【短編】サンタ・クロースの伝説

Edy

その名はセント・ニコラウス

 ローマ帝国リキュア属州パタラ。その小さい町で彼は生を受けた。名をニコラウス。後にセント・ニコラウスと呼ばれる男の伝説を語ろう。


    ✝


 ニコラウスは幼き頃より教会に従事していた気性が荒い子供だった。それは成長しても変わらない上に、鍛え上げられた肉体を持っていた事から聖職者にはとても見えなかった。

 よそからパタラに来た者は必ず同じ問いをする。「彼は何者だ?」

 その答えも決まっている。「キリスト教の信徒だ。気難しく、笑顔を見た者はいない」そしてこう締めくくられた「しかし彼は正しく、優しい」

 ニコラウスは常に一人だったが、ひそかに慕う者は多かった。


 彼が33歳の時、西暦303年に事件が起こる。時の皇帝ディオクレティヌスの勅命によりキリスト教徒大迫害が始まった。

 ニコラウスは拳を振るった。ローマ兵を倒すために。

 ニコラウスは盾となった。信徒を守るために。

 しかしローマ兵は勇猛かつ組織的に作戦を遂行する。信徒たちの健闘虚しく、一人また一人と倒れ、ついにニコラウスも捕縛された。

 作戦を指揮していた百人隊ケントゥリアの隊長は当時を思い出して身を震わせる。


「アレが信徒だと? 馬鹿を言うな。アレは、アレは悪魔だ! 信じられるか? アイツは鼻を潰され、鎖でがんじがらめにされても膝を折らなかった。……あの目……思い出したくもない!」


 こうしてニコラウスは投獄される。その時に砕けた鼻はろくに治療もされず、より恐ろしい顔となった。

 それから8年後、コンスタンティヌス帝はミラノ勅命を出す。キリスト教はローマ帝国公認となった。


「1054番! 釈放だ! 出ろ!」


 今まで囚人をゴミのように扱っていた看守はニコラウスも同じようになぶるつもりだった。

 いくら釈放とはいえ、監獄から出るまでは囚人。ぶん殴って憂さ晴らしをしても構わない。そう考えていた。

 しかし長年閉ざされていた扉を開けた時、愉快な気分は消え失せる。そこには8年も投獄されていたとは思えないニコラウスがいた。

 何もせずに過ごしてきたわけではない。胸板はより厚く、首はより太く、手足はよりしなやか。

 当然であろう。全ての時間を鍛錬に費やしてきたのだから。

 看守は恐れ後退る。本能が、全身の細胞が敗北を認めていたから。両膝を地につき、何もせずに見送るしかできなかった。

 ニコラウス、世に放たれる。その知らせは瞬く間に広まった。教会は彼に重要な役職を用意したが、彼の首は縦に振られない。望みはただ一つ。パタラへの帰郷のみ。様々なやりとりのあと、彼はパタラの司祭となった。セントニコラウスの伝説はここから始まる。


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 彼の偉業は数しれない。その中からいくつかを語ろう。


 とある街道沿いにある宿の主人が三人の少年を毒殺した。凶行はすぐに明るみに出たが少年たちの命は戻らない。

 埋葬を止めさせたのはニコラウスだった。彼は横たわる少年たちの前に立つと右腕を天高く突き上げる。その拳は強く握られ、熱を帯び、背後がゆがんで見えた。

 人々が見守る中、拳は少年の胸にたたき込まれた!


「ゴッド・ブレス・ユー!!」


 その衝撃により少年の心臓は再動。血液が全身を駆け巡り、肺は新鮮な空気を欲した。

 少年はせき込みながら目を覚ます。

 奇跡だ。誰もがそう口にして駆け寄るが、再び右腕を突き上げるニコラウスを見て足を止めた。

 まさか! 奇跡は何度も起きはしない。視線が集まる中、行使されるのは奇跡。

 そう、奇跡は起きるのではない。起こすのだ。


「ゴッド・ブレス・ユー!!」

「ゴッド・ブレス・ユー!!」


 こうして三人の少年は救われた。

 なんとか話せるようになった三人は口々に感謝を述べるが、ニコラウスは十字をきり「アーメン」と答えるだけだった。


    ✝


 こんな逸話もある。


 嵐の夜、一そうの舟が海に飲み込まれようとしていた。陸までもう少し。しかしかじは効かず、帆は破れ、船員たちは絶望に打ちひしがれるしかなかった。

 一人の船員が叫ぶ「ニコラウス様! 助けてください!」

 すると陸に一人の男が現れた。その者はニコラウス。衣服を脱ぎ捨て海に飛び込んだ。

 船員は海の恐ろしさを知っている。嵐の恐ろしさを知っている。いくらニコラウス様でも太刀打ちできるはずがない。事実、ニコラウスの姿は見えなかった。


「ニコラウス様だ!」


 船尾にいた船員が真下を指差した。船体にしがみついているぞ! ニコラウスはここまで泳ぎきった! しかし、どうするというのか?

 みなが見守る中、右腕を天に突き出すニコラウス。

 何度も波を被りながら、力をめた右腕を船体に叩き込む!


「ゴッド・ブレス・ユー!!」


 突然、船は海上を滑り出す。いや、宙を飛んだ。船員たちは振り落とされないようにつかまるしかできなかったが、船は陸までたどりつく。

 救われた彼らはニコラウスを何度もたたえた。

 

「アーメン」


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 これも話しておこうか。有名だから知っているかもしれない。


 パタラの豪商が破産した。なんとか挽回ばんかいしようと働いたが、借金返済の目処は立たず、屋敷、財産を手放した。足りないのは金貨三枚分。しかし今の彼にはとてつもない大金だった。

 彼には三人の娘がいた。娘たちは父のために身売りを提案する。父は怒り、拒むが最後には涙を流しながら折れた。

 せめて、神の祝福だけでもと、娘たちと過ごせる最後の夜に司祭を招く。

 それは珍しく雪が積もった夜だった。ニコラウスは祈る。長女のため、次女のため、三女のため。

 父は僅かしかありませんが、と礼を差し出すがニコラウスは受け取らず、帰路についた。

 その深夜、再び現れたニコラウス。

 ニコラウスは考える。彼らに施してもけして受け取らないだろう。彼らの魂は高潔だから。

 ならばどうすればいい? 答えは一つ。

 目を閉じ、室内を思い描く。部屋の隅にあるのは暖炉。その前に干されていたのは娘たちの靴下。それが三足。

 思い出せ。正確な靴下の位置を!

 脳裏に描け。暖炉の形状を!

 懐から取り出したのは三枚の金貨。重さ、重心を確かめるように指の上で転がす。

 ニコラウスは目を開く。迷いはない。三枚の金貨を指で弾き上げ、落ちてきたところに叩き込む!

 それは数々の奇跡を起こした右腕。


「ゴッド・ブレス・ユー!!」


 金貨は雲を割り舞い上がる。その時、パタラに降る雪は止んだ。金貨は最高度に達すると、一瞬だけ静止して、落ちた。どこに? 暖炉につながる煙突目掛けて。見事、三枚とも吸い込まれる。

 まだだ。ここからが勝負どころ。そのために回転を加えてある。

 金貨は底に到達。灰をまき散らし跳ね上がった。暖炉の外を目掛けて。

 一枚は長女の靴下へ。

 一枚は次女の靴下へ。

 一枚は三女の靴下へ。

 ニコラウスは鍛え上げられた聴力をもって目的が成されたと知った。十字をきり、胸の前で手を組む。


「アーメン」


    ✝


「それからどうなったの?」


 少年は老人の膝の間に座り、話の続きをせがんだ。

 リビングのツリーを飾るLEDが瞬き、暖炉の火が優しく二人を包む。テーブルのターキーは明日の朝のために残されていた。


「続きは明日にしよう。今夜はイブだ。夜ふかしする子供のところにはサンタクロースはこないんじゃないか?」


 大変だ、と自分の部屋に駆け込む少年。

 老人は誰もいなくなったリビングから自室に戻ると、上着を脱ぎクローゼットから取り出した赤い服に腕を通す。鍛え上げられた靱やかな腕を。

 家族を起こさないようにそっと家を出た老人を待っていたのは8頭のトナカイ。


「ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドナー、ブリッツェン。行こう。年に一度の仕事だ」


 トナカイに引かれたソリは音もなく空へと上がる。

 風を切り、ぐんぐんと速度を上げた。赤い帽子と白いひげがなびく。

 身を刺すような寒さだが鍛え上げられた肉体を屈服させるほどではない。

 老人は月に照らされた町を眺めながら誰にも見せたことのない笑みを浮かべた。


「ゴッド・ブレス・ユー」


――神のお恵みがありますように――

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