最終話 サンタってほんとにいるんだな
よくよく話を聞いてみればどうやら、父は本当にプロの空き巣だったらしい。
どおりで、あまりにも手際がよすぎるわけだった。会社の仕事と関係しているからと勝手に納得していたが、本職だったのなら何も不思議ではない。不思議だったのは、そう打ち明けられたにもかかわらず、父を見る僕の目がまったく変化しなかったことだった。
「驚かないのか?」
父は、ほんの少し残念そうだった。
「父親が犯罪者だったんだぞ?」
「今更、父さんの罪状が一つ増えたくらい、別に驚くことじゃないよ」
万引きに、妙な修行に、変な料理に、小さい頃からそれはそれは非道い目に遭わされてきた僕としては、空き巣だったと言われても「ふ~ん」としか思えないのが正直なところだった。
「お前、ちょっと常識なさすぎるぞ」と父に呆れられるが、父さんに言われたくないと心の中で思う。
それよりも、問題なのはサヤとの関係である。
父は恩人と言ったが、自分のあずかり知らないところで二人に一体何があったのか。
それを感じ取ったのか、父は改めて先を続けた。
「アレは……、もう何年経つのかな。お前がまだ生まれて間もない頃だった。母さんに先立たれた俺はすっかりやる気をなくしちまってな、当然の如く仕事も首になった。幼いお前を抱えて、貯金はどんどんと減っていくし、元々駆け落ちみたいに東京に出て来たもんだから実家も頼れない。そんなどん底のときだった。貯金が底を付いてどうにもならなくなった俺は」
魔が差したんだろうな、と父は顔を歪めながら告げた。
そうして父は、空き巣に入ったのだ。
「勘違いするなよ。言い訳をするつもりはないんだ。俺は紛れもなく犯罪者だった。多分、俺のせいで困った奴らも苦しんだ奴らも山ほどいる。最初は、一度きりだって決めて、直ぐに定職について足を洗おうってそう思っていた。捕まっちまったらそれはその時で、国でも児童養護施設でもなんでもお前を保護してくれるしな。だがな」
そこで父は照れくさそうに笑い、
「それが面白くなっちまったんだ」と言った。
最初の空き巣で、父が手にしたのは百万近い現金だった。
ビギナーズラックもいいところだった。
それで味を占めた父は、小さなプラスチック整形工場で職を得てからも、空き巣に入り続けたらしい。呆れた父親だった。
空き巣がもたらすスリルと大金に、すっかり目がくらんでしまったのだ。
「馬鹿だったよ。母さんに先立たれて自暴自棄になってたなんて言ったって言い訳にもならない。そんな生活が3年ほど続いて、お前も物心が付いてきた頃だった」
その年のクリスマスの夜。
父は、サンタの恰好で空き巣に入った。
「ちょっとしたシャレのつもりもあったんだがな。クリスマスの夜にも両親が外泊してくるような、そんな家だった。家にいるのは4才になる娘一人。昼間は隣に住んでる祖父母が面倒を見てるが、寝かしつけた後は自分たちの家に戻っちまう。楽勝なヤマだったはずだった」
ところが忍び込んだ先でヘマをやった父は、その部屋で眠っていた女の子に顔を見られてしまった。
「丁度窓のところに縄跳びが張ってあってな。まさか4才の女の子がそんなことをするとは思ってなかったもんだから、派手にすっ転んで起こしちまった」
子供とはいえ、顔を見られれば証拠になるし、今すぐその子が大声を上げれば隣の祖父母が駆けつけてくる。今よりもずっと若かった父は、予定外の出来事にパニックになった。
「一瞬、殺そうかと考えた」
僕は、目を剥く。
「もちろん、直ぐに馬鹿な考えだって気づいた。気づいたんだが、俺は、そう考えた自分自身に愕然としてな。たとえ一瞬でも、お前と同じくらいの女の子を手にかけようと考えた自分が心底恥ずかしかった。それなのに、そんな俺に対して、その女の子は眠そうな目をこすりながら言ったんだ。『サンタさんだ』ってな」
僕は想像する。4才の少女が一人で過ごすクリスマスの夜。暗闇に怯え、不安を抱えながら、帰って来ない両親を待ち続ける少女。その姿が、六畳一間で父を待ちながら眠った自分の姿に重なる。
あの頃の自分は、サンタクロースを信じていた。
よい子にしていればサンタクロースがやってきて、どんな願いも叶えてくれると信じていた。
少女は、どれだけの気持ちでサンタクロースを待っていたのだろうか。何を願ってサンタを待ったのか。何を思ってベランダに縄跳びを仕掛けたのか。
そして、その罠にかかったサンタクロースを見てどんな思いで歓声をあげたのか。
――サンタさんだ!
「それから、その子はわいわいはしゃいでまとわり付いてくるし、俺はいよいよ後ろめたくなってな、結局一晩中その女の子に付き合って遊んでやる羽目になった」
そうして、クリスマスの夜を少女と過ごした父は、明け方になって家に帰り、六畳一間のアパートで眠る僕の顔を見て、足を洗おうと思ったらしかった。
「俺は、空き巣で得た金と技術を使って警備会社を立ち上げた。それから後はお前も知っての通りだ。昭和の終わりとともに水と安全はタダだと言われていた時代が終わった。世間の風潮に乗っかって俺の会社は予想外に軌道に乗り、今では都内にビルを持つまでになったってわけだ」
そして、そのきっかけとなった少女とは……。
「お前が、サヤちゃんを家に連れてきた時は驚いたぞ。すっかり大人になって綺麗になっていたが俺には一目で分かった。もっとも、向こうは覚えていなかったようだがな」
だから恩人。
だから、二十年前のあの時と同じように、今度は本物のサンタクロースとしてサヤの枕元にプレゼントを置いていきたい、父は、そう思ったらしかった。
――わたしね、小さい頃に本物のサンタクロースに会ったことがあるの。
唐突に、サヤの言葉が蘇る。
あの時、僕はサヤの言葉を本気にしなかった。どうせ父親の変装だろと思って、そう冗談を言ってサヤを怒られた。
いま父がプレゼントを届けたなら、サヤは喜んでくれるのだろうか。あの時のサンタクロースだ、と言って笑ってくれるのだろうか。
自分は、このまま父を行かせた方が良いのではないか。
そこまで考えて、首を振る。
常識で考えて、窓を割って入ってきた侵入者を歓迎する馬鹿はいない。
危なかった。危うく父の口車に乗せられるところだった。僕は、父を引き留めようと顔を上げ、
父がいなかった。
「おい、早く来い」その声は、下の方から響いてくる。
まさかと思って柵から身を乗り出しロープの先を辿る。
父は、既にベランダまで降りていた。僕はもう、肩をすくめるしかなかった。
@
意外なことに、父はまだ中には入っていなかった。しかめっ面した僕がロープを降りきるまで、彼は腕を組みながら悠然と待っていた。
「……入らないの?」僕は、警戒しながら尋ねる。
「お前が行ってこい」
そう言われる気はしていた。
常識とかけ離れているため一見しては分からないが、父の行動原理は基本的に夢とロマンなのである。
息子が元カノの部屋に忍び込んでプレゼントを置いてくる、というシチュエーションは父にとって最高の見物なのに違いない。
「僕は、止めに来たんだよ?」
呆れたようにため息をついてみせる。
「いいから行ってこいよ。窓は開いてるんだ」
「開いてる?」
何て不用心な、と僕は思った。
「メールを送っといたんだ。お前のケータイから。『サンタが来るかもしれないから窓は開けといた方がいい』、ってな」
「!?」
なんということをするのだろうか。別れた彼氏から来た最初のメールがそれである。
意味不明な文面を見てサヤは何を思ったのだろう。
何かの比喩と見たか、それとも質の悪い冗談と受けたか。
あるいは、いつぞやのサンタ話をからかっていると思ったか。
「俺も効果は半信半疑だったがな、それでも現に窓は開いている。お前を待ってる、とは考えられないか?」
怪しいものだと僕は思う。
「からかわれたって勘違いしてムキになってるだけかもしれないじゃないか」
現実的に考えれば、その可能性が一番高い。
あるいは単にカギを閉め忘れただけかもしれない。
戸建てならともかく七階のベランダから侵入してくる空き巣は稀なのだから。
「どうしてお前は悪い方ばっかりに物事を考えるんだ?」
「悪い方、って……。僕は常識で考えてるだけだよ。父さんが能天気すぎるだけ」
「俺が能天気なのは否定しないさ。だが常識、常識、ってお前の常識はそんなに完璧なのか? ただ、あきらめる言い訳にしてるだけじゃないのか?」
そこで父は言葉を切り、「いいか」と指を立てて話を続ける。
「例えばだ。ある親子が事故にあって病院に運ばれた。父親と息子だ。二人は今すぐ手術が必要な重体で、病院に着くなり手術室に運ばれた。ところが、父親のほうは無事手術がスタートしたものの、息子の方は、担当医が息子の顔を見るなり手術はしたくないと言い出した。奇妙に思った看護婦が事情を聞いてみると、担当医は『自分の息子だから手術はしたくない』と言ったんだ。さあ、これは一体どういうことだ?」
何かの教訓話かと思ったら、クイズらしかった。
父親は一緒に事故にあったはずなのに、なぜか担当医が『息子だから手術はしたくない』と言い張っている。
そもそも、これがさっきの話とどうつながるのか何もわからなかったが、僕は一番始めに思いついた答えを口にする。
「最初の父親が義理の父だったんじゃないの?」
父は鼻で笑って「いやいや、本物の父親だよ」
「じゃあ、……父親の手術が30秒で終わった、とか?」
「おいおい、とても常識人の発言とは思えないぞ?」
「じゃあ、医者は妄想で息子だと思い込んでる、とか……」
「バカか」
分からなかった。
父親は一緒に事故にあったのではなかったのか。
あるいは、『父親』という名前の別人かとも思ったが、そんなふざけた問題とも思えない。そもそも、この話にはちゃんとしたオチがつくのかどうか怪しんでいると、父は、黙り込んだ僕を見てにやりと笑い
「担当医はな、母親だったんだよ」
母親。
ぐうの音も出なかった。
確かに、母親ならば何も問題はない。
答えを聞いてみれば当たり前としか思えないのに、どうして自分はそれに気づけなかったのか。なんだか無性に悔しかった。
「お前の常識ってやつも、ただの思いこみだってことだよ。外れる事なんていくらでもある」
父は大きな白い袋を担ぎ直し、
「そう。4月に雪が降ることもあるし、双子が別々の日に生まれることもあるし、」
笑った。
「ホントにサンタが来ることがあったって、悪いことはないだろ? それでサヤちゃんが喜んでくれる可能性だってないとは言い切れないんじゃないか?」
僕は、答えられなかった。確かにサヤはサンタにあったことを嬉しそうに話していた。
けれど……。
「よしじゃあ、早速行ってみようか」
そう言って父は僕の背中をぐいぐいと押す。「ちょ、ちょっと父さん」
「信じれば願いが叶うなんてバカなことは言わないけどな、やらないうちから勝手に決め付けてあきらめるなよ。サンタが来ないなら自分がなってやればいい。
明日が来ないなら今日を楽しく変えればいい」
「で、でも、その話と忍び込むのと、何の関係があるの?」
僕は、最後の抵抗を続ける。しかし、
「つべこべ言わず、とっとと行ってこい!」
そう言って父はムリヤリに窓を開けて僕を中に押し込もうとして、しかし
そのとき
窓が
内側から開いた。
????
僕と父は顔を見合わせる。呆然としたまま首を捻り、目の前に現れた人影で我に返る。真っ赤な服だった。
一瞬、サヤが起きてきたのかと思って身構えるが、それにしては恰幅の良い身体つきで、すぐに別人だと気が付く。
窓を開け放った人影は、重そうな白い袋を僕と父の間にどすんと置き、額の汗を拭って「ふぃ~」とため息をついた。
真っ赤な服に白いヒゲに革のブーツのおじいさんだった。
そこでようやく僕たちに気が付いたのか、おじいさんは僕たちをゆっくり見回して「ほっほっほ。メリークリスマス」と言った。
僕たちは呆気にとられて「メリークリスマス」と返す。
そうしておじいさんは満足げに微笑むと、袋の中から小さな小包みを取り出すと、僕たちに一つずつ渡し、ベランダの柵を登り始めた。
ベランダの柵?
呆然としていて気づかなかったが、ここはサヤの部屋。つまり7階である。
慌てて止めようとする僕を余所に、おじいさんは「よっこらせ」と言って柵から飛び降りた。
飛び降りてしまった。
まるで現実味がなかった。あとから遅れて冷や汗が吹き出る。
慌ててベランダ柵に張り付いて落下予測地点を確認しようとして、違和感に気が付く。
目の前に、おじいさんがいた。
ソリに乗っていた。
トナカイのソリだった。
そのままソリは上空高く舞い上がり、うっすらと白み始めた明け方の空に消えた。
僕たちは声を上げることもできずに、ただその光景を見ていた。
@
その後、「なあ、おい、あれ見たか」と子供のように興奮した父は「俺の言ったとおりだったろ?」と何度も何度も目を輝かせ、「サンタってホントにいるんだな」と感嘆の声を漏らした。
そう言った父がこの世を去ったのは、クリスマスイブから半年後、6月24日のことだった。
末期の胃ガンだった。
父がサンタになろうとしたのは、そのせいもあったのだと思う。
最後の罪滅ぼしだったのかもしれない。
父がプレゼントを配った家は、かつて父が忍び込んだ家の関係者ばかりだった。
父の葬儀には、驚くほどたくさんの人たちが出席をした。
@
エピローグ
「明日、っていうのはさ、サンタクロースに似てるよな」
僕がそう言うと、十八になる息子は「はぁ?」と気のない返事を返した。
「子供の頃は、みんな信じてただろ? ベッドに靴下吊して、カレンダーに赤丸を付けて、クリスマスを指折り数えて、そうやってサンタを待ってる。ちょっとやんちゃな奴だったら、入り口のところに縄跳びでも仕掛けてやろうとか企んでるかもしれない」
息子の表情が、疑問符で埋め尽くされていく。
それでもかまわず僕は続けた。
「けど、そうやって待っててもサンタは来ない。だから今度はひねくれる。サンタなんてオモチャ会社の陰謀だって息巻いて、もう絶対に期待なんかするもんかって鼻息も荒く床につく」
僕はずっと考えていた。
父は、どうして自分をサンタに巻き込もうとしたのか。
かつて空き巣だったことを告白したかったのかもしれないし、サヤとの仲を取り持とうと考えていたのかもしれないし、あるいは……。
「でも、朝起きて、何の変化もない今日にため息をつくのは何でだ? 僕たちはさ、信じてないって言いながら心のどこかで信じてて、来るはずがないって思いながらいざ来なかったときにはため息をつくんだ。だから」
僕は、顔を上げる。
父と同じようにイタズラっぽく笑う。
サンタが来なければ自分がなればいい。
明日が来なければ、今日を楽しく変えればいい。
「だから拓人。一緒にサンタクロースをやらないか?」
息子の顔が、呆れた色に染まっていく。
それでもかまわず僕は言った。
「子どもたちに、プレゼントを配るんだ」
そのとき「ごはんよ」というサヤの声が食卓を満たす。
外では、楽しそうなクリスマスソングと陽気なイルミネーションが真冬の闇夜を彩っていた。
(おしまい)
父と空き巣とサンタの来ない夜(全5回) 我道瑞大 @carl
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