第349話
【落陽】
一刀斎を葬った最強の一撃。それが、体力の尽きた雪の首筋目掛けて振るわれる。
詰み。最早、避けること叶わず。その時、初めて雪の脳裏に諦めの二文字が過ぎった。決して、覆せぬ死の宣告。雪は、静かに己の運命を受け入れた。
――だが、まだ諦めていない者が存在した。
「雪ぃいいいっ!!! 」
「!? 」
絶叫。それと同時に、突如として横から勢いよく肩を押されて地面を転がる。怒りはなかった。あったのは、戸惑いと喜び。そして、嘆き。その声音に、雪は堪らず声を張り上げた。
「兄さんっ!! 」
そこには、己の代わりに忠勝の一撃に立ち向かう、この世で誰よりも信頼する兄の姿があった。
***
この時を待っていた訳ではない。はだけた胸元から覗く、壊れかけた鎖帷子。忠勝の猛攻は、高丸の身体に絶大なダメージを与えていた。着込んでいた鎖帷子のお陰で致命傷は逃れたが、衝撃までは防ぐことは出来ない。高丸は、確かに戦闘不能状態に陥っていた。
(だが、それがなんだ。ここで立たねば、何の為に俺は強くなったんだっ!! )
【大切な人を護る】
それが、高丸が刀を握った理由。雪の抱いた理由とは似て非なるもの。本質が違うのだ。年季が、覚悟が、そこに込められた想いの丈が。
刀を握ったのは、雪の後。だが、その信念は両親が殺されたあの日に託されたモノ。魂に誓ったモノ。その想いに呼応するかの如く、紅蓮の闘気をその身に宿す。
「今度こそ、お前を守り通す。……お兄ちゃんだからね」
「――ぃやっ! 」
その優しげな眼差しに、雪は堪らず手を伸ばそうとする。しかし、時間は止まってはくれない。雪は、ゆっくりと流れる時間の中で、高丸が自分から目を離し、忠勝に立ち向かう様子を見てしまった。悟ってしまった。高丸の覚悟を。
「お前は……」
「おい、てめぇ! 人様の大事な妹に何してやがる。ぶち殺すぞっ!! 」
攻撃の対象が目の前から消え去り、代わりに先程倒した筈の剣士が現れた。
(生きていたのか。あの娘の兄か)
そんな考えが脳裏を過ぎる。彼もまた、大切なモノを護る為に己の命を懸けた者なのかと。
だが、やることは変わらない。
「では、望み通り貴様から殺してやろう」
溢れる殺気。瞬時に足を踏み込み、腰を捻りながら軌道を修正。問題ない。真っ直ぐに、高丸の首筋目掛けて白銀の一閃が宙を斬り裂いた。
(愛する家族を護る為、己の命を犠牲にする。その心意気は見事。……だが、それで二人を見逃す道理はない。これは、戦なのだから)
故に、せめて一太刀で終わらせてやる。そんな気概で刀を振るう忠勝。
しかし、それは少し高丸を舐めすぎだ。既に、高丸は技を繰り出している。忠勝よりも、数コンマ早く。当たり前だ。この技は、大切な人を護る為に生み出したモノ。誰よりも早く、何よりも早く駆け付ける為に。
その想いが刃に宿る。
「ハアアアアアアアアッ!!! 」
「――なっ!? 」
目を見開く。忠勝の視界には、渦巻く紅蓮の中を突き進む高丸の姿が映っていた。忠勝が刀を振り切る前、最も力が込められていないその瞬間に技と技が衝突する。
―― 一刀流 伍ノ太刀 炎突猛進
――落陽
『ウオオオオオオーッッ!!! 』
刹那の静寂。直後、互いの闘気膨張し、周囲一帯に凄まじい衝撃波が吹き荒れる。爆心地にほど近い場所に居た雪は、地面に伏せたまま腕で頭部を守る。――その時だ。吹きすさぶ風の中、雪は見てしまった。刀を砕かれ、後方へ吹き飛ばされる高丸の姿を。
「に、兄さ――「良い、俺に構うなァ! やれ、ゆぎぃいいいいいいっ!!! 」――っ」
絶叫。高丸の言葉に、弾かれたように視線を戻す。そこには、技を跳ね返されたのか、刀を握る右手を頭上へ伸ばしながらたたらを踏む忠勝の姿が。
「……くっ! 」
ノックバック。未だ、感覚が麻痺しているのか、その足取りは非常に不安定でふらついている。千鳥足。そして、遂にはその身体が雪の正面へ。
己の役目を理解する。気が付けば、その身体は抜刀の構えをしていた。
「――っ!! 」
七秒。それが、高丸が稼いだ時間。隙を突き、己の命を対価に捧げ、得た時間は十秒にも満たない。……だが、それは雪の呼吸を整えるのには充分な時間だった。
「セアアアアアアアアーッッ!!! 」
「――っ!? 」
――宮本流 参ノ太刀 紫電一閃
雷鳴が迸り、忠勝の右手が斜めに斬り裂かれる。宙を舞う、四本の指。鮮血。遂に、与えた渾身の一撃。だが、それに満足している暇はない。即座に、視線を動かして刀を追う。右手に持っていた、その刀を――
「……よもや、ここまで追い詰められるとは」
「――なっ!? 」
目を見開く、そこには既に左手に持ち替えた忠勝が、逆手で刀を振りかざしていた。ジャグリング。雪が構えた時には既に、もう。
「昔、芸者がやっていた所を見たことがある。一応、覚えておいて良かったな。芸は身を助けるとは、まさにその通りよな」
刀が振るわれる。雪には、それを防ぐ術はない。白銀の刀は砕かれ、胸元を刃が貫く。
「ゆ、雪ぃいいいいいいっ!!! 」
「――カハッ!? 」
瞳が揺れる。致命傷。勝ったと、油断したその瞬間を狙われた。吐血。口元から溢れ出した血潮が、忠勝の頬にかかる。ダラりと、力無く垂れ下がる両腕。
「……終わった、か」
忠勝は、己をここまで追い詰めた敵の冥福を祈る。その忠義に敬意を表しながら。
だが、油断したのは忠勝も同じこと。忠勝の左手首を、雪の右手が万力の握力で握り締める。絶対に逃がしはしないと。
「……ようやく、捕まえ……たわ――っ!! 」
「馬鹿なっ!! 貴様、何故――」
有り得ぬ光景に、思わず動揺する。刀の突き刺さった胸元からは、今も尚、絶え間なく鮮血が溢れ出している。間違いなく、致命傷だ。数分も経たずに死に至るだろう。それなのに、未だその瞳は金色に輝いていた。
「この……時を、ずっと待って……いたわ! 」
左手を頭上へ伸ばす。その行動に、忠勝の脳裏に疑問が浮かぶ。
(一体、何をするつもりなのか。刀は、砕いた。先の剣士のもだ。今更、何を――)
「雪ぃ、受け取れぇえええええええっ!!! 」
その時、雪の左手が背後から飛んできた抜き身の刀を掴む。その刀を見た瞬間、忠勝は雷鳴に打たれたかのような衝撃が脳裏を駆けた。
「それは、まさか! 一刀斎の物かぁ!!? 」
「えぇ、その……通り、よ」
雪の背後、そこには右手を振りかぶった一刀斎の姿が。必ず、この刀に役目が訪れる。そう信じて体力を回復していた一刀斎が、気力を振り絞って雪を援護した。
きっと、雪でなければ取ることは出来なかっただろう。背後から迫る刀を、視線も向けずに掴むなど。
だが、出来た。幼き頃から石を投げられていた雪は、知っていたからだ。打ち所が悪ければ死んでしまうことを。だから、ずっと背後に気を張り続けていた過去があった。その悲しき経験が、雪に第三の瞳を与えた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!! 」
――宮本流 肆ノ太刀 天羽々斬
神雷が鳴り響く。死の淵で目覚めた新たな力が、雪に最後の力を与える。最強の敵を打ち破る力を。もう、少しだけ持ち堪えられるだけの力を。
刃は宙を斬り裂き、吸い込まれるように忠勝の首筋へ。
「…………見事」
肉を斬り裂き、鮮血が宙を舞い散る。崩れ落ちる身体。両者は、すれ違うように倒れていく。満身創痍。だが、ハッキリと勝者と敗者に分かれた。
勝者、宮本雪。家康の策謀を打ち破り、織田家の勝利を確定させた。
***
黒く、暗い水の中を沈んでいる。
「――、――ぃ! 」
誰かに、呼ばれた気がする。
(……あれ、私……どう、なったんだっけ? )
ゆっくりと、意識が浮上する。
「雪、雪っ! しっかりしろ! 大丈夫だ、絶対助かる! 助かるから! 早く、衛生兵を! 医者……誰か、誰か早く診てやってくれ! ……ちきしょう、何で止まんねぇんだよ! 」
「にい……さ……」
兄さんの手が胸元を押さえていた。その隙間から溢れる血。……あぁ、そうだ。私、刺されて……。
「ほん、だ……」
「ああ、勝ったぞ! 雪、お前が倒したんだ! あの本多忠勝に勝ったんだ! お前の手柄だ! だから、だから――っ」
良かった、勝てたんだ。きっと、殿も喜んでくれたよね。それに、兄さんが無事で良かった。
……でも、これは無理だぁ。
「ごめ……んね。きらい……って、言って。ウソ、だよ。兄さんのこと、大……すきだ、よ」
「――っ」
兄さんの瞳から涙が溢れる。悲しまないで。きっと、これで良かった。これが、運命だったんだ。……辛い日も多かったけど、それ以上に幸せな思い出が沢山出来た。かけがえのない日々を過ごせた。
だから、もう大丈夫。
「ね、にい……さん。殿のこと、おねがい……ね? ひとりで、溜め込んじゃう……人、だから。……だから、ずっと……傍で、一緒……に」
「……あぁ、ああ。分かった、分かったよ。約束する。雪の分まで、殿を守るから」
「……うん」
なら、もう安心だ。
「幸せに、なって……ね。にい……ぁ――」
「ゆ、き? 雪! 雪っ!! 」
お父さん、お母さん。私、頑張ったよ。私を救ってくれた人の為に頑張った。お母さんの言う通りだった。こんな私を、愛してくれる人に出会えた。
本当に、幸せだった。
眠るように息を引き取った雪の瞼を閉じる。
夢を見るんだ。幸せな夢だ。
いつか、雪のことを愛してくれる人が現れて、お前は結婚するんだ。故郷の景色に良く似た場所でさ。そんな大きな家じゃないけれど、お前は幸せな家庭を築くんだ。
そんで、赤ちゃんも出来てさ。師匠なんて、本人以上に喜んじゃってさ。兄弟子大勢連れ込んで宴を開くんだ。いつしか、赤鬼隊や白百合隊の面々も顔を出して、殿までお忍びで参加して。
もう、どんちゃん騒ぎでさ。でも、お前はその様子を幸せそうに眺めるんだ。本当に、心から幸せですって笑顔を浮かべながら。
「俺は、ただそれだけで満足だった。そんな未来が来たら、どれだけ良いだろうかって。……それが、俺にとっての泰平の世だったんだ」
おやすみ、雪。頑張ったね。
***
「殿、ご報告致します。本多忠勝、並びに宮本雪の死亡を確認。……っ、相打ちと相成りましてございまする――っ」
「で、ある……かっ。……ぅぅ、……く、うぅ、――っ」
徳川家康、並びに本多忠勝を筆頭に多くの重臣達が死亡。これにより、生き残った徳川家重臣の大久保らは全面降伏。両軍合わせて死傷者千人以上を出した天下分け目の大戦は、織田軍の勝利によって幕を閉じる。
そして、五年の歳月が流れた。
***
次回、最終回
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