じゃじゃ馬姫と竜⑥
***
お城に帰るなり、私を出迎えたのは「おかえり」でも「どこにいってたの」でもなく……。
——パァンッ!
「……っ!」
怒り狂ったお母さんからの、それはそれは強烈な平手打ちだった。
「何をしているのよあなたはっ!」
「ごめんなさい……ほんとうに、ごめ……さいっ」
痛みと、安心と、罪悪感と、いろんな感情が私の中で大きな渦を作って、その渦は透明な涙になってこぼれ落ちる。
ぽつりぽつり。またぽつり。その雫は森の中で降っていた雨よりも大きいけれど、少し温かい。
隣に座っているお父さんも、今までにないぐらい顔を
さっきのオオカミよりも、この二人の方がずっと怖い。
なのに見ているだけで、こうして声を聞いているだけで、全身が温まっていくのはどうしてだろう。人生とは、不思議だ。これはアイラも教えてくれなかった。知らないのだろうか。だったら後で教えてあげよう。
そういえばアイラはどこにいるのだろう。
なんてことを考えていれば、ふわり、ビーフシチューの香りと人肌の温もりが、背後から私をそっと包んだ。
『姫様、ご無事で何よりです。本当に、本当に……っ!』
「アイ……ラ?」
私をぎゅっと抱きしめながら、アイラも泣いていた。
私は何をやっていたんだろう。私が傷ついたら、居なくなったら、死んでしまったら、こんなに皆悲しい気持ちになってしまうんだ。
私は、なんて馬鹿なことをしたんだろう。
自分が悪いことをしたら、謝る。反省をする。
これを教えてくれたのはアイラだけじゃない。皆だ。
「みんな……ごめんなさい、本当に、ごめんなさいっ!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった私を、みんなが抱きしめてくれた。
「それで、その変なのはなあに?」
私がひとしきり泣いた後、お母さんは私の後ろで黙ってお利巧さんをしている竜を指さして言う。
「このこ竜なの! あの竜! 絶滅したって言われている、あの竜なの!」
「「りゅ、竜⁉」」
お父さんとお母さんが目を丸くして、口を揃える。
「うん。騎士さんが言ってた。それでね、この子が私を助けてくれたの。大きなオオカミをふっ飛ばして、この翼で雨や風から私を守ってくれたの!」
お城でこの子を飼うためにも、この二人を説得しなければならない。
私は森で体験した出来事を、竜と過ごしたひと時を、お父さんとお母さんに熱く語った。
「……あなたがこうして無事に帰ってきた様子を見るに、どうやら嘘では無さそうね。それに、実際すごく懐いているようだし」
『クアァ~』
「よしよーし。じゃあじゃあ! お部屋で飼ってもいい? いい?」
私が訊くと、お母さんとお父さんは二人でチラリと目を合わせて、大きくため息をつく。
けれども、二人の表情はすぐに笑顔に変わった。何かを諦めたような顔をしている。
「はぁ、わかったわ。許可します。どうせダメだと言っても聞かないんでしょう?」
「ほ、ほんとぉ⁉」
——これは、奇跡かもしれない。
「えぇ。その代わり、もう二度と公務をサボらないこと。城を抜けださないこと。それと、もしその竜が城の人間に危害を加えた場合、すぐに追い出しますから。もちろんリリー、あなたも含めてね」
「えぇ⁉」
私も森に追い出されてしまうのだろうか。
「ああ、えっと、言い方が悪かったわね。違うの。あなた自身の身に何かがあった場合も、その竜は森に返します。最悪の場合は殺処分ということも考えておくように」
殺処分……。いや、させない。そんなことは、絶対にさせない。
「……わかった。でも大丈夫よ。この子はすっごく賢くて優しいから!」
『グルゥー!』
——こうして私の息苦しい日常には、一匹の竜が加わることとなった。
「ミラ! お手!」
『グルゥッ!』
お手とは言うものの、実際は私が差し出した両手の上に、当初よりも二回りぐらい成長した竜の下あごの出っ張りがずしんと乗っている。
『ミラ』と名付けたその新緑色の竜を、十二歳になった私は今日もめいいっぱい撫でてやる。
「んー! 相変わらずミラは賢くていい子ね! 飼い主そっくり! 顔も可愛らしいし!」
『グァ~ン!』
アイラはこの様を見るなり、『親ばか』だと言っていつもため息をこぼす。ばかだなんて、失礼しちゃうわね。
二年という間私はとにかくご公務漬けの毎日で、それはきっとこれからも変わらないんだろうなと、日に日に痛感している。
ミラもとにかく大きくなって。頭から尻尾まで長さを測ったら、ざっと五メートルぐらいだろうか。まぁ半分は尻尾だけれど。
結局私に部屋には収まりきらなくてミラも窮屈そうだったので、今はお城の庭でのびのび放し飼い状態だ。おかげで王都ではちょっとした観光名所になりかけている。
ミラも人には良く慣れていて、機嫌がいい日なんかは空に飛びあがって空中で円を描いたり火を吹いたり、日々王都の人達をもてなしているのをよく見かける。
けれども、あの日からひとつだけ、どうしても引っかかっていることがある。
夜空に浮かぶ薄黄色に光る三日月が、竜の爪みたいに見える——そんな夜。
「ミラ……寂しいの?」
『ルゥ……』
こんなに大きくなったくせに、まだそんな子供みたいな声で鳴くのかお前は。
なんて冷たい態度は、とったりしない。
「お母さんに会いたい?」
星々が瞬いた夜の下で、パジャマ姿のままミラの背中に跨り、そのごつごつした首筋を私はぎゅっと抱いてやる。
『グルルゥ……』
「そっか。そうだよね」
なんとなくだけれど、ミラが何を言っているのかは私にはわかる。お腹が空いたとか、眠いとか、遊びたいとか、眠いとか、イライラするとか。
今ミラは、「会いたい」と呟いた。私にはわかる。
けれどこれは珍しいことじゃない。森で会ったあの日から、ずっとだ。
あの日、どうしてミラは森に置いていかれてしまったのか。ミラの家族は、いまどこにいるんだろうか。私もずっと気になっている。
「ねぇミラ、私が今こうやって生きているのって、ミラがあの日私を助けてくれたからなんだよ?」
『グルゥ?』
「ふふっ、ほんとだよ? でも私、今までなーんにもミラにお礼できてないなぁと思って。ほら、ご飯はいつもアイラ達が用意してくれてるけどね?」
『グァーッ!』
「もう、ミラは食いしん坊なんだから。あんなにたくさん用意するの大変なんだよ? だから文句言わない! それにちょっと足りないくらいが健康にはいいのよ? 腹八分目って言うし!」
『グルゥ……』
なんだ、その不服そうな目は。ご主人様に向かって反抗的だぞ!
そんな他愛もない会話の果てに、私はずっと胸に抱いていたある決意をミラに囁いた。
「——だからさ、一緒に探しに行こうよ。ミラのお母さん」
『グルルッ?』
『本気?』、とミラが首を傾げて、私が伸ばした手のひらに額を摺り寄せる。
だから私は、答えるように撫でてやり、見つめ返す。
「うん、本気!」
最期の竜騎士 亜咲 @a_saki
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