水狐先生乾道評判記 奇しき人と賢しき妖

美木間

水狐先生乾道評判記 奇しき人と賢しき妖

 傾城けいせいは 甘きこと蜜のごとく

 串童かんどうは 淡はきこと水のごとし

 甘きものは 味尽き

 淡きは 無味の味を生ず


  『根無草ねなしぐさ後編』 風來山人ふうらいさんじん


 美肌に欠かせぬ薔薇露ばらのつゆと、伽羅きゃら香木に金銀の縁をつけ絵模様を刻み描き、象牙にべっこうの歯を付けた本草細工の菅原櫛すがわらぐし、いずれも先生発明の品を手土産に、今宵も繰り出す茶屋遊び。


 上野三十六坊の僧侶が、享楽求めて忍び通う、湯島は切通しの蔭間茶屋かげまちゃや


 陋風奇士ろうふうきしと揶揄されるも、己はゆずらぬ水虎かっぱ先生、馴染の優童に洎夫藍サフランと、紅毛本草こうもうほんぞうの名をつけてご満悦。


「これが、かの物品会で衆目を集めた薔薇露ばらのつゆ、そんじょそこらでは手に入らぬ。蘭引きを使いじきじきに取り出したるものだ」

「先生お手ずからの香薬水においくすりみず、さぞやよく効くことで」

 

 と皆まで言わずにこれもまた珍しき渡来ものの玻璃の容器のふたをとり、顔を近づけひと呼吸、洎夫藍は、目を潤ませて吐息を一つ。

 さて、宴が始まり、蔭絵、声色、投壺とうこ羅漢舞らかんまい、茶屋での酒肴と遊びもひと渡りしすまし、遊び飽きたところで、ここは一つ、百物語でもしようかということになった。 

   

 では、と、とある若衆わかしゅが語りだす。


上達部かんだちめに化けた狐と、枕をかわした上童うへわらは、朝、目がさめたら毛だらけで、これはとんでもない病をうつされたと寝込んでしまった。主人はことのほか、その肌のつるりとしたのを気に入っていたとかで、それはもう、上童の青くなった顔が見ものだったとか」


「それはそれは、肌の白さ柔さは百難隠すと申すもの」


「ふだんより主の贔屓ひいきを気に入らなかった朋輩ほうばいどもは、皆、表向きは気の毒がって、やれ毛の抜ける膏薬こうやくだの体毛を薄くする煎じ薬だの、はては毛の神様の御札だの、面白がって贈っては、額を寄せて噂に花を咲かせていた」


「毛の神様とは、それは、また、何処の毛か神様も悩むであろうに」


「主人のお召しにも枕があがらず、伏せること十日ばかりが過ぎた。さて、実のところその上童、無粋で乱暴な主の夜伽は御免蒙りたいと、常日頃思っていたので、これを期にと宿下がりしてしまった」


「お狐さまのが、よほど情に濃やかで床上手、妖しの変化であれば人とは違う情趣もあって、それ、口はばったいようなことも、ねぇ」


 口元を押さえてつくるしなに、互いに目配せ、若衆たちはさんざめく。


「もしや、その化狐、先生のお知り合いではございませんか」

「知ってどうする」

「一度手合わせしてみたいものと」


 花も盛りの年の頃、ひときわ艶やかな洎夫藍が、ふいと口にしたこの言葉。

 人外化身の腕の中、飛燕ひえんの腰がしなるさま、まぶたに浮かび水虎先生、思わずたまらず咳払い。

 洎夫藍、それに気付いて目を向ける。

 水虎先生の煙管きせるをいじる人より長い人差し指に、目を留め、目を伏せ、目尻に浮かぶは、花紅のうっすらと。


「手合わせとは聞きずてならぬ。今宵の客はこの身であるぞ」

 と、水虎先生のそしり声。

 それに答えて洎夫藍は、

「それ、手合わせは、こちらの櫛で、化狐の尾をすいてみたいと、ただ思うただけでございます」

 と、指にはさみし菅原櫛を、ひらひらと、宙に舞わせて笑みを浮かべる。

「すいた毛の下、はだえが見えれば、尾のみで済もうはずもなし」

「それは、また、異なことを。あやかしに慕われるは先生の性分、それに習ってみようというは、慕う心の成せるわざ」


 戯れかけあう言葉は尽きることなく、それも遊びのうちと互いに知っての茶番劇。

 水虎先生、煙管きせるをこつんと一つ鳴らし、それが合図でおひらきとなる。



 さて、翌日。


「先生、水虎先生」


 幼くか細いささやき声に振り向くと、贔屓の若衆の使いだと、禿童かむろが面を伏せて立っていた。


「どれ、顔を見せてごらん」


 水虎先生に言われて、禿童は顔をあげた。

 切り揃えられた前髪も初々しく、涼しい目元はすっきり流れて黒目がち。

 小さな鼻に、唇は桜桃色にみずみずしい。

 はて、この愛らしい顔に見覚えがないとは、水虎先生首を傾げて、しばし思案。


「返事はすぐにしたためるから、あがっていきなさい」

 

 禿童は遠慮がちに立ったまま。

 仕方なくそのまま待たせて、水虎先生、文をあらためた。


 と、焚き染めた香が、洎夫藍のものとはちと違う。

 種類は同じでも質が違うようなのだ。


 あれもそれなりに売れっ子で、身のまわりの品はいずれも贅を尽くしたものであるが、この文に焚き染めた香はもうひとまわり品格があった。

 品格といっても、上品というより、人ならぬもののあやしの気配が、風情をいや増しているようだった。


「これは、いつもの伽羅ではないね。このにおいは、人の中の獣の性を疼かせる」

 

 禿童は、はっとして、土間に手をつき申しわけなさそうに話しだした。


「さすがは水虎先生。飯綱いずな幻術の使い手との名に違わぬ眼力にてございます。だますようなことになり、まことに申しわけございません。実はお願いがございまして、こちらへ馳せ参じた次第でございます」


 と禿童、見る間に耳が伸び、尾が生えた。

 顔立ちだけは愛らしいまま、ふるっと尾をふり、小首をかしげてみせた。

 

「願いというのはなんだ」


 水狐先生、小狐禿童の愛らしさにまんざらでもなく、問いかけた。


「あい、それでは、申しあげます」


 返事の声に甘露が混じり、水狐先生思わず笑んで、それに安堵したのか、おもむろに、小狐禿童は語り始めた。


「主の若君が臥せってしまい、枕があがらぬようになってしまったのです。わけは、わかっております。さる春の宵、朧月に誘われて化身し殿上の宴に紛れていた折に、出会った上童に懸想したのでございます。添い遂げるなど叶わぬと知ればこそ、その煩悶も底知れず、食も細り、色も失せ、今しも命の灯の消えんばかりとなっておしまいになり……」 


 さては、昨夜の若衆の話の狐かと、水虎先生当たりをつけたが、こればかりはいたしかたない。

 人獣が添い遂げたとは、語り物には数あれど、それとて人外に落ちるのを人が厭わぬのであればこそ。

 そこまでの覚悟がその上童にあるものか。

 所詮は一夜の夢としか思ってはおらぬであろうことは難くない。


―― 一夜の情の有磯海、雲龍となるを望むもままならず、このままはかなくなるものか ——


 文にしたためられた墨跡に、にじむ涙も累々と。

 それより何より禿童のいじらしさに、水虎先生、ここは一つ恩を売っておくのも悪くないと思い至る。


「では、結びの神を呼び出すか。しかしてその上童、出自はわからぬとも、せめて見目形くらいはわからぬと、何をもいたしようもないのだが」


「はい、それは、このような姿だったと」


 小狐禿童は、くるりと後ろに一回転。


 伽羅の香りがたちこめて、現れ出でたるは、あどけなさよりしどけなさの勝る美麗な上童。


 上童は微笑みながら、ちょこんと水虎先生の膝に乗る。


 これもまた一興と、水虎先生、禽獣の化けた上童に、手ずから自前の和三盆わさんぼんを口に含ませた。


 化身の上童は甘い甘いと指を吸い、水虎先生たまらず小狐禿童の化けた証を探そうと、尾の辺りへと手を伸ばす。


 誘われるまま気がつけば、小狐禿童は腕の中、禽獣の本性も戯れ甲斐があり、午睡の夢での茶屋遊びかと思わせる、ことと次第に相成っていた。


 夕まぐれの風の冷たさに、水虎先生、思わずくさめを大きく一つ。

 自分のくさめで目が覚めれば、鼻をくすぐる、伽羅の香、尾の毛。

 毛のみを残して、小狐禿童は気配もなく。


 水狐先生、ふわりとひと房尾の毛をつまむと、ふっとひと息吹き飛ばして、


「化かされるには、よき夕べかな」


 とつぶやいた。


 それから、ごろりと横になり、夢の続きを貪り尽くさんと目を閉じた。


 






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