっくりと廊下を歩いていた。先月完成したばかりのこの城は、あの激動の時代を否が応でも思い出させる。もし、あの時たった一歩でも足を踏み違えていたら、今日という日を迎えることはなかったかもしれない。そう思うと、何だか感慨深い。


「…………ん? あれは――」


 ふと、庭先に一羽の雀が止まっていることに気が付く。無垢な瞳。チチチと、可愛らしく囀ると瞬く間に大空へと飛び立ってしまった。


 その後ろ姿を追いながら、これまでのことを思い返す。あれから、五年の歳月が流れた。赤ん坊だった頃が懐かしく思う。もう、気が付けば俺も十歳だ。……本当に、あっという間の日々だった。






 ※※※






 徳川家康が仕組んだ一連の謀反は、日ノ本全土に衝撃を与えた。当然だろう。後、九州を平定すれば天下統一という状況で、何十年と織田家と共に歩んできた盟友が裏切ったのだ。それも、羽柴秀吉の腹心 黒田官兵衛。更には、忠臣と名高い佐々成政までもが裏切った。


 この事実は、非常に重いものである。それこそ、織田家の地位を根本から崩れてしまう程の。


 だが、それ以上の衝撃が全国の大名家、並びに公卿達を震え上がらせた。織田信長。第六天魔王と畏れられた男の復活は、揺らぐ織田家の隙を突こうなど考える不埒者を牽制するのには充分過ぎた。


 もう、流石は織田信長だと思い知ったよ。本当に、あの時、爺さんが目覚めていなければどうなっていたか。考えただけで恐ろしい。






 その後、一ヶ月も経てば、続々と安土城へ人が集まって来た。九州平定軍の帰還。信孝叔父さんと、爺さんとの感動の再会。謀反人討伐から生還した藤と又左。わざわざ、小田原から援軍に駆け付けてくれた義父上。最高の恩を形で恩を返してくれた木曾義昌。


 皆が皆、この一連の騒動を受け今後の対応に頭を悩ませる中、それでも互いの無事を心から喜び、涙を流しながら抱き合って感謝を述べた。


 特に、藤は生死不明との一報が入っていたこともあり、清正と三成は泣き疲れて気絶してしまった。まるで、子供みたいだと笑われていたよ。それでも、彼らの気持ちを馬鹿にはしなかった。分かるからだ。この中で、失ったモノが何一つ無い人なんて誰もいないからね。






 その後、色々な後始末に追われながらも葬儀が行われた。助かった者もいた。救われた者もいた。だが、失ったモノも多かった。皆が、繋いでくれたから今がある。誰かひとりでも欠けたらこの未来はなかった。


 やるべき事は多いよ。だけど、先ずは死んでいった同胞達を偲びたい。感謝を伝えたい、泰平の世を築く前に。だって、彼らは皆、織田家の為に己の命を懸けてくれたのだから。そう、決めたんだ。


 此度の戦死者は、皆、合同で供養される。近々、岐阜城城下町の外れに慰霊塔を建てる予定だ。


 そして、家康達徳川軍の戦死者達は故郷の寺に弔われることになる。徳川家は、滅亡した。家康が死んだ三日後、北条軍による総攻撃により浜松城は陥落。城守は自害し、残っていた一門衆も女子供全てが自害。あまりにも、あまりにも救われない最後だった。


 でも、まだ生き残りはいる。長丸と振姫だ。今は、共に名を変えて寺に入っている。いずれは、出家して正式に住職を目指す。決して、二人の正体がバレないようにする。それが、二人を生かした俺の責務だと思っていた。


 ……今は、まだ無理かもしれない。四十年、五十年。三河から徳川家の色が薄れ、織田家の支配が磐石になった頃、二人には家康が眠る寺の住職を任せたいと思っている。未だ、誰にも言えない。俺だけの秘密の計画だ。






 ***






 後は、皆で泰平の世を築くだけ。


 そんな単純に終われば、どれだけ良かったことか。切っ掛けは……うん、やっぱりアレだろう。大戦から一年後、年明けに向けて準備を進めていた十一月の末、雪の降る夜に起きた大地震だ。






 あの夜のことは、今でも鮮明に覚えている。


 おそらく、安土は震源地が近かったのだろう。日が暮れ、いつものように眠りについていた時、今まで経験したことがない凄まじい揺れに叩き起された。


 あの時、松が瞬時に俺を抱き抱えて城を脱出していなければ、俺はきっともうこの世にはいなかっただろう。庭に植えられた大きなイチョウの木の下で、皆で身を寄せ合い寒さに震えながら倒壊した建物の数々を見て、俺は深く実感させられた。


 幸い、迅速に対応出来たお陰で死傷者は限りなく抑えることは出来たけれど、白百合隊の皆がいなければ犠牲者の数は何倍にも膨れ上がっていただろう。


 実際、一日も経てば続々と各地の状況が入ってきた。津波による被害で崩壊した湊。砕けた地蔵。大地はヒビ割れ、倒壊した建物は十や二十ではきかない。公家のボロ屋など、酷い有り様だった。


 その中でも、特に酷かったのは内ケ島家の一件だろう。凡そ、百二十年の歴史を持つ美濃の名家は、一夜にして消滅した。大地震による土砂崩れに飲み込まれたのだ。内ケ島家は先の大戦でもこちらに助力してくれていただけに、その事実は酷く堪えたよ。






 そんな、日ノ本中を震撼させた大震災により、俺達は復興作業に集中せざるを得なかった。


 大阪城の建設も一時中断。安土城の損傷も懸念された為、坂本にある砦へ拠点を移動。被害は、特に京から信濃、越前近辺が最も酷い。雪の降る場所だ。被災地の民は、今、住む場所すらない。寒さを防ぐ術がない。迅速に対応しなければ人命に関わる。俺は、蔵を解放して復興支援に全力を注いだ。人も、金も、資材も、己の持ち得る全てを。それが、力ある者の責務であると。


 ……故に、見落としてしまったのかもしれない。数人の公家が、この混乱に乗じて奥州へ逃げ落ちたことに。虎視眈々と織田家の隙を伺っていた者達が、これを機に裏で暗躍を始めていたことに。






 奴らが武装蜂起したのは、年が明けた二月十七日。豪雪の影響で、安土から大軍を派遣出来ない時期を選んだのだろう。奥州へ逃げ落ちた公家が発端となり、南部信直が織田家へ宣戦布告すると共に挙兵。津軽家、秋田家を従えて南下。織田家の名代として旧最上領を任されていた前野長康は、万を超える軍勢を前に長康は籠城する他なかった。


 本当に、してやられたよ。まさか、壊れた屋根や塀を直す為に与えた金を、そっくりそのまま軍資金にされるとは思わなかった。完全に裏目に出てしまった。


 ……溜め息を吐く。理由は分かっていた。俺の計画は、公家に甘い汁を吸わせながら飼い殺すもの。長期的な考えを前提にしていた。だが、爺さんが復活したことで全ての前提が覆った。奴らからしてみれば、死んだと思っていた恐怖の大魔王が復活したのだ。そりゃ、甘い汁など吸ってる場合ではないわな。案の定、奴らは全員本能寺の変に関与していた者達だった。殺される前にってやつだろう。動機は納得出来た。


 しかし、それで許す訳がない。


 南部信直、謀反の報せが届いた翌日、権六を総大将にした奥羽征伐軍を編成。柴田、伊達、蘆名の三家を中心に宇都宮、結城といった関東連合もそれに続く。総勢五万二千。奥州再征伐を開始。ただでさえ、復興作業に人手がいるのだ。最短最速、全力をもって叩き潰すと決めた。






 しかし、騒動はこれだけに留まらなかった。安芸の門徒が、毛利家の隙を突いて一向一揆を起こしたのだ。更には、丹波・丹後でも小規模な一揆が勃発。首謀者は、本願寺教如。爺さんと何十年に渡り争い続けた、あの本願寺顕如の息子だ。


 流石に、これは予想外過ぎた。本来であれば、毛利がそのような隙を晒す訳がない。ただ、今回は不運が重なってしまった。官兵衛が謀反を起こしたあの日、吉川元春は毛利家を守る為に官兵衛に唆された者達諸共命を絶った。皮肉なことに、それによって安芸一向宗への抑えが緩まり、結果として紀伊で織田家に敗れた門徒が合流してしまったのだ。これでは、吉川も浮かばれない。


 そして、本願寺教如。個人的に、こいつは絶対に許せない。反織田の過激派だと聞いていたし、本願寺跡地に大阪城を建設することに不満を抱いていたのは知っていた。だが、まさかこの状況で更なる混乱を引き起こすとは思わなかったよ。教如は、災禍に苦しむ民を助けようともせず、此度の天変地異は織田家に対する御仏の怒りだと宣ったのだ。大義はこちらに有りと。






 正直、奴の言い分を聞いた時には、それでも仏に仕える身かと怒りに震えた。他の者達もだ。しかし、今、織田家に本願寺を相手取る余裕がなかった。復興作業だけではない。対馬、琉球の外交問題もある。人も、金も、物資も、時間も、何もかもが足りていなかった。下手に放置出来ないだけに、あの時は非常に苦しい状況に陥っていた。


 だが、奴らを一手に引き受けると宣言した者が現れたことで、状況が一気に一変する。毛利家だ。特に、小早川隆景は俺以上に怒り狂っていた。当然だろう。血を分けた実の兄弟が、己の命を懸けて守った毛利の名に奴らは泥を塗ったのだ。許せる筈がない。小早川が、自ら先陣を切って門徒三十七名を切り捨てたと聞いた時は、皆がその武勇を褒め称えていた。無論、俺もだ。






 大震災。奥羽動乱。一向一揆。どれか一つでさえも困難極まる試練の数々。しかし、俺達はそれでも真っ向から立ち向かった。逃げる訳にはいかない。天下統一は、この先にあるのだと確信していたから。


 道を切り開き、弱きを助け強きをくじく。謀反共を倒すだけでは駄目だ。家を、職を失った者達の為に公共事業として新 二条城建設を進める。大阪城完成までの御所とするのだ。


 ひとつひとつ、慎重に対処していく。どれか一つでも踏み外したら、奈落の底へ真っ逆さま。そんな激動の日々を過ごしているうちに、あっという間に五年の歳月が流れていたんだ。






 ***






 そして、ようやくこの日を迎えることが出来た。


「中将様、皆様お揃いでございます」


「あぁ、分かった」


 目を開き、立ち上がる。ゆっくりと歩を進めれば、自然と戸が開いて目的地までを指し示す。そう、今の俺の名称は織田右近衛中将。親父は、従三位左近衛中将。もう、殆ど同じ所にまで来てしまった。来年には、更に昇叙することになる。最終的に、鎌倉殿を倣う形で権大納言、右近衛大将になる予定だ。そして、征夷大将軍。足利と、戦乱の世との決別を示しているそうだ。






 正直、未だ俺に天下人としての能力は足りないだろう。だが、それでも進むと決めた。皆で、正しい道を。


 庭に出る。そこには、大きな蔵の前に大勢の武士が揃っていた。彼らは、織田家に臣従を近かった大名達。皆、正装に身を包んで俺を待っていた。


「皆、良く集まってくれた。……では、始めるとしよう。乱世を終わらせ、泰平の始まりを告げる儀式。平和を誓う儀式。【刀納の儀】を」


『御意っ』


 重く閉ざされていた扉が開かれる。ひとりひとり、神官に一礼に刀を預けていく。それを、神官がひとつひとつ丁寧に定められた場所へ納めていくのだ。


 これは、俺が考案したもの。家宝の刀ではなく、実際に身に付けていた愛刀を納めていく。これは、宝を納めている訳ではない。刀を、戦の象徴を納めているのだ。もう二度と、この日ノ本に乱世など起こらせないと各々が誓いを立てて。






 そして、遂に俺の番が回ってきた。


「中将様、では……」


「うむ」


 指先を震わせながら刀を預ける。俺の視界には、各々が平和を誓う証として納めた蔵いっぱいの刀が映されていた。誰も、何も言わない。感無量とは、このことだ。


 重い扉が閉ざされ、神官の手によって施錠される。その瞬間、俺は大名達に向き直って叫んだ。


「これにて、天下一統とするっ!! 皆の者、大義であった! これからは、織田家に忠義を尽くし、民を慈しみ、外敵には一致団結し、愛する家族を護る為に日々邁進せよ。我らが、これより千年続く泰平の世を築くのだっ!!! 」


『ハハッ!!! 』


 一斉に跪き、声を張り上げる。不満はない。皆が皆、歓喜に打ち震えていた。戦場を知っているからこそ、戦国の厳しさを知っているからこそ、乱世が終わる時が来るなんて夢にも思わなかった。今日という、歴史的な瞬間に立ち会えた幸運をただ噛み締めるのみ。


 それは、三法師も同じこと。思わず涙が溢れ出した――瞬間、三法師の肩を暖かな風が撫でた。懐かしい気配。空を見上げれば、彼らの姿がそこにはあった。


「とう、さん。……母さん。蜂屋、十兵衛、雪、みんな、みんな――っ」


 視界が歪む。


(あぁ、そうか。皆、見ててくれたのか。ずっと、見守ってくれていたのか――っ)


 ならば、泣き顔なんか似合わない。今日は、誰もが待ち望んだ目出度い日なのだから。空に浮かぶ皆の笑顔に、俺は満面の笑みで返す。


「大丈夫。きっと、俺は泰平の世を築ける。絶対に! ……だって、だって、俺は――」






 


 ――魔王の孫なんだから!












 ***






 年表。




 織田三法師。天正八年(1580年)生誕。




 天正十年七月、織田家当主に就任。




 天正十七年八月十三日、織田家が天下統一を果たす。




 天正十八年五月、従二位権大納言に昇叙。同年十二月、源氏長者宣下。




 天正十九年十月、正二位右近衛大将に昇叙。




 天正二十年四月、三法師は十三歳を機に元服。


 同年五月、正親町天皇が孫の和仁親王に譲位し、親王はこれを受禅。後陽成天皇が誕生。元号を、【永平】と改める。


 同年十一月、従一位に昇叙。征夷大将軍宣下。織田政権は二条城を仮と御所と定め、織田幕府が開かれる。大阪城が完成するまで十年間、この地で政治が行われた。


 






 元服後、三法師は織田信光と名を改める。誰よりも平和を愛し、願い、邁進したからこそ、その想いを名に込めた。

 この世界に光あれ……と。












 完


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転生三法師の奮闘記 ~魔王の孫とよばれて〜 夜月 @1yodaka

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