第348話
始まりは、復讐心だった。
家族との幸せな日常を壊した者達を怨んだ。両親を殺した者達を怨んだ。兄を傷付けた者達を怨んだ。そして、こんな容姿に生まれてしまったことを心から悔いた。
誰一人として、救いの手を差し伸べてはくれない。石を投げられ、罵倒され、唾を吐かれた。飢えと寒さに震えながらこの残酷な世界を呪い続け、次第に力を望むようになった。
(どうせ死ぬなら、両親の仇を取ってから死にたい)
擦り切れた心に最後に残された願望。最早、澱んだ瞳は未来を見ることは叶わない。戻れぬ過去を、変えられぬ今を。それだけが、彼女の世界だった。忠勝が指摘した通り、雪のチカラの根源にあるのは忠義などという綺麗なモノではなかった。
だが、夜は必ず明ける。
絶望しかなかった逃亡生活、その終幕。高丸と雪の人生は、あの日箱根の地で終わる筈だった。それが、二人が辿る運命だった。
しかし、その運命は覆った。現代から転生した者、三法師。輪廻の外にいる存在によって。
雪にとって、三法師は神様のような存在だ。気味の悪い真っ白なその姿を、三法師は心から綺麗だと褒め称えた。兄共々、無償で衣食住を提供してくれた。心身共に疲れ果て生死の境を彷徨う二人の身を案じ、三法師は毎日のように病室に通って励まし続けた。女だてらに強くなりたいと剣術を習い始めた時も、周りの反対を黙らせて雪の好きにさせた。三法師だけは、雪のことをただひとりの個人として見てくれた。
そして、次第に雪の周りには白百合隊の皆や赤鬼隊、一刀斎門下生も輪に加わるようになった。もう、二度と叶わないと思っていた幸せな日常。彼らとの日々は、雪が抱いていた復讐心を薄れさせるには充分だった。
過去は、変えられない。両親は、戻ってこない。だけど、雪はそれでも前に進むことを決めた。三法師が願う天下泰平の世が訪れることを、心から願えるようになれた。そんな世界が本当に実現出来たら、どんなに良いことだろうかと。
なればこそ、その選択に悔いはなく。己が命を懸けるのは必然であった。
(……きっと、私はこの時の為に生まれてきたのね)
地面に突き刺した刀を支えに、無理やり身体を起こす。それと同時に、肺に残っていた空気を一気に吐き出し、反射的に新鮮な空気を大量に吸い込むことで一呼吸で息を整えてみせた。
心臓をもっと動かせ。もっと、もっと、もっとだ! 脈拍を上げろ。血流を回せ。酸素を全身の隅々まで行き届かせろ。相手は、格上。万に一つの勝ち目があるか、どうか。
(なら、その一回を今引き寄せるっ!! )
一生返せない恩義がある。それが、刀を握った理由。
「本多忠勝。今、ここで貴様を倒す」
「己の命を捨ててまで、貴様は刀を振るうつもりか。それで、護れるモノがあるとでも? 」
「違うわ。護りたいからこそ、己の命を懸けるのよ」
「……そうか、道理よな」
誓いの言葉。溢れ出す、金色の闘気。不退転の決意。その瞳に、その言葉に決死の覚悟を感じ取る。
ならば、最早言葉はいらないか。
「では、全力で相手をしよう」
刀を上段に構える。ただ、それだけで漆黒の闘気が場を支配する。忠勝は、雪のことを己の命を危ぶませる敵だと認めた。死合うに値する剣士だと。であれば、女子供は関係ない。最早、手加減や切り損じは期待出来ないだろう。一撃一撃が致死の魔剣。全身全霊をもって、雪を斬り殺すと決めた。その決意が、そのまま殺意へと変換される。
(なん……という、圧力なの――っ! )
凄まじい殺気。忠勝が立つ空間が歪む。これが、戦国最強の本気。常人であれば、意識を保つことすら難しい圧倒的な威圧感。雪は、己の骨が軋む音を確かに感じた。
だが、それでも雪は一歩も引くことはしない。
「ハァァァァッ!! 」
「……フッ」
気合い一閃。場を支配していた圧力を金色の闘気が跳ね返す。その様子に、忠勝は獰猛な笑みを浮かべた。
黒と金。両者の間で衝突し合う二色の闘気。緊迫した空気。既に、間合いの中。頬から顎先へ一滴の汗が伝い、ゆっくりと地面へと落ちた――瞬間、両者同時に動いた。
『ハァァアアアアアアアアアーッッ!!! 』
猛び、両者の刀が火花を散らしながら鍔迫り合う。共に、武の極地に至りし者。主君から全てを託されし者。負けられない理由がある。忠義も、意地も、大義もだ。
故に、どちらも絶対に引くことはない。眼前の敵を殺す、その瞬間まで刀を振るい続ける。
「本多、忠勝っううう!!! 」
「宮本、雪ぃいいっ!!!! 」
剣聖達が織り成す、最後の死闘が幕を開けた。
***
両者共に咆えた直後、拮抗していた鍔迫り合いが突如として瓦解する。忠勝の刃が雪の首筋へ迫る。体格差が出たのか。……否、違う。雪は、わざと切り込ませたのだ。忠勝の懐へ入り込む為に。
体格差は、どのような競技によっても明確に優劣が決まる。単純に出せる馬力が違うからだ。階級差があるように、男女別にするように、ウエイトの差は露骨に現れる。雪の攻撃は軽く、急所に当てねば致命傷にならない。対して、忠勝の攻撃を一撃でもまともに喰らえば、死ぬ。それが、現実である。
だがしかし、体格差で劣るからといって全てが劣っている訳ではない。小さいからこその利点。それは、瞬発力である。軽いからこそ、一歩の速さで秀でる。軽いからこそ、敵の攻撃を利用した受け技を繰り出せる。小さいからこそ、敵の攻撃を潜り抜けることが出来る。コンマ数秒の世界に生きる剣士にとって、速さのアドバンテージは非常に大きい。
これが、彼女の戦い方。持たざる者の戦い方。小さく、軽いことは弱さの証明になるが、負ける理由には決してならない。
――宮本流 縮地法 残雪
忠勝の視界から、雪の姿が霞のように消え去る。放つ闘気の瞬発的な強弱と、緩急自在の高速移動が生み出した目の錯覚。
忠勝は、即座に視界による補足を捨て、直感で雪の位置を割り出そうとした――時には、既に雪は技を繰り出していた。
――宮本流 二ノ太刀 雪華繚乱
放たれたのは、幾重、幾百にも重なる連撃の嵐。ヒットアンドアウェイ。一撃の威力を捨てた代わりに得た速度により、忠勝を擬似的に囲い込み動きを制限する。
忠勝は、猛吹雪の中に閉じ込められたも同然。その吹雪の合間から、鋭い刺突が宙を穿つ。
「――シッ!! 」
「……クッ! 」
穂先が忠勝の頬を抉る。即座に切り返すも、既にそこには雪の姿はない。八艘飛び。攻撃を仕掛け、着地すると同時に左へ飛んでいた。
翻弄。完全に術中にハメられている。それでも、忠勝は冷静さを保ち続けていた。分かるからだ。これは、長くは続かないことを。
雪は、今、息を止めている。人間は、何時間も無酸素状態で全力戦闘を行える生き物ではない。もって、数分。正しく、極限状態。文字通り、命を削りながら戦っていた。
故にこその、待ち。忠勝は、ただ待てば良い。雪の限界が訪れるその時まで。頬を、腕を、足を斬られようが、急所さえ守っていれば問題ない。そう、判断していた。
(堅……い、わね――っ)
だが、それは雪も重々承知の上のこと。雪は、己がどれだけ分の悪い賭けをしているかも分かっている。しかし、もうこれしかないのだ。体力も残り少なく、受けたダメージも絶大。耐久戦は不可能。ならば、速度と手数で無理やり防御を切り崩すしか勝機はない。雪は、この一瞬に全てを懸けたのだ。
しかし、相手は戦国最強の武人。気持ちひとつでどうにかなる相手ではない。遂に、雪の限界が来た。
「……っ、――ゴホッ!? ゲホゲホッ、ゴホ――ッ」
崩れ落ちる身体。指先が震え、視界が暗転する。雪は、地獄のような苦しみ両手を地面に着き、必死に呼吸を整える。早く、回復しなければ。その一心で。
……だが、残念かな。最早、彼女に身体を動かす力は残っていない。それでも尚、瞳に闘志を宿すその姿に、忠勝は憐れみを覚えながら刀を構えた。
「ここまで、だな」
研ぎ澄まし、練り上げられる漆黒の闘気。獲物は違えど、その様子から何を繰り出そうとしているのか察することが出来る。一刀斎を葬った技だ。
「さらばだ、強き者よ。直に、貴様の敬愛する主君も同じ場所へ送ってやろう」
「――っ」
――落陽。
振るわれる、最強の一撃。僅かに上げた視線から、雪は今にも己の命を刈り取らんとする刃を視認する。
(……あぁ、これは……もう、無理……ね)
詰み。その時、初めて雪の脳裏に【諦め】の二文字が過ぎる。避けることも、逃げることも、刀で受け止めることも出来ない。死神の鎌。決して覆せぬ死の宣告。雪は、静かに己の運命を受け入れた。
だが、まだ諦めていない者が存在した。
「雪ぃいいいっ!!! 」
「!? 」
突如、横から勢いよく身体を押されて地面を転がる。怒りは、なかった。あったのは、戸惑いと喜び。そして、嘆き。その声音に、雪は堪らず視線を横へ向けた。
「兄さんっ!! 」
そこには、己の代わりに忠勝に立ち向かう、この世で誰よりも信頼する兄の姿があった。
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